第二部 第五話 いざ闘技場へ その5

 宗次郎が出場する大会の名は皐月杯さつきはいというのだそうだ。




 毎年四月に行われる武芸大会で、決勝を必ず五月一日に行うことからその名がついた。民間が主催する大会の中では最大の規模を誇る。闘技場で活躍する剣闘士八名と外部から招かれた波動師八名の合わせて十六名が二週間をかけ、トーナメント方式で決闘を行う。




 鍛え抜いた波動と武技で覇を競い、勝利の凱歌をその名誉と為す。優勝者には地位と名声が約束され、多大な報奨金も得られる。




「いまいちピンとこないな。参加すればいいものなのか?」




「そうさ。今、宗次郎は二つの問題を抱えている」




 ペンで机をトントンとたたきながら椎菜は説明を始めた。




「一つ目は儀式に関して。“天斬剣献上てんざんけんけんじょう”は八年に一度行われる王国主催の大儀式だ。千年前に魔人・天修羅あまつしゅらをたおした初代王の剣。彼が使用した波動具こそ、かの国宝・天斬剣てんざんけん。それを刀預とうよ神社から王城まで運ぶ。通常は厳重な封印が施され保管されている天斬剣てんざんけんを、国民が目にできる唯一の機会だ。そんな儀式が中止になると困るのは誰だと思う?」




「……楽しみにしていた国民か?」




 宗次郎はうめくように答える。




「その通り。特に足を運んだ観光客は落胆するだろう。観光客を当てにしていた市民、貴族は財政的に困窮する。主催した国家の面目もつぶれる。まあ有体に言えば関係者全員が頭を抱える」




 改めて考えるととんでもない事態だ。宗次郎は頭を抱えたくなる。




「そんな顔をするな。一見どうしようもないように思えるが、何とかするための策を考えてくれたのさ。君の主はね」




「燈が?」




 向かいに座る燈は椎菜しいなに続いて淡々と話し始めた。




「単純な話よ。天斬剣てんざんけんだけをお披露目する儀式を中止する代わりに、天斬剣てんざんけんと宗次郎をセットでお披露目する大会を用意すればいいのよ」




「……なるほど。つまり俺は客寄せか」




「参加するだけじゃないわ。優勝しなさい。そして、あなたの名を大陸中に知らしめるのよ」




 燈は静かな、されどはっきりとした口調で命令をした。




 その様子から宗次郎は自分の役割を自覚し、思わず舌を巻いた。




 儀式が中止になった原因に天主極楽教てんしゅごくらくきょうではなく、宗次郎の名前を出した理由。




 それはおそらく、燈が宗次郎を自身のつるぎとするのに必要だったからだ。




 燈は今まで剣を選ばなかった。それがいきなり自分の剣として宗次郎を選んだところで、周囲から反対されるのは目に見えている。




 いくら貴族の出身であっても、宗次郎は行方不明になり、記憶と波動をなくしていた。知名度と実績が圧倒的に足りないのだ。




 そこで燈は足りない知名度を手っ取り早く補うため、宗次郎の名前を出したのだ。




 儀式が行われるまであと一日というところでの中止となれば、儀式に向いていた関心は全て宗次郎に向けられるだろう。




 千年も封印されていた、それも伝説の英雄が使っていた波動具。




 その天斬剣てんざんけんに選ばれた穂積宗次郎とは一体何者なのか。




 世論がもっぱら宗次郎の噂でもちきりになれば、儀式を中止しても王国の信頼は損なわれず、また警護任務を担当していた燈の責任問題を直接追求されることもない。




 まして今後宗次郎が活躍して実績を積めば、宗次郎と言う存在を見つけた燈の評価にもつながる。




 ━━━とんでもねえやつを主に選んでしまったなあ。




 燈のハイスペックぶりに改めて頭を掻く宗次郎だった。




「わかった。必ず勝つ」




「ふっふっふ、見ず知らずの敵を相手にしてその自信。さすが燈が見込んだ男だな」




 そうでなくては、と椎菜しいなは実に上機嫌だ。




 伝説の波動具が戦うさまなどそう見られるものではない。ましてそれが自分が所有する闘技場で戦うとなれば喜びもひとしおだろう。




椎菜しいな。まだ話は終わっていないでしょう」




「ああ、そうだったな。先程いった、宗次郎が抱えている問題の二つ目。こちらを解消するために、大会が行われる間、王城から派遣された監視員がつくことになった。こちらも了承をいただきたい」




