空を目指した君へ

@yumesaki3019

空を目指した君へ

 【陰徳】とはよく言ったものだ。善行を積んでいればいつか必ず報われる。人に見られていなくても神様は見ている。それが今、見事に裏切られていた。憎い程の青空の中、彼女は宙を舞った。イカロスの如くはいかず、下にあった自動車がクッションとなった。雨が降る様に悲鳴が溢れ出した。

 「非常に残念ですが、中島海さんが目醒めるのは絶望的だと思われます…。」

 無機質な部屋の中、水の滴っていそうな程細い声が響いた。星一つない空に落とされた様に感じた。

 松尾優希と中島海は幼馴染だった。親同士が親密な事もあり、物心ついた時から側にいる存在だった。夜に二人きりで神社に肝試しに行くくらいにだ。その時も不思議な事を体験した。幸い無事に帰る事は出来た。その時

「今日の冒険は二人の約束だよ!!」

「うん!!時々思い出して楽しもうね!!!」

初めて約束をし、ますます距離が近まった。だからこそ、松尾優希は彼女の特異性を知っていた。不思議に思っていた。

 彼女は、誰よりも優しかった。気を使う事が上手かった。彼女の母親に尋ねた事もあったが知らないという。独りっ子だからかしら??なんて的外れな意見が飛び出た事もあった。中島海は母子家庭だった。母親に厳しくも甘い絶妙なバランスで指導されていた。自分の家庭とは違う事もあり、ますます問いかける事が多かった。

当然、本人にも何度も尋ねた。

「なぁ、なんでそんなに優しいんだ??」

「そんな、普通だよ。私がしたいからしてるの。優希君だって私に優しいでしょ?それと同じだよ」

「違っいや違わないけど今はそういう話をしてる訳じゃない!!」

「顔赤いよ??」

とはぐらかされた。いや、一度だけ、たった一度だけ本心を聞いたことがある。

「空みたいになりたいんだよ。」

「空?」

「空ってさ、鳥も雲もお月様も皆受け入れてるでしょ?そんな優しさが欲しいなって。そうすれば…」

「…きっと…私でも…。」

「うん??」

「陰徳って聞いたことある??私、信じてるんだ。

きっと報われるって」

「だから…私は」

「空を目指したいんだ。」

 「その結果がこれかよ…。」

病室で泣き崩れそうになりながらも呟いた。どこから間違っていたのだろうか。どうすれば良いのだろうか。分からない。いや分からなくても、私は君を思い続けよう。そうするしか許されない…許されないに決まってる。

 失った人には何が必要なのだろう。金?食事?睡眠?友人?家族?全部正解だ。現在の最適解は、

常に寄り添ってくれる人だろう。しかし

「もう……本当にどうして……??」

今の彼には寄り添える程の気力がなかった。人と付き合う体力がなかった。

 開けていた窓から寒風が鋭く入り込む。カーテンが揺れる。ふと人影が見える。目を開き咄嗟にカーテンを開く。

「海!!」

開けていても人はいない。木が人影に見えていたのだ。幻覚の様なものが見える程彼は追い詰められていた。悔やみに悔やみきれなかった。

曇りひとつない夜空が顔を覗かせている。何も喋らず現実を光照らしていた。

 「もう……眠い……」

瞼が落ちる中、月に照らされながら彼は眠りについた。暗闇の中、開けられた窓から冷たい現実が流れ込んでいた。結局、彼は上手く眠れなかった。

 「夢であって欲しかった…」

 次の日、病院のスタッフからの味も匂いもない差し入れをお腹に詰め込みながら考え込んでいた。吐き出しそうになるがなんとか堪えた。彼女を汚す訳にはいかない。

吐きそうになった姿を見られたのか

 「優希…?大丈夫??もしかしてずっと居たのかい??」

と実の母に心配された。が

「大丈夫だよ。気にしないで」

「でも今ご飯を吐き出しそうに」

「大丈夫だから」と強めに言い切った。焦燥が表に出てきていた。

 実の母とも空返事な対応しか取れない。とにかく独りにして欲しかった。誰とも関らずただ、側で眠っていたかった。何も見たくなかった。絶望というぬるま湯にどっぷりつかっていたかった。もうどうでも良かった。何も見えない。もう何も知らない。知りたくない。

 それでも、残酷な程空は青い。カーテンが風で揺れ眩しい光が寝ている友人に照らされる。どれだけ照らされようが彼女は起きない。彼女の人生が深く、深く眠ってしまった。という事を思い知らされ松尾優希は再び吐き出しそうになってしまう。思わずふらつき母に支えられる。これほど揺らいでいる

というのに鳥の囀りすら聞こえない。無口のままだ。何も聞こえなかった。

せめて、せめて、大雨さえ降ってくれれば…。

「大声で泣けるのかも知れないのに」

「大声で泣かせてくれないか」

 まだ、心が納得していない。きっといつまでも納得はしてくれない。心が動かない。無感情にもなれない。

なら、せめて、もっと泣かせてくれないか。悲しみに溺れさせてくれないか。一生悔やませて貰えないか。頼む。それくらいは報われてくれてもいいだろう…??。空は眩しく、まだまだ青い。

