第二部 第三話 いざ闘技場へ その3

 目的地に近づくにつれ、闘技場はより大きくなり、自然と見上げる形になる。




 やがて宗次郎たちを乗せた装甲車は一般向けの大きな正面ゲートを通り過ぎ、地下駐車場へと向かった。




「運転ありがとう。お疲れ様」




「宗次郎もお疲れ」




 宗次郎は燈に礼を告げて下車し、思い切り伸びをした。




 途中で休憩を挟んだとはいえ、およそ六時間半座りっぱなしだった。おかげで体の筋があちこちでバキバキと悲鳴を上げる。




 一息ついたところで後部に回ると、森山がハッチを開けていた。




「宗次郎様。こちらをどうぞ」




「ありがとう」




 手渡された木箱を背負い、森山の手を取って降車の手伝いをする。




 一方、燈はすでに前走車のドライバーと話し込んでいた。




「殿下。全員集合いたしました」




「ご苦労様」




 前走車にいたのは福富ふくとみを隊長とする八咫烏の部隊だった。半月前に起きた天主極楽教てんしゅごくらくきょうのテロにおいても燈とともに行動していたため、宗次郎とも顔馴染みだ。




「私はこれから宗次郎たちを送り届けます。福富隊は指示があるまでここで待機。車内であれば休憩を許可します」




「御意」




 一礼する隊長を一瞥して、燈は宗次郎と森山に向き直った。




「さて。この闘技場を仕切る場長に挨拶しに行きましょう」




 燈、宗次郎、森山の順番で関係者専用と書かれた入り口に入る。




「いらっしゃいませ」




 小さな受付で待機していた一人の女性が挨拶してきた。




「皇燈第二王女殿下と、そのお連れ様でございますね」




「そうよ。椎菜しいなはどこかしら」




「それは━━━」




 受付の女性はなぜか頬を赤らめた。




「いつものストレス発散に興じております」




「ああ。そう」




 燈の返事はやけにトーンが冷えていた。




「いってらっしゃいませ」




 恭しく頭を下げる受付嬢を他所に、燈はスタスタと歩き出した。




 有無を言わさぬ迫力に気圧されたまま宗次郎は後に続く。




 扉を抜けた先は闘技場に併設する資料館のようだ。この闘技場の歴史が書かれた案内が壁のあちこちにあり、壁の近くには剣闘士を象ったブロンズ像が置かれている。ショーケースの中には剣闘で使われたであろう鎧や波動刀も展示されていた。




