第二部 第三十四話 黒金壱覇 その2

 ━━━英雄、か。




 壱覇の父親に対するイメージに、宗次郎は複雑な気分だ。




 椎菜によれば、壱覇少年は物心つく前に母を亡くしている。先代の場長を務めていた椎菜の父親がそれを見かね、闘技場の敷地内で共に暮らす許可を与えたそうだ。




 必然的に壱覇少年の家族は父親とその同僚の剣闘士たちになった。




「みんなが言うんだ。君の父さんは英雄だって。大会で活躍した、すごい剣闘士だって」




 ━━━例の水龍祭か。




 玄静が持ってきた映像の中に、圓尾が大活躍したとされる十年前の水龍祭が記録されていた。




 水龍祭は闘技場に水を張り、訓練場に所属する剣闘士が三隻の船に乗り込み、合計六隻の船で行われる合戦だ。時間内に相手の船を沈める、もしくは奪取すれば勝ちというルールで行われる。時間切れとなった場合は残った船の数で、同数の船が残った場合は剣闘士の数で勝敗を決める。




 十年前の水龍祭で圓尾は味方の船二隻を沈められた。当時の監督が乗った船が沈み、三対一という戦力差の中、圓尾は傷ついた船を集中的に狙う作戦を敢行した。結果として、僅差で剣闘士が生き残ったことにより圧倒的不利な状況を覆して勝利を収めたのだ。




 まさに英雄的活躍。闘技場でも類を見ない武勇を示した。




「父さんは強いんだ。これからも強くなるんだ。この世界の誰よりも強くなりたいって、毎日言ってた」




 宗次郎は天を仰ぐ。




 強くなりたい。剣を握るものならば誰もが持つ欲求だ。誰だって勝負をするなら勝ちたい。負けるのは嫌だ。時にその欲求は叶えた人間に喜びを与え、満たされない人間に苦しみをもたらす。




 その欲求を持つきっかけは人によって様々だ。




 宗次郎は英雄になりたいという夢があった。それを叶えるために引地のもとで苦しい修行に励み、千年前には妖を倒すすべを磨いた。




 門は子供達に剣術を教える夢があった。だからまず自分が強くなり、さらにその強さを教えれられるように工夫していた。




 燈には初代国王を超える夢がある。そのために波動の才能や王族の身分に甘んじることなく徹底的に己を鍛えた。




 第八訓練場で暮らす剣闘士たちもそうだ。ある者は生活のために、ある者は恋人に雄志を見せるために、ある者は憧れた剣闘士と戦うために。




 そして、父親である圓尾がなぜ強さを求めたのか。




 それはきっと━━━。




「……でも。父さんは捕まった」




 沈黙が場を支配する。空気が質量を持ち、固体化するように重くなる。




「何があったのか、聞いて平気かな?」




「……うん」




 壱覇は大きく深呼吸して話を続けた。




「ある日、家に戻ったら八咫烏がいた。父さんに手錠を掛けてたんだ。君のお父さんは罪を犯したって。だから捕まえなきゃいけないって」




 父親が目の前で逮捕される。十にも満たない少年には悪夢のような光景だろう。震える声が痛々しい。




「どうして捕まったんだ?」




「父さんがいけない薬に手を出したからだって言われた。知らなかったんだ。あの桃がそんなに危ないなんて」




 ━━━やはり、蟠桃餅か。




 天主極楽教がばら撒いている麻薬・蟠桃餅。法律で禁止された劇薬だ。




 ━━━それを、息子の前で食べてたのか?




