皇国の秘め事
それは、魔王城の島から戻った日の夜の事。
「やっぱり、あの子を野放しにしていてはいけないと思います」
夫婦の閨で二人きり。
先に寝支度を整えていた筈のティラトリーツェは鏡台に向かい髪の毛を解かすふりをしながらそう、呟いていた。
「野放し、とはまだ乱暴な表現を…。
お前も今日という日を随分と、楽しんでいた、と思っていたのだがな」
そう、ふりだ。
二人だけの夜に、髪を解かす必要など無い。
そんなポーズをしているのは、寝台に腰をかけて座す俺から、あいつが己の気持ちを、顔を隠す為だと解っている。
「勿論、楽しみました。
本当に、生まれて初めてという程に、あの魔王城の島での一日は、輝かしいものでした。
それに、嘘偽りはありません。ですが…」
ぴたり、と髪を撫でつけていた櫛の動きが止まってティラトリーツェの水色の瞳が俺を見る。
「…貴方が、500年隠し通して来たこと、というのは、魔王城の島と、魔王と勇者の真実…でしたのね。ライオット」
確信に満ちた目で俺に問う妻に、もう隠し事をする気も理由も無い。
「…ああ、そうだ。
俺は、あのパーティでただ一人『生き残らされた』
いっそ殺して欲しいと何度も願ったが、叶えられる事も無く、国民を死なせたくないならば、勇者伝説の真実を語るな。
口を閉ざせと命じられた」
だから、俺は約束した通り真実を語る。
「奴らの目的は、俺の知る魔王城の島…精霊国エルトゥリアへの入り口、だったのだろう」
エルトゥリアは世界が闇に閉ざされて後、外界との交流をほぼ遮断していたという。
それを利用して、神々はかの国と女王に魔王の冠を被せて、利用して…殺した。
「皮肉にも、エルトゥリアの魔術師にかけられた口封じの契約、語れば死ぬという術が俺を救った」
不老不死者をも殺す術に奴らは無理強いこそしなかったが、それでも500年、秘密を聞き出そうとあらゆる手段を使ってきたのはティラトリーツェも知っている筈だ。
「俺は、神を今も許してはいない。
恨んでいる、と言ってもいい。だから、
歪んだ不老不死世界を壊す。そう決めている。
お前は神と俺とどちらを信じる?
魔王の転生を野放しにできない。というのなら、捕まえて神の元に付き出すか?」
「止めて下さいませ。そんな言い方。
私が信じるのは貴方に決まっているでしょう?」
返事は間髪入れずに返った。
哀し気に眉根を下げたティラトリーツェは櫛を鏡台に起き、寝台に登ってきた。
身を寄せる白いネグリジェの柔らかい衣擦れの音がやけに大きく聞こえる。
「あの子を、神に渡すつもりも勿論ありません。
…違いますね。私はマリカを私の手で、守りたい。
誰の手にも渡したくはないのです」
護衛依頼を受けてから、約二週間、ずっと見て来た、とティラトリーツェは言う。
「私は、あの子が好きです。
…もし、生まれなかったあの子が、生きていてこんな風に育ってくれていたら、どんなにうれしかっただろう。と思うくらいには」
「ティラトリーツェ…」
遠く、失ったものを思い出し、顔を伏せる妻をオレは胸に抱き寄せた。
柔らかく甘い、レヴェンダの香りが揺れる。
…こいつが、もし娘が生まれたら大好きな花から名付けたいとはしゃいでたのは、もう遠い昔の、でも忘れられない記憶だ。
「魔王の生まれ変わりであるなど、小さい事。
私はあの子を、マリカという存在を、その大切な物ごと、守りたいと思うのです。
あの子は、あまりにも危うい。
貴方もお気づきでしょう?
