皇国の夫婦

 心も、身体も一つになる。


 500年の時を経て。 

 私達は結ばれた。


 ああ、やっと。

 私は本当にこの人の妻になったのだ。

 なれたのだと、溢れる涙を止める事ができなかった。

 ずっと、この人について行くのだと決意して、全てを委ね、眼を閉じる。

 思いと、熱と、彼の全てを感じながら。

 私は幸せと悦びを噛みしめていた。

 愛する男の、腕の中で…。



 軍の凱旋は華やかでなくてはならない。

 例えそれが敗戦であったとしても。 


 そんな、よく解らない理屈によって、昨日の夕刻にはもう城門の前まで戻っていた夏の戦の派遣軍は、今日の朝まで足止めされていた。

 開門と同時に、歓声と音楽と拍手によって軍は迎えられ、解散の宣言と共に戦は終わる。

 皇族にとっては、大祭初日の神への感謝と奉納の式。

 大貴族達の会議。

 最終日夜の帰還の宴とまだ、色々と行事は残っているけれど、とりあえず遠征は終わったのだ。


 戦の監督役にして館の主。

 皇国第三皇子 ライオットを、私は妻として門前に立ち、側近たちと出迎える。

「お帰りなさいませ。あなた。

 夏の戦、お疲れさまでございました」


 優雅な貴婦人モードと被る猫には年季が入っている自信はあったつもりだけれども、



「ああ、戻った。…俺の留守に随分と楽しんでいたようだな?」


 この人の前では、通用しないようだ。

 ニヤニヤと笑う表情は、全てお見通し、と言いたげに私を見ている。


「あら、何の事でしょう。

 あなたの方こそ、嫌いな戦に駆り出された割には機嫌が良くていらっしゃいますこと。

 何か楽しい事でもありましたか?」


 軽く、切り返す。

 もしかしたら、ミーティラの愚痴がヴィクス経由で耳に入り、ガルフの店の護衛の事まで筒抜けなのか、とも一瞬思ったが、そうだとしても早すぎる。

 まだ、気付かれてはいない筈だ。


「お前ほどではないが、まあ、楽しい三週間ではあった。

 兄上にもう少し粘っていて欲しかったくらいには」

「あら?」


 私の軽い挑発に素直な頷きを返す夫に正直驚き、私は顔を改めて伺った。

 満面の笑顔は実に楽し気で、影など欠片も見えない。


 今年の春当たりから、皇子はまるで人が変わったように明るくなってはいたのだけれども、これは今までのさらに上をいく。 


「これが戦で無ければ浮気を疑う所ですわよ。

 何がありましたの?」

「話すのはやぶさかではないが、まあこんな門前でする話でもあるまい。

 疲れている夫に茶でも入れてはくれないか?

 楽しい旅であったとはいえ、戦帰りだぞ」

「そうですわね。失礼いたしました。すぐに用意いたします。

 今日は、ガルフの店から預かった新作菓子もありますの」


 私は静かに、踵を返し顔を上げた。

 扉がゆっくりと開く。

 館の主を迎える為に。



   

「明日、俺は少し外出する。ガルフから家に招かれていてな」


 ひらひら、と封筒を揺らしながら、笑う皇子は自慢げで、楽し気だ。


「まあ、奇遇ですわね。ミーティラも明日、招かれておりますの。

 ガルフの店から出された護衛の慰労に招かれているそうですわ。

 しかも、まだ世に出ていない秘密、とか本当。羨ましい事」


 私が部屋の端で控えるミーティラに声をかけると緊張したように彼女は背筋を伸ばす。

 恨めしそうなその眼は見ないふりをして。


「そうか。では向こうで鉢合わせるかもしれぬな。その時はよろしく頼む」

「はっ…皇子とご一緒などとは勿体なきことなれど、どうかお許し下さいませ」

「気にするな。

 うむ、この菓子は美味いな」

「大祭で売る予定の菓子だそうですわ。確か、そうビスケット、でしたかしら」


 家の中とは誰の耳があるかも解らない。

 表向きの会話しかできないのが辛いところだ。


 私達にとって、家の中でさえ誰にも言えない会話ができるところは…殆どない。

 家人は大丈夫、と油断もできないと悲しいけれど、知っている。

 そう、互いに安心して全てをさらけ出せる場所は、一つだけ。





「本当に、俺の留守に随分と楽しんでいたようだな」 


 閨しかないのだから。


 戦帰りとはいえ久しぶりに閨へと誘われた時、だから私は正直に今回の事情聴取だと思った。

 けれど、この人は驚くほどに貪欲に、本当に私を求めた後、そう笑っただけ。

 何があったのか、とか何をしていたのか、とかそんな事は一言も聞こうとはしない。


 疲れ切った身体に力を入れ、私は床から身を起こすと彼を見た。

「…どこまで、知っていらっしゃいますの?」

「何も。

 ティラという女騎士がマリカの側にいた、とあいつから聞いただけのこと」


 けれどこの人は、そう言って楽し気に笑うだけだ。


 …あいつ。


 この人と、あの店の関係で思い出すのは一人だけだった。

 ガルフの店の護衛役。

 マリカ救出の時、どこからともなく現れ、気が付けば消えていた黒髪の少年。


「あの子は、あなたの所に戻っていたのですか? 一体どうやって?」 

 

