魔王城の現実

 この際だからはっきり言おう。

 もう、この世界には上司もいないし。

 保育士は必ずどんなクラスも複数担任で見るべきである。と。


 国の規定では0歳児は3人に一人、2歳までは6人に一人の保育士でみるべしとある。

 だがしかし、何故か3歳児になると20人を一人で見ろと言われ、4歳児になると30人まで一人で見る事になる。

 はっきり言って無理である。

 特に3歳児20人一人は死ぬ。

 3月31日まで3人以上で見ていた人数を4月1日から一人で見ろと言われるのだ。

 しかも、おむつ取れてない子が殆どでトイレトレーニングを始めなくちゃならなくておしっこもらすし、着替えもまだ一人でできないし靴を履くのも大変だし片付けもできないし、おしっこもらすし目を離せばケンカするしかみつきも多いし…。

 失礼。つい本音が出た。



 とにかく、一人で子どもの面倒を見、同時に掃除、洗濯、食事の支度をするとか絶対に無理なのである。

 子ども達の安全の為には常に職員が一人見る必要がある。

 でないとちょっとしたことで子どもは容易く怪我をし、あるいは死に至ることもある。

 だから、本当にエルフィリーネを迎える事ができてよかったと私は朝のごはん。

 スープの鍋をかき混ぜながら思った。


 エルフィリーネ。

 美しい魔王城の守護精霊は、何故か私に忠誠を誓い子ども達の面倒とこの城での生活を手伝ってくれることになった。


 私はいつの間にか彼女と呼んでいたけれど、精霊だから性別は無いのだという。


 どっちにでもなれると。


 たくましい男性形態になって見せてくれた時にはちょっと驚いた。

 やっぱり、超絶美形ではあったけれど男性に免疫の無い私にはちょっと落ち着かなかった。

 前主にも女性形態で仕えていたというので、今のところは女性でいてもらっている。

 多分、子ども達もその方が落ち着くと思ったし。

 最初は落ち着かなかった子ども達も、優しい笑顔の守護精霊にあっという間に慣れてくれた。

 さっきまで、起きた子ども達の顔を拭き、着替えさせるのを一緒にしてくれて、今は子ども達に本を読んでくれている。


 書庫にあった本は、まだ今のあの子達には難しいだろうと思っていたけれど、植物の画集のようなものもあったからそれを見せたら興味深そうに覗いている子が多かった。


 今、この城にいる子の殆どは、まだ自分の思いを言葉に出すことができていない。

 自己主張が出来ないのだ。

 言葉そのものもよく理解していないのだと思う。

 今のこの城で言葉を覚えて、会話できているのは私達4人+エルフィリーネだけだから。


 でも、だんだんに私達の会話を真似てか、喃語のようなものが出る様になってきた子もいる。

 私達の服を掴むようになってきたり、走るようになってきた子も出てきた。

 ちょっと目を離すとテーブルや椅子を倒したりすることもあるけれど…私は良い傾向だと思っている。


 まずは私達とこの城を安全地帯だと思って欲しい。


 安心できる拠り所があれば徐々に自己主張も出来るようになって来るだろう。

 これから、エルフィリーネやフェイ兄に教わって私もこの世界の字を覚えて、子ども達に教えられるようになりたいと思う。


 まだ、自分の意思を表に出せず、座り込んでいることの多い子ども達に自分の意思で行動することを伝えたい。

 今までは目の前のことで手いっぱいだったけれど。


 そんな保育計画を考えられるようになってきたのだ。



「よし、完成」

 スープを味見した私は鍋を竈に手をかけた所を

「マリカ。力仕事は無理しないで。火傷しますよ」

 優しい声と手に止められた。


 果物の皮をむいていたフェイが私を制して鍋をカートに乗せてくれる。

「ありがと。そっちはもういいの?」

「ええ、なんとか終わりました。運びましょうか?」

 大皿に切り分けられた果物とスープ。それから焼肉と食器をカートに乗せて私達は食堂を出た。


 食事の支度を三人が交代で手伝ってくれるようになったのはとても助かっている。

 経験0ではないとはいえ、古い台所で14人分の調理はけっこう大変なのだ。



 身体も小さいし力も足りないから肉を切ったりするだけでも一苦労。

