皇国の姉妹
世の中には、こんなに美しい所があったのだと、私は思った。
美しい花が咲き誇る初夏の森に聳える白亜の城。
ここが、私達の新しい家だと、彼女は笑ってそう言った。
「? ここは…」
暖かい、布団と毛布に包まれて、私は目を醒ました。
最初に目についたのは精緻な彫刻と、絵の施された天井。
煌めくシャンデリア。
冷えた石造りの地下室ではない、美しい部屋に息を呑んだ私に
「目は醒めましたか? セリーナさん」
良く知る声が聞こえて来る。
「マリカ…様」
「様、はつけないでいいですよ。良ければマリカ、と呼んでください」
彼女は眩しい笑顔で、そう笑っていた。
「少し、話を聞いて貰ってもいいでしょうか?
ファミーちゃんはまだ寝ているので、そっと。すぐ終わります」
私は胸元に、ファミーがいることに気付いて、起こさないように気を付けながら体を起こす。
ズキン、と折られた左手が軋むけれども、その痛みが逆に私に現状を思い出させてくれる。
私は…。
私が身体を起こしたのを確かめて、マリカはニッコリと優しい笑みを見せる。
「ここは、とあるお城です。
私やリオン、フェイ、アルなどガルフの店の幹部候補生が育った場所、と思って下さい」
「ここが…?」
本当に部屋中が見た事も無い程に美しい。
私にとっては与えられた寮の部屋でさえ、十二分に美しかったのだけれども、ここはさらにその上をいく。
というか、比べることさえ、不遜だろう。
「貴女に、レシピを持って来いと命令した男は現在、人身売買と誘拐と傷害の罪で捕えられています。
娼館は閉鎖。セリーナさんとファミーちゃんは、ガルフが後見人になって引き取りました。
そして、ここに連れて来たんです」
「捕えられた? …あの人…が?」
「はい。当面は牢屋の中にいることになると思います。
ただ、若頭、と呼ばれていたことから大きな組織の末端とも考えられ、王都では逆恨みなどの危険性がありそうだったので。
セリーナさん。王都に忘れ物や、ファミーちゃんの他に大事な人とかありますか?」
問われても、私は首を横に振るしかない。
私にはファミー以外に身内と思えるものはいない。
娼館の誰かは、もしかしたら母親かも知れないけれど、そう扱われた事は一度も無いのだから。
「セリーナさんとファミーさんには、できればこの城にいて欲しいと思っています」
マリカは静かにそう切り出す。
「城には現在十人以上の子どもが育てられています。
この城にいる限り、衣食住の心配はいりません。
料理などを含めて、勉強も教えて貰う事ができます。
ですが、許可なく王都には戻れません。
そして王都に戻るなら、この城の事は決して語らないと誓って貰わなくてはなりません」
この場所そのものが、特別な力で守られた特別な場所なのだと、彼女は言う。
「本当は、先に話して選んでもらうべきだったのですが、本当に残党がお二人を狙う可能性があったので事後承諾になってしまってすみません。
でも、ファミーちゃんには、年の近い友達もいるし、思いっきり外でも遊べます。
いい環境ではないかと自負してはいるのです」
私とマリカは共にファミーを見つめる。
全く無関係であるのに、マリカの目がファミーを見つめる眼差しが、思うより優しくてビックリする。
「明日は夜の日。安息日です。
実はちょっと来客があってバタバタするので、返事は明日の夜で構いません。一日、この城と外で過ごして、結論を出して貰ってもいいですか?
