魔王城 もう一人の保育士

 外は一面の雪。

 真っ白で他の何も見えない位。


 外界と完全に遮断された魔王城で。

 私は、時々、外の世界に行く事を考える。



 『私』がこの世界に目覚めて1年半。

 ずっと居心地のいい魔王城の島で暮らすことができたのは幸運であったと思っている。

 虐げる大人がおらず、行動や思いを阻まれることなく、毎日を自分の思う通りに過ごすことが出来た。

 助けてくれる守護精霊、支えてくれるリオンやフェイやアルがいて、守るべき子どもがいて保育士として自分ができることがあって。

 この身体は非力な子どもであっても、それを補えるギフトがあって。



 みんなでがんばって生活も安定してきた。

 最初の日、ただ部屋の中放置され、寝そべっていた子ども達は、みんな名前を持って元気に幸せに笑っている。

 このままずっと、魔王城で幸せに暮らしていきたいと思う反面。

 私は、外の世界にいる子ども達のことを思うと、外に行きたい。

 そう思ってしまうのだ。




「リグ、首がすわってきたね」

 午前中、みんなで鬼ごっこのちょっと一休み。

 部屋の端で籠に入ったリグと一緒に私達の様子を見ているティーナの横に、私はひょいと腰を下ろした。

「マリカ様、お身体の具合はもうよろしいのですか?

 随分と走り回っておられたようですが」

「あ、うん。もうバッチリ。むしろ動かないと筋肉が変に固まっちゃいそうで」

 私は大きく手を動かしながら笑って見せた。

 

 倒れてからもう5日。

 昨日からは運動遊びや勉強にも復帰した。

 いつもまでも甘えてはいられない。もう本当に痛みも何もないし。


 籠の中のリグを覗き込む。

 もう生後4カ月。首も座って夜泣きもあまりしなくなった。


「あ、笑ってる」

 

 ティーナや私、弟ができてうれしい年少、未満児の子ども達に最近リグは良く笑顔を見せるようになった。

 声を出したり、目線で私達を追ったり。

 保育園で預かる乳児は大抵6カ月からだから、こんな小さい子と触れ合う機会はあまりなかった。

 私も、子どもが欲しかったな、とはちょっと思う。


 まあ、それ以前に彼氏とかいなかったけど。




「ねえ、ティーナ」

「はい、何でしょうか? マリカ様」


 優しい眼差しで遊ぶ子ども達を見つめるティーナを、私は見た。

 リグを胸に抱き、幸せそうな笑顔を浮かべるティーナはこの魔王城で唯一の大人。

 外の世界を知る人だ。


「前に、子どもの姿を見たことないって言ってたけど、外の世界ってそんなに子ども少ない?」

 だから、聞いてみたくなったのだ。

 外の世界の、子ども達の様子を。

 

「私の置かれていた世界が、そうであっただけだと思います。

 思い返せば、台所や下働きのさらに下働きに使われていた子どもはいた気がしますし、外に出された時路上で生きる子どもをみたことも多分ありました。

 …ああなりたくはない。自分は幸運なのだと、自分に言い聞かせていましたから」


 蒼い瞳を静かに伏せてティーナは呟く。

 そこには明らかな自嘲が込められていた。

 美しさと金の髪を貴族に買われ、愛妾をしていた彼女だ。

 ここに来た過程から考えても、生活環境には恵まれていたとしても幸せな子ども時代を送った筈はない。


「ごめんね。イヤな事を思い出させて。ただ、気になったの…」

「貴族の方々が、出産を経験されることはほぼ無いと伺っておりますわ。

 私の子を産ませると主が決められた時、出産を任せられる者がいない、と嘆いておられましたから」

 

 食料品扱いの人間が収入を失い、地に墜ちたと以前ガルフは言っていた。

 医者や産婆などもきっと同様だったのだろう。

 堕胎術とかはあると言っていたし。


「本当に、私もこの子も運が良かったのです。

 こんなに幸せな出産と生活をさせて頂けて…」

「そう思って貰えるなら良かったけど…」

「ええ、心からそう思って感謝しています」


 籠からリグを上げ、ティーナは愛しそうに抱き上げる。

 その顔は本当に幸せに満ちたお母さん、だ。



「マリカ様」

「ん? なあに?」

「ぶしつけとは思うのですが、お願いがあるのです」

「お願い?」


 ええ、静かに頷いたティーナは私をじっと見る。


「リグも少し、手が離れてきましたしお時間のある時でよろしいのですが、私にマリカ様の知識をお教えいただけないでしょうか?」

「え? 知識?」

「はい。特に子どもを育てる為の知識、子どもへの声のかけかた、注意点などを」

「ああ、そうだね。今はまだ寝てるだけだけど、リグが育って動いたり歩いたりするようになったら気を付けなきゃいけないこと、たくさんあるもんね」


 この世界には子育て支援も、母親教室も無い。

 出産までの時期に、礼儀作法を教えて貰う合間に教えられる事は教えてきたけれど、耳で聞いただけのことと、実際に体験しながら学ぶことは大きく差がある筈だ。


「リグのこと…もそうなのですが、その…マリカ様。

 私がマリカ様に代わって魔王城の子ども達を守れるようになりたい、と思ったら、不遜だと思われますか?」

「ティーナ?」

「この間の件でのフェイ様のお言葉、それにマリカ様の行動や想いを見て思ったのです。

 マリカ様は、魔王城の外に行きたいと思っておられるのではありませんか?」

「…あ」


 