知識も精神も能力も、並半端な大人など足元にも及ばないのに、その根幹はあまりにも子どもで幼くて…」
「確かに…な」
ティラトリーツェの心配に、俺は苦く思いながらも頷くしかない。
特に魔王城で見せたあの能力。
本人は包丁だ、服の仕立て直しに使うだの言っていたが、真の使い道はそんなものではないだろう。
遠い昔、精霊国の女王が持っていた能力だ。
多分、国を、世界を、星さえも作り変える可能性をも内包している筈…。
「驚くべき料理の腕、高い知性と先見の明、思いもよらぬモノを作り出す知識、自分の信じたことに対する決断力、行動力、悪漢に捕まっても怯まない胆力。
子どもを守ろうという強い意思と優しさ。そしてあの恐ろしい能力。
先の捕物ではありませんが、どれをとっても、野心ある誰かが見て欲すれば、あの子は狙われる事でしょう。
あらゆるものから、あらゆる手段で。
だから、あの子は学ばねばなりません。色々な事を。
悪意に晒される前に。
大事な物を失って嘆く前に」
告げるティラトリーツェの言葉には説得力がある。
これは、無知ゆえに、人の悪意を甘く見たが故に大事なものを失ったことがある女だから。
そして、それは…俺も…。
寄せられた柔らかい頭をそっと撫でながら、俺は妻に問いかける。
「頼んでもいいか? ティラトリーツェ?」
「勿論。
任せて頂けるなら、あの子をしっかりと教育して見せますわ。
知識はもう必要ないでしょうけれど、王宮という異界での生き方、渡り方、貴族同士の関り方、上に立つ者としての責任や女社会の歩き方などを」
「そうだな。これからのあの子には必要な能力だ」
マリカの不在の所で進める話でもないが、あの娘は抱えるものが多すぎる。
できる準備はしておいても構わないだろう。
「ティラトリーツェ。俺はあの子を野放しにするつもりはない。
来年の春を目安にマリカを養女にする予定を立て、準備をしている。
これは、本人にも周りにも既に話を通している事だ」
「まあ!」
妻の顔が、花が咲くように輝く。
どうやら本当に、あの娘が気に入ったとみえる。
「アレには、この一年、店を盛りあげ、経済を動かし無視できぬ存在になって見せよと命じてある。
アルフィリーガも魔術師も側に控えている故、黙っていてもやり遂げるであろうが、お前も手を貸してやるがいい。
そして、一年後、この国に、世界に見せつけてやるのだ。貴様らが捨てた、食が、子どもという未来がどれほど輝かしいものなのか、をな」
「それは、ええ、とても楽しみで心が躍ること、ですわね」
悦びを見つけ艶やかに紅く濡れる唇を、顎を掬い持ち上げると、俺は重ね喰らう。
「………ん…んっ…」
割り入れた舌に己のそれを絡めるタイミングも、煽るような声も、濡れる水音も。
500年連れ添ってきたもの同士、互いの求めるものは知り尽くしている。
そして、今、最後の秘密を共有した。
もう隠すものは何もない。
「もう、お前は共犯者だ。…最後まで付き合って貰うぞ」
「勿論ですわ…置いていくと言っても、許しません…」
かき抱いた女の背をそっと、床に落とし手を縫い付けた。
ふと、何の脈絡も無しに思い出す。
あの魔王城の島で垣間見た、不器用で幼い、
思わず含み嗤った俺を、組み敷いた女が怪訝そうな顔で見上げる。
「何を思い出しておいでですの?」
「いや、あいつにとっては試練だろうな、と思っただけだ。
敬愛した母とも姉とも思った人物が、年下に生まれ変わった。
あの堅物が手を出せるか、否か。
出せたとして、この大人の悦びを知るのはいつのことか…」
「…随分と意地悪なことをおっしゃいますのね」
「500年、置いて行かれたのだから、これくらいの愉しみは許して欲しいところだ」
子どもだからこそ、できることもある。
大人だからこそ、できることもある。
目指す、一つの目標に向けて。
我々の逆襲が始まるのだ。
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