 フードプロセッサーとは言わない。

 ちゃんとした包丁やお玉、フライパンが欲しい。

 旧式の鍋釜は使いづらい。

 ホントに日本での生活は快適だったのだと実感する。



「みんな~。ごはんできたよ」

 私が大広間に入り声をかけると、子ども達がわらわらと集まって来た。

「ごはん」という言葉は覚えたようだ。

 今日の朝ごはんのメニューはスープと豚っぽい動物の焼肉。

 それにリンゴに似た果物が添えてある。

 子ども達には小さく、食べやすいように切っておいた。


 味付けは塩と軽くふった胡椒だけだけれど味見したらけっこう美味しかった。

 エルフィリーネが教えてくれた貯蔵庫にいくつかの香辛料や調味料などもあったので、使ってみたらけっこう使えて味の幅も少しずつ出てきている。


 …何百年前のか考えるのも怖いけど、アルが大丈夫だと言ったし魔法の世界だ。

 保存の魔法とか効いているのだろう。多分。


 今は贅沢を言っていられる時でもないのだ。



 大広間にあった大きな椅子とテーブルでは子ども達の足が届かないので今は飾り机のような脚の低い台をちゃぶ台のよう床において食事をしている。

 できれば子ども用の椅子やテーブルが欲しいけれど、無いものは仕方がない。

 

「じゃあ、ごあいさつしましょう。おいしいごはん、いただきます」

 パチンと手を合わせて全員が挨拶をしてから食事をする。

 私が最初に教えた「約束」だ。

 アーサーやエリサは私達の言葉を真似て上手に手を合わせ

「…ます!」

 という様になった。

 まだ小さいジャックたちもできないなりに私達の真似をして手を合わせるようになってきた。


 あんまり食前食後の挨拶などは習慣にない世界だと思うけれど、こういうのは大事な礼儀作法の基本だと思うので今のうちは日本流を押し通させて頂く。

 もちろんこの世界流が分かれば合わせるつもりはあるけれど。



「まだ少し熱いからふーふーして食べてね」

 私はスプーンに入れたスープに息を吹きかけて冷ましリュウの口に運んだ。

 まだ1~2歳程度に思えるジャックとリュウ以外は自分でスプーンを握り、時には手づかみで一生懸命に食べている。

 遊び食べをする子は皆無だ。デザートに果物がつくようになってからはより真剣さを増した気がする。甘味の力は偉大。

 瞬く間に全員の食器が空になった。舐めるように…いや実際舐めたのだろうけれど…ピカピカだ。

「うんうん、みんな残さず食べてくれてありがとう。

 じゃあ、手を合わせて…ごちそうさまでした」

「ごちそうさま…でした」


 食べ終わった子ども達の中にはテーブルから食器を下ろすと自分でカートに運んできてくれる子もいる。

「ありがとう。エリセ」


 私が褒めるとエリセは少し顔をほころばせてくれるようになった。

 茶色い髪、茶色い瞳の魔王城で私以外の唯一の女の子だ。


 片付けの習慣、これも最初にしっかりと教えた。

 最初に習慣にしておけばそういうものだと理解して身につく。

 できたら、感謝して褒める。

 頭を撫でたり、抱っことかできるだけスキンシップをとっていくようにすると子ども達はそれを嬉しいと思い繰り返してくれるようになると思う。


 エリセは、特にここ数日で随分としっかりしてきた。

 私の真似をしてか、小さい子をだっこしようとする姿も見られるようになっている。

 男だから、女だからと区別するつもりはないけれど、少しづつ私の手伝いとかもしてもらおうかと思っている。

 そうできれば私も楽になるし、本人の自信にも繋がりそうだ。


 皿を片付け、洗いながら私はそんなことを考えつつ、自分が本当に保育士の仕事が好きだったのだな、と改めて気付いた。


 …少し、感傷的になる。

  私がもし、死んでしまっていたのなら、クラスを受け持っていた子ども達は保護者は、職場の皆は悲しんでくれていたのだろうか。と。

 


 

 食事を終えて、片付けも終えて昼食までの合間の時間。

「外に行きたい。森と城下町」

 私はリオン、フェイ、アルにそう頼んだ。

「外…か」

「それは、周辺をしっかりと見て回りたい、ということなんですね?