 私を伺う様に見るティーナは、少し照れたような、恥ずかしがるような、何とも言えない顔をしている。

 でも、その眼差しには私や子ども達を思う優しさが溢れていて…。


「お見通し、だね。私、そんなに解りやすい?」


 私はその場しのぎで誤魔化す事を諦めた。

 そもそも、外の世界で通用する礼儀作法が知りたい、と頼んだのは私だし。


 はい、ともいいえ、とも言わずティーナは微笑む。


「世界全てがこの魔王城のように、子ども達が笑って幸せに暮らせる世界になればいい。

 その為にもマリカ様は、外の世界に必要な方だ、と私も思います。

 でも、マリカ様は城の子ども達を置いて外に出る事を良しとは思っておられないのでしょう?」

「はあ、本当に全部、お見通しかあ。さすがティーナ」


 彼女は人の感情が解るという。

 勿論そればかりではないだろうけれど、私は頷いて目を閉じる。


 

「ガルフに、外で食料品の店を始めて貰ったのも、礼儀作法や色々な勉強をしているのも外の世界で、子ども達を助けたいから。

 でも、ここの子ども達を置いていく気はないの…。特に小さい子達」


 年少、未満児と私が呼んでいる、ギル、ジョイ、ジャック、リュウは4歳から3歳といったところだ。

 みんな、外の世界の子と比べるなら、自分のやるべきことをちゃんと解ってやろうとしてくれているけれども、まだ甘えたい盛りだ。

 私が戻った後はさらにベッタリ、なかなか私から離れようとしてくれなかった。

 彼らにまで心配かけたのだと反省したのだけれど


「まりかねえ、トントンして」「こっちがさきだ!」


 夜の寝かしつけでは私の取り合い。

 寝付くまで私は二つのベッドを往復する羽目になっていたっけ。



「あの子達が落ちつくまで、あと2年くらい…かな?」

「お気持ちは解ります。ですが遅れれば遅れるだけ、子ども達を救える数も減る。と焦る気持ちもお有りなのでしょう?」

「うん、そのせいで速く力が欲しくて無茶をして、あんなことになったのだけど…」


 反省はしている。ものすごく。

 後悔はしていない、と言ったら間違いなく怒られるだろうけれど。


「ですから、私にもできることはないかと思ったのです。

 マリカ様の深遠な知識を一朝一夕で身に付けられるとは思いませんが、少しでも早くマリカ様が思いを遂げられるように、願いを叶えられるように…と」

「ティーナ…」

 


 これからどうするかについて、よく考えろと、フェイは言った。

 それを聞いてティーナはきっと真剣に考えてくれたのだろう。

 私としても、エルフィリーネと一緒に、もう一人子どもを託せる存在がいれば心強い。



「ありがとう。でも、まだ外に行くとしてもそれはもう少し先の話だから」

「はい…」

「あ、違うからね、ティーナの気持ちがいらないとかそういうのじゃないからそれは間違わないで」


 シュンと首を下げてしまったティーナに、私は慌てて首を振る。


「私のしてきた勉強、って生まれ変わる前のものだから、全部教えるとなると、すごく時間がかかると思うしティーナも大変だと思う」

「それは…その通りですね。一国を統べた方の知識ともなれば…」


 私が言う前世とは向こうの世界での保育士時代の事を言うのだが、エルトゥリア女王→私だと思っているティーナにはまだそこは言えない。

 覚えて来たことの量も質も多分遜色ないのだけれど。



「だから、ゆっくり、リグを育てながら勉強して行こう。

 子どもの発達とか、心の成長とか。

 私も教え直して欲しい。外での礼儀作法や今までちゃんと聞いてなかった外での生活。

 そうしてお互い勉強して行こう。目指す目標に向けて」

「私は、マリカ様のお手伝いができますか?」

「エルフィリーネ以外に、城と、子ども達を任せられるのとしたらティーナだけだから。

 頼りにしてる」

「…身に余る光栄です」



 リグを抱いたまま、跪きティーナは深々と頭を下げた。

「ぬあっ! それ止め止め。ティーナ。ガルフと違ってティーナの主ってわけじゃないんだから。

 大事な友達と思ってるんだから」


 私はティーナを立ち上がらせる。

 リグは魔王城の子ども、私達の家族だ。

 当然ティーナも同じ。家族で、貴重な友だち、相談相手。

 本当は様づけも止めて欲しいと思っているくらい。


 

「友達など、恐れ多いことですが…でも、そう言って下さるマリカ様だからこそ、私も忠誠を捧げたいと思うのです」


 あー。嬉しいけど、ちょっと複雑。

 やっぱり難しいかな。身分差のきっつい中世での刷り込み解消は。

 ガルフは、最初で加減のしようが無かったから主従になっちゃったけれど…。



「まあ、その辺はおいおいね。そうだ。ティーナは字、読める?」

「基本文字を読む事くらいは…書く事は、機会がありませんでしたので名前程度しか」

「了解、今度、午後に子ども達と一緒に勉強しよう。

 そして、夜、みんな…リオン、アル、フェイとなんだけど勉強会しているから、リグが落ちついたようだったら一緒に参加して外の事を教えてくれると嬉しい。

 私も子育ての仕方とか、知ってる限り教えるから」

「はい、よろしくお願いします。マリカ様」



 子ども達を助けに外に行き、リオンを助けて神々から世界を取り戻す。

 いつか必ず成し遂げると決めた私の目標。


 その時もし、魔王城にもう一人。

 後を任せられる保育士がいれば、私も少しは安心できる。

 まだまだ実現は先の話だと思うけれど。



「マリカ姉。休憩終わったら遊ぼうよ」

「了解。また後でね。ティーナ」

「はい、いってらっしゃいませ」

「よーし、次は私が鬼ね。捕まえるよ!」


 私は走り出した。

 頼もしい仲間にして親友の優しさを胸に。


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