第二部 第四十五話 久しぶりに

 舞友がチャイムにより呼び出されていたころ。


 宗次郎は生徒会室で書類と睨めっこしていた。念願叶って宗次郎を体育祭に参加させられる角掛会長はハイになり、机に向かって新しい競技の案をいくつも作りだした。


 今はその内容に改めて目を通しているところである。


「ふぅ、久しぶりに頭を使ったぞ。楽しいことを考えるのは楽しいなぁ、憙嗣!」


「そうだな」


 太陽のように眩しい笑顔を向ける角掛会長に、門之園兄の表情は闇夜に浮かぶ月のようだ。憂いを帯びていながらどこか人を惹きつけてやまないような、蠱惑的な魅力を醸し出している。


「それで、このうちのどれをやるんです?」


 もらった紙の束を両手で抱えながら宗次郎は質問した。


 角掛会長が出した案は八つ。当然、全てをプログラムに組み込むことはできない。会長との話し合いで三つにまで絞れたものの、まだ多い。最低でも一つにする必要がある。


「それは宗次郎が決めていいよ、と言いたいところだが、少し待ってほしい。今、関係者をここへ呼んでいるから」


 さ、座ってと言われたので、宗次郎は相手いる席に腰を下ろす。


 ━━━きっと、来るんだろうな。


 お化けの話ではない。妹、舞友のことだ。


 関係者が体育祭実行委員なら間違いなくいるはずだ。


 とはいえ、二人きりってことはないだろう。宗次郎はそう思案する。


 点数や参加希望者の関係で他の競技との兼ね合いも含めて話し合う必要があるのなら、委員長含め数人が同席するに違いない。


 そこへ、


「失礼します」


 と、聞き慣れているものの最近は耳にしていない声が飛び込んできた。


 宗次郎の体がピクリと反応すると同時、一人の女子生徒が扉を開けた。


 舞友だ。


 一瞬目が合うが、舞友はなんの反応も示さないままコツコツと床を鳴らして入ってきた。


「会長、お呼びですか?」


「ああ、来てくれてありがとう。実はな、宗次郎を体育祭に参加させようと思うんだ」


「え」


 宗次郎からは舞友の背後しか見えないが、その声には純粋な驚きと機嫌さが含まれていた。


 宗次郎は体育祭に参加しないと知った舞友は安堵していた。理由は単純、学業の方に専念できるからである。


 宗次郎の成績は順調に伸びてきているとはいえ、卒業試験合格ラインまでには程遠い。このままのペースではギリギリ合格できるかどうかと言ったところだ。舞友としては体育祭に出るよりも教科書と問題集に向き合う時間を確保したいらしい。


「どういうことでしょう。兄は不参加と聞いていますが」


「事情が変わった。教師陣と学院長の了承はもう得られている」


 会長の隣にいた門之園兄が口を開く。


「そんな話、私は聞いていません」


「だから今来てもらったのさ。体育祭実行委員長の里奈の了承ももらう。それと、本人の了承は既にもらっているよ」


「……そうですか」


 舞友の冷たい目線が宗次郎に向く。


「いいんですか。兄さん」


 三塔学院における卒業試験は、三月と八月の年二回行われる。通説では、八月の方が難易度は高いらしい。早めに卒業できる分、能力の高い生徒が受けるためそうなったという。宗次郎としては迷惑な話だ。


 落ちるかもしれないぞ、と暗に告げる舞友を宗次郎は正面から見据える。


「あぁ。せっかくだから会長の好意に甘えるよ」


 試験である以上、絶対はない。いかに模試で合格判定が高かろうと落ちることはあるし、その逆もまた然り。


 なら、学生である間は楽しみたい。部活も勉強もそれなりに楽しいが、皆が参加しているイベントに参加できないのはやっぱり寂しいものだ。出られるのならば出たい。


「わかりました。兄さんが本気なら何も言いません。それで、私の仕事はなんでしょうか」


「宗次郎が出る競技について相談したいんだ。ほら、実行のスケジュールを取り仕切っているのは君だろう? いくつか候補があるから、選ぶのを手伝ってくれ」


「……わかりました」


 舞友は宗次郎が持っている紙の束を見ただけで状況を察したらしい。はぁとため息をついていた。


「それじゃ、俺たちは用事があるから」


「えっ」


 舞友が純粋に驚く。宗次郎だって同じく声をあげたいくらいだった。


 いきなり二人きりなのかという宗次郎たちの疑問をよそに、会長たちはさっさと出て行ってしまった。


「……」


 気まずいなんて表現が生ぬるいほどの沈黙。身体中に墨を塗られたように空気が重く感じられる。


「あ、あのさ」


 宗次郎は震えながら口を開いた。


 空気に耐えかねたのもある。だがそれ以上に、言わなければならないことがあった。


「この前は悪かった。本当に、ごめん」


 宗次郎は舞友を真っ直ぐに見てから、頭を下げた。


 謝ったからと言って許されるような発言ではないことは宗次郎も分かっている。あれは最低だ。どうしようもないくらい、最低の言葉だ。


 だからと言って謝らない理由にはならない。まずは謝らないと始まらない。


 宗次郎は本気で腰を半分に折りたたんだ。


 後頭部と背中に突き刺さる視線を感じながら、ひたすらに床を見つめる。


 すると、


「……もういいです。私の態度にも、問題がありましたから」


 小さいため息が一つ聞こえ、歩く音、椅子を引く音が聞こえた。


「さ、その資料を見せてください」


「分かった」


 宗次郎は頭を戻して、持っていた資料を机に並べる。


 こうして。


 周りには小さく、遠回りに見える形でも。


 兄妹は語り合う機会を得たのだった。

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