第二部 第七話 雲丹亀玄静 その1

 燈たちが執務室をでてすぐに森山は目を覚ました。




 SM部屋の光景が脳裏にこびりついているせいか、顔を真っ赤にしながら宗次郎と椎菜の説明を聞いて、今後の事情を把握してくれた。




 それから椎菜の部下が運転する車に乗せてもらい、闘技場にある食堂で夕食をいただいた。




 宗次郎のメニューはシンプルなぶりの塩焼き。ぶりは箸を入れると身が柔らかく解け、口に入れると塩気と甘みが広がる一品だった。米は粒の感触がはっきりと舌で味わえ、噛みごたえがある。




 食事をしながら三人は明日の予定について話し合った。




 椎菜によると、明日の午後には皐月杯に宗次郎が出場すると公表するため、午前中のうちに諸々の予定を消化する必要があるそうだ。




 まずは天斬剣てんざんけんについて。




 シオンとの戦いでつかが破損してしまったため、使用するにはその補修をしなければならない。幸いにもこの街は波動刀を扱う専門店が多くあり、そのうちの老舗に天斬剣を預けるのだそうだ。




 それから、闘技場にある訓練場で挨拶をする。




 皐月杯が始まるまでの二週間、宗次郎たちは闘技場にある施設を自由に使える。特に訓練場に関しては剣闘士が己の技を磨くため、数が多い上敷地も広い。そのうちの一つを借り、体力トレーニングや手合わせも行えるそうだ。




「明日の夜は歓迎会をするからそのつもりで頼むぞ」




「随分と優しくしてくれるんだな」




 宗次郎が記憶を取り戻し、天斬剣の持ち主となったのは一週間前。つまり一週間で宗次郎が闘技場側で戦う準備を整えたことになる。いくら何でもことが順調に進みすぎている気がする。




 ━━━ま、いいか。




 闘技場側の事情がどうであれ宗次郎の戦いに影響はない。




 三人は話をそこそこに食事処を出て、宿舎を目指す。




 春の風がなけなしの涼しさを運ぶ。道路脇の茂みが立てる音を聞きながら、闘技場の裏門から敷地内に入った。




 暗闇の中でもはっきりと見える闘技場をよそに、宿舎前にあるゲートにたどり着いた。




「広いなあ」




 ゲートで椎菜が手続きをしている間、ガラスの向こうにある景色を見て宗次郎はめまいがした。




 闘技場の敷地内において宿舎に割り当てられている面積は最も広い。運営には剣闘士を含め八千人以上の職員がいて、彼らが暮らす宿舎が二千棟もあるのだ。しかも宿舎は同じ形状をしているため、中に入ればどこにいようと同じ景色が広がっている有様だった。