「すごいですねぇ」




 初めての来場となる森山も目を奪われているようだった。




「時間ができたら見て回りたいな」




「そうですね」




 フロアの端には闘技場へと続く長い廊下があり、その壁には何十人もの顔写真が並べられている。




 説明によれば、国王が主宰する武術大会での優勝者らしい。




「あれ? この人……」




 廊下を渡る途中、宗次郎は第三五回大会優勝者とされる顔写真の前で立ち止まった。




 白銀の髪に赤い目をした美しい女性だった。ネームプレートには蒼龍院そうりゅういん穂花ほのかとある。




「燈に似てるな」




「それはそうでしょうね。私の母ですもの」




「えっ」




 並べられている写真は顔だけでも屈強そうとわかる男性がほとんどだった。そんな中で場違いのように美女の写真があるのだ。




「お綺麗な方ですね」




「ふふ、ありがとう森山。母は強かったのよ。優勝した大会を見にきた父が一目惚れしたのが二人の馴れ初めなの」




 燈が母の肖像を見つめる表情には、憂いがあった。




 燈の母はもうこの世にはいない。




 殺されたのだ。




 表向きはテロとされているが、燈はそうは考えていない。




 燈の母は貴族出身ではなかったため、他の妃や貴族から恨みを買っていた。そのうちの誰かが協力したと考えているのだ。




「行きましょう。長居は無用なのだから」




「わかった」




 燈が何も言わないのなら宗次郎も黙るしかない。




 三人は足音だけを響かせ、『場長』と書かれたプレートの前にたどり着いた。




 やたらと重厚な雰囲気のある扉に森山が喉を鳴らす音が聞こえる。




 これだけ大規模な闘技場のオーナーが向こうにいるのだ。きっと立派な人物に違いない、と宗次郎は緊張する。




「?」




 隣にいる燈がノックをする気配がないと思ったら、何やら難しそうな顔をしている。




「どうかしたか」




「うーん。ちょっと時間を頂戴」




 宗次郎は燈が悩んでいるところを初めて見た。しかもなぜ悩んでいるのかすら分からない。




「森山」




「はい。なんでしょう、殿下」




「あなたも入るの? 正直、あまりお勧めしたくはないの」




 なんだそりゃ、と宗次郎は疑問を抱く。




 聞かれたくない話をするから入って欲しくないならなんとなくわかる。おそらく宗次郎の処遇について話すのに、森山は必要不可欠ではないからだ。




 なのに燈の忠告はお勧めしないときた。




 ━━━中に何がいるんだよ。




 見たくないけど見てみたい。そんな矛盾を抱えた欲望が胸の中から湧き上がる。




「お気遣いありがとうございます、殿下」




 森山は深々と頭を下げると、しっかりとした表情で燈を見つめた。




「私なら大丈夫です。宗次郎様についていくと決めていますから」




 森山の真っ直ぐな瞳に、宗次郎の胸が若干熱くなる。




 宗次郎が小さい時から森山は自分の世話をしてくれた。行方不明の状態から奇跡的に発見されたものの、心神喪失状態になっていた宗次郎を世話してくれたのは他ならぬ彼女だ。




 宗次郎が牢獄に閉じ込められ、燈とともに王城に向かうときも、自分も行くと譲らなかった。




「そう。いい侍女ね。宗次郎にはもったいないくらいだわ」




「余計なお世話だ。それより、ここの場長は知り合いなのか?」




「そうよ。学院時代からの古い付き合い。言うなれば悪友ね」




「どんなやつなんだ?」




「んー、まあ入ればわかるわよ」




 答えになってない、と宗次郎が突っ込む前に燈が扉をノックする。




 カシャリ、と頭の上で何かがスライドした音がする。見上げるとプレートの文字が『場長』から『入室許可』に変わっている。




「さあ、開けるわよ」




 宗次郎は覚悟を決め、大きく息を吐いた。




 ここで自分の処遇が決まる。儀式を中止にした責任を取るために何をすればいいのかがはっきりする。




 そして、燈は扉を開けた。




「…………………………………………………………………………………………うわあ」




 景色を見て、宗次郎は生まれて初めて、心の底から引いた。




 部屋の中は、廊下の外とは打って変わってきついピンク色をしていた。甘ったるい匂いが充満している。




 というか、完全にSMプレイ専用の部屋だった。




 拘束用の椅子からX字型の磔台があちこちに置かれ、台の上にはボールギャグやらムチやらが雑多に置かれている。




 それらの犠牲になっている、いやご褒美をいただいているのは五人の男たちだった。




 屈強な筋肉に身を固めた男性が揃いも揃って歓喜の悲鳴を上げている。口封じをされていて詳しい内容が伝わってこない。




「オラあ! 昨日は舐めた試合しやがって!」




 部屋の中央には、大きくも艶やかな声を出している一人の女性がいた。




 目のやり場に困るほど際どいスリットをしたボンデージ服を着ている。黒いテカりが白くて長い手足と調和し、ツートンカラーに不思議な色気を与えている。縄で縛られ宙吊りになっている男に鞭を振るい、合わせて長い黒髪が揺れに揺れていた。




 ━━━まさか。




 宗次郎は嫌な予感がして冷や汗が溢れ出す。




 ここに来たのは、宗次郎が儀式を中止させた責任を取るためだ。闘技場に行くくらいだから戦って実力を示すのではとも思ったが、具体的にどうすればいいのかは聞いていない。




 そもそも宗次郎が天斬剣の主に選ばれたのは不可抗力だ。責任を取るとすれば、儀式を完遂する勅命を受けていた燈の方だ。




 ━━━まさか、燈が俺をお仕置きしたかっただけなのでは。




 思わず首筋に手を当てると、そこには硬い皮の感触があった。




 以前、燈は宗次郎を天主極楽教の一員なのではと考えて首輪をつけた。それは今も残っている。




「はうぅ」




「森山!」




 あまりの光景に気を失ってしまった森山を抱える。




 こうなると予期していたから、燈は森山に入らないよう勧めていたのだと今理解した。




「燈」




「わかってる」




 燈は鞭を振りまくっている女性に向かって歩き出した。




椎菜しいな、久しぶりね」




「ん?」




 蝙蝠こうもりの面をした女性は振り向いて燈を見ると、にっこりと笑った。




「やあ、燈! 待っていたぞ。卒業式以来だな」




「そうね。椎菜しいなも変わっていなくて安心したら」




 二人は固い握手を交わしている。




 前からこうだったのかよ、と突っ込みたい衝動を宗次郎はなんとか堪える。




「あれが?」




「ええそうよ」




 二人の意識が宗次郎に向けられる。




 ━━━帰りたい。




 扉を開ける前の覚悟はどこへやら。宗次郎は回れ右をしたくなった。




「おや、そちらの女性は無事かい?」




「まあ、気絶してるだけですから」




 笑おうとするも自分でもわかるくらい顔が引きつっている。




 こんな衝撃的な出会いは初めてだった。




「ふむ、まずは挨拶をしたいところだが━━━」




 椎菜はビシっと音を立てて鞭を伸ばす。




「先に応接室で待っていてくれないか。この格好で話しづらいだろう?」




 問題なのは格好じゃねえ! と心の中で叫ぶ宗次郎だった。





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