 少しだけ申し訳なさそうな椎奈に、宗次郎も顔をしかめる。




「四六時中監視されると?」




「そうね。どうも私が付いているだけじゃ不安な連中がいるみたい」




「?」




「ははは、自覚がないか」




 椎奈しいなが笑いながら宗次郎に説明を始めた。




「宗次郎はなかなか変わった経歴をしているな。特に九年前の事故」




「!」




 宗次郎は身をこわばらせる。




 九年前、宗次郎は自身の波動を暴走させて行方不明になった。




 そしてそれは、宗次郎の人生における重要な転換点なのだ。




「考えてもみたまえよ。天斬剣てんざんけんの持ち主に選ばれた人間が長い間行方不明になっていて、記憶と波動をなくしている。となれば、みな負の側面に着目するのさ」




 椎菜しいなはコップの水を飲みほして一息置いた。




「穂積宗次郎とは何者なのか。なぜ天斬剣てんざんけんの持ち主に選ばれたのか。伝説の英雄の生まれ変わりか。好き勝手に噂をするわけさ」




「人気者ね。宗次郎」




「茶化すなよ」




 宗次郎は何とも言えない表情を浮かべる。




「理屈はわかるけど、いきなり監視をつけられるのか」




「仕方がないわ。宗次郎がどんな人間なのかを知らないもの。私が宗次郎を使って国家反逆を企んでいると考えている臆病な貴族もいるのよ」




「あっはっは、それは燈のせいだろう。日ごろから彼らを軽んじているから、あらぬ疑いをかけられてしまうのだ」




「うるさいわよ」




 笑いあう女性二人をよそに、宗次郎はため息をついた。




 自分にとっては当たり前に理解できても、他人がそうだとは限らない。




 そんな当たり前の事実が宗次郎の頭から抜けていた。




 なぜ宗次郎が天斬剣の持ち主に選ばれたのか。




 答えは簡単だ。








 宗次郎が伝説の英雄、初代王の剣その人だからだ。








 宗次郎は『時間』と『空間』を操る波動に目覚めていた。九年前の事故で波動を暴走させ、千年前の過去に飛び、そこで皇大地と出会ったのだ。




 八年にも及ぶ戦いの末に魔神・天修羅あまつしゅらを倒し、皇王国の建国に多大な貢献を果たした。




 もっとも、宗次郎の正体を知っているのは燈だけだ。




 ━━━これも計算のうちかな。




 宗次郎の正体を隠そうと提案したのはほかならぬ燈だ。宗次郎も大っぴらに公表するつもりはなかったので了承した。




 もし儀式の中止とともに正体を公表していたら、事態はもっと複雑になっていただろう。英雄の名をかたる偽物として扱われる可能性だってある。そうなったら闘技場で戦ったくらいでは責任をとれない。




