ちゃんと社会学してね?
ある日、ある居酒屋で、研究者である友人Hさんと社会学談義をしていた。Hさんは僕と話すとき、基本的なスタンスとして、どんな話題でも学問に引き付けて話すようにしているそうだ。僕はそういった中でHさんに揉まれていくうちに、社会学的な視点をもつことが少しではあるができつつあるように思っていた。
そうしてお互いに疲れ果てて、帰ろうとしていたときだった。お店にお客さんが入ってきた。40代くらいの男性だった。入口から店内を見渡したかと思うと、偶然にも僕と視線が重なった。その男性は僕を見ているようで見ていないような様子で、それでも僕ら2人の座席まで歩いてきた。男性は今度はじーっと、僕を怪訝な様子で見下ろしていた。そして開口一番、
男性「お前はパンダか!?」
と、言い放った。一瞬困惑した。でもハッキリと今度は僕を見下ろしている。僕は言っていることの意味がわからず、状況が飲み込めないまま、ただ男性から目を逸らせずにいた。少し間が開いてから、
僕「はい?」
と、これまたマヌケな反応をしてしまった。すると、間髪入れずに男性はまた同じ言葉を発した。
男性「お前はパンダか!?」
あ、と僕は察した。僕の口元のアザを見て言っているのだと。視線が重なったときのあの違和感は、僕を見ているのではなく、アザに男性の意識が集中していたのだと今ならわかる。「見ているようで見ていない様子」とはそういうことだ。また少し間が空いてから、
僕「違います!」
と、返事をした。なんだか軍隊の教官の新人いびりみたいで今なら笑える。でもそのときの僕はどう対応していいか、頭が真っ白で、単純な受け答えしかできなかった。そしてまた男性は言い放った。
男性「お前はパンダか!?」
そして今度は間を開けずに、
僕「違います!」
と、なんとか言葉を絞り出した。僕はこの場から早く抜け出したかった。隣に座ったHさんに視線を向けた。彼はただ静かに、何事もないかのようにお酒を飲んでいた。助け舟がないことを悟った僕は視線を男性に戻す。
男性「お前はパンダか!?」
僕「違います!」
男性「お前はパンダか!?」
僕「はい!」
男性「お前はパンダか!?」
僕「違います!」
こうした問答がしばらく続いた。僕は一体なにと闘って、なにと対峙しているのだろう。「はい」と答えても「いいえ」と答えても、執拗に同じ問いを投げかけられた。僕はアザをもっている、ただそれだけで人として扱われないことが、とても悲しかった。
状況に気がついた店長さんがようやく駆けつけてくれた。
店長「〇〇ちゃん!いいの!このお客さんたちもう帰るんだから。」
そうして僕たちは居酒屋をあとにした。居酒屋から出てしばらくお互いに黙ったままただ目的もなく歩いていた。そこでようやくHさんは口を開いた。
Hさん「これが君の抱えている問題だったのか。なるほどね。少しだけどなんかわかったわ。ほんと大変だね。この問題はやっぱり君がやるべき(研究するべき)だよ。いやぁ、なるほどね。あ!俺こっち(方面)だから!」
T字路であるそこで、彼と別れることとなった。去り際に彼は言った。
「ちゃんと社会学してね?」
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