第四章 第二十七話 とある一日
宗次郎が授業に出るようになってから、一週間が経過したころ。
「宗次郎くん? 宗次郎くん!?」
「! は、はい」
担任の教師である正武家と一対一で授業を受けている中、宗次郎は迂闊にも気を緩めてしまった。
━━━いけね。
ぼーっとしていた。宗次郎は自分の両頬をパンと叩いた。
「すみません」
「謝る必要はない。最近は頑張っているものな」
「助かります」
いつも微笑んでいるの正武家が少しだけ口角を上げ、深く椅子に座り直した。
「学院には慣れたか?」
「おかげさまで」
宗次郎も椅子に座り直し、大きく頷いた。
授業に出て教師の話を聞き、ノートにペンを走らせ、出された宿題をこなす。一週間もすれば、流石に慣れてくる。
それは、目の前に座る教師も同じだ。
常に同じ表情の正武家に苦手意識を持っていたが、今はそうでもない。
授業中とはいえ、こうしてたわいもない会話を挟むことで苦手意識を少しずつ無くしていった。
「楽しめてるか?」
「はい!」
勉強という行為には違いなく、面倒だし気乗りはしないのは相変わらず。にも関わらず、宗次郎は即答した。
舞友との一件があったにもかかわらず、鏡たちはあれからも宗次郎によく話しかけてくれた。
純粋に嬉しかった。宗次郎が受けた授業のいくつかがかぶっていたのは偶然の産物に感謝している。
なので、授業終わりや休み時間に一緒に勉強する機会が増えた。
正直、鏡たちと和気藹々と勉強する方が楽しい。舞友や燈に教えてもらうとつい、頑張らなきゃ、と肩に力が入ってしまうのだ。
無論、鏡たちも卒業試験を受けるので頑張らねばならないのだが、同じ目標に対して切磋琢磨しあえる仲間がいるというのはありがたかった。
おかげで知識の吸収に対して前向きになり、宗次郎一人でも勉強するようになった。
その結果、舞友の態度は柔らかくなり、事前に伝えていれば訓練場に行っても文句を言わなくなった。
━━━ま、単純に二人から教わる機会も減ったしな。
舞友は近々行われる体育祭の準備に取り掛かっている。燈もよく波動庁へ出向くようになったし、そろそろ妹の眞姫が帰ってくる頃だ。
どちらも宗次郎の勉強程度で邪魔する訳にはいかない、重要な用事だ。
「それは結構だ。特に歴史の授業は真剣に聞いてくれていて助かるよ」
「そうですか?」
正武家の指摘に宗次郎は首を傾げつつ、どこか納得していた。
確かに科学や数術より学んでいて楽しいと感じられる。
━━━多分、あれだろうな。
燈の剣になるにあたり、宗次郎はかつての主、皇大地そっくりの第一王子である皇柳哉と問答をした。
国がどうなってほしいか。
その問いに対して、宗次郎は明確な回答ができなかった。
今まで戦っていてばかりで、国の行く末なんて考えたこともなかったから仕方がない。
だが、『初代国王の超える王になる』という夢を持つ燈のそばにいるのであれば、宗次郎も自分なりの答えを持たなくてはならない。柳哉との話し合いで、宗次郎はそう痛感した。
その答えを見つけるために、歴史の授業は宗次郎にとっていろいろな気づきを与えてくれるものだった。
天修羅を倒し、妖を駆逐して誕生した皇王国。その一千年の歴史を紐解き、時代の流れとときの国王の政策を知る。
これがなかなかに楽しいものだった。
「いい傾向だね。国に限らず、人だって過去というものがあるからこそ今があるんだ」
優しく微笑む正部家に宗次郎は頭に浮かんだ疑問をそのままぶつけた。
「先生はずっと教師をやってたんですか?」
「いや。私は二年前まで波動犯罪捜査部にいたんだ。君たちが敵対した天主極楽教とも何度も戦ったよ」
「そうだったんですか?」
以外な返答に驚きつつ、宗次郎は内心納得していた。
学院長の津田がなぜ正武家を宗次郎につけたのか、わかった気がした。波動犯罪捜査部に進路を希望している宗次郎にとって教師役としてこれ以上ない存在だ。
「機会があったら現役時代の話もしてあげるよ」
「ありがとうございます!」
「ふふ、楽しみにしていてくれ」
正武家も一息つき、近くにあったお茶に手を伸ばす。
「では、この学院について思うところはあるかな」
「思うところ、ですか」
「ああ。改善すべき点、といってもいいな。この学院に長くいる俺や他の生徒にはない、きたばかりの宗次郎の意見を聞かせてくれ」
「はぁ……」
宗次郎は頭を掻いた。
ない、と言ってしまうのは簡単だ。だがきっと正武家は忌憚のない意見を求めている。
━━━ええい、ままよ!