「でも、おかしいよ」




「おかしい?」




「あの桃は強くなるために必要だって父さんは言ってた! 訓練でも思うように体が動くようになって! 波動の循環速度も前より上がったって!」




 まくし立てる壱覇を玄静は変わらず冷静に見つめている。




「父さんは強くなりたかっただけだ! それなのに捕まるのはおかしいよ!」




「おかしくは無い。蟠桃餅、桃の薬が危ないのは本当だ。多分、お父さんも知っていて使ったんだと思うけど」




「嘘だ!」




「本当に? お父さん、苦しそうにしてなかった? 禁断症状が現れるはずだ」




「そ、それは」




 思い当たる節があるのか、壱覇はいいよどむ。




「だろうな。君の父さんは君には食べさせなかったんじゃないかな? 大人になるまで食べちゃダメだ、とか」




「……」




 図星を突かれた壱覇が黙り込む。




「だったら、どうしてソージローは捕まらないんだ!」




「?」




「ソージローは強い! 父さんよりも! ならソージローだって桃の薬を使ってるはずだ!」




「あー。そういうこと」




 宗次郎は圓尾よりも強い。なら強くなるために蟠桃餅を食べているに違いない、とでも考えているんだろう。




 ━━━なんか引っかかるな。




 蟠桃餅の効能は服用者の望む幻覚を見せるものだ。身体能力の向上や波動の伝達速度が上がるなんて聞いたこと


がない。




「……なるほどね。宗次郎の強さの秘密が知りたい理由がそれか」




「そうだよ。だから本人に聞きたいんだ」




 壱覇は脱力して項垂れる。




  ━━━まいったな。完全に出るタイミングを見失った。




 全てを盗み聞きした上でシラを切り通すなんて宗次郎にはできない。かと言って蟠桃餅を使ってないと説明しても証明できない。八方塞がりだ。




「なんだ。君の父親と宗次郎の強さの違いなら僕にだってわかる。わざわざ宗次郎を呼ぶ必要はないさ」




「なら教えてよ!」




「決まってるでしょ。才能だよ」




 突っかかる壱覇に玄静は残酷なまでに現実を突きつける。それも真面目な表情で。




「君の父親も含め、この闘技場で働く剣闘士じゃ宗次郎には勝てない。波動の総量も多いし、属性も普通じゃないしね」




 ━━━おいおい、本当に容赦ねえな。




 玄静の発言通り、波動の属性や総量は生まれ持った素質に左右されることが多い。特に属性は顕著だ。宗次郎や燈のように特殊な属性に目覚めた波動師は優遇される。




 だからと言って、それが全てとは限らない。それが宗次郎の持論だった。




「それ、だけ?」




「世の中そんなもんさ。友達にいない? これといって何もしてないのに、やたら成績がいいやつとかさ。生まれついての才能ってやつは確かに存在するんだよ」




 宗次郎から見て壱覇は背を向けている。表情は読めないが、肩を震わせているのは見て取れる。そんな壱覇の様子に気づくことなく、さらに玄静は話を続ける。




「その才能の中でも飛び抜けて優秀なのをもってる連中がいる。いわゆる天才って奴ね。んで━━━」




 玄静は大きく息を吸い込んだ。








「天才には何をやっても敵わない。そう思ったほうがいい」








 諦め切った玄静には、どこか哀愁が感じられる。




 その雰囲気は止めに入ろうとした宗次郎が思わず見入ってしまうほどだった。




 ━━━そういえば、あの時も。




 燈から「もしかしたら陸震杖から見放されてしまうかもしれないわよ。いいの?」と言われた時も、同じような雰囲気だった気がする。




「つーわけだ。宗次郎に八つ当たりすんのはやめときな。何にもならない」




「っ、ふざけんな!」




 壱覇が遂に癇癪を起こし、玄静をキッと睨みつける。




「才能なんて、そんな……」




「納得できない?」




「当たり前だ!」




「それが現実だ。僕に当たっても変わりはしない」




 離せしてくれ、と玄静は優しく壱覇の手を剥がそうとするが、壱覇がなかなか離そうとしない。




 ━━━頃あいか。




 取っ組み合いの喧嘩になるのは流石に止めたい。宗次郎は意を決して姿を表した。




「おい、その辺にしておけよ」




「宗次郎……盗み聞きなんて趣味が悪いな」




 速攻でバレた宗次郎は舌をだし、すまんと頭を下げる。




「見てられなくてな。子供相手にマジになりすぎだ」




「何言ってんの。子供だからこそ真面目に相手しなきゃいけないんだよ」




 格闘しながら玄静は壱覇を引き剥がしていく。




「っ……なんで、父さんじゃなくてあんたなんだっ……」




 壱覇はその怒りを玄静から宗次郎に方向を変えた。疲れているのか、掴みかかることはなく、キッと宗次郎を睨みつけている。




「父さんは僕と約束したんだ! 優勝するって! なのに! 強くなるために薬を使っただけで、なんで逮捕されなきゃいけないんだ!」




「……」




「あーもう、物わかりの悪い子供だな」


 押し黙る宗次郎をよそに、業を煮やした玄静が苛立たしげに立ち上がる。




「君の父親が強いのはこの闘技場での話だ。世の中にはもっと強いやつがいる。努力したってどうにもならないくらいにね」




 玄静は十歳にも満たない子供に指を向け、現実を突きつける。


「いい加減理解しなよ。無理なものは何をやっても無理なんだ。そこを弁えず、間違った方法で強くなろうとして捕まった」




「で、でもっ」




「でもじゃない。出来もしないのに周りが期待をかけるから薬なんかに手を出すんだ」




 そろそろ止めよう、そう宗次郎が決意した矢先、玄静がついに踏み込んだ。










「君と約束なんかしなけりゃ━━━」










 言いかけてハッとするも、もう遅い。玄静の言葉は壱覇に突き刺さった。




「僕、の……せい? 僕が、父さんと約束したから」




「壱覇くん!?」




 膝から崩れ落ちそうになる壱覇を抱きとめる宗次郎。壱覇の体は震え、目の焦点は合ってない。




「玄静!」




「っ……」




 流石に言いすぎたと理解しているのだろう。玄静は苦しそうに視線を逸らす。




「悪い。傷つけるつもりはなかった」




「お前……」




「ごめん。あとは頼んだ」




「おい!」




 宗次郎の制止も虚しく、玄静は早歩きでこの場から立ち去ってしまった。




 残されたのは呆然と立ち尽くす宗次郎と蹲ったまま啜り泣く壱覇少年の二人。




 ━━━ったく。




 宗次郎は一人では手に負えないと判断し懐から端末を取り出す。




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