第一部 第二十三話 たとえどんなに無力でも その3

 燈はいつもとなんら変わらないように見えるし、煙を吸い込んだ宗次郎はなんともない。側から見ると失敗に思える。 


 だが、宗次郎はシオンがいかに本気なのかを面と向かって体験している。それだけに博打を打つとはとても思えなかった。


「念のため、あくまで念のためにさ。誰かに診てもらった方がいいんじゃないか」


「ダメよ。診る人間が裏切り者だったらどうするの」


「……そうだったな」


 宗次郎は頭をかく。また軽率な行動をして燈に迷惑をかけるところだった。


「すごい落ち着いているな。怖くないのかよ」


「それはそうよ。王宮ではこの程度、日常茶飯事だもの」


 しれっと言う燈に、宗次郎はため息が出た。


 自分の命が狙われているにも関わらず、いつも通りに振舞っている。本当になんとも思っていないのだろう。


「いい? 今日の出来事は誰にも喋らないで。私との会話も、シオンとの出会いも、毒の波動符についても。全部よ」


「……門さんにも、か」


「当然よ。彼が裏切っている可能性を、あなたは否定できるの? 裏切っていないと信じたいだけでしょう」


「う」


 図星だった。


 宗次郎が最も信頼を寄せる相手すら、燈にとっては敵かもしれない。宗次郎はその疑念を払拭できなかった。


 薄氷を踏むような恐怖が再び押し寄せる。宗次郎は思わず拳を握りしめた。


「裏切り者が誰か、心当たりはないのか」


「誰も彼も怪しいわね」


「……じゃあ、本当に誰を信じていいのか分からないわけだ」


「そうね、一番怪しいのは……三上兄妹ね。あなたには悪いけど」


 気を遣ってくれたのか、燈は若干言いづらそうに告げた。


「その理由は?」


「神社を調べたら、天斬剣を守るために貼られた結界が解除されていたの。それも正式な手順で。結界の術式は代々の宮司に口伝でのみ継承されているから、シオンがあの短時間で解除できるとは思えないわ」


 神社での奇襲は完璧だった。燈が神社に来る時間帯を知っていなければあのタイミングで爆発を起こしたり出来ない。


 そして、燈が来る時間帯を知っている、もしくは推察できるのは、小隊のメンバーと練馬、宮司の結衣だけ。その中で結界を解除できるのは結衣だけだ。


「そもそも、三上結衣は正式な宮司ではないのよ」


「そうなのか?」


 そういえば、宗次郎と初対面の挨拶をしたとき、自身を代理と言っていた。


「神社の宮司は代々、藤宮家が務めていたのよ。藤宮家は貴族ではないけれど、初代国王から宮司を任されてからずっと刀預神社を見守ってきたの。けれど十年ほど前、貴族との権力争いに巻き込まれた。藤宮家は敗れ、当主は屋敷に火を放って、家族全員自害したとされているわ」


