第一幕第二場:コン・アモーレ『愛情をもって』(中編)

 


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 ふむ……、解せぬ。この目の前の状況に。


 目の前に座る二人の人物に、今のあたしは激しく戸惑っていた──。 



 一人は丸眼鏡をかけた白髪交じりの茶髪オールバックで、気の良さそうな感じの司祭服のオジサマ。

 彼はいつも礼拝でお世話になっている、サンタクローチェ教会のトンベリオ司祭様だ。


 そしてもう一人のとても高そうなお召し物を身にまとった老人からは、何とも言えぬ生理的な嫌悪を感じる。その特徴ある四角いあご顔と鼻の下にある大きなホクロ、何よりも驕り高ぶったような、そのイヤな目つきはとてもとても印象深い。



 司祭様があたしを訪ねて来るなんて初めてだ。

 でもまぁ、理解できなくはない。何故ならば雨の日も、嵐の日も、雪の日も、風邪を引いた日も毎週熱心に欠かさず礼拝に通っていたあたしが昨日は珍しく行かなかったからだ。

 (そうね。司祭様もきっと心配になるよね)


 でも、その隣の四角い顔の老人は一体誰なのだろう? あたしの記憶には存在しないし、そのお召し物と立ち振る舞いからは、司祭様よりも偉そうな感じがするけど、……何か引っかかる。


「久しぶりだね、ジルダさんや。あぁ、こちらはイグナチオ枢機卿猊下でね。このマントヴァ公国の教会を一手に取り仕切っている司教様なのだよ。今日は良い話があると仰られていてね」


 その独特のかすれ気味の声は、礼拝時などでは結構聴き取りが難しかったけど、この距離でも思わず体を乗り出しそうになるくらい聴き難いものだった。


 そして司祭様の隣に座るニコニコ顔の司教様は、紹介されるとあたしに軽く会釈をする。



「…………………………………………」


「どうしたのかね? ひょっとして教会の偉い方を前にして、緊張しているのかね? ならば気にせず、楽にしてくれたまえ。こちらの司教様は気さくで慈悲深いお方だからね。粗相があっても大丈夫だよ」


「…………………………………………」


 いえ、そうではないのよ、司祭様。あたしはイグナチオ枢機卿と言う名、四角い顔の老人に引っかかっているのだから。


 過去のジルダさんからの手紙には、『四角い顔の老人ことイグナチオ枢機卿はマントヴァ公爵の叔父で危険、あたしたち親子の命を狙っている』とあったのだ。


 この四角い顔の老人が? 確かにとても嫌な感じがする。直感的に何やら身の危険が刻一刻と迫ってきている気がする──。



「ところで昨日は珍しく礼拝に来なかったようだが、何かあったのかね?」


「えぇ、昨日は体調がすぐれなくて……」


「ふむ、それはよくないな。今は大丈夫なのかね? そう言えば、教会近くの公園通りで、あなたによく似た女性がトラブルに巻き込まれているようだった、と信者の方からの目撃情報もあったのだが……」


「Ah~、ハイ……。ダイジョウブ、ダイジョウブ……デス」と、しどろもどろになってしまった。


「これこれ、司祭殿。こちらの娘さんは困っておるようじゃぞ。年頃の女子おなごを相手にそのような無粋な質問は不要というものじゃ。だのぅ?」


 ニコニコ顔であたしに話しかけてくる四角い顔の老人。その耳心地の悪いダミ声と、まるで作り物のような笑顔にあたしは酷く不安になりそうだった。


「…………………………………………」


「これはこれは、失礼を致しましたな、枢機卿猊下。何せこのような性格ですので、この年で未だに嫁の来てがありません。ハハハ」


「フハハハハ、僧籍にある者が何を言っておるのじゃ。我が輩も、司祭殿も生涯を女神様に捧げておろう」


「ハハハ、仰る通りですな」


「…………………………………………」


「あぁ、置いてけぼりにして済まないね。今日は世間話のために来たのではなく、折り入って頼みがあったのだよ。その頼みと言うのはね――」


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 司祭様の言う頼みとは、毎月サンタクローチェ教会で主催している新市街の子供向けのイベントの手伝いに加わって欲しいとの事だった。


