皇国の少女達 …救出…
彼女は戸惑いながらも、私から木板を受け取って店の外に出て行った。
と、入れちがう様に店の奥からアルが戻って来る。
「ガルフとティラ様には伝えて来た。
ティラ様は騎士団の手配をしてくれるって言ってたぜ」
「ありがとう。アル。じゃあ、私も行くから。なんとか追いかけてきて」
「…解った。連絡が無くてもお前が店に入って一刻経ったら、突入するぞ」
「うん。お願い」
私達がそんな事を話していると、厨房から事情を察して出てきたのだろう。
「行くのかい?」
ラールさんがそんな声をかけて来た。
「はい、行ってきます」
「気を付けて。セリーナをよろしく頼むよ」
私達は、優しい激励を背に受けて、
そっと店を出た。
彼女の後を追いかける為に。
厨房からレシピの木板を持ち出したセリーナ。
理由は妹を人質に取られているから。
今回の作戦は、セリーナと彼女の妹の救出にある。
「調べさせたけれど、どうやら売春にも関わる裏の組織が関与しているようね」
ティラ様が夕べから今日にかけて解った話を聞かせてくれた。
王都の裏にも闇はある。
娼婦は人類最古の職業と言われているくらい、現代日本だって消えてはいなかったのだ。
そこを否定はできない。
不老不死で、働く場所の無い女、家族やパートナーに恵まれない人は、自然とそういう場所に流れていく。
老化、病死が無いので、よっぽどの場合を除けば地獄が永遠に続く事になるのだけれど。
男女の営みがあれば、当然ながらそこで子どもが生まれる事もある。
子どもが出来る確率は、私達の世界に比べると本当に、かなり低いと聞くが。
「私は子どもが欲しかったのだけれどね。
貴婦人たちは噂になる前に流してしまうようなので、実際の確立とかは解りませんが」
『館』とセリーナさんは口にした。
多分、彼女達はそういう場所の生まれだ。
娼婦の子として生まれた場合、男は使い道がないと打ち捨てられる事が多いが、女はそういう用途で留め置かれ育てられることもあるらしい。
売られることもある。
時期から察するに、ガルフの店が隆盛してきたことから情報を得ようと、裏組織が店で若くて不老不死を得ていないセリーナを送り込んだ。
ガルフの店が子どもを優遇して雇っている、というのは私達が入る前からの事だから。
厨房を希望していたことから、多分、作り方を覚えその後抜けさせる計画だったのかもしれない。
その後、パウンドケーキが人気になって来たので急いでレシピを入手しようとした、という流れだろう。
もしかしたら、私を狙っていたゴロツキが失敗したことも原因かも。
検討と話し合いの結果、彼女を問い詰め、追い詰めるのは止めようと決めた。
何も知らせず、泳がせる。
その方が彼女に危険は少ない。
ガルフや私達が、彼女の救出に準備万端整えているなど、知らない方がまだいい。
昨日とほぼ同じ場所にいた人影が声を潜めて私を手招きした。
「マリカ!」
「ティラ様? 奴らは?」
手配を終えて先に様子を見ていたであろう彼女はくい、と首をしゃくる。
視線の先には昨日の男と、セリーナ。
相手が本当に約束を守る『優しい』人物であるのなら木板を渡し、セリーナと妹を保護して終わりにしてもいい。
でも、多分、そんなことはない。
そもそも自分のことを『優しい』という人物が善人で優しくあった試しはないのだ。
昔から…。
「上手くいったのか? おら! 寄越せ!!」
ほら、やっぱり。
男はセリーナから無理やり木板を奪おうとしている。
「ま、待って下さい。ファミーと交換の約束です。そして、この木板を持って来たら自由にしてくれるっておっしゃった筈!」
「俺に、逆らうつもりか? 妹が、どうなってもいいのか?」
「だから、ファミーを連れて来て、先に返して下さい! そしたら木板はお渡しします。
私達は『館』を出て行きますから…」
彼女は必死に木板を守ろうとする。
私が彼女に板を渡す前に言ったこと。
『直ぐに、この木板を渡してはダメです。妹を先に連れて来て、と交渉して下さい。
相手が本当に木板と交換に妹さんを返してくれたら、妹さんを連れて店に帰って来て下さい。
寮ではなく、お店に。
ガルフ…様が助けてくれる筈ですから』
を守ろうとしてくれているのだろう。
でも…。
「『館』を出てどこにいくつもりだ? 裏切った店に戻れると思うのか?
