第一部 第二十四話 たとえどんなに無力でも その4
次の日、宗次郎はずっと別荘にいた。
門からは一緒に外に出てシオンや天斬剣を探そうと提案されたが、疲労が溜まっていると理由をつけて断った。実際色々ありすぎて疲れすぎていたのは事実だ。
本当は、ただ周囲とどう接すればいいのかわからず、とりあえず距離を起きたかっただけだ。
おはようと挨拶を交わすだけで、胸にチクチクと痛みが走る。
他人の動作を常に意識し、顔色を伺う。
何気無く交わされる会話の内容が気になってつい聞き耳を立ててしまう。
この屋敷の中に裏切り者がいる。猜疑心のせいで宗次郎の心に黒い雲が立ち込める。
日常が普段使わない神経を何倍も酷使する重労働になってしまった。
「あなたは過敏に反応しすぎよ。気にしないようにしなさい」
疲弊している宗次郎に、燈はそう言い放った。
燈の体調は問題なさそうだ。昨日の夜、道場で宗次郎相手に剣を振るっていた際も、宗次郎をコテンパンにした朝と同じように動けていた。
燈のいう通り、毒の波動符は失敗作だったのだろう。
宗次郎は外に出ない代わりに燈の仕事を手伝った。門や森山から定期的に上がってくる報告をまとめ、地図に位置情報を記載をする。
今朝、燈は八咫烏たちにさりげなく宗次郎がシオンと出会った場所の近くを探すよう指示した。おかげでその周辺では、シオンを見かけた市人が見つかり、いくつかの情報が上がった。
どうやらシオンは一ヶ月ほど前にこの市に来ていたらしい。気さくで明るい美人さんが最近引っ越してきたと話題になっていたそうだ。
ただ、やはり宗次郎が連れ去られていた家はもぬけの殻で、他の手がかりは見つからなかった。
「宗次郎、もう少し周囲を捜索させてから戻るように指示を出しておいて」
「わかった」
全員にメールを送信して一息つく。
━━━すごいな。
地図とにらめっこしている燈を見て、今さならがら感嘆する。
練馬や八咫烏、裏切っているかもしれない部下と接する様子は昨日と全く変わっていない。電話で下す指示は的確かつ明瞭で、全員を別の場所に分けながら誰が裏切り者でも情報が全て漏れないよう徹底していた。
宗次郎は以前テレビで放送していた将棋の対局を思い出した。ルールは知らなくとも、向かい合って真剣勝負をしている二人の気迫が伝わった。今の燈からも同じものを感じられる。
シオンの戦略がそれほど見事なのだろう。人手が足りない刀預神社へ事前に潜入し、天斬剣を盗みなおかつ燈を迎え撃つ準備を整える。整ったら燈が壊滅させた組織の名前で手紙を出し、彼女を隠密におびき出す。到着したら仕掛けた罠を起動させ、天斬剣を盗むと同時に暗殺を決行。
暗殺できればよし、できなくなったら天斬剣とともに身を隠せばいい。儀式を成功させるために燈は仲間が数少ない中で天斬剣を探さねばならず、しかも裏切り者とシオンにも注意を向けなければならない。
「……ふう」
「お茶、淹れる」
「ん」
静かに頷いた燈は急須から注がれたお茶を口に含んだ。
広げられた地図には捜索した場所が○印でわかるようになっていた。市の外側から中心に至るよう、円を描いて捜索している。全体のおよそ五分の一を探した結果、決定的な手がかりは見つかっていない。
「なあ、シオンを探すより天斬剣を探したほうがいいんじゃないか? 八咫烏なら波動を感知できるだろうし」
地図を見ながら宗次郎はそう提案した。
波動を覚醒させたのなら、程度の差はあれ波動を感知できる。天斬剣には強力な封印の波動術が施されていると聞いた。なら感知すれば間違いなくそれとわかるだろう。