 この公都の旧市街には幾つかの教会があるのだけど、新市街には川辺にある小さなサンタクローチェ教会しかなかった。そしてその小さな教会では、慈善事業の一環として毎週のように炊き出しを行い、時には子供たちに勉強を教え、そして毎月のように子供たちのために何かしらのイベントを開催していた。


 また街に孤児が居ればその子を教会で引き取り、子供のために里親を探したりなどもしているとも聞く。旧市街の教会では、そこまですることはないらしい。なんて立派な司祭様なのだろうか。


 そして来月予定しているイベントでは、こちらの枢機卿猊下の働きかけにより、教会上層部から支援金を頂く事ができたので、大々的に行いたいと考えているとの事。


 そのために司祭様が直々に手伝って欲しいと頼みに来たという訳だ。

 (可能であれば是非お手伝いをしたいわ。でもね……)


「──お話は分かりました。ただ……即答はできません。礼拝もそうですが、お父様の許可も無しに勝手は振る舞いはできません。後日改めて、お答えいたします」


「なるほど、あなたのお父様も心配性ですからな。ではまた日を改めて、良い返事を待ちましょう。それと……猊下」


「うむ、我が輩の用向きはじゃな──」


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 枢機卿の用向きを端的に言えば、あたしへのお見合いの話だった。なんでも親族の一人が、齢三十になっても身を固めず、自由気ままな日々を送っているので、ホトホト困り果てているらしい。だからその栄えある花嫁びんぼうくじ候補として、あたしに嫁入りして欲しいという訳だ。とんでもない話を持ってきたわけね。このジジイは。


 もちろん回答は、『お断り』の一言である。理由は年老いたお父様を独りにする訳にいかないし、何より悲しむからだと。

 しかしこのジジイはさほど残念がる事もなく、すんなりと引いてくれた。むしろ司祭様の方は残念がり、この話を断ると今後はもっと相手の条件が悪くなるなるばかりだと食い下がってきたのだ。この茶番は、一体何なのよ?



 その後は、軽い世間話を幾つかして、最後に手土産にと立派な箱入りの高級チョコレートを置いていってくれた。それは開けてみると、その一つ一つが結構大き目なチョコレートなのだ。


 これはちょっと女の子が一口で食べるのは、きっと無理でしょうね。ヒョイ、ぱく。……上品な甘さで香ばしく、中のナッツは焙煎しているのかしら?ちょっとお酒が入ってて……うん、これは美味しいわ!!


 美味しそうなチョコの香りに誘われたあたしは、思わず二人の目の前でそれを一口で頬張り、一気に食べて飲み込んでみせた。そしてそのあまりの美味しさに二口目も頂こうとすると、四角い顔の老人こと枢機卿が慌ててあたしを止める。「太るから一度に沢山食べるのはよすのじゃ」だとぉ!?


 ──流石に手土産の送り主の前で、これ以上の恥さらしな真似はできないと気づき、素直に止めておいた。危うく正気を失う所だったわ……、なんと罪深きお菓子だろうか。


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 そして二人を見送った後、あたしは無意識にあと二つも食べてしまった。

 その後、ミランダと二人だけで昼食をとり、午後からは余りにも眠い(正直、食事中から眠かった)ので、荷造りの続きを後にしてほんの少しだけベッドで横になる事にした。うん……、ほんのちょっとだけよ。


 モグモグ……。ふぁ、それにしても、このチョコはなんて美味なんだろう? ふぁ~、もっと欲しいかも──。


 あたしの上下のまぶたが……、口づけを交わしたがって、いる……、Zzz。

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