 森だけじゃダメなんですか?」


 フェイの問いに私は頷く。


「特に周辺の植物を見たい。

 食事に野菜が欲しいの。茸とか果物とかお芋でも。

 城下町があるって言うなら畑の跡とかに野菜とか無いかなって。

 野生化してても種とか株があればお城で育てられるかもしれないし。

 お肉だけじゃ栄養も偏るしバリエーションがなくなっちゃう」


 基本、この城の食生活を支えているのはリオン達が狩ってくる獣だ。

 小さなナイフで良く狩れるなと思ったのだけれど、フェイの組み立て罠やジャンプでなんとかなるのだと言っていた。

 最近はエルフィリーネが古い武器や弓矢も貸し出してくれるようになったのでかなり楽になったとも。


「それに周囲の確認もしたい。

 安全に出してあげられるなら外に子ども達を出してあげたいと思うの。

 外で遊ばせてあげたいし、水場に水を汲みに行くとかできることをさせてもみたい」


 私自身、外に出たのは水汲みに行った時と、城の外を見た時の2回だけだ。

 深い森が周囲を取り巻いていたから危ない事もあるかもしれないが、それを避けてずっと城の中にいる訳にもいかないと思う。


「うーん、片付けるの、忘れてたんだよな」


 リオンが何かを考えながら頭を掻いている。

 何かを言いよどんでいるというか…。


「忘れてた、ってなにを?」

「仕方ありません。行きましょう。どうせいずれは知らせなければならないこと…です。ならばいっそ見せた方がいい」


 フェイがリオンを宥めた。

 それには何かを諦めたような思いが浮かぶ。


「だから何?」

「見れば解ります。子ども達のことは私が見ていますのでご安心を」


 静かに告げたエルフィリーネの言葉にリオンは顔を上げる。

「…あんたは、知ってるんだな?」

「城の近辺のことでしたら、城の中程ではないですが見えますから。

 …まったく、困ったものです」


 静かに、だが微笑む彼女の眼は笑っていない。

「エルフィリーネ?」

「仕方ない。行こう。アルは留守を頼む」

 何かを決心したようにリオンは立ち上がった。

「でも、気軽なハイキングにはならない。覚悟して来いよ」


 その黒い目にさらに深い闇を宿らせて。


 最初は気楽なハイキングになると思っていた。


 リオンはナイフと白い大きな布を、袋のように担いでいる。

 フェイは弓矢と小さなバッグ。

 私も小さなバッグを借りてきた。

 お弁当や飲み物も用意しようかと思ったが、それはリオンに止められた。

 遊びじゃないんだ、と。

 魔王城の周囲は深い森で、近くには子ども達を洗った水場がある。


 その先を少し行くと

「あ、街?」

 壁とそれに囲まれた街があったのだ。


「これが城下町?」


 もちろん、完全な廃墟。石造りの家々は苔むし、蔦に覆われあちらこちら崩れてかろうじて家の面影を残しているだけだった。


「あ、これ小麦かな?」   

 街の中には完全に野生化しているがかつて、畑であったかもしれないと思える場所がいくつかあった。

 そこには穂をつけたものもあって、一本折ってみる粒を潰してみると甘い匂いがした。

 昔、ビール工場を見学した時、見せてもらった麦芽とよく似ている。


「リオン、フェイ…これ…」

 私が麦の穂を振って見せるが二人の反応はない。

 なんだか、様子がおかしい。いつもと違う…怖い顔をしている。


「二人とも、どうかしたの?」

「マリカ。こっちへ」


 フェイが私の手を引いた。いつもより強い意思の篭った手に私は逆らえない。

 二人が導くその先には一軒の家があった。

 周りと特に何も変わる事の無いごく普通の…。


「! なに、これ…?」


 私はとっさに口元を押さえた。

 匂いがする。酷い匂いが。

 正直、汚物の悪臭とか、汚れの匂いとかは嗅ぎなれている。気にはしても平気だ。

 でも…これは…。


「城の外に出るなら、覚悟してくれ。

 たまにこういうことが…あるんだ」


 リオンが指さした先を見て

「ヒッ…」

 私は思わず声にならない声を挙げた。


 そこには首を吊って…完全にこときれた…人の体があったのだ。


「俺達がこの城に来た時にはこういうのがあっちこっちにあった。

 片付けられるやつは片付けて埋葬したりしたけど…多すぎて最近は放置してたのも…ある」

 リオンは城から持ってきた大きな白い布を足下に敷いてジャンプすると、ナイフでロープを素早く切り落とした。


 ぐしゃ、と。


 落ちた死体が布の上で潰れ、黒とも黄緑とも言えない染みを作る。

 私の目に見えない様に素早く布で包んでくれたけど…


「うっ…」


 私は後ろで支えていてくれたフェイに縋るように震え、必死に吐き気を押さえていた。

「どう…して? ここは、不老不死の世界…じゃなかったの?」


 魔王が倒された時代とかの、古いものではない。

 まだ腐敗途中、割と新しいものだ。


「神の祝福を得た『大人』が不老不死を得る。

 でも、この島には神の祝福がないんです。

 だから、世界でただ一か所。魔王城のあるこの島だけで人は『死ねる』んですよ」

「だから、大人たちは滅多な事でこの島には来ない。万が一にも死んだら生き返れないからな。

 逆に世界に倦んで、死を選ぼうとするやつはここに来る。

 ここだけが唯一の救い、なのかもな」


 …これが、この世界の現実…


 二人の言葉に、胸の奥で、何かが音を立てた。

 身体が冷たくなって、歯の根が合わなくなって…二人の声が小さく遠くなる。


「マリカ!」


 フェイの腕の中で、私は逃げた。

 意識が散り、あの光景が消えて行く。


 それが一時しのぎにしかならないことは、誰よりも解っていたけれど。

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