第一部 第二十話 人探し、自分探し9
その正体は、星に住む生き物をエネルギーとして吸収し、宇宙を旅し続ける生命体とされている。
この星に来た天修羅は擬態能力を使って人類と接触し、細胞侵食能力で人々を妖へと変貌させた。恐ろしいほどの力を持ち、一時期は大陸の七割を支配下に置いた。
最終的に、皇王国初代国王である皇大地と彼の剣により倒されたが、その戦いでは実に三百万人以上もの犠牲者が出た。
今もなお人類史上最強の敵として語り継がれ、宗次郎が読んだ絵本でも禍々しい姿で描かれている。
「復活って。初代王の剣によって天修羅は討伐されたんだろう。だから大陸は統一されて、俺たちは平和に暮らしてるんじゃないか」
「平和? 平和ですって。笑っちゃう。平和なのはあんたの周りだけよ。この中堅貴族のお坊ちゃんが」
シオンは静かに激怒していた。その迫力は住宅市で見せたものとは段違いだ。宗次郎は体を強張らせる。
「現実を教えてやるよ。確かに王国記では、天修羅は討伐されたと書かれている。残った妖もそのほとんどが駆逐された。でもね」
シオンはゆっくりと足を組み直して、意味ありげに微笑んだ。
「十四件。この数字わかる?」
「いや、知らない」
「ここ一年間の妖の発生件数よ」
「!」
宗次郎は目を見開いた。
昨日のテレビでも倉庫市で妖が大暴れをしていた。似たような事件が十四回も、この大陸のどこかで起きているというのか。にわかには信じられなかった。
「不思議よねえ。天修羅は討伐されたのに、妖が発生するなんて」
シオンは笑っているのに、宗次郎は全然笑えない。
人や動物を妖に変えられるのは天修羅だけだとしたら、発生している妖は一体誰が生み出しているのか。
「何か理由があるんだ。でなきゃ」
「そうね。王国の公式見解だと、討伐しても天修羅の強力な力が残留しているからだ、とかほざいてるわね」
「なら!」
「もし見解が事実なら、妖の発生件数は徐々に低下するはずよ。なのに発生件数は徐々に増えている」
シオンの真剣な、射抜く視線は宗次郎の反論を容赦なくかき消した。現実から目を背けるな、と語りかけてくるように。
体が震えそうな恐怖に怯えながら、深呼吸をして精神を整えた。そうでもしないとやってられなかった。
「じゃあ、天主極楽教は天修羅が今もどこかで生きているって信じてるのか」
「そう。天修羅は宇宙から来た災厄ではなく神の使いであり、我々を人より優れた存在である妖へと昇華してくれる存在なの」
ぶっ飛んだ理屈に宗次郎は目を覆いたくなった。
何より恐ろしいのは、この理屈を信じる国民が、最大の反抗勢力に認定されるほど大人数いるという事実だった。
「ってのがうちの宗教の教えよ。まああたしは割とどうでもいいって感じ。天修羅に関係なく王国はぶっ潰すし。教主のやつは何か情報を持ってたみたいだけど、燈に捕まってこの前処刑されちゃったしねー」
「……そうか」
いいのかよ、とのセリフを今度こそ喉元に押し込む。
あっけらかんとしながらシオンは手のひらを振った。どうやらあくまで組織の方針に従っているだけであって、天修羅にはあまり関心はないらしい。
「ま、生きていても不思議はないけどね。この国は嘘つきだらけだし。あんたもそう思うでしょう?」
「なんでさ」
「あんた、この国のせいで行方不明になったようなものじゃない」
不思議そうな顔をする宗次郎をよそにシオンは続ける。
「だってさー考えてみなよ。あんたの波動の属性は知らないけど、研究所に興味持たれるくらいだからレアモノだったんでしょ。どんな理由であんたを実験材料にしたか知らないけど、体良く利用しようとしたに決まってんじゃん」
「……」
「憎くないの? 記憶も、波動も、未来も、全部奪われたのに。それとも憎む心すら無くしちゃった?」
シオンの問いかけに、宗次郎は答えられなかった。
実験に参加しなければ、波動が暴走して行方不明にはならなかっただろう。学院に通って、仲間ができて、楽しい青春時代を過ごせたかもしれない。波動を使いこなせば、燈より若くして十二神将に選ばれたかもしれない。妹は穂積家の当主にならなくて済むし、師匠や親父にも胸を張れる男になれたかもしれない。