この城に二人で住む、二人で出ていく。ファミーちゃんを預けていく…どんな選択を選んでも私、私達はそれを尊重しますので」
そういうとマリカは眠るファミーを優しく、慣れた手つきで抱き上げた。
「奥の部屋を一つ、お貸しします。今日はもう遅いですから改めてゆっくり休んで下さいね」
案内された部屋は天蓋付きベッド二つの、ビックリするほど美しい部屋で私は息を呑んだけれど、彼女は何も言わずにファミーをベッドに寝かせるとそのまま部屋を出てしまった。
私は、一人一つ用意されたであろうベッドを、けれど使う気になれずファミーのベッドに上がり、その横に潜りこんだ。
こんな美しい部屋を遣わせてもらって良い筈はない。贅沢にも程がある。
自分にそんな資格はない。
美しく、暖かなベッドは、十分に眠っていた筈なのに、私をあっさりと眠りへと導いたのだった。
「おはようございます。お目覚めですか?」
気遣う様にかけられた声に私は、目を開いた。
そこには赤ん坊を抱いた金髪の美しい女性と、キョロキョロと首を振り子のように動かし続けるファミーがいた。
「ファミー?」
「お姉ちゃん、ここ、どこ?」
見知らぬ人物に怯えるように顔を寄せたファミーを私は胸に抱くと目の前の女性を見た。
「初めての場所ですから、驚くのも当然ですね」
彼女は怒鳴る事も無く、荒ぶることも無く静かに微笑みを私達に向ける。
「ここは、ま…子どもを守り育てる為に開かれた城にございます。
セリーナ様、ファミー様、私はティーナ。お二人のお世話をマリカ様から頼まれたものでございます」
そう、優雅にお辞儀をした彼女ティーナは
「食事の用意が出来ておりますので、お着替えの準備が終わりましたらどうぞ大広間に。
着替えの服はテーブルの上に。身支度用の水なども向こうに用意してございますから」
私達をそう促す。
テーブルを見れば、華美ではないけれど十分に清潔でキレイな服が私とファミーの分、用意されている。
「うわー、キレイ。
お姉ちゃん、これ、わたしが着てもいいの?」
「ええ、ファミー様の為にマリカ様が用意したものですわ」
「わーい!」
服を抱きしめて頬ずりするファミーの着替えを手伝い、自分も暖かくキレイな服に着替えてからティーナという女性の後に従って後に続く。
大広間、と呼ばれていたのは昨日、私がマリカと話した部屋だった。
そこには十人以上が集まって、食事をしている。
こんなに一か所に子どもが集まっているのを見るのは初めてだ。
「私はエリセ。はじめまして。ファミーちゃん。セリーナお姉さん」
ファミーとそう変わらない。ちょっとだけ大きいような子どもがファミーに笑いかけると、椅子を進めてくれた。
子どもがテーブルに着ける様に高めに作られた椅子に座ったファミーの前に、スープと肉料理が差し出される。
「これなあに?」
「ごはん。おいしいよ。こうやって、食べてみて」
手を合わせていただきます、と呪文のような言葉を唱えた後、エリセは自分の前の料理をぱくりと口に運ぶ。
ファミーも言われるままに真似をしてぱくんと、食べやすいように小さく切られれた肉を口に入れる。
途端に、目が大きく見開き、パタパタとまるで翼のようにファミーは手をばたつかせる。
「うわああっ!」
「どうしたの、ファミー」
「すごいの。これ、やわらかいの。ふわふわなの、そして、そして…」
「そういう時はおいしい、と言うといいと思いますよ」
「おいしいの!」
ああ、そうか、と私は思った。
ガルフ様の店に初めて勤めた時、賄いを頂いて受けた感動。
舌から感じる幸福。美味しいというものを生まれて初めて知った時の私と今のファミーはきっと同じなのだ、と解ったのだ。
初めて物を食べるファミーの為に用意されたらしい柔らかいハンバーグ。
そして、スープを食べきった私達は
「今日は、皆で城の外に遊びに行く予定なのです。
ご一緒しましょう」
ティーナに促され、外に出た。
そして、また驚く。
外は一面の緑に包まれた森。
花と、小鳥の声とむせ返るような木の匂いに満ち溢れていたのだ。
「うわー、すごい、キレイ、キレイ!!」
「あっちで遊ぼうか?」
エリセという少女に手を引かれて、ファミーは、一緒に歩き始める。
外を歩くのはほぼ初めてなので足はおぼつかず、ふらふらしているが、それでも満開に笑顔を咲かせ、一歩一歩足を踏みしめて歩いている様子を見ると、見ている私も嬉しくなる。
初めてだ。
ファミーのあんな幸せそうな顔を見るのは。
でも、同時に不安になる。こんなに幸せで、いいのだろうか?