盗人として捕まって牢屋に入れられるのが関の山だぞ?」
「そ、それでも構いません。牢屋に入れられたとしても『館』にいるより、ずっと、マシです」
「偉そうな口を効く。『館』の外を知って、外の暮らしを知って、子ども風情が夢でも見たか?
自分も人並みに生きられるとでも?」
「そ、それは…! あっ!!」
男との会話に気を取られているセリーナは背後から近寄って来るもう一人に気付かない。
後ろから羽交い締めのように押さえられ、手を取られ…
ぼきっ…。
「!」「……!」
離れたこの物陰まではっきりと聞こえる鈍い音と
「ぎゃあああっ!」
彼女の悲鳴が響いた。
「ダメよ。まだダメ。マリカ…」
「…!」
失敗した。
ここまでこいつらがやる、最低最悪の奴らだったなんて…
地面に落ちる木板を男は拾い上げて鼻を鳴らすとセリーナの首元を掴み持ち上げる。
吊られるように彼女の細い身体が宙に浮かんだ。
「ふん、子どもの癖に生意気なことを。余計な手間をかけさせやがって」
「うっ!」
「いいか? よく覚えておけ、この世界にはな。
お前らのような子どもが生きる場所は、どこにもねえんだよ。
最初から持ってない奴は、行く場所も、帰る場所も何もない。
闇の中で膝を抱えて生きていくしかねえんだと、とっとと理解しやがれ!!」
ダメだ。
我慢の限界。
「ティラ様、後をお願いします」
「マリカ!」
私は大きく深呼吸して立ち上がると。
「店に戻してレシピをもう少し集めさせたいところだったが、もし戻したら本当に店主の所に逃げ込みそうだな。
仕方ねえ。お前の役目はここまでだ。
『館』に戻って…また…」
「セリーナさん? 貴方達、何をしてるんですか?」
その場に飛び込んだ。
「貴様、誰だ? セリーナの知り合いか?」
どさ、と地面に落とされたセリーナに私は駆け寄って跪く。
とっさに左手の様子を確認する。
…酷い、これは折れてる。
早く治してあげたいけれど…。
ごめんね。
心の中で謝って、私は奴らを見据えた。
「セリーナさんの勤める店を預かる者です。様子がおかしいので後を追いかけてみたら…。
貴方方は、彼女に何をしたんです!?」
全力、責口調。
演技する必要はナッシングだ。
「あ、兄貴、こいつです! 第三皇子の館に呼ばれてレシピを教えた料理人。
子どものくせに護衛を付けられた一号店の支配人代理って奴は!」
「こんな子どもが? ホントか? セリーナ?」
ああ、やっぱり襲撃にも関わっていたか。
よし、罪状アップ。
せめて骨を固定しようと何かを探す私に、セリーナは身体を起こして私に告げる。
「マリカ…さん、逃げ…て」
痛みの脂汗、必死の形相に私は嬉しい気持ちになった。
「は、早く…」
「セリーナさん!」
ああ、やっぱりこの子は良い子。
大丈夫、絶対に守って見せるから。
「嘘じゃあ、無いようだな。金づるが、自分の方から飛び込んで来たのに誰が逃がすか! おい!」
「わかりました!」
私は全身に薄くバリアをイメージ。
身体を守るギフトをかける。
気絶はしてもいい。
でも、できるだけ早くは目覚めないと。
「キャアア!」
狙われる急所は多分、首か鳩尾、と思った時男の拳が私の鳩尾に落ちた。
痛い、けど…これくらいは平気だ。変化に比べたらなんでもない。
意識も…保てそう。
「バカな小娘だ。
せっかくの護衛を外して、こんなどうでもいい女を追ってくるとはな。
…戻るぞ。セリーナ。
こいつに免じて、優しい俺は今回の事は忘れてやる。
妹の命が惜しかったらもう二度と、逆らおうなんて思うんじゃねえぞ!」
「は、はい…」
私は、荷物のように乱暴に担ぐ男の身体で力を抜く。
薄れゆく意識を、怒りでなんとか繋ぎとめながら。
どさり、と投げ落とされて、扉を閉められた。
