第75話
勇者証を提示して第二の城壁を抜ける。中心街は背の高い建築物が多く並ぶ。本当の意味で上流階層が集うエリアとなっており、貴族や王宮に従事する位の高い人物たちが暮らしていた。
太陽が山の峰に消えかける頃、馬車は徐々に速度を落としやがて止まる。巨大な城の門の前、それは皇帝城の面前だった。
世界最高戦力の為に帝都が建てた勇者ギルドは、皇帝城のすぐ前にある。並みの貴族の住居よりも、側近、大臣以上に、絢爛明媚で優遇された建物だった。
原則として勇者は依頼を受けてから動く事となる。普通の勇者は能動的に動きはしない。だが自分自身に危機が迫れば話は別だ。帝国の中の最重要施設の傍に、わざわざ勇者ギルドを建てたのも、有事を見越しての事だろう。もっとも、世界最高戦力が帝都に揃っている時点で敵対勢力への強い牽制となっている。皇帝が勇者ギルドに莫大な金をかけたのも、実は後者の理由の方が強かったのかもしれない。
「先に行って二人の事話してくる。少し待ってて」
有無を言わさず、ソードは適当な剣を一本だけ掴んで馬車を飛び出す。
手にした剣は短剣だった。砂の残り香りが付いてまわる刃の欠けた短剣だ。革の鞘には戦斧で負った深い傷が修復できずにまだ残っている。彼女は剣を手に持ったまま、ギルドの扉を開け放った。
「ただいま」
深紅の日差しが斜めに差し込むサロンには、厚手の絨毯が敷かれ余計に静けさを増す。ゼンマイ仕掛けのアナログ時計の針が音が響く中、呟くような彼女の声が部屋に小さく木霊した。
「早かったな」
カウンターに腰かける時空の勇者が言った。彼女は手にしたワイングラスを傾けると、静かにテーブルに置いた。
「レインさんは?」
ソードは彼女へと歩み寄る。サロンには他に二人いた。
一人は具現の勇者であった。彼女は音漏れのするヘッドホンを装着し、片手でスマホを弄っている。彼女は一瞬ソードに目を向けただけで、またすぐに手元の画面に視線を戻す。
少し離れたテーブルにブーツを乗せる少女がいた。椅子を後ろへ斜めに傾けながら本を読む。特徴的な銀の髪。自分だけの世界に沈む彼女こそが、雷の勇者その人だった。
「さっき水汲みに行っただろう?」
本の名は白鯨だった。それも生前の世界から持ち込まれたものだ。上巻はテーブルに、下巻をその手に持っていた。約五秒置きに指が動く。本が傷んでしまわぬように捲るその手は優しくて、丁寧でかつ繊細だった。
「何か飲むか? マスターはさっき出掛けて行ったところだ。代わりに私が用意してやろう」
「いいよ。アンタ料理できないでしょ」
「なにを言うか。私はマスターに店を任されたのだぞ。それに料理くらいレシピを見れば誰にでもできる。さぁ、遠慮するな」
「結構です」
「そう言うな。義務を果たして無いようで私が落ち着かんのだ」
彼女の瞳が覗きこむ。
竜人とはまた違った色の、赤く滾るような炎の瞳だ。竜人よりも竜に近い種族であるのに、尾も角も鱗も生えていない。赤い瞳さえ隠してしまえば、まさに人間そのものだった。
ソードは少しのため息をつく。のぞき込む赤い瞳は明るく光り輝く。無言の圧に押し負けて渋々水を彼女に頼んだ。
「水だな! よし任せろ」
時空の勇者は席を立つ。カウンターに回り込むと、磨き抜かれたグラスを取った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます