第二部 第五十二話 全てが終わって その2

 暗闇の中に一筋の光が差し込んだと思うと、宗次郎の瞼は自然と開いた。




 ━━━どこだ、ここは。




 ぼやけた視界に映る木目の天井には見覚えがない。討議所であてがわれた宿舎でも医務室でもなかった。




「ふぁ、あ」




「あ、よかった。起きたのね」




 大あくびをすると、隣から聞きなれない女性の声がした。




 涙をぬぐって女性と目を合わせる。黒髪をふんわりと漂わせた、落ち着いた雰囲気をしている。薄化粧に真っ赤な唇が特徴的だった。




 聞きなれない声の通り、初対面の女性だ。




「身体は起こせる? はい、どうぞ」




 女性に促されるまま、真っ白な布団の上で上体を起こして、差し出された水を飲み込んだ。




 乾ききった口と喉に潤いがもたらされ、思考回路にかかった靄が少しだけ晴れた気がした。




「大丈夫そうね」




 女性は優しく微笑んで宗次郎に背を向け、障子の戸を開け部屋を出た。




「彼、目を覚ましたわよ」




「ありがとう。報酬は手はず通りに」




「ええ。お願いね」




 障子に写った女性の人影が消え、入れ替わるように杖を手に持った男性の人影が写る。




「よ、宗次郎」




 戸を開けて入ってきたのは玄静だった。いつものようにウェーブがかった茶髪をなびかせ、人懐っこい笑顔を浮かべている。八咫烏が纏う漆黒の羽織を着て、右手には陸震杖を携えている。




「ここはどこだ。あの女の人は一体……」




「市内の病院だよ。今の女性は波動の回復を専門にしている看護婦」




「病院……」




 軽いめまいを覚え、宗次郎は右手で両のこめかみを抑える。




 病院。病院で寝ていた。どうして━━━そこまで頭が回転し、宗次郎はハッと顔を上げた。




「圓尾は!? 妖はどうなった!? あの白フードは━━━」




「落ち着けよ。順に説明してやるから」




 玄静は押入れから座布団を取り出し、宗次郎のいる布団のすぐ横に腰を下ろした。




「まずはいい知らせから。圓尾さんは無事だよ。意識は戻っていないけど、命に別条はない。今は屯所に付設している医務室にいるはずだ」




「……そっか」




 宗次郎は天井を見上げた。




「公式には妖が討伐されたとしか発表されていない。圓尾が妖になったことは伏せられている。僕と宗次郎、燈、壱覇しか知らないから、情報は多分漏れないと思うよ。ま、犯罪者であることに変わりはないし、つらい治療は避けられないだろうけどね」




「それでもいいのさ」




 宗次郎は壱覇との約束をかみしめるようにこぶしを握る。




「生きてさえいりゃ何とかなるさ。そういうものだろ」




 記憶と波動を失い茫然自失となった宗次郎も今は元気にやれている。




「体調はどうだ」




「……まだだるい」




「だろうね。なんせ四日も寝っぱなしだったし」




「四日……」




 軽いめまいを覚え、宗次郎は右手で両のこめかみを抑える。




「なんてこった」




「まだこの病院には居られるから。体力も回復できるでしょ。んで、次に悪い知らせな。あの白フードは取り逃がした」




 すまんと短く謝る玄静に、宗次郎は気にするなと声をかける。




 気絶してしまった宗次郎には成す術もなかったし、仮に万全の状態であってもあの不気味さ、異様さに対処できたかどうかは怪しい。




「今どこにいるのかも行方知れず。正体も不明で手がかりもなしだ」




「━━━あれは何だったんだろう」




「さぁ? 見当もつかないし、考えたくもないね」




 お手上げだ、と玄静は両手を挙げた。




「あのレベルの精神感応を行えるんだ。少なくとも波動師としては十二神将クラスか……いや、より上だろうね」




「……」




 宗次郎は腕を組んで考え込む。




 波動の源は精神だ。その原理を応用し、強力な波動によって他者の精神をコントロールする術がある。




 この精神感応は操る側と操られる側の波動に差があるほど効果がある。以前、宗次郎がシオンに出くわし、その後別荘に戻ったのもそのためだ。




 戦闘直後で気が抜けているとはいえ、宗次郎、燈、玄静の三人を相手取って精神感応を行う。




 ━━━人間技じゃねえ。




 宗次郎の背中に嫌な汗が流れた。




「天主極楽教の関係者、だよな?」




 状況証拠からして、あの白フードが圓尾に蟠桃餅を渡していたのは間違いない。そして、蟠桃餅を作っているのは天主極楽教。




 これで関わっていないというのは無理な話だ。




「可能性は高いと思うけど確証はないよ。燈は新たな教主の可能性が高いって警戒している」




 天主極楽教は二か月前、燈によって重要拠点を強襲され、教主を逮捕されている。残党勢力が新たな教主を選んだとしても不思議はない。




「その燈は今どこに?」




「市庁舎じゃないかな。妖が闘技場に乱入したせいで、皐月杯はめちゃくちゃ。圓尾を収容していた屯所から闘技場に至る建物も被害を受けてる。昨日まで市長にあったり八咫烏たちの指揮をとったりと、そりゃもう大変そうにしていた」




「……そっか」




 宗次郎は闘技場の方角を見つめた。




 第二王女として市民を安心させ、国と市の間を取り持ち、十二神将として傷ついた八咫烏たちの対応を固める。どちらも今の宗次郎には手伝いようもない仕事だ。




「今回の件で、君は王城に呼び出されると思う。国王や大臣、周囲の貴族も君と直接顔を合わせたいと思っているだろうし。今回の件の説明もあるし。君が燈の剣になりたい以上、避けては通れない」




「ま、な」




「でもその前に、確認したいことがある」




 玄静は流れるような動作で宗次郎の首筋に陸震杖を向けた。




 もしも陸震杖が刀だったら、宗次郎は玄静の気分一つで死ぬ。




「君は何者だ。穂積宗次郎。なぜ陸震杖に君の波動が封印されていた。あの幻覚は何だ。どうやって圓尾をもとに戻した。行方不明になっていた八年間、どこで何をしていた。噂の通り、初代王の剣の生まれ変わりなのか?」




 問いかけは静かながら槍のように鋭い。




「悪く思わないでくれよ。君の素性を調べるために僕はここにいるのだ」。もし答えないのなら━━━」




「わかった。ちゃんと話す」




 宗次郎は両手を挙げて降参する。




 正体をみだりにばらすなと燈に言われていたが、玄静なら信じてくれる。何より妖を助けるという自分のわがままに付き合ってもらった以上、正直に話さないのは自分の信義に関わる。




「結論から言うよ。俺の正体は千年前に活躍した英雄、初代王の剣だ」




「………………………………………………おう」




 たっぷりと時間をかけ、驚きのあまり表情が消える玄静。




 これは長丁場になる、と宗次郎は覚悟して息を吸い込む。




「まず、俺の波動は時間と空間の二重属性。色はどちらも黄金。天斬剣を解放する以前からもっている」




「……なるほど」




 玄静は陸震杖を片手に考え込む。




「疑問に思っていたんだ。君の高速移動は速度域の幅が広いという特徴がある。活強だけじゃなく、体内時間の加減速も影響しているんじゃないか? 決勝で僕の拘束を解き、妖を圓尾に戻したのは、物体に流れる時間を遡行させたから。体内時間を停止させられるならそのくらいできるのでしょ」




「……当たりだ」




「空間については見てないけど、初代国王の剣は『その速さは何物をもとらえることはできず、その斬撃は全てを斬り裂いた』といわれている。なんでも斬れるってことは、物体を斬るんじゃなくて空間そのものを断ち切っているんじゃないのか。皐月杯で使わなかったのは、使うと対戦相手を殺してしまうから、ってところかな」




「それも正解。やっぱすげぇなお前」




 数度の戦いと一度の直接対決だけでここまで能力を見抜かれたのは初めての経験だった。




「やっぱり。燃費が悪すぎると思った。属性が強力すぎなのも考え物だね。で、君は十三歳のときに行方不明になったそうだけど、もしかして………………」




「あぁ。波動が暴走してな……」




 宗次郎は千年前の出来事をかいつまんで説明した。




 初代国王・皇大地を主と出会い、彼とともに妖と戦った日々。




 天修羅との死闘。友との離別。現代での目覚め。




 それらすべてを聞き終えた玄静は深くため息をつき、陸震杖を宗次郎から離す。




「妄想だ……って笑い飛ばしたい」




「………………信じるのか?」




「まさか。確かめるだけさ」




 黙っていた玄静がおもむろに口を開く。 




「雲丹亀家には初代当主、雲丹亀壕の日記が残っている。中には『王国記』に記されていない作戦や出来事が記されているのさ。君が本当に初代王の剣なら内容を知っているはずだよね。なんせ、同じ時代を生きていたんだから」