 ━━━まあ何とかなるさ。




 四六時中監視されたとしても、ぼろを出さなければ正体が知られることはないだろう。




「要するに、俺は皐月杯さつきはいで実力と人柄を示せば良い訳か」




「そうよ。いい、宗次郎。私が留守の間、くれぐれも問題を起こさないようにね」




「あれ? 燈、いなくなるんだっけ?」




「説明したでしょう。私はこれから王城へ向かうわ。今回の件で、お父様が直接話を聞きたいって聞かないの」




 燈の父とはすなわち皇王国の国王だ。命令とあらば仕方ないだろう。




 ━━━門さんも燈もいない、か。




 燈は王城へいく。門は道場があるので宗次郎と行動を共にせず、別荘に残った。




 宗次郎には、そばにいて導いてくれた人がいる。胸に立ち込めた不安の雲はその裏返しだ。




 ━━━今の俺なら、大丈夫だ。




 遠く離れていても、これからも見守ってくれている。そう思えるだけの恩を受けている。




 ちっぽけな不安に押しつぶされたりはしない。




「わかった。燈も気をつけてな」




「ふふ、ありがとう。宗次郎」




「ま、そう言うわけだ。宗次郎、君にはうちの代表として出場してもらうから、そのつもりで」




「ん? 俺は外部参加枠で出場するんじゃないのか?」




「そうだ。外部参加枠はすでに埋まっているからな」




 椎菜はチラリと宗次郎から視線を逸らした。




 何かある、と宗次郎は直感したが、あえて聞かないことにした。




「その代わり、ここの訓練場は好きに使ってくれて構わないぞ」




「それは助かる」




 記憶と波動が戻ったとはいえ、時間停止の影響により体は鈍ってしまっている。鍛えなおすにはいい機会だ。




「よし、じゃあ最後に一つ確認をしよう」




 椎菜は立ち上がって宗次郎に背を向け、窓から遠くにそびえる闘技場を見つめる。




「宗次郎、君には夢はあるか?」




「夢?」




「そう、夢だ。なぜ強くなりたいのか、と言い換えてもいい」




 いきなりなんの話だろうと思ったが、椎菜の背中は真剣だ。




「あの闘技場をどう思う」




「そりゃ……大きいと思う」




「はっは。そうだろうそうだろう。私もそう思う」




 実に子供じみた回答に対して、椎菜は嬉しそうにして宗次郎に振り向いた。




剣爛けんらん闘技場の歴史は古い。皇王国が出来上がる以前から存在していたからな。昔は罪人同士を戦わせたり、猛獣と剣闘士を戦わせたりして、娯楽を提供していた。もっとも、建設当時の大きさは今の半分にも満たなかったそうだ」




「へぇ」




 以外そうな反応をしつつ、まあ最初からこんなに大きいわけはないか、と内心納得する宗次郎。




「それが今や、剣闘士の総数は五千人を超え、闘技場の大きさ、敷地の広さ、すべてが大陸一だ。王国が主催する武芸大会も行わせてもらっている」




 椎菜が目配せし、燈が静かにうなずく。




 燈の母は闘技場で活躍していた剣闘士だった。王国が主催する武芸大会で活躍したところを、当時王子だった燈の父が一目ぼれして付き合いが始まったのだとか。




 二人の仲がいい理由がなんとなくわかった気がした。




「私はね、この闘技場があれだけ大きいのは、闘技場に関わる人間の思いが同じくらい大きいからだと思っているんだ。例えば剣闘士。彼らは様々な事情を抱えている。先祖代々剣闘士の家系は少ない。怪我をして現役を退いたり、集団行動に不向きだった元・八咫烏やたがらす。家庭の事情で三塔学院に入学できなかった波動師の卵。そんな彼らが一緒に共同生活を送れているのは、皆が一様に富、名声、栄光を求めているからだ」




 再び闘技場を見つめる椎奈は、まるで我が子を見つめる母親のような慈愛を感じさせた。




「故に日々の訓練は手を抜かないし、戦うときは全力だ。観客はその欲望に、熱意に、熱狂する。己の武勇を示す剣闘士たちに憧れを抱き、応援するんだよ。あの闘技場には、歴代の剣闘士が流してきた血と汗、そして関係者全員の想いが込められているんだ」




 改めて闘技場の威容を目にすれば、椎菜の言葉は妄言ではないとわかる。遠くからでもその重厚な威圧感と厳かな佇まいが伝わってくる。




「そこで君に問いたい。君は何を求めて皐月杯に出場する? どうして強くなりたい? 君の言葉を聞かせてくれ」




「わかった」




 椎菜は闘技場を預かる責任者として、ああまで言ったのだ。生半可な答えはしない。




「俺には叶えたい約束があるんだ」




 それも二つも、だ。




 一つは初代国王、皇大地と今生の別れの際に交わした約束。こちらは記憶障害のせいで内容を思い出せないでいる。




 そちらはおいおい思い出すとして、今はもう一つの約束を叶えることが先決だ。




「それは?」




「燈の剣になることだ」




 その答えが意外だったのか、目を丸くする椎菜に宗次郎は構わず続ける。




「俺は子供の頃、燈の剣になると約束した。それだけじゃない。天斬剣強奪の折には何度も助けられたし、燈の『初代国王を超える王になる』と言う夢も応援したいと思っている」