石造りの床、多分地下室のような感じの所だろう。
痛みと衝撃が、頭を妙にクリアにする。
手は固い荒縄で後ろ手に縛られている。
足は…拘束されてないや。
以外に甘い。
目を閉じながら状況の確認をしていると、後ろの方で声が聞こえた。
「セリーナおねえちゃん!」
「ファミー? 良かった。無事だったのね」
そっと状況に耳を澄ませる。
子どもの声。
比較的元気そうではあるけれど…
「よかった。おねえちゃん、かえってきてくれたんだ。
わたしをすてたんじゃ、なかったんだ!」
そうだよね。
こんな中に一人でいさせられたら寂しいに決まっている。
寂しい思いをこの子にさせた。
責任の一端は私にもあるなあ。
ごろんと、身を回転させつつ縄を切る。
「ごめんね。ずっと一人にして、ごめんね。
これからは、もうどこにも行かないから…。
ずっとここにいるから」
冗談じゃない。
こんなところに子どもをもう置いて置けるものか。
「セリーナさん。
その子、本当に妹さん? 本物? 間違いないですか?」
念の為、再確認しながら私は身体を起こして二人を見る。
銀の髪、薄紫の瞳のセリーナ。金色の髪と青い瞳の女の子。
似ているようで似ていないから、血がつながった姉妹では多分ないのかもしれないけれど、互いに強く抱き合ってこちらを見る様子は、間違いない信頼が見える。
「よっし、勝った」
思わずガッツポーズ。本音が零れ出た。
「相手がバカで本当に助かった。
このまま、妹さんと引き離されて、脅され続けるのが一番怖かったんだ」
木札も手に入れたし、私が捕まったことでもう、彼らは勝ったも同然の気でいるのだろう。
用が済むまで、ということは木札を売りさばく手配でもしているのかな?
「これで、後は待つだけ。
ここが地下室で無ければもう逃げてもいいんだけれど。外に見張り、やっぱりいるかな?」
外を伺う。
見張りはここから見た限りでは見えない。
私が捕まって二刻待てば皆は来てくれる。でも…
うん、私が嫌だ。
本当に子ども達をこんなところに、もう一瞬たりとも置いておきたくない。
それにセリーナには一刻も早い、手当てが必要だ。
「痛い思いさせてしまってごめんなさい。でも、もう大丈夫ですから」
決めた。
フェイズ2に移行。
脱出作戦、開始する。
私は二人を見た。
セリーナとファミ―。
不安で、意味が分からないだろう彼女達の前に膝を折った。
暗やみの中だけれど、目も慣れてきた。
視線を合わせ、安心させるためにとっておきの笑顔で、手を差し伸ばして言った。
「帰りましょう。光の中へ」
と。
私がまずやるべきことは、セリーナの応急手当。
「少し、我慢して下さいね。
治してあげたいんですけど、これも奴らの悪事の証拠、なので」
ギフトで直ぐに直してあげられればいいのだけれど、そうしてしまうと子どもに、ガルフの店の店員に、傷害を働いた証拠が無くなってしまう。
奴らの罪状を少しでも増やして、二人のこれからの安全を確保するためにはこのままにしておいた方がいい。
申し訳ないけれど。
その分、奴らに倍返しするから。
曲がった腕に触れて、骨を真っ直ぐに治す。
「うっ…」
セリーナは微かに呻いたけれど、痛みはこれで多分減ると思う。
後は脱出するだけ…。
でも、私は多分逃げない方がいい。
セリーナ達が逃げるまで注意を惹きつけ、できれば捕まっておいた方がきっと突入してきたティラ様達も助けやすくなる。
「セリーナさん。右腕で妹さんだっこできますか?」
「え? ええ」
頷くセリーナと、ファミ―を見る。
心配なのはファミ―を連れて、セリーナのギフトが発動するか、だけれども彼女の能力だ。
きっと、彼女の大切なものも守ってくれる。
「じゃあ、妹さんをだっこして、それから強く願って下さい。