 やがて三人を乗せた車は九一七と書かれた立て看板のある宿舎の前で停車した。




「宗次郎。明日の朝八時に迎えにくるからそのつもりでな。おやすみ」




「おやすみなさい。また明日」




 椎菜を乗せた車を見送って、宗次郎と森山は宿舎の扉を開ける。




 玄宿舎は壁も床もクリーム色を基調としていて、心を落ち着かせる雰囲気がある。二人部屋、洗濯機、トイレがそれぞれ二つあり、奥にはお風呂が完備されていた。




「なんだか旅行に来たみたいだ」




「そうですね」




 脱いだ靴を畳もうとと屈んだとき、部屋の戸が開いた。




「やあ、待っていたよ」




 上体を起こすと、軽薄な声の主が腕を組んで壁にもたれかかっていた。




 雲丹亀うにがめ玄静げんせいだ。




「君は森山もりやま千景ちかげさんだね。宗次郎の家の家政婦さんでしょ? 僕は雲丹亀玄静。よろしく」




「はあ、よろしく」




 玄静はにこやかな笑みで近づき、おずおずと差し出された森山の手を握った。




「お風呂は先に入っちゃったよ。ああ、装甲車に積んであった荷物は部屋に運ばれてたから安心して。あと、有名人は僕と同じ部屋。手前の方ね」




「は、はぁ」




「ンフフ、よろしく」




 ぽかんとする森山。対して玄静げんせいは宗次郎に向かってニヤリと笑った。

















 宗次郎たちが暮らすのは、二つのベットに二つのデスク、椅子があるだけの飾り気のない部屋だった。




「はあ」




 風呂から上がった宗次郎はそのままベッドに転がり込む。




 何を考えるでもなく、染み一つない天井を見上げる。




 目を閉じれば疲労に任せて眠りに落ちれるとも思ったが、宗次郎は不快感から体を起こした。




 隣のベットに座った玄静げんせいがニヤニヤしながらこちらを見ているのだ。




「やめてくれないか」




 監視員がつくと聞いたときは、せいぜい皐月杯での戦いを見守るくらいだろうとタカを括っていた。




 まさかこうして私生活にまで入り込んでくるとは思わなかった。




「あっはっは。僕の仕事は君の監視だ。このくらいで音を上げてもらっちゃ困るよ。それに、慣れておいた方がいいんじゃない? 今や君は有名人なんだから」




「は?」




「は? って。名前が全国放送されたんだ。それも天斬剣の持ち主に選ばれて、国儀を中止させて」




 僕だったら耐えられないなー、と笑う玄静に宗次郎は顔をしかめる。




 人を小馬鹿にしたような態度がいちいち鼻につく。はっきり言って宗次郎の嫌いなタイプだった。




「おかげで僕が監視員までやらされる羽目になったんだ。いい迷惑だよ」




「ならやめちまえ」




「おやおやあ、そんな物腰でいいの?」




 背を向けて寝転がる宗次郎に対して、玄静がわざわざ宗次郎のベットまできて覆いかぶさるように顔を覗き込んでくる。




「偉大なご先祖様を持つ僕に頭が高い、とでも言いたいのか」




 うざいことこの上ないので宗次郎もやり返すことにした。




 その一言に少しだけ表情を固くした玄静をよそに、宗次郎は体を起こしてベッドの上にあぐらをかく。




「皇王国を建国した初代国王、皇大地。彼の武力を担っていたのが初代国王の剣なら、知略を担っていたのが雲丹亀うにがめごう。偉大な軍略家にして、お前のご先祖様ってわけだ」




 初代王の剣である宗次郎は魔神・天修羅を倒した。その強さから、最強の波動師として歴史に刻まれている。




 しかし、いくら最強の波動師でも一人で戦っていたわけではない。大地のもとには少ないときでも三十人、多いときは五万を超える部下がいた。それらを巧みに操り、軍として機能させたのは他ならぬごうの手腕だった。




 大陸中に跋扈ばっこしていた妖をせん滅し、皇王国が大陸を統一した功績は彼によるところが大きい。ゆえに建国後は皇王国初代大臣となり、国王となった大地を支え続けた。




 宗次郎が大地の下を離れたあとも。




「そうさ。おかげで雲丹亀家は六大貴族の一角を担っている。その次期当主になる僕の報告書が、どれだけの影響を持つか。君だって理解できるだろう?」




 二人の間に険悪な空気が流れる。




 宗次郎は今後を考えるのなら玄静と仲良くすべきなのだろう。悔しいが報告については玄静の言う通りなのだし、何より燈の婚約者だ。




 燈のことだ。もしかしたら玄静を婚約者に選んだ理由も、初代国王を超える王になると言う自分の目標のためである可能性が高い。それだけ玄静の実力、家柄、権力が優れているのだ。




 ━━━なんでイライラしてんだ俺は。




 目の前にいる男が燈の婚約者。その事実が頭に浮かぶだけなのに、宗次郎の胸中には苛立ちが生まれる。その理由がわからないのもさらに腹が立った。




「報告書くらい好きに書けよ。俺が皐月杯で優勝することに変わりはないからな」




 売り言葉に買い言葉で応戦する宗次郎。玄静もムッとする。




「あっそ。まあがんばってね」




 無限に続くかと思われる睨み合いを降りたのは玄静だった。




「さっきも言ったけど、こっちはいきなり監視員なんて役割を押し付けられて迷惑してるだけさ。君がどんな人で、どれだけ強いかなんてぶっちゃけどうでもいいんだよ」




 あまりのいい加減さに宗次郎は言葉もない。




「でも驚いたよ。いきなり優勝宣言とはね。ああそうだ。驚いたといえば━━━」




 玄静が身を乗り出し、宗次郎の首を指さす。




「その首輪、趣味?」




「ちげーよ」




 ━━━お前の婚約者につけられたんだよ。




「お前の婚約者につけられたんだよ」




 玄静はポカンとしている。




 ━━━やっべ。




 心の中に留めておくつもりだったのに声に出してしまった。シオンに監禁されたときも同じ過ちを犯した気がする。




「……」




 玄静は真顔のまま一人でうんうん頷いている。意外なのか納得しているのか、表情からは読めない。

 



「そんなに燈が好きなら、婚約を破棄してあげようか」




「━━━は?」




 あまりの申し出に宗次郎は目が点になる。




 目の前にいる男が何を考えているのかがまるでわからなかったが、すぐに遊ばれていると気づいた。




「てめえ、人をからかうのも大概にしろよ」




「そんなに怒るなよ。たかが婚約じゃないか」




「燈のこと、好きじゃないのかよ」




 んーと玄静は天を見上げる。




「好きかどうかは微妙かな。婚約だって親が勝手に決めただけだし。まあ外見は美人だとは思うよ。ただ美人すぎるのもちょっとね」




 第二王女としてではなく、あくまで一人の女性として、玄静は燈を評価する。




「だいたい、燈だって僕のこと好きじゃないでしょ。そもそも燈が誰かに惚れるって想像できないし」




「……まぁ、確かにな」



 燈が男に熱を上げる姿を想像しづらい。どちらかといえば尻に敷いて支配するタイプだ。




「僕はどちらかと言えば、場長みたいな女の子がタイプなんだ。大人しそうで、控えめで、大和撫子って言葉がぴったりな……何、その顔?」




「何でもない」




 どんなにがんばっても、着物を着ていた椎菜よりボンデージ服に身を包んだ椎菜が頭に浮かんでしまい、宗次郎は何とも言えない表情になる。




 ━━━うん。黙っていよう。




「そんな感じだからさ。あんま必死にやらないで、明るく気楽にやんなよ。たかが闘技場主催の大会なんだしさ」




「おい」




「だからカッカしないでって。おやすみ」




 もう話すことはないと言わんばかりに玄静は電気を消し、ベッドに横になる。




 ━━━やっぱり好きになれそうにないな。




 鼻につく嫌なやつだ、という印象が頭から離れないまま、宗次郎は眠りについた。




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