「てかさー、気になりすぎるから聞いてもいい?」
「なんだよ」
「首のそれ何? おしゃれのつもりならマジ気色悪いからやめた方がいいよ。それともそういう趣味? キモーイ」
「!」
首輪を指摘されていると気づいて、宗次郎は顔が爆発しそうになった。
燈との勝負に勝てなかったから首輪は外してもらえなかった。屋敷を飛び出した時から付けっ放しのままだった。
もしかして、燈と帰るときにジロジロみられていたのは首輪をつけたままだったからなのだろうか。頭巾をかぶった謎の女と首輪をつけた男性の二人組が周りからどう思われているのかを想像してしまい、宗次郎は声にならない声を上げる。
「ねーねー、なんで首輪なんて付けてんのよー。答えなさいよー」
動けないのをいいことにシオンは足で宗次郎を小突く。もう完全に遊ばれている。
「あ、わかった。記憶が戻るおまじないとか」
「違う。これは燈が━━━」
つい意地を張ってしまい、真実を口にする。口を閉じてももう遅かった。
燈がつけた、という事実を知ったシオンは真顔になり、下を向いて小刻みに震えだす。
そして、
「あっはははははははは! 何それ、信じらんない! あいつの私生活ってそーゆー感じなの! びっくり!」
目に涙を浮かべるほど大爆笑してベッドの上を転がりまくる。その大声は家が揺れるんじゃないかと思うほど響き渡った。
何が起こるのか見当もつかず身構えていた宗次郎はあっけにとられていた。羞恥心は相変わらずあるが、それ以上にシオンに見ほれていた。
なんというか、今のシオンはしっくりくるのだ。なんのしがらみもなく、心の底から楽しみ、笑う。その様はとても輝いて見えたのだ。
「はぁ、はぁ。ふふっ、いいこと思いついた」
息も絶え絶えになる程笑い転げたシオンは、再び意地の悪い笑みを浮かべる。
思いついたのは絶対ろくな内容じゃない。宗次郎は確信した。
「その首輪、切ってあげようか」
「は?」
シオンは刀を構えて、これで切ってあげると言いたげにチラつかせた。
むしろ断ったら首を切られそうで怖いので、宗次郎はもはやどうしていいのかわからない。
「もちろんタダじゃないけどね。条件を飲んでくれるなら、その首輪を切ってあげる」
「……条件って?」
案に相違した申し出に、つい反応してしまう。
「私に協力しなさい」
「は?」
宗次郎の反応を楽しむようにシオンは刀をくるくると回し始めた。空気を切る音が生々しく聞こえる。
「一体何がしたいんだ」
「あたしはね、この作戦で燈を殺すの」
そう言い放つシオンの目には真剣さだけがあった。燈が初代国王を超える王になると宣言するときと同じか、それ以上の固い決意が感じられる。
「2ヶ月前の戦いは邪魔が入ったせいで逃げるしかなかった。けど今回こそ━━━」
「なんで燈を殺すんだ」
「理由なんてどうだっていいでしょう。あたしはこの国が嫌い。絶対に滅ぼしてやるわ。その手始めがあいつってだけ」
少しの間だけシオンが目を逸らしたのを、宗次郎は見逃さなかった。
何かあるとは思ったがこれ以上聞いても答えてはくれないだろう。むしろ踏み込んではいけない気がして、宗次郎は話題を変えることにした。
「俺に燈を殺すなんてできっこないぞ」
「わかってるわよ。殺すのはあくまであたし。燈があんたの別荘にいるのならいくらでもやり方はあるわ。あなたも手伝ってくれるなら、作戦が盤石になるってだけよ」
「断ったら俺も殺すのか」
「別に。この家に縛られたまま放置するだけ」
真剣なのか、遊んでいるのか宗次郎は判断がつかない。
「どうする? やる?」
「ちょっと待ってくれないか。いきなり言われても」
「じゃあさ」
シオンは宗次郎の首輪を掴んでベッドの端っこに座らせ、なんとしなだれかかってきた。
甘い香りが鼻腔をくすぐり、いやが応にも柔らかな肢体を感じてしまう。自然と脈が上がり、息が上がる。視線をそらそうとするとシオンが顎を掴んで目を合わせてきた。
「協力してくれたら、イイ事してあげる」
近い。鼻に吐息がかかる。試すような笑みから全てを受け入れてくれるような安心感を感じる。
宗次郎はなけなしの覚悟で深く息を吸い込んだ。
「断る」
余計なことを考えると頷いてしまいそうだ。むしろ本能は協力しろと囁いている。否定の言葉を口にしたのは、単純に直感だった。
