第四章 第十五話 初登校 その2
複雑な胸中で制服に袖を通した宗次郎が一階に降りると、舞友が待っていた。
「おはようございます。時間通りですね、兄さん」
「おはよ、舞友」
朝の挨拶を交わす。家族だというのにどこかよそよそしいのは、ここが学院だからではない。
「時間割については把握していますね? 教科書はちゃんと持っていますか?」
「ちゃんとやってるよ」
オカンか、と思ったが突っ込むような真似はしない。そんなことをしたら舞友の機嫌がどうなるか、火を見るよりも明らかだ。
それでも、舞友の口調も確認するよりも咎めるような言い方だから、宗次郎も反発するような言い方になる。
そうなれば当然、二人の間に流れる空気は悪くなる。
━━━やべ。
まずいと思った宗次郎は咳払いをした。
「それにしても、集合時間にしては早すぎないか? 授業までまだかなり時間があるだろ?」
「ここから徒歩で移動しますので」
「……もしかして、いつもこうなのか?」
「そうですよ?」
当たり前でしょう、というように舞友は首を傾げている。
生徒会棟は学舎区画の端にある。授業が行われる校舎は中心に位置するので、歩きで移動するとなると非常に不便だ。
「大変だな」
「別に。もう慣れましたから」
そっけなく答える舞友に、宗次郎は言葉が続けられなくなる。
「無駄話はここまでにして、そろそろ行きま━━━」
「おはよう。二人とも」
頭上から声がする。見上げると、燈が階段の上にいた。
「おはよう、宗次郎。舞友」
「おはようございます、燈」
「おはよ、燈。今日は出かけるのか?」
燈は私服ではなく、八咫烏の衣装を着ていた。漆黒の衣装に身を包むときは、だいたい公務があるときだ。
「そうよ。波動庁の方に、少しね」
「そっか」
きっと天主極楽教がらみだろうな、と宗次郎は想像する。
「どうぞ」
舞友が扉を開けると、入り口付近に黒塗りの車が止まっていた。宗次郎が乗ったこ
とのある装甲車よりは小型で、扉に八咫烏のマークがついている。
「よかったら途中まで乗っていく? 三人なら乗れるわよ」
「乗りた━━━」
「結構です。私たちは徒歩で移動しますので」
「……そう」
提案に乗ろうとした宗次郎を遮った舞友に、燈も言葉が出ないらしい。
「じゃあまた、宗次郎。授業頑張って」
「おう」
燈を乗せ、エンジン音を響かせて走り去る車を見送る宗次郎と燈。
「兄さん、自分が学生だという自覚を持ってください。車で移動だなんて……」
「悪かったよ」
小言を言われて項垂れる宗次郎。
やがてどちらともなく歩き出した。
宗次郎にとっては一週間ぶりの外出だ。朝日が登り、彼方に見える白と灰色の学舎を美しく照らしている。備された道路は歩きやすく、植えられた木々が風に靡いている。気候は暖かかいが、梅雨の訪れを感じさせるように雲が多い。
時折楽しそうな笑い声が響いてくる。宗次郎と同じく通学している学生のものだろう。
━━━学園生活、か。
子供の頃に見ていたドラマでしか見たことのない場所に、宗次郎はようやく足を運べるのだ。
その実感はいまだに湧かない。
「今日の授業は一般教養と語学ですよね」
「そうだよ」
手にした鞄にはそのに科目の教科書がしっかりと入っていて、ちゃんと重さがある。
今日は最初の授業ということで、授業について来れるのか、生徒とうまく馴染めるかなど、反応を見るらしい。
つまり、お試しだ。
━━━これで授業についていけなかったら、また缶詰のように部屋に押し込められるんだろうか。
ない、と言い切れないのが怖いところだ。隣を歩く妹はそれだけのことをしかねない。
━━━ま、乗り切ってやるさ。
舞友の機嫌は悪かったが、教え方は悪くなかった。燈もそうだ。おかげで少しは頭
が良くなった……ような気がする。
「あ、そうだ。兄さん、これを持っていて下さい」
「?」
舞友がカバンから分厚い紙の束を取り出す。
「あのー、これは?」
嫌な予感がした宗次郎は紙の束を見ずに質問する。
「宿題です。授業が終わったら目を通して下さい。もちろん、全部ですよ」
「……」
見なかったことにするように、宗次郎は静かに鞄の中に紙束をしまう。
「……」
学舎が近づくにつれて、多々でさえ発言が少ない舞友と宗次郎は無言になる。
生徒が増えるに従い、向けられる視線が露骨になった。
「ねぇ、あれって━━━!」
「あの腰に下げているのって!」
「話しかけなさいよ!」
「……強いな。流石に」
「なんで副会長が一緒なんだ?」
「ご兄妹だからでしょ?」
遠巻きながら観察されるのも、ひそひそと噂されるのも、とっくに慣れている。剣爛闘技場でも王城でもそうだった。
「ここまで道案内すれば、大丈夫ですか?」
「あぁ、すぐそこだしな」
第二学舎と看板が立て掛けられた白亜の建物の前で、舞友が提案する。
言葉に少し余裕がない。衆人の目に晒された経験のない舞友には少しきついようだ。
「ありがとう」
「いいんです。では」
別れを告げた舞友はいつもの足取りで別の学舎へ向かっていった。
━━━強いなぁ。
宗次郎も鞄を持ち直して、学舎の中に入る。緑色の床、白い壁、柱は木造の名残が見える。
━━━えっと、イ━八、イ━八……。
階段のそばにあった地図によれば、一階の端にある教室らしい。特に迷うことなく教室にたどり着きそうだ。
その間中も、すれ違う生徒たちから好奇の視線を向けられる。
当然、教室の扉を開けた瞬間には座っていた生徒たちが一斉にこちらを向いた。
━━━お、おおう。
流石の宗次郎も、数十の顔が一斉にこちらを向いてたじろいでしまう。
かと言って逃げるわけにもいかないので、適当に教室の隅にある空いている席に腰を下ろした。
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