その後
「セリーナ」
私は、ふと見知った声に呼び止められた。
「ラール様」
直接の上司。ガルフの店の一号本店の料理主任だ。
慌てて頭を下げる。マリカ達が私のしたことを知っているのならこの方も当然知っている筈だ。
私の裏切りを…
「もうしわけございません。私は…」
「気にする必要はない。ガルフ様とマリカ様が許したのだからね」
ラール様は手を差し伸べて私の謝罪を封じると微笑んで下さる。
「君が無事で本当に良かった。僕としては君に戻って欲しいと思っているけれど、今はゆっくりと身体と心を休めるといいと思う」
その気持ちが優しくて、嬉しくて、暖かくて、私は返す言葉も見つからず、ただ、ただ、頭を下げるばかりだった。
…マリカは言った、私に選んでいい。と。
その道を選んでもそれを認め、応援する、と。
美しい花が咲き乱れる森を歩き、美味しい食事を振舞われ私は思う。
私にそんな権利はあるのだろうか? と。
今まで、選択を許されたことなど一度も無かった。
私は、罪人なのに。
皆にあれほど、迷惑をかけてしまったのに。
眩しさに目が眩む。
この場所が、人々があまりにも美しく、輝かしくて、目が開けていられない程に。
「ファミー」
「なあに? おねえちゃん?」
私は宴の終わり、妹に問いかけた。
「このお城に、ずっといていい、って言われたら嬉しい?」
「うん! もう館に戻らなくってもいいんでしょ? ならここに住んでいいって言って貰えるなら凄く、嬉しい」ね
花のような笑顔を咲かせて迷いなくファミーは答えを返した。
「そう…」
「あ、でも…ね」
「でも、なあに?」
「お姉ちゃんと、一緒がいい。一緒なら、お城でもお城でなくてもいいから」
「ファミー…」
ぎゅっと、私にしがみ付く妹のぬくもりを感じながら、私は自分の中にある結論をしっかりと抱きしめた。
「結論は出ましたか?」
その日の夜、
問うてくれたマリカに、いやマリカ様に私は跪き、礼と心を捧げ、告げる。
「厩でかまいません」
「えっ?」
「私達を、この城に置いて下さい。どんな仕事でも致します。
住む場所は厩でかまいません。ファミーと一緒に、皆さんに一生懸命お仕えしますから…」
私には、こんな美しい場所に住む資格はない。
けれど、闇の中に戻りたくはないし、何よりファミーをもう、あんなところにいさせたくはない。
使用人で良い。
使用人として働いて、お金を貯めて、せめてファミーにはちゃんとした生活をさせてあげたい。
ガルフの店で、ここで、やっと見つけた当たり前の、幸せな生活を守ってあげたいと思ったのだ。
精一杯の、全力で、平伏し願う私に、スッと手が伸びた。
「厩、なんてここにはありませんよ」
少し困ったように顔を綻ばせると、マリカ様は頷き、跪く私の肩をぎゅっと、抱きしめる。
「あなたの居場所はここです。 もう、闇の中になんか、絶対に戻しません。
安心して、堂々と、いてください」
伝わって来る優しいぬくもりが、彼女の微笑みが優しくて暖かで眩しくて。
私は目が開けられない。
「おかえりなさい。光の中へ」
私の居場所はずっと闇の中だと思っていた。
でも、私達はこの日。
暖かく、誰にも傷つけられる事の無い場所に『帰って来る』ことができたのだ。
…光の中、へ。
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