「ふーん、そう」
シオンは不機嫌になり、少しだけ離れた。
「あたしよりあの女の方がいいわけ? 首輪つけられてご主人様に忠誠を誓う気になっちゃった?」
「ああ、そうかもな」
その返事にシオンは驚いていた。肯定するとは思ってもいなかったのだろう。
やけっぱちで思考はまとまらない。だが自分がどうしたいかは心にちゃんとある。命の危険が逆に開き直りという境地を開かせた。
「俺は絶対に、君には協力しない」
「バカじゃないの。あの女は嘘つきよ。他人を信用しないし、人の大切なものを平気で踏みにじる。あんなののどこがいいのよ!」
怒りのままシオンに首輪を掴まれ、壁に叩きつけられる。痛む後頭部と滲む視界のまま、宗次郎は口を開いた。
「確かに、燈は近寄りがたい女性だと思う。表情は冷たくて何を考えてるかわからないし、無茶振りを言うし、表現に配慮はないし、犯罪者扱いするし、首輪つけてくるし」
「なら、あたしに協力したっていいじゃない」
「いや、しない」
無抵抗のまま殴られ続けるとわかっていても、宗次郎は自分の考えを曲げられなかった。
「君は、本当にそれでいいのか?」
宗次郎自身、何か特別な意図があっての発言ではない。
単純に、燈を殺す話をしているシオンはどこか辛そうだと思ったのだ。
「!?」
何気ない一言はシオンの心を乱した。
首輪を握るシオンの力が弱まる。今度はシオンが問いかけに答えられなくなった。
「君に協力して、燈が殺されて、最終的に王国が滅んだその先には、何があるんだ。その答えがなきゃ今までと変わらない、むしろひどくなる可能性があるじゃねえか。お前らのやってることはただの逃避だ。自分じゃどうしようもないから逃げて、他の何かに縋らなきゃやってられないだけだ」
「な……」
宗次郎自身、何を口走っているのかわかっていなかった。我慢していた何かを吐き出すように、口から紡ぎ出される言葉はとめどなく溢れ出る。
「しかも、よりによってあんな化け物にすがるとはな。天修羅を復活させる? 妖は人より優れた存在? 笑わせんな」
明らかに様子が変化した宗次郎にシオンは戸惑う。
力が湧いてきて仕方がない。自分自身がコントロールできない。神社で味わった、自分じゃない誰かが自身を操るような錯覚に陥いる宗次郎。
「燈は未来を考えてる。あいつはあいつなりに、不器用ながらも先を見据えている。だからこそ俺は力になりたいと思ったんだ。燈はこの国を……え」
この国をどうしたいか、なんて話を燈から聞いてはいない。宗次郎は我に返った。
「あれ? は?」
自分で自分がわからなくなる。今、何を口走ったのか。
いや、違う。
━━━俺は燈を誰と勘違いした?
「ぐっ」
混乱する宗次郎に頭痛が襲う。締め付けられるような痛みに顔を歪ませ、宗次郎はベッドから崩れ落ちた。
脳裏に様々な光景がフラッシュバックする。この市の風景でも、行方不明になる前に見た景色でもない。
━━━約束だ。
頭の中に響く声を、宗次郎は確かに知っている。弱々しいくせになぜが説得力のあるこの話し声を宗次郎は嫌いになれなかった。
俺はこの国を━━━。
「は、ははっ。何よそれ」
頭痛に苛まれる宗次郎をよそに、シオンは戸惑いをなくし我に返ったようだ。再び宗次郎の首輪を掴み、胸ぐらを掴むように目の前に持ってくる。
「好き放題言いやがって」
宗次郎は背筋を走り抜ける悪寒に、止せ、と叫ぼうとする。
しかし発言するより早くシオンの顔が迫り、口を塞がれた。
柔らかく甘い唇の感触。
「んー!」
叫び声を黙らせるかのごとく、シオンは首輪から手を離し、両腕で抱きしめにかかる。
「っは」
じっくりとした口付けから解放された時には、頭痛は消え、入れ替わるように急激な眠気が襲ってきた。
体が燃えるように熱い。燃える鉄を口から流し込まれたようだ。唇を通して得体の知れない何かが自分を侵食する恐怖と拒絶感に、吐き気がした。
「じゃーね。ちゃんとお屋敷に戻りなよ。お坊ちゃん」
薄れる意識の中、シオンの甘ったるいささやきだけが残った。
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