もとより嘘をつくことも苦手なのだ。宗次郎は正直に話すと決めた。
「やっぱり、身分の差というか、波動の腕前による格差は聞いていたよりひどいですね」
鏡たちと雅俊が起こした食堂での言い争い。実は、あの程度は小競り合いのようなものらしい。現にこの一週間、学院内の至る所で目撃した。平民のくせに、貴族なのにという恨み節なんて何度聞いたか分からない。
ひどい時には取っ組み合いの喧嘩になり、風紀委員が仲裁に乗り出していた。
「やはりか……」
正武家は重いため息をついて、湯呑みを机の上に置いた。
「この格差はずっと昔からあるものだ。私が学院に通っていた頃も、そのずっと以前からも。根深い問題だよ、全く」
「権力のあるなしとか、構造が単純なだけ難しいですよね」
「ほう。宗次郎はそう考えるか」
意外そうな顔をして顎を撫でる正武家が、宗次郎にとっては意外だった。
「先生は違うと?」
「そうだな。例えば━━━」
正武家は椅子に座り直し、続けた。
「波動の素養を持つ貴族とそれを持たない平民というのは、あくまでわかりやすい基準にすぎない。実際のところ、貴族同士、平民同士でも争いはある。特に貴族同士の争いは酷いものだよ。配下たちを巻き込んで大乱闘を繰り広げる」
「……」
三塔学院は波動について学べる唯一の学術機関だ。唯一なので波動の才能があるものはどんな家、どんな境遇だろうと招かれる。ときには対立する貴族の家の子供が同時期に入学することもあり得るのだろう。
「そんな大ごとが起きているのに、学院側はなんの処置もとっていないのですか?」
「そうだな。推奨とはいかないまでも暗黙の了解として見過ごしている部分はあるよ。その理由を聞きたいかい?」
宗次郎はコクコクと頷いた。
「波動は本人の努力次第でいくらでも伸ばせる。私たちはそう信じているからだよ」
正武家の答えに、宗次郎は何も言えなかった。
「平民の生まれだからといって、波動の素養がないものばかりではない。逆もまた然りで、貴族の生まれだからと言って波動の素養があるとは限らない。そして、生まれ持った素養にかまけていては当然強くなれない。必要なのはその素養を適度に伸ばしつつ、自分と違う他人と手を取り合うことだ」
そのために学院という学舎があり、私のような教育者がいるのだ、と正武家は告げた。
正武家の言う通り、鏡も雅俊も言い争っていながらも宗次郎相手に協力して戦いを挑んできた。日常生活ではギスギスし、時には喧嘩を起こしても、協力するときは協力するらしい。
「だからこそ、私は問題の本質は波動の素養のあるなしではないと考えているんだ」
「では、問題の本質━━━」
肝心なところでピロピロ、と宗次郎の端末が音を立てた。
「すみません」
「いや、いいさ。タイミングとしてはむしろちょうどいいかな?」
授業中に端末が鳴るなど言語道断であるのに、なにもおとがめなしだった。
首をかしげる宗次郎に正武家はおもむろに告げた。
「その端末こそ、学院にはびこる対立の原因といっても過言ではないからね」
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