第12話 お帰りはこちら

 通路に立つエルブさんに挨拶をした。


「また、いつでもお越しください」


 と、優雅なお辞儀で見送られた。ちょっと慣れなくて、くすぐったい。


「ありがとうございました!」


 できるだけ、こちらからも丁寧にお辞儀をした。取引先との名刺交換でも、そこまでしなかったな。

 翡翠さんは、先に廊下に出て俺を待っていた。


「お待たせしました」

「いいえ~、さ、こちらですよ」


 案内されたのは、来たのとは逆の方向だった。廊下の感じは来たときと変わらず、ゆるくカーブしていて、扉が並んでいる。

 そこを五分程歩いた先に、見覚えのある扉が現れた。


「これは!」

「よく見てきた扉でしょう?」


 そうだよね、これ、アパートの俺の部屋の扉だもん。え?ここから帰れるの?


「アパートのキーをお待ちですか?」

「あ、はい、ここに」

「その鍵で開けると帰ることができますよ~」

「そうなんですね、何か、すごいな」


 恐る恐る開けてみると……

 はい、狭~い俺の部屋ですね。


「ほう、片付いてますね~」

「わぁっ!」


 覗き込まないで!

 翡翠さんの前に立って目隠し……できてない!


「この扉から翡翠さんが来ることは?」

「ありませんよ~。ほら、鍵を持ってませんから」

「あ、そうか」

「さあ、ここでお別れです。またいらしてくださいね~」


 と、翡翠さんは一歩廊下に下がる。

 逆に俺は一歩アパート側に進む。


 廊下の照明が少しずつ強くなってきた。


「あ~」

「はい?」

「その小瓶のお手紙、開けても良いそうですよ」

「え?」


 渡すのを忘れてた!でも、開けても良いって?誰が言ったの?


「では、また~」


 ひときわ光が強くなり、目を瞑ってしまった。扉がパタンと閉まる音で目を開けると、いつものアパートの扉が目の前にあった。

 そーっと開けると、見慣れた隣のマンションの壁。まだ止まない雨で濡れている。


 靴を脱いで部屋に上がると、ちょっとくたびれた座布団に座った。机に本の入った袋を置く。

 ふーっと息を整えると、冷蔵庫から冷やしておいた水を出し、ヒヨコ柄のコップに注いで一息に飲んだ。うん、間違いなく俺の部屋だわ。

 その日はボーッとしたまま……


 いや、思い出したぞ!


「自転車!忘れてた~!」


 はい、明日は徒歩で回収に行くのが決定!

 時間を見ると、後数分で土曜日になるところだった。良かったよ、実は何日も経ってました、ではなくて。

 そして、慣れないことを体験してしまった俺は、明日が休みなのを良いことに、歯磨きだけして寝巻きに着替えて布団に潜り込んだ。ベッドではなく、布団だ。部屋狭いからね。昼間は小さな折り畳みの机を置いているんだ。


「おやすみなさい」


 カーテンが欲しいな。星の少ない夜空がビルの間から見えてるよ。

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