「ああ。で、何が聞きたいんだ?」




「俱利伽羅の戦いについて」




 何の因果か、以前燈に説明した戦いについてだった。




「知っているさ。二つに分かれた妖の軍勢のうち、前の一つを土砂崩れで生き埋めにして、残る後ろの一つを四方から袋叩きにしたのだ。俺は後方からとどめを刺した部隊にいた」




「……まいったな。本物かよ」




 ため息をついて玄静は猫背になる。




 しばらく時間が経過して、ぽつりと問いかけた。




「まさか千年前に活躍した英雄と同一人物とは、ね。ってことは、もしかして━━━」




「あぁ。壕は俺の戦友だ」




「そう。だから陸震杖に宗次郎の波動が宿っていたのか」




 玄静は先祖の名前を告げられ、どこか複雑そうな表情をしていた。




「……聞いてもいいかい」




「何を?」




「雲丹亀壕について。僕のご先祖様はどんな人だった?」




 物憂げな表情で玄静は尋ねてきた。




 そうだな、と宗次郎は考え込んでから、




「口うるさいやつだった」




 取り繕うことなく素直な感想を口にした。




「うんざりするほど細かくて、その上凝り性で。そのくせ驚くほど大胆で。しょっちゅうけんかしては、大地に間に入ってもらっていた」




 暇を見つけては黙々と将棋を打っていた壕。表情が硬く、人付き合いも苦手で、正直人望はあまりなかった。




「それでも、あいつはあいつなりに俺たちのことを気にかけてくれていた。大地に対する忠誠心も厚かった。俺たちは何度も助けられた。心の底から感謝している」




 真面目な奴だった。良くも悪くも、と宗次郎は締めくくった。




「ふふ、あっはっは」




 一通り聞き終えて、玄静は背もたれに体を預けて天井を見上げて笑い出した。




 その顔は実に晴れやかで、憑き物が落ちたようだった。




「なるほどねぇ。道理で僕が負けるわけだ」




「負け?」




「ああ。完敗さ。もう清々しいくらいだよ」




 玄静は上体を起こして宗次郎と向き合った。




「最初に待合室で会ったとき、僕は君が何かを隠していると確信したんだ」




「え? 俺そんなにわかりやすいのか?」




「バレバレだったよ。それを暴こうとおもっていたんだけど、うん。流石に無理だね」




 くっくっくと腹を抱える玄静に、宗次郎は自分のわかりやすさというか単純さが恨めしくなる。




「それに、皐月杯の決勝戦も僕の負けさ。公式では妖の乱入のせいで勝敗は決着つかずになっているけれど、あのまま続けていても僕に打つ手はなかったし。戦闘経験も段違いで、おまけに陸震杖の能力も知っていた訳だろう? 勝てるわけないよ」