見つかりたくない。見つからないようにここから抜け出したい、って。声は出さないで。
館の人と出会っても気にしないでそのまま進んで下さい。
多分、館の人には貴方は見えませんから」
「え? 見えない、ってどうして?」
「説明は後で」
驚くのは無理もないけれど今、ここでギフトの説明をしている時間は無い。
「そして外に出て、この館の住人じゃない人、鎧を来た人がいますから助けて下さいって頼んで下さい。
もし、ティラ様、解りますよね。
私の護衛だった方がいたら迷わず声をかけて。絶対助けて下さいますから」
ティラ様はもしかしたら突入か指揮を執っていて直ぐには見つからないかもしれないけれど、この状況なら流石にお一人では来ていないだろう。
部下の方と一緒の筈。
外に出て、保護されれば安全は保障される。
「あと、ファミーさん、でしたよね?」
私はファミーの前に膝を折った。
「だれ?」
綺麗な青い目が真っ直ぐに私を見ている。
四~五歳かな。
昔のエリセと同じくらいだ。
「私は、マリカ。セリーナさん。お姉さんの友達で貴女達を助けに来ました。
お外に出してあげますから、お姉さんの首にしがみ付いて、私か、お姉さんがいい、っていうまで絶対に声を出さないで下さい。
できますか?」
セリーナと一緒の脱出中、一番心配なのはこの子が声を出す事だ。
姿が消える訳ではないから、声を出されれば多分、一発バレする。
でも、この年頃ならきっと言えば解る筈。
「できたら…お外に行けるの? お姉ちゃんと一緒に?」
「はい。必ず、外に出して、お姉さんと一緒に明るくて暖かい所で暮らせるようにします。
信じて、くれますか?」
「うん!」
「ありがとう。じゃあ、お姉さんの首にしがみついて。いい、って言われるまでしー、ですよ」
ファミーちゃんは頷くと、セリーナの首に手を巻き付けてしがみ付いた。
きゅっと噛みしめられた唇は、言う事を必死に守ろうとしている証拠。
頭のいい、素直な良い子だ。
こんなところにいるのは勿体ない。
大丈夫、絶対に外に連れて行ってあげるから。
私は大きく深呼吸をした。
「では、行きます。
私の事は気にしないで、とにかく、外に出る事。
そして、助けを求める事だけ。考えて下さい」
「えっ!」
そして扉の鍵を壊すと全力で蹴り飛ばす。
バン! 大きな音がした。
「誰か、助けてーー!」
声を上げて、そのまま階段を走りあがる。
私達がいた場所は地下室、というか地下牢のような場所だったらしい。
周囲にも人がいるような気配がするけれど、気にせずすぐ側に見えた階段を駆け上る。
階段上には人はいなかったけれど、どうやらこの近辺は娼婦さんたちの住み場のようだ。
見張りらしい男達が、私の声を聞きつけてわらわらと、出て来た。
「え? なんですか? ここ?
なんでこんなところに私は?」
怯えて逃げ出したフリをして私は走り出す。
とりあえず、奥と思しき方へ。
逃げながら、少し迷った。
壁に穴を開けて救出の合図を出そうかな、って。
外に手を出し、空に向けて炎の精霊を呼び出し、打上げればいい。
のろし代わりになって、直ぐにティラ様達が救出に来てくれる手筈だ。
でも…。
私はそのまま走る。
今、多分脱出中のセリーナとファミーちゃんの脱出の妨げになってはいけないからだ。
「な、なんだ。なんだ?」
「! 捕まえてた娘が逃げた? なんで?」
「話は後だ、とりあえず追いかけろ!」
男達が追いかけて来る。
足の速さには自信があるけれど、男達の数が多いし、怪しまれるのもまずい。
適当なところで私は
「や、止めて下さい。放して!!」
暴れながら捕まることにした。
ナイフを突きつけらているけど拘束はされてない。
「貴方達は何ですか? 私に何をするつもりなんですか?