 事件の後始末を終え、事情を聞こうと思って探した時にはいなかった少年。 

 城門のどこにも入退場の記録は無く、マリカに聞いても


「すみません。彼…リオンの事はいなかったことにして頂けませんか? ティラ様が男達を倒して下さったって事にして下さい。

 後で、ちゃんとお話しますから」


 濁されてしまった。

 あの時、軍はもう既に城門の前に来てはいたのだろう。

 リオンという少年は皇子ライオットの従卒見習いとして今回の遠征軍に登録され、城門を出て、入っていることはミーティラに頼んで確認して貰った。

 門を使わない限り空でも飛ばなければ誰も、門の中には入れない筈。

 一体、あの少年はどうやって中に入り、どうやって外に出たのか。


 そんなことを考えていたせいだろう。



「何よりお前が、随分と晴れ晴れとした、美しい顔をしていたからな。

 あの店に関わり、あの娘と関わったのだろうと思ったのだ」

「え?」


 私は皇子の言葉に反応が遅れる。

 思わず頬が熱を帯びる。

 この人に、美しいなどと言われたのは冗談でも初めてだ。


「え? 美しい…ですか?」

「ああ、今日のお前は本当に美しい。

 輝く髪、甘い香り。そして…悩み苦しみを振り切った明るい眼差し。

 今まで、そうでなかったとは言わんが…魅力的だ。

 久しぶりに、本気で滾るくらいには…な」

「恐縮…です」



 私は、自分は押しかけ妻のようなものと思っていた。

 従兄で、戦士で憧れた人。

 不老不死は得ない、お前を置いていくと長く言い張っていたこの人に、それでもいいからと国と母と兄の反対を押し切って、半ば無理やりに寄り添ったのだ。


 妻として、尊重してくれた。

 他に愛人も側室も、妻も持たず愛してくれた。

 悲嘆にくれたあの時も、一言も責めずに支えてくれた。


 けれど…頬が熱い。

 こんな口説き文句を口にしてくれた事は今まで本当に無かったから。

 嬉しさと恥ずかしさで、溶けてしまいそうだ。



 顔を押さえる私に微笑みながら、彼は私の側に身を寄せ、頤に手をかける。

 彼の朱い燃えるような眼差しが、私の脳に注がれた。


「ティラトリーツェ」


 私の名を呼ぶ。

 冗談でも照れ隠しでもない。真剣な眼差しに


「はい、ライオット様」


 だから、私も向かい合った。真っ直ぐに。



「俺は、長い間、お前に隠して来たことがある。

 それを明日、話そう」

「え?」

 私だけを見つめ、私だけに告げられた告白に私は言葉を無くす。


 彼が、何か、人に言えない何かを抱えて生きてきたことは知っている。

 けれど、誰かに語るとは思っていなかった。

 聞こうとも思わなかった。

 この人が抱えるその秘密は、ライオットという一人の人間の根幹に関わる、大事なものだと感じていたからだ。


「あの子達が、お前に語る、というのならもう、隠す必要もない。

 むしろお前にも力を貸して貰わねばならない」

「あの子達? …それは、まさか…」



 思い出す顔がある。



 私に、第三皇子妃に、プラーミァ王国の王女に朗々と砂糖取引と将来の経済と食料展望を語った娘。

 たった一人の子どもを救う為に、金貨以上の価値がある情報を惜しげも無く差し出し、自ら敵地に乗り込んでいく少女。

 誰も知らない知識と、信じがたい能力と、それを使いこなす意志を持つ子ども。


 この人の隠し子と、今思えば荒唐無稽な話を、何故か疑うことなく信じてしまった不思議な少女、マリカ…。



「俺は、あの子達に力を貸す。いや、共に戦う。

 この神々の支配する不老不死世界を壊し、俺と仲間達が護りたかった本当の世界を取り戻す為に

 力を貸してくれ。ティラトリーツェ。

 我が…妻よ」


 何一つ隠すものの無い真実の姿で、告げられた真実の真実の思い。

 なら、私の返す言葉はただ一つだ。

 彼の首に手を回し、口づける。誓いのように。


「どこまでもついて行きます。

 なんでもお命じ下さい。ライオット。

 私の愛しい人」 


「ティラトリーツェ!」

「ライオット…」


 火傷しそうな程に高まる彼の熱が、愛が、思いが。

 私を包み込み、抱きしめ、貫いていく。


 涙が溢れて止まらない。

 幸せだった。

 心も、身体も、全てが満たされるようだった。



 この日を思い出すたび、私は思う。

 私は、やっと本当の意味で、この人の妻になれたのだ、と。





 翌日、ガルフの家に向かった私達は、促されるまま奥に踏み入り、ある場所に足を踏み入れた。


「まさか、こんなところに作っていたとはな」


 苦く笑うあの人の横には黒髪の少年が立ち、私の手はマリカが握る。


「少しだけ、眼を閉じていて下さい」


 言われるままに目を閉じる、とふわり、身体が浮かんだ感覚がした。


「わっ!」

 慌てた私を大きな腕がかき抱く。

 それが誰のものかなど眼を開けて確かめるまでも無く明らかだ。

 くすっと零れた生暖かい笑い声は、マリカのものなのか。少年のものか、その両方なのかは解らないけれど。




 やがてトンと足が、地面を踏む。


「もういいですよ。眼を開けて下さい」 


 促され、眼を開けた私は息を呑む。足が震えた。

 驚愕している、と言ってもいい。

 横にあの人がいて支えてくれなければ、間違いなく、みっともなくへたり込んでいた自信がある。

 本当の衝撃を前にしたら、騎士として培ってきた精神力とか、城で権謀術数渦巻く中、欺瞞と謀略を化粧で隠した女性貴族達と渡り合ってきた手管など、まったく何の役にも立たないのだと理解した。


「ようこそ。魔王城へ」


 眩しく微笑み、手をかざすマリカの指の先、私の正しく眼前に、見上げるような白亜の城。

 伝説に聞く魔王城の城が聳え立っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る