第四部 第五十五話 一体何が
体育祭が終わってから、宗次郎は雅俊と会っていない。
半里走で負った怪我は回復していたが精神的には落ち込んだままだったようで、授業に出ても暗い顔をしていたと鏡は言っていた。誰かが声をかけ、励ましても物思いに耽ることが多くなったという。
その雅俊に何かあったとなると、嫌な予感しかしない。
そこで宗次郎は即座に移動する手段を取った。
空の波動 肆の剣:空移し。
空間転移をする波動術を使い、宗次郎は鏡のいる場所までテレポートする。
授業で波動符を作る機会があったので、予備を鏡に持たせておいたのが功を奏した。
眞姫といた植物園の緑の多い光景がぐにゃりと周り、一瞬で保健室の白い壁が目の前に出現する。
「うわ、本当に来た! え、殿下!?」
突然現れた宗次郎たちに腰を抜かした鏡。宗次郎は片手をあげて「よっ」と返事をする。
「ふぅん、なかなか新鮮な体験ね」
宗次郎と一緒に初めて転移を経験した燈も興味深そうに頷いている。
「大丈夫?」
「まぁ、な。二人で転移するのは結構疲れるぜ」
宗次郎が額の汗を拭うと燈が笑顔で詰め寄ってくる。
「それは重さ的な意味で、かしら?」
「距離的な問題もあるさ」
その笑顔に得体の知れない恐怖を感じて宗次郎は後ずさる。
実に二キロ近い距離を移動したのは久しぶりだ。波動符のサポートがあったとしてもきついものはきついのだ。
おほんと咳をして宗次郎は気を取り直し、改めて鏡の方を向く。
「それで、雅俊は?」
「こっちです」
鏡に案内され、廊下の角を曲がると何やら騒がしい。
「雅俊様は大丈夫なんですか?」
「面会はできないんでしょうか? 合わせてください!」
「落ち着いて。今は小康状態を保っています。安静にする必要があるので、面会は遠慮して頂戴」
普段から雅俊を取り巻いている生徒たちは気が立っている。それを白衣を着た保険医が宥めすかしていた。
「ちょっと失礼」
鏡が声をかけるが届かない。そこへ、
「やめなさい、あなたたち」
不安と心配が入り混じる取り巻きたちにまず声をかけたのは、燈だった。
凛とした声は保険医を含めた全員をこちらに振り向かせる。
「この問題は私たちと生徒会で対処します。ここにいて、風紀委員の事情聴取に協力しなさい。あなたたちの忠義は私が預かっておきます」
「しかし、殿下……」
「あら?」
燈の目がスッと細くなった、ような気がした宗次郎。
燈の後ろにいるからわからないが、その身に纏う雰囲気が氷のように冷たくなると、燈はすぐ目を細めるのだ。
「私に二度同じことを言わせるつもりかしら?」
「失礼しました!」
ビシッと背筋を伸ばしてから回れ右をする取り巻きたち。第二王女と生徒会の名前、さらにこの威圧感を出されては引き下がるしかないだろう。
━━━あなたたちの忠義は私が預かっておきます、ね。
燈の反応は一見冷たく感じられるが、それでもこの一言があるかないかで雲泥の差が出る。
「殿下、ありがとうございます」
「いいのよ。中に入れて頂戴」
「かしこまりました」
恭しく保健室の扉を開ける保険医。
宗次郎たちは燈に続いて扉を潜る。
薬品独特の匂いがする部屋にいくつかのベッドが並び、そのうちの一つがカーテンで区切られていた。
「っ!」
保険医がカーテンをゆっくり開けると、雅俊がベッドに横たわっていた。
一見すると穏やかに眠っているように見えるが、雅俊は明らかに衰弱し切っていた。力強かった波動は見る影もなく消失している。布団に浮き上がるシルエットも細くなっているようだ。
「燈、これは」
「えぇ。宗次郎が考えている通りよ」
おそらくね、と燈はつぶやいてからため息をついた。
シオンと再会したときに起きた事件。黒川優里が襲われたときの同じ症状だ。
「なぁ、これは一体━━━」
宗次郎が質問しようとした瞬間、保健室の扉が開き、舞友が入ってくる。
「あ……兄さん」
「よ」
舞友は燈を見て驚き、さらに宗次郎を見てもっと驚いたようだ。
「どうしてここに?」
「鏡から連絡をもらったんだ」
話題を振られた鏡が頭を下げる。
「……わかりました。先生、症状は」
「報告にあったとおりです。おそらく、例の件かと」
舞友はため息をつき、
「まさか、六大貴族が……」
とつぶやいた。
「……兄さんには関係ありません。前にも言ったはずです。この問題は生徒会と風紀委員で対処します」
「対処できてるのか? あれから一か月近くたっているぞ」
顔を背ける舞友につめよると、燈がスッと前に出た。
「宗次郎、やめなさい。事情は説明するわ。その代わり、対応は私たちに任せて」
いいわよね、と舞友に確認を求める燈。
そう言われては宗次郎も引き下がるしかない。宗次郎は黙ってうなずき、部屋を出た。
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