魔術師の覚醒
翌朝、私は銀と蒼い光と共に目覚めた。
「おはようございます。マリカ。いい朝ですよ」
「わっ!?」
私の真横で、満面の笑みを浮かべているのはフェイだ。
昨日、ベッドの上で冗談でなく死にかけていたのと同じ人物とは思えないくらいの元気さにホッとしたと同時、ちょっと不安にもなる。
「フェイ兄、身体の具合はどうなの?
その…もう、大丈夫?」
見れば大丈夫だと解るけれど、それでも昨日の光景を、会話を思い出すと胸の中がざわつく。
『変生』
人でない存在になるということ…。
いや、なったということ…
そんな私の思いを読み取ってくれたのだろう。
フェイは
「ありがとう。
でももう、ほら…何の心配もいりませんよ」
優しく笑ってくれた。
「むしろ、今まで生きて来た中で最高の朝です。
世界というのは、こんなに美しかったのか、と実感しています」
柔らかく、大事なものを抱きしめるような笑顔で窓の向こうの空を仰ぐフェイを見て私は少し驚く。
彼は、こんな風に笑うことができたんだ? と。
今までは微笑んでいても、どこか…そう、陳腐な例えだけれどもピン、と張りつめた糸のような緊張感の欠片が見えた。
言葉の影に、何かを隠しているような油断できない所もあった。
でも、今はまったく肩を張ったところがない。隠すものも無い。
自然で優しくて、年相応の少年らしい笑顔を浮かべている。
「夢が、叶って。
欲しかったものを手に入れて。
やっと、本当の意味でリオンと肩を並べられる存在になれたような気がするんです」
手のひらの紋章を見つめたフェイはそれをぎゅっと、握りしめる。
きっと…自分の思い、願い、誓い。そんないろいろなモノと一緒に。
「リオン兄は、そんなこと気にしないんじゃない?
むしろ、フェイ兄には、フェイ兄のままでいてほしかったんじゃ…」
「ええ、リオンは、そう思うでしょうね。
今朝、目覚めてからもさんざん怒られましたから。
でも、それでも、僕は彼の隣に対等な者として立ちたかったんです。
僕を助けてくれたリオンを、助けるために…。
感謝しますよ。マリカ」
「え? なんで私?」
突然お礼を言われて、私は思わず目を瞬かせる。
今回の事に関して、私は何もしていない。
エルフィリーネとリオンの会話をおろおろと見ていただけなのだけれど。
「解らないなら、今は構いません」
二コリ、とフェイが笑う。
あ、いつものフェイに戻った。
人当たりのいい笑顔の影に、いろいろな思惑を隠した顔だ。
でも…
「僕が、君に、君と出会えたことに感謝している。
そのことだけ覚えていてくれれば。
僕の新しい力は、リオンと君。そしてこの魔王城を守るために使うと誓いますよ」
その言葉は、嘘ではない、
真実だと解るから。
「うん、頼りにしているね」
私は頷いた。心からの信頼を込めて。
その日の昼食後、
「マリカねえ、たすけて!」
泣き出しそうな顔でヨハンが私の所にやって来た。
「どうしたの? 一体?」
「あのね。おにわのむぎのほが、まっくろくなってる」
「えっ?」
「きて!」
ヨハンに手を引かれ、中庭に向かう。
みんなで拓いた小さな畑に、城下町から移植して元気に伸びていた筈の麦穂に、良く見れば、確かに小さな黒いものがついている。
「これって、まさか…麦角菌?」
「? なあに?」
私もそれほど詳しいわけではないけれど、確か麦につく菌の一種にこんなのがあったと聞く。
これがついた麦を食べると腹痛や、下痢、幻覚症状などを引き起こすという。
つまりは食べられない。
えっ! 麦全滅!?
「それは困る。それは嫌だ。どうしよう~~~」
私のギフトは使えない。
麦についた麦角菌だけ取るなんて器用な真似できない。
それに、見えるところを取ったとしても相手は菌だ。
麦の内部に残っていて、子ども達に悪影響を与えたら、とんでもないことになる。
でも、でも!!
「麦は、これからの食生活の要なのに!
小麦粉が! 酵母が! パンケーキが!!」
私の魂の叫びを聞きつけたのか。
くすくすと、背後から含み笑い…。
「相変わらず、食事のこととなると目の色が変わりますね」
「笑ってないで、なんとかできるなら力を貸して。
フェイ兄!」
振り返ればそこにフェイとリオンが肩を並べている。
迷わずフェイに縋りついた私に、リオンは明らかに機嫌を損ねたようだ。
ブスッとした顔で腕を組んでいる
「俺には頼まないのか? マリカ?」
「リオン兄が、麦のばい菌取れるなら頼む!」
「…まあ、確かに俺にはできないが…どうする? フェイ?」
「そうですね」
リオンに向けられた視線に、自信に満ちた眼差しで微笑んだフェイは
「…丁度いいので、練習させてもらってもいいでしょうか?」
頷いて一歩、麦畑に向けて歩を進める。
「みんな、下がって」
私は、ハッとして、邪魔をしないように子ども達を後ろに下げた。
「シュルーストラム」
フェイが差し伸べた右手、その前にあの時の杖が現れる。
虹色の宝石の中で、青い炎が揺らめいていた。
淡い光を放ち空中に浮かんだ杖はフェイが掴む仕草をすると、彼の手に収まる。
まるで、そこが自分の居場所であるというかのように。
飾られていた時よりも、シャフトの部分が長くなっているような気がする。
フェイの背の高さとぴったり合っているその杖を、フェイはトンと地面について前に押し出した。
「集え、炎の子らよ」
それは、強い、意思と力の篭った『声』だった。
「わっ!!」
子ども達が思わず声を挙げる。私も驚いた。
フェイの周りに、人魂を小さくしたような炎がいくつも、ゆらゆらと揺らめいている。
「炎? 火で焼くつもり?」
それは拙い。
火で焼けば確かに菌は死滅するかもしれないけれど、畑の麦もパーになってしまう。
焼き麦なんて、食べられる?
「待っ…」
「フェイ様にお任せして大丈夫だと思いますわ」
「エルフィリーネ…」
差し伸べた私の手をエルフィリーネが止める。
淡い笑みを浮かべた彼女はフェイを、生まれたばかりの『魔術師』を完全に信じているようだ。
「マリカ様。精霊が、自らを操る魔術師に求める絶対能力とは、なんだとお思いですか?」
「絶対能力…って、知性?」
「はい。瞬時に状況を把握し、最適解を導き出し、そしてそれを実行する決断力と知性が必要なのです。
フェイ様は、あの気難しい精霊に見込まれたお方。
ほら、ご覧くださいませ」
エルフィリーネが指さす先、
フェイの周りで踊っていた炎達が…
「行け!」
静かな、でも強い命令と同時、細かく、細かく、雪よりも細かく散って畑に舞っていく。
ジュッ…。
火の粉達は驚く程正確に麦角菌だけを焼き切って消えて行った。
そして、続く呪文詠唱。
私には意味が分からないけれど、歌うようなそれていて精緻な呪文は、紡がれるごとに光となって畑へと流れて行く。
弱っていた麦が、ピンと強い勢いを取り戻したのは、本当にすぐの事だ。
「凄い…本当の魔法だ」
「魔法、じゃなくって魔術、ですけどね。
初めての割には、上手くいったでしょうか?」
術を終え、掻きあげた髪と一緒に杖を還したフェイの周りを子ども達が取り囲む。
「すごーい、すごーい。まほーだ、まほーだ」
「フェイ兄、すごいね、すごいね」
「ああ、凄いな。うん、フェイは凄いんだぞ」
「…リオン」
キラキラと目を輝かせてフェイに群がる子ども達。
彼らと歩調を合わせるように、リオンはゆっくりとフェイに近づき、視線を合わせた。
「解ってたさ。お前はあいつより絶対凄い魔術師になれるって」
「リオン…」
フェイを見つめるリオンの瞳には、色々なものが混じっている。
安堵、信頼、友愛、そして…微かな罪悪感。
きっと喉元まで出かけていた謝罪の言葉。
それら全てを呑みこむと、リオンはフェイの背を叩く。
いつもの笑顔でいつものように。
「信じてるぜ。相棒。俺達の『魔術師』
…これからもよろしくな」
「ええ、任せて下さい。リオン」
答えるフェイもまた、いつもと同じだ。
私は安堵した。
二人の絆は、何があっても、変わりはしないのだと信じる事ができたのだから。
「ねえ、フェイ兄? アルフィリーガ、って言葉、知ってる?」
中庭からの帰り道、私はふと、気になってフェイに囁く。
リオンは少し前を、子ども達と一緒に歩いている。
今なら、聞こえない筈だ。多分。
あの時、熱にうなされていたフェイは、リオンの事をエルフィリーネがそう呼んだことは知るまい。
ならば言葉の意味でない何かを知ってはいないだろうか?
「アルフィリーガ…ですか」
空を仰ぐように視線を躍らせたフェイは
「それは、リオンの名前ですよ」
涼やかな声でそう答えた。
「う~~、確かにそうなんだけど~~~」
私が求めていた答えではない。
仕方がないか。
ずっと、リオンと一緒にいたフェイならリオンが、そう呼ばれる場面を見聞きしたこともあったのかもしれない。
「マリカ。皆が待ってますよ」
「はーい」
フェイの呼び声に、私は慌てて追いかける。
彼の足の長さに追いついていくのは大変なのだ。
コンパスの違いを解って欲しい。
必死で走る私は気が付かなかった。
私とリオンを見る『魔術師』の微笑みと、その意味を…。
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