一方、シオンは裏切り者から情報を得られれば、こちらが前もって探すエリアを把握できる。なら、見つからないように前もって移動することは十分に可能だ。前もって準備をしていたのなら、身を隠す拠点はいくつか用意することもできる。波動を極限まで弱くして隠れていれば、見つかる可能性は低い。
儀式が五日後に迫っていると考えると、より可能性が高い方に重点を置いた方が良い気がした。
「確かに、儀式を成功させるだけなら天斬剣さえあればいいわね」
湯のみを置いて燈は宗次郎を見据える。
「でも、感知は無理でしょうね」
「どうしてさ」
「波動は遮断できるからよ。これを見なさい」
そういって燈は手錠を取り出した。見たところなんの変哲も無い。そういえば、練馬が八咫烏や門に配っていたような気がする。
嗜虐的な笑みを浮かべる燈によく似合っているのがなんとも複雑だった。
「鉛をふんだんに使っていてね。波動師を捉えるための手錠よ」
「へえ」
宗次郎は一から波動に関する基礎を学んでいる。金属は波動を吸収し、蓄え、さらに増加させる性質があると教えられた。波動師は生身でも波動術を使えるが、剣や錫杖などの波動具を利用すればより強力な術が使えるのだ。
唯一の例外として、鉛を使用した特殊な合金は波動を弾く性質を持つ。
「この技術を応用すれば、天斬剣にかけられた封印の波動を遮断できるわ」
「ふうん」
手錠以外にも、表面に合金をコーディングした盾や、犯罪者を捉えるための施設にもこの技術は使われているそうだ。
「ん? 封印がかけられているのか?」
「ええ。強力な波動具ですもの。悪用されないよう、初代国王が百人以上の波動師を導入して施したそうよ」
千年前の戦いで名だたる英雄たちが使用した波動具は今も残っている。十二神将たちが己の武器として使われるもの、国宝や家宝として保管されるものと用途は様々だ。後者に関してはどれも波動術により封印がされていて、天斬剣の封印ははその中でも強力な封印がかけられている。
「噂によると先代の宮司だった藤宮家の家宝は、封印を解く鍵とされているわ。ただ、火事で焼失してしまったから、もう誰も使えないでしょうね」
「そうか」
つまるところ、シオンを捕まえて天斬剣のありかを聞き出した方が現実的な手段なのだ。
宗次郎はまじまじと手錠を見つめた。
「試しにつけてみる?」
「やめとく。どうせ外してくれないだろうし」
「残念」
いい加減、宗次郎も燈のイラズラパターンが読めてきた。その手には引っかからない。
「裏切り者を見つけ出して、そいつから聞き出すのはどうだろう」
「難しいでしょうね。今のところ全員が怪しいもの。時間が足りないわ」
燈はため息をついた。
この屋敷にいる人間はもちろん、刀預神社を預かる結衣すらも対象になる。厄介なのは市長のような権力者がバックにいるケースだ。手のつけようがない。
「どうかした?」
燈が宗次郎を静かに見つめている。
何を考えているのかよくわからない無表情に宗次郎はたじろいだ。
「他にも方法があるなって。あなたの記憶と波動が戻れば、タイムスリップができるのにと思っただけ」
燈の悪魔的な発想に宗次郎は面食らった。
「過去を変えるつもりか?」
「そうね。あなたでも、私でもいいわ。神社で爆発が起きる前の時間に移動できれば、前もって天斬剣の強奪を防げるかもしれないでしょう?」
「理論上は、な」
宗次郎の波動は時間と空間に作用する。ならば過去や未来の時間軸に移動できたとしても不思議ではない。
ならば未来の出来事を知る特権を利用して、過去の事象を変えられるかもしれない。燈はそう考えているのだろう。
「その言い草だと、経験がありそうね」
「……子供の頃の話さ。使用人が準備したどら焼きが不味かった。それで自分の精神を一時間前の過去に飛ばして、料理長にどら焼きをやめて羊羹を作って欲しいと頼んだんだ」