私はただ、セリーナさんを連れに来ただけなのに!」
意味が分からない、と怯えるフリ。
演技は得意だ。
「こいつ、どうする?」
「ガルフの店の料理人だろ? とりあえず若頭の所に連れていけ
「大人しくしてろ! でないと痛い目を見るぞ」
「はい、はい…」
私は、男達の後に素直に従って廊下を歩き出した。
私が連れて行かれたのは、館の奥の奥。
いかにも偉そうな男の偉そうな執務室だった。
皇子の館や魔王城とは比べるものが違い過ぎるけれど、それなりに豪華には見える。
偉そうに権威を振りかざすにはこういう演出も必要なのだろう。多分。
「娘が逃げた? セリーナに見張らせていた筈だろう? どうした?」
「あ、こいつに気を取られていて…、でも直ぐに捕まえましたのでどうしたらいいか、ご指示を」
ふん、と鼻を鳴らして見せたあと、男は作業の手を止め、私の前に立った。
さっきセリーナの首を絞めた男だ。こいつ。
背は高いしそこそこ若く見える。髪は黒髪。眼も闇のように真っ黒。
リオンと同じ色だけど、宿すものが全然違う。
リオンの目は黒でもその中に、絶望の中にも諦めない光を宿して露のようにいつも優しく煌めいている。
でもこの男は夜の中の絶望や、呪いを集めて結晶させたように、澱んでいた。
「お前がガルフの店の料理人、というのは本当か?
こんな小娘が?」
くい、と私の顎に手をかけ乱暴に持ち上げる。
「料理の腕と、子どもであることは関係ありません。
私はこの腕で主人であるガルフ様に拾って頂いたんですから」
「なら、今日からお前の主は俺だ。
俺の為に知っているレシピを全て教えて、お前の腕を俺の為に使え」
効いた凄みのある声。
冷たい目で命令されたら、多分子どもは怯えてしまうだろう。
「お断りします」
でも私は怯まない。
胸の中であかんべしつつ、口調は丁寧に、でもきっぱり拒絶する。
「なんだと!」
「店を任せられている責任がありましす、拾って頂いた恩もあります。
他の誰にも仕えるつもりはありませんし、レシピを教えるつもりもありません。
私は仲間のセリーナさんの様子がおかしかったから迎えに来ただけです」
「お前はもう俺のものだと言っているだろう?」
「私は誰のものでもありません。
ガルフ様にだって給料を頂いてお仕えしているだけです。
まして貴方になんかに仕える理由も、その気もありません」
「ガキの癖に生意気な!」
男は私の首筋を掴んで締め上げる。
「子どもは大人のものだ。貴様らの生きる場所なんてこの世界には無いんだよ」
息が詰まる。苦しい。
「だから、言う通りにしていろ。そうすれば生かしてはおいてやる」
でも、ここで引くわけにはいかない。
「…勘違いしないで下さい!」
私は精一杯、自分の中の言葉を紡ぎ出す。いや叩き付ける!
「私だけでなくセリーナさんもです。
子どもだろうと人間は誰の所有物でもない、自分自身のものです。
それを暴力で奪う事なんて、絶対に許されないことです」
「黙れ!」
頬に放たれた平手と共に、私は床に投げ落とされた。
「若頭、お待ちを! こいつを傷つけるのは拙いです!」
「金貨何百枚の価値を持つ金づるだって、おっしゃったでしょう?」
「これは躾だ。生意気な小娘に、自分が誰の所有物で、どんな立場なのか思い知らせてやる必要がある。
押さえてろ!」
しまった、やり過ぎたか。
明らかに怒りに冷静さを失ったであろう男が血走った眼で私を見ている。
逃げようとする私を男達が、迷うような顔で、でも命令には逆らえず腕を掴んで押さえつけてくる。
動けない。
考えうる最悪のパターンだ。
そろそろ、ティラ様も来てくれる筈。
でも…
びりっ!
力任せに男が私の服の胸元を引き裂く。
「い、イヤア!!」
血走った眼で、覆いかぶさって来る男の重みは、想像以上に恐ろしいものだった。
イヤだ。いやだ、怖い。怖い!!
