第三部 第十七話 祝宴の席にて その3
「ごめんなさい!海斗さま!」
海斗が体を動かすと、眼鏡をかけた少年が姿を現した。
「あ、燈お姉さま! こんばんは!」
「ええ、こんばんは拓実」
メガネがずり落ちないよう手で押さえながら、少年はペコリと頭を下げ、転倒している電車のおもちゃを拾い上げた。
そして、宗次郎に向き直る。
「穂積宗次郎さん、ですね! お初にお目にかかります。皇拓実といいます」
「
宗次郎は片膝をつき、少年の目の高さに合わせて自己紹介をした。
━━━資料通り、利発そうな子だな。
自己紹介を終えた宗次郎は匠実と名乗る少年を観察した。
闘技場で出会った壱覇より少し大きい。十歳くらいに見える。癖のある黒髪は短くまとめられていて、清潔感がある。来ている水色の羽織はサイズがあっていないのか、非常にゆったりしている。顔の半分を覆うような大きな丸メガネとわきに抱えた参冊の本が、博識そうなイメージを持たせていた。
王位継承権を持つ王族は、剣を選ぶことができる。そして、彼の剣は━━━
「紹介します! 僕の剣である阿波連海斗です! 彼はすごいんですよ! この前も━━━」
「巧実殿下、我々はすでに自己紹介を済ませておりますので……」
「あ、そうでしたか」
てへっと舌を出して残念そうな顔をする巧実を。海斗がいつくしむように見下ろしている。
はたから見ればほほえましく見える光景に、宗次郎は複雑な心境を抱いた。
剣とは信頼の証だ。千年前、宗次郎は初代国王となる皇大地とともに妖と戦った。
宗次郎は『英雄になる』ために。
大地は『すべての国民が幸せに暮らせる国を創る』ために。
互いが己の夢のために、文字通り命を懸けて。
どんな絶望的な状況でも、圧倒的な敗北を喫しても、宗次郎と大地は夢をあきらめなかった。
だからこそ宗次郎は大地を信じ、大地もまた宗次郎を信じた。
そして、何物にも揺らがぬ信頼関係があったからこそ、宗次郎は王の剣と呼ばれるようになったのだ。
二人の信頼関係は後世に影響を残し、現在も剣の選定という形で残っている。
王位継承権を持つ王族は、自身の最も信頼する相手を剣として選ぶことができるのだ。
この制度を利用し、宗次郎は燈の剣になろうとしている。
━━━けど、これは……違うだろう。
親子ほど年の離れた巧実と海斗。仲が良いのかもしれないが、宗次郎は疑問を抱いた。
はたしてこの二人の間に信頼関係はあるのか、と。
建国より千年がたち、時代とともに制度も変わった。
現在、制度は悪用され、力のある貴族が自身に都合のいい王族の剣になるケースが多い。別荘にて練馬から受けた説明を、宗次郎はまさに実感した。
巧実の母親は阿波連家に連なる女性だ。つまりもし巧実が次期国王となれば、海斗は国王の剣となって実権を握れる。
剣の選定は信頼する相手を選ぶものではない。王族は次の国王になるため、貴族は自らの権力を拡大させるために都合良く相手を見繕う制度に過ぎないのだ。
「……」
制度の変化について、宗次郎はその良し悪しを判断するのを避けた。
もちろん、制度の元になった人間として思うところはある。
「宗次郎殿、どうかされましたか?」
「ああ、いえ」
ぼんやりしていると巧実から心配されてしまったので、宗次郎は無理やり話題を変えることにした。
「巧実殿下は、汽車が好きなのですか?」
片膝をついたまま、宗次郎は巧実が脇に抱えた本に着目した。小さな腕から見えた表紙には大きな蒸気機関車が真っ黒な煙を上げている。
「はい! 僕は機関車や車が大好きなんです!」
ひまわりのようににっこりと笑い、巧実はわきに抱えた本を宗次郎に見せつける。
一冊は機関車図鑑と書かれていた。表紙には大きな蒸気機関車がもうもうと黒い煙を上げ、山間部を走っている写真が写っている。最新版らしい。
もう一冊は自動車図鑑。最新式の蒸気自動車が二台並んでいる。快適性と旋回性が向上したらしい。
もとから物流を司っていた阿波連家は、配下の貴族たちに蒸気機関車や鉄道を生産させている。自らが原料になる功績を東部から輸入し、配下に物流の足を作らせているのだ。
その阿波連家の当主を剣とする以上、鉄道や車に興味を持つのは無理からぬことだろう。
「宗次郎さんは運転しないのですか?」
「……免許がないので。乗ったことはありますよ。王城へは車で来ましたし」
闘技場に行くまで八咫烏が使う装甲車を無免許で運転したことはあるが、それを口にするのはさすがにはばかられた。
巧実はなるほどーと頷き、自動車図鑑をパラパラとめくりだした。
「宗次郎さんが乗ったのは、これですね!」
巧実が開いて見せたページには自動車の写真があった。宗次郎が乗ってきた車に確かに似ているが、少し地味な気がする。
「これはイ-参〇五型といいます! 安定した走りを実現するため前の型式よりホイールが改良されているんですよ! 解析性も向上しているで、王室では改装された車体が採用されているんです!」
目をキラキラさせて早口になる巧実。その熱量に圧倒される宗次郎を気付くことなく説明を続ける。
「鉄道は乗ったことありますか?」
「……えぇ。ありますよ」
子供のころ、家族四人で北部を旅行した際に鉄道で旅をした。
もう十年以上も前の話なのに、巧実は宗次郎の話だけで図鑑からその車両を特定した。
まぁ、宗次郎はどんな車両に乗ったか覚えていないので、正しいかどうかはよくわからない。
「巧実殿は、本当に機関車や車が好きなんですね」
「はい! 同い年ならだれよりも詳しい自信があります!」
えへんと胸を張る巧実。
どちらの図鑑も出版してから総日が経っていないにもかかわらず、ところどころ汚れていた。ページの中央は手垢で色がつき、端はところどころよれている。
宗次郎が乗った車両を調べる際も、目次や索引は使っていない。どのページにどの車両があるのか覚えているのだろう。
それだけ読み込んでいるのだ。
「僕が国王になったら、鉄道や自動車をもっと発展させるつもりです! そうすれば、みんなの生活は便利になりますよね!
高らかに宣言する巧実。満足げに、さすが殿下、とうなずく海斗と対照的に、宗次郎の顔はますます複雑になる。
剣の選定が悪用されていると知った時、宗次郎は憤りを覚えた。
自分と大地の絆を踏みにじられたような気がしたのだ。
それが、巧実と海斗を見るとその憤りがしぼんでしまった。
時代は変わった。千年前は命を懸けて妖と戦ったが、今は違う。
王族に生まれた以上、国王になりたいと思うのは当然だ。貴族なら、自分の権力を増やしたいと思うのも同じ。
そのために彼らが必至でないなんて、宗次郎にはとても言えなかった。
「こら、巧実。父上が崩御されたのではないのだから、滅多なことを言うものではなくてよ」
そんななんとも言い難い心情の宗次郎に、再び来客が現れた。
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