「そう。どうやら話はついたみたいね」




「「!」」




 いきなり声がして玄静と宗次郎は体をブルリと震わせる。




 声の主である燈がいつの間にか部屋の中にいた。闘技場で来ていた式典用の服装と違い、八咫烏が纏う漆黒の羽織を纏っている。




「おはよう、宗次郎。体はどう?」




「おはよう燈。起き上がれるくらいには回復したよ」




 少し不機嫌そうにしているのはなぜだろう、と思いつつ宗次郎は別の質問を繰り出した。




「いつこの部屋に?」




「ついさっきよ。それよりも宗次郎。あなた自分の正体を話したのね」




「あ。あぁ」




 やはり、と宗次郎は内心焦る。




 宗次郎が初代王の剣であると公表しないと決めていたのに、それを破ってしまったのだ。




「その、ごめん」




「ま、いいでしょう。宗次郎の記憶に触れたのなら知りたくもなるでしょうし、今回は玄静にも手助けしてもらったものね」




 腕を組んだそっぽを向く燈。発言とは裏腹に許してくれそうにない。




「秘密にしておきたかったのに……」




「え?」




「なんでもないわ。それより玄静」




 小声で何かをつぶやいてから、燈は玄静に意識を向ける。




「あなたは宗次郎に負けた。私の剣である宗次郎に。つまり私に負けたも同然よね?」




「……え? いやそれは」




「敗者は勝者に従うのが礼儀。そうよね?」




「……」




 燈の圧と横暴な理論により玄静の眼から光が消えた。




 ああなったら蛇に睨まれた蛙も同然。宗次郎は心の中で合掌する。




「……はあ、わかった。君に従うよ。でも、僕はこのとおりチャランポランな人間だ。いつか裏切るかもしれないよ?」




「そう言うと思った。だから、もしあなたが私を王に相応しくないと判断したのなら、躊躇なく裏切ってくれて構わないわよ」




「え!?」




「その代わり」




 度肝を抜かれた玄静に燈が拳を差し出す。




「私も一つ約束しましょう。私に忠誠を誓うのなら、あなたをいいように利用したりはしないわ。今回みたいに宗次郎の当て馬にするような真似は、決してしないと約束する」




 玄静は口をぽかんと開けたまま、無言の時間が流れる。




 あのプライドの高い燈が。妹以外の人間を信用していなかった燈が裏切ってもいいなどと口にするなんて、宗次郎ですら予想外だった。




「ふは。なるほど。そりゃ悪くないね」




 玄静も右の拳を差し出す。




「誓いをここに。僕、雲丹亀玄静は皇燈に忠誠を誓う」




「誓いをここに。私、皇燈は雲丹亀玄静を尊重する」




 互いに約束を交わし合い、拳がぶつかる。




 ━━━これも運命、なのかな。




 二人の様子を眺めながら宗次郎は神様の存在を信じたくなった。




 大陸に平和を取り戻した初代国王の子孫である皇燈。




 初代国王を陰から支え続けた初代大臣の子孫である雲丹亀玄静。




 天修羅を倒し最強の波動師と呼び声も高い初代王の剣である穂積宗次郎。




 千年前と今。状況は大きく違えど集った仲間に運命的なものを感じる。




「さて、それでは今後の予定を伝えるわ」




 燈は立ち上がって宗次郎と玄静を交互に見渡す。




「まず、玄静。宗次郎についての報告書について私にも共有して。書いて欲しいことがあるの」




「わかった」




「宗次郎は三日で体調を戻しなさい。四日後、私たちは首都に向かうわ」




「首都?」




「ええ、そうよ」




 燈は自信に満ちた笑顔を宗次郎に向けた。








「目指すは王城。いよいよお父様に謁見するの」








 この意味、分かるわよねと言いたげな燈に宗次郎は無言でうなずき、期待に胸が高鳴る。




 いよいよだ。




 幼少のころ、互いが誰かもわからないまま交わした約束。




 現代に戻る際に術式の影響で忘れてしまった約束。




 穂積宗次郎は皇燈の剣になる。その約束を果たすときが来たのだ。




「頑張った甲斐があったみたいだね、宗次郎」




 玄静に肩をポンポンとたたかれる。




 宗次郎の正体が初代王の剣であると知っているのは燈と玄静だけ。つまり公式の記録では、宗次郎は八年もの間行方不明になった男でしかない。




 そんな男がいきなり国宝の持ち主に選ばれ二王女が自分の剣にするとなれば周囲は混乱してしまうし、反対意見も出る。




 宗次郎が皐月杯に出場した理由の一つは、自らの実力と人間性を世に知らしめるためだった。王城に呼び出されたということは、その目標がある程度達成されたということだろう。




「よかった」




「宗次郎、覚悟はできている?」




「覚悟?」




「ええ、そう」




 燈はカーテンのそばまで移動すると窓を開け、西の方角を見つめた。




「王城には権力欲にまみれた貴族や王族、さらにはあの大臣がいる」




 長い銀髪を風になびかせながら、開け放った窓の縁に腰を下ろした燈はどこか人間離れして見えた。




「彼らは闘技場で戦った妖のような化け物ではないわ。直接命を奪いに来ない。代わりに私から宗次郎を引き離そうとするか、宗次郎から天斬剣を取り上げようとするでしょうね」




 燈は小さくため息をついてから、ブルーの瞳を宗次郎に向ける。




「宗次郎がまだ見たことのない敵がこの先に待ち受けているの。その覚悟はあって?」




「あるさ」




 宗次郎は間髪入れずに答えた。




 はっきり言って宗次郎は政治的なことはさっぱりわからないし関心もない。燈からもわかりやすいといわれるあたり、人間関係の駆け引きは苦手だ。




 そんな宗次も、燈と玄静がいれば何とかなると思っている。仮に一人だったとしても、




「俺は君の剣になると約束した。どんなことがあっても、その約束は果たして見せる。




「そう……」




 燈はうつむいたまま背を向け、窓から外の景色を眺める。




「楽しい帰宅になりそうね」




 風に乗って耳に飛び込んできた燈の言葉は、いつになく弾んでいた。






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