師匠と出会う前のわがままな宗次郎が起こしたトラブルの一つである。
「本当に、未来を変えたのね。他には何か変えたの?」
「いや、変えてない。師匠から軽々しく使うなって念を押されたからな」
修行の一環として過去や未来にタイムスリップする波動術を開発しようとした矢先、引地に相談した。
おやつを変えた自分の経験を伝え、この能力を活かせば他にも応用が効くのではないのか、と。
すると引地は真剣な表情でやめておけと宗次郎の頭を撫でた。
「過去や未来にこだわらず、今を精一杯生きるよう努力しろって。まあもっともな話だ。他にも難しい概念。タイムなんとかがどうとか」
「タイムパラドックスや、パラレルワールドのことかしら」
「そう。それ。例えば過去に飛んで、天斬剣の強奪を防げたとする。その結果が果たしていい未来を呼び込むかは誰もわからない。ヤケになったシオンが毒の波動符で俺たちごと自殺する可能性だってあるだろう?」
「む」
燈は口をつぐんだ。
過去の出来事が変わったら、その未来に何が起きるのか誰もわからない。一時間程度の移動、それもおやつが変わるくらいならまだいい。
歴史上の重大な転換点が変われば、何が起きるのか想像もつかない。
「まあ、波動を著しく消費するから、軽々しく使えない。一週間も過去に飛んだら、俺は死ぬ」
宗次郎が持つ波動の弱点はその燃費である。迂闊に空間をいじったり時をコントロールしようとすると、波動の消費に耐えきれず、指一本動かせないほど疲労してしまうのだ。
ちなみにおやつを変えた際は、三日三晩寝込んでしまった。なんとも割に合わない使い方である。
「なんだか不便な波動ね」
「そうでもないよ。考え方次第さ」
宗次郎は燈の隣にある椅子に腰を下ろした。
「時間といっても、対象によるんだ。世界全体に流れる時間と、自分自身に流れる時間は違う。前者をコントロールしようとすると膨大な波動が必要になるけど、後者は少なくて済む」
師匠と過ごす間、宗次郎は時間と空間の波動について色々と試したのを覚えている。
「例えば、自分に流れる時間を加速させれば、活強(かつごう)を使うよりも早く動ける。逆に時間感覚を緩めれば、世界の時間が止まったように感じられるんだ」
「難しい概念ね」
「だろう? ま、波動を失った今となってはなんの意味もないよ」
「……そうね。たらればの話はやめましょう。私らしくなかったわね」
燈は再び地図を眺め始めた。
━━━らしくない態度をするほど追い詰められているのか。
宗次郎は足りない頭をフル回転させた。
状況が不利すぎる。シオンからすれば、逃げ切るか天斬剣を隠し通せば勝ちなのだ。
「うつむかないの」
「でも……」
暗い顔をする宗次郎に対して、燈は普段通りだ。少しの疲れも見えない。
「大丈夫。必ず見つけ出してみせる。私は初代国王を超える女王になるの。ここで躓きはしないわ」
前に宣言したときと同じ、強い覚悟と信念が宿っていた。
その様子を宗次郎はじっと見つめた。
「どうしたの?」
「いや、そういえばシオンも同じような顔をしてたなって」
「それは、いつ?」
「……この作戦で燈を殺すって目標を話したときだな」
内容が内容だけに、少しためらいながら宗次郎は口を開いた。
「ふうん。そう」
燈は怒るかと思いきや、腕を組んで考え込んでしまった。
後味の悪い沈黙が続く。何を考えているのか聞きたいような、聞きたくないような。宗次郎は一人悶々としていた。
「ただいま戻りましたー」
沈黙を破る元気な声が玄関から響く。森山が帰ってきたようだ。
こうして二人の作戦会議は終了した。
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