この下にいたくない。
「イヤ! 助けて!! …リオン!!」
私が、声に出して叫んだのと、ドアが蹴破られたのと、それが煌めいたのは多分、ほぼ、同時。
…だったと思う。
「…ぐあっ…」
「え?」
男が私の上にに崩れ落ちた。
口から鈍い悲鳴と泡を吐き出す男がいた場所に、青い光が…見える。
「リオン?」
いる筈の無い、助けてくれる筈もない。でも救いを求めた唯一の、間違えようもない存在。
リオンが、そこに立っていた。
感情の無い目で私の上に覆いかぶさる男を蹴り飛ばしたリオンは、そのまま私の手足を押さえる男に襲い掛かった。
それは、正しく漆黒の獣で…。
何が起こったのかと呆然とする男達は、反撃もできずにそのまま意識を刈り取られ、落ちて行く…。
「マリカ!」
開いた扉からティラ様が飛び込み、私に駆け寄ってくる。
けれども、部屋の全ての敵を屠った獣は、ティラ様をまるで新しい標的という様に見据えていて…。
「リオン!」
私は、彼に飛びつき、抱きしめた。
無我夢中。
理由は解らない。彼がどうしてここにいるのかも解らない。
けれど、リオンは間違いなく、私を助けに来てくれたのだから。
「大丈夫、私はここにいるよ。無事だよ。リオンが助けてくれたから…」
繰り返し、繰り返し。
まるで鉄のように固く冷えた身体と心を解きほぐす様に。
ふっ。と彼の眼が露に濡れたような光を取り戻す。
「マリカ…? 俺は、なんで?」
「リオン! 良かった。意識が戻った?」
呆然と周囲を見るより早く、リオンは私の様子に気付いたようだ。
「って、お前! なんだその格好。何してたんだ! 一体?」
ティラ様が自分のマントを肩にかけて身体を隠してくれた。
でも…たはは。
正気になったのはいいけど、やっぱり見過ごしてくれなかったか。
「後で説明する。ちゃんと怒られる覚悟はできてるから」
「…怒られるようなこと、してたんだな?」
「…うっ。そうです。ごめんなさい」
コツン、と。
軽い拳骨が頭に落ちた。
でも、私を見つめる瞳は優しくて、どこかはにかんだ様に甘くて…。
彼が一カ月も側にいなかったことが嘘のように、そこにあるのが当たり前で、嬉しくて。
だから、私は彼に、最初に会ったら言うつもりだった言葉を紡ぎ、贈る。
「お帰りなさい。リオン」
「ああ、ただいま。マリカ」
その後、私はリオンと、ティラ様に両脇をガッチリ固められて外に出た。
と、外で待機する騎士や兵士達の中に、守られるようにして入り口を伺うセリーナとファミーを見つける。
良かった。無事外に逃げ出せたんだ。
二人に駆け寄る私を、リオンもティラ様も止めないでいてくれた。
「セリーナさん! ファミーちゃん! 無事で良かった」
「…マリカ様。怪我とかは…? 大丈夫?」
「心配してくれた? 大丈夫。なんともないよ。ほら!」
私がぐるん、と手を回すとセリーナは、ホッとしたように息を吐き出すと笑ってくれる。
「ファミーちゃんも頑張ったね…って、ファミーちゃん?」
見ればファミーちゃんは、まだ口をきゅっと引き結んだままだ。
ああ、そうか。
私かセリーナがいいよって言うまではしゃべらない、って約束したから。
「ファミーちゃん。もう大丈夫。しゃべってもいいよ?」
「ホント?」
「ホント。もう全部終わったから」
「よかったあ! じゃあ、もう『館』に戻らなくてもいい?」
「うん。あったかいおうちでお姉ちゃんと暮らそうね」
「やったあ!」
うーん、可愛い。
この笑顔を守れただけでも、頑張ったかいがある。
「ファミーちゃん、だっこしてもいい?」
「いいよ」
「ありがとう。ファミーちゃん、かわいい! ぎゅう~~~っ!」
「わー、くすぐったい!!」
…愛情を受けては育ってこなかっただろうに、この可愛さはきっとセリーナが一緒にいて、大切にしたからだ。
と私は素直に思う。
苦労してきた二人には、絶対に幸せになって欲しい。
私はファミーちゃんを下ろし、二人に手を振って別れるとティラ様を見た。
「ティラ様。明後日、安息日に申し訳ないのですが、お約束を果たします。
ガルフの家にご足労頂けますか? できればライオット皇子と一緒に」
「店ではなくって、家?」
「はい、できれば目立たないように、ティラ様として来て頂けるとありがたいです。
皇族の方を家にお招きするなど、身分を考えれば失礼と承知していますが…」
「解りました。全て、話してくれるのね」
「はい」
夏の戦の終わり。
私達の、小さな戦いも終わろうとしていた。
後は後片付けを待つばかり。
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