「……そうか」




 とりあえず納得してくれたのか、椎菜は微笑んで燈に向き直った。




「いい男を見つけたな。燈」




「そうね。まだまだだけど」




 ため息をつく燈は腕と足を組んでいる。どことなく嬉しそうに見えるのは、宗次郎の気のせいじゃない、と思いたい。




「ちなみに、だ」




「?」




「私の夢は自分のSMクラブを持つことだ。闘技場の場長として働き、一定の金額を売り上げれば夢を追いかけてもいいと父と約束してね。そういうわけだから、じゃんじゃん活躍して、うちの闘技場にお金を入れてくれ」




「……わかった」




 ━━━すげーいい話だったのに。




 感動していた分だけぶち壊されたがっかり感が大きい。宗次郎は内心肩を落とした。




「ところで、監視員はどこにいるの? ここで会う手筈になっていたわよね」




「あー、そうだったな。まあ、見てもらった方が早いか」




 呼んでくるから待っていてくれ、と言い残して椎奈は部屋を出た。




 ━━━問題のある人間なのか。




 監視員は大会を通して宗次郎に基づく報告書を作成する。それが宗次郎の今後に大きな影響を与えるのは確実だろう。




 ━━━公正な判断ができるやつだといいが。




 燈も同じ不安を抱いているらしい。表情が少しだけ苦しくなっている。 




「失礼します」




 ノックして扉を開けた椎奈に続いて、一人の男性が入ってきた。




「!」




 宗次郎は目を見開き、思わず立ち上がりそうになる。




 入ってきたのはウェーブがかった茶髪をした、軽薄そうな男だった。身長は宗次郎より十センチは高く、体つきは少し細い。八咫烏が身につける黒い羽織に似合わない、爽やかな顔立ちをしている。




 何より宗次郎の目を引いたのは、男が手にしている錫杖しゃくじょうだった。




 波動師のうち、剣士が波動刀を用いるように、術士は錫杖しゃくじょうを、通称、波動杖はどうじょうを用いる。よって目の前の男が波動杖を持っていても不思議はない。




 ━━━まさか。いや、そんな。




 驚愕する宗次郎を他所に、男は燈に挨拶した。




「やあ、燈」




「……そう。久しぶり」




 会いたかったよ、と得意げに告げて男性は宗次郎に振り向いた。




「初めまして。僕は雲丹亀うにがめ玄静げんせいだ。会えて嬉しいよ、有名人」




「穂積宗次郎だ。雲丹亀うにがめということは、その波動具は━━━」




「へぇ、知ってるんだ。そう、こいつは陸震杖りくしんじょう。君が持つ天斬剣と同じ、特級の波動具さ」




 玄静がこれみよがしに手にしていた波動杖を差し出す。




 輪と遊環(錫杖に付いている輪っか)は黄金で造られ、その中央では握り拳ほどの大きさの琥珀が眩い光を放っている。




 特筆すべきは、内包された波動であろう。天斬剣に負けないほど雄大で、それでいて大地のようにしっかりとした雄大さを感じられる。




 やはりか、と宗次郎は息を呑んだ。




 目の前にいる男性とは初対面だ。しかし陸震杖りくしんじょうについてはこの場にいる誰よりも知っている。




 今より千年前、初代国王と共に戦った際、何度陸震杖とその持ち主に助けられたか。




 ━━━これも運命、か。




 宗次郎は懐かしさとは微妙に異なる感慨深さを感じずにはいられなかった。




「よろしく」




「こちらこそ」




 握手を交わす二人を無表情のまま眺めていた燈は立ち上がった。




「私はもう行くわ」




「送っていくよ燈。いろいろと話したいことがあるんだ」




 無言のまま部屋を出ていく燈に玄静は並び、部屋を出て行った。




「あいつは燈の知り合いか?」




 監視のために派遣されたにしては全く関心を向けられていない。というより燈にぞっこんな気がする。




 王国の第二王女を相手に気さくすぎじゃないか、と完全に自分を棚に上げる宗次郎。




「知り合いなんてもんじゃないさ。彼は燈の婚約者だ」




 何気なく告げられた事実に体が固くなる。




「……そうか」




 その返事は、宗次郎自身も驚くくらい平坦なものになった。


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