「えぇ……」


 宗次郎は口を手で覆う。


 あの美しい神社を巡って、裏で血みどろの権力争いがあったなんて。


「別に珍しい話じゃないわよ。揉めていた貴族もすぐに没落したらしくて、詳しい資料は残っていないのよね。あぁ、それと」


 燈は顎に手を当を当て、顔を上に向けた。


「十年くらい前に、先代の宮司が家族全員で王宮を訪れていたことがあるらしいわ。揉めていた貴族との調停を国王に申し入れるために」


「なら、面識があったとか」


「……覚えていないわ。子供の頃の話ですもの」


「そっか」


 どうあれ火災のせいで一家は全員死亡し、代わりに巫女の中から優れた才能を持つ女性を宮司代行として任命された。その女性こそ三上結衣なのだそうだ。


「つまり、結衣さんの兄である門さんも疑わしいってわけか」


「そうよ」


 宗次郎は頭をかいた。裏切っている人間が一人とは限らないのだ。


「他には。他にはいないのか?」


「他にいるとすれば、……南練馬みなみれんまね」


自分のお目付役だというのに燈の返答は実にあっさりしていた。


「本当か? 君のお目付役になるくらいだから、身分調査とかしっかりしてるんじゃないのか」


「そうね。ただ、用心に越したことはないわ。彼が裏切っていた場合、こちらの損害が一番大きいもの」


 仮に練馬が裏切っていた場合、その権限で小隊を自由に動かし、四人の波動師を燈の意に反して行動させることができる。そうなったら燈の戦力は大幅減だ。


 そこまで思考がめぐり、宗次郎は察知した。


 燈は自分に気を使ってくれたのだ。裏切る可能性が高い人物に宗次郎の一番身近な存在である門を選んだため、燈も自身の身近な存在である練馬を候補にしただけだ。


 燈自身、練馬が裏切っているとは考えていないのだろう。仲が悪くても付き人として共に過ごした時間はあるし、二ヶ月前に天主極楽教とも戦っている。


 燈の言う通り、用心に越したことはないのだろうけど。


「一つだけ聞いていいか」


「何?」


「燈は一体、何を信じて生きているんだ」


 記憶を失ってからの宗次郎は無意識に人を信じてきた。そうせざるを得なかったし、何より嘘を吐かれたり騙されたりしても、きっと気づきもしなかった。


 だからこそ、誰も信じられないという状況は絶望でしかない。どのような顔をして何を話せばいいのかまるでわからなくなってしまった。


 燈はそんな地獄こそが日常だと言った。そこになんの躊躇もなく、悲観もなく、呼吸をするように平然と言ってのけたのだ。


「決まっているでしょう」


 燈は少し呆れたように、されど確かな口調で告げた。


「自分自身よ。それ以外に信じるものはないわ」


 はっきりと宣言する燈に改めて実感させられる。


 住んでいる世界が違いすぎる、と。


 ━━━俺は、どうすればいいんだろう。


 土手で自分を見つめ直して迷いは吹っ切れたはずなのに。一日も経たないうちに同じ問いかけをしている。


「でも、そうね」


 落ち込む宗次郎を知ってかしらずか、燈はため息を吐いた。


「今回は状況が状況だもの。訂正するわ」


「訂正?」


 燈はじっと宗次郎を見つめている。今までの凍りつくような視線と違い、どこか優しさを感じる。


「誰も彼も怪しいとは言ったけれど、一人だけ怪しくない人物がいるわ」


「それは?」


「あなたよ。もう、鈍いわね」


 呆れている燈に宗次郎は妙に納得する。


 宗次郎は天主極楽教とは縁もゆかりもない。それどころか記憶がないのだから当たり前だ。


 何よりシオンが宗次郎を仲間にしようとしていたという事実は、逆説的に宗次郎が無関係であることを証明している。


 ━━━だとしても、俺にできることなんて……。


「ほら、また」


「え?」


「自分には何もできないって顔しているわよ」


 またも考えを見抜かれる宗次郎。顔を上げると、燈と目があった。


 ━━━あ。


 燈の目はいつも厳しそうで、何かを射抜いているんじゃないかと錯覚するほど鋭い。


 それが今はどこか柔らかくなっているような感じがする。


「宗次郎」


 時間がゆっくり流れる感覚。燈の瞳から目が離せない。


「あなたは、私を信じられる?」


「もちろんだ」


 宗次郎は即答した。


 自分にできることは少ない。そんなこと分かっている。


 分かった上で、燈は宗次郎を信じると言っているのだ。


 ならば宗次郎のするべきことは一つだ。


 英雄になりたい。その夢を叶えるために行動するのみだ。


 そして、宗次郎が憧れた英雄は強さだけでなく、主人であった初代国王の夢も叶える忠誠心を持ち合わせていた。


 今の宗次郎に力がないのなら、せめて。


 憧れた英雄のように、主に忠誠を誓おう。


 英雄になりたいという夢をはっきりと自覚できたのは、燈のおかげなのだから。


「そう。なら━━━」


 燈は拳を宗次郎に突き出した。


「私の命令に従う。自分にできることをやる。この二つを全力でこなし、私への忠誠を誓いなさい」


「分かった」


 約束の儀式だ。宗次郎は燈の拳に自分の拳を向ける。


「その代わり、私があなたを守るから」


 コツン、と軽い音を立てて拳がぶつかり合う。


「「約束をここに」」


 何とも不思議な気分だった。燈とは身分も実力も正反対なのに、なぜか二人でいても緊張しない。


「俺は自分のできることを全力で行い、燈の命令に従う」


「私は全力をかけてあなたを守る」


 約束を燈と交わす。


 ━━━燈には感謝してもしきれないな。


 道場で自分を見失い、自分の迂闊さのせいで自暴自棄になり。その度に燈のおかげで前を向けている気がする。


「うふふ、これで宗次郎は私のものね。髪の毛の一本から血の一滴に至るまで、全部私に捧げなさい」


「ああ。わかってる」


 宗次郎は意を決して、大きく息を吸い込んだ。


 もう迷う必要はない。これから自分のやるべきことは決まった。


「さ、道場に行くわよ」


「へ?」


 横たわっていた燈はスッと起き上がり、軽い準備体操を始める。


「なんの冗談だよ。第一、風呂入ったあとだろう」


「う」


 燈は急に胸を押さえてうずくまった。


「胸が苦しいわ。さっきの毒のせいね……。これは道場で体を動かして、ちゃんと確かめないとダメかも」


 苦悶する第二王女。いたずらっぽい笑みを浮かべていてどこかゆとりがありそうなものの、責任を追及された宗次郎には指摘できない。


「もちろん、付き合ってくれるわよね」


「……お手柔らかにお願いします」


 手加減の可能性が限りなくゼロであっても、頭を下げざるを得なかった。


 その夜、道場には激痛に耐える男性の声が響き渡ったそうな。

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