 母と別れたその日の夜、軽い仕事を終え再び戻ってきた。そしてスーツのまま彼女のベッドに腰掛けた。静寂の中口が動き出す。

 「なぁ、海。聞いてくれないか」

「俺はさ、まだまだ何も知らないんだ。だって俺達まだ20歳だ。これから先がある筈だったんだ。それなのに…それなのに…なんで…空を飛んだんだ??」

 彼女の雰囲気が変わったのは中学一年生からだった。いつも一緒にいた小学生の頃とは違いそれぞれの男女グループに加わり楽しく生活していた。当然ながら若気の至りもあってか反抗期が始まる。お互い家族同士の付き合いも近かったので両親が力を合わせ二人を宥めていた。その時期はいつも以上に喧嘩ばかりしていた。

 一度だけ全力の大喧嘩をした事があった。その日は図書委員で生徒会所属でもあった中島海がいつもの如く人の仕事を安請け合いし、帰るのが遅くなってた日であった。偶然放課後まで部活後もサッカーの自主練していた優希がそれを見かけてしまった。 彼女が真っ暗になるまで残り、仕事をしているとは知らなかった彼はキツめに注意し

「なんなら俺が残って一緒に帰ろうか?」と言った。それが嫌だったのか

「…いつもの事だから大丈夫だよ」

と墓穴を掘ってしまった。

「いつもなら尚更まずいだろ!?なんで言わなかったんだ!?!?親に相談なり色々すべきだろ!?」

「女子達の中でも色々事情があるんだよ。隠したのは悪かったよ、ごめんなさい。」

「それを言われたら…うん…。しょうがないな」

「優希こそ気をつけなよ。色々な人の嫉妬を買ってるんだから。自分を大切にしてよ」

「俺は…大丈夫だよ。それより友人や家族だろ。そりゃ好きな事していたいし大学も行きたいけどさ」

「つッッ優希は自分の強さが分かってないんだよ!!だから偶に泣かせちゃうんだよ!!もっと自分を知りなよ!!!!」

「いきなり何言い出すんだよ??自分を知れって海こそ自分が何をしているか分かってないだろ??

「いつも誰かの為に動いて陰徳を信条にしてる!【いつか報われる】っていつの事だよ!!空になりたいって、自分はどうなっても構わないのかよ!!」

「そんなの俺は嫌だ!!幸せになれるとは思えない!!」

「ならどうすればいいのよ!!私は優希みたいに強くない!!本当に私を分かってないのね!!」

「強くなんかないって言ってるだろ!!愚痴だっていつも零してるじゃないか!話をずらすな!」

「そんなに人に尽くしたいなら家族や俺限定にすれば良いじゃないか!?もっと自分の為に生きろ!!」

 二人で剣幕を立てた後、漸くそれは収まった。

中島海は疲れ果てたのか地面にぺたんと座り込む。

「だって……どうすればいいのよ……だって…だって……」

「常に青空でいようにも無理があるし……曇りは不安を募らせる、雨は皆んな大嫌い…雷なんて傷つけるだけ……そもそも……」

「私には……ない……空っぽじゃない……」

と上の空で呟きながら。

 満月に照らされる中、人形の様に物言わぬ彼女を抱き締めていた。何も言えなかった。何もわからなかった。だから

「大丈夫…」と呟いた。それしか言えなかった。

 その日と同じ月光に部屋が照らされる。残酷にも同じ満月だった。

「あの時、もっともっと強く抱き締めていれば少しは変わっていたのかも知れない。」

「…いや、そうじゃない。」

「海は、望んでない。」

「もっと自分の事を知りなよ!!」

 思い出しただけで心が温かくなっている。声を思い出を、駆け抜けてきた人生を見つめ直す旅に出ると、当てられなくとも、燃え上がる。目に光が灯る。

これなら、まだ。

「生きていける」

「俺は、俺自身を模索しながら強く生きていくよ」

そして

「海の生き様が空っぽじゃない事を俺が証明していくよ」

彼の決意は朝焼けに染まる空に包まれていった。


翌日、彼は病室から飛び出した。少し遅れて職場に着くと、仕事を完璧にこなしつつも独りで仕事していた時とは違い、不慣れなりに同僚と絡んでいく。お互い助言をしあい切磋琢磨する相手を見つけ業績を上げ続けた。自分に余裕があり、自分に出来る仕事ならと損得考えずに安請け合いする事もあった。

少しずつ、認められ人が集まりつつあった。毎日僅かな時間でも中島海に今日の報告と仕事の休憩時間に書いた自己分析ノートを見せる。どれだけの大雨で疲労困憊なフラフラ足でも彼は必ず足を伸ばした。孤独だった以前とは違い、時には仕事仲間とも遊びその報告を楽しげにする事もあった。仕事の事を報告し誰かを褒め、時には仕事仲間も中島海の下に来てくれる事もあった。

 実家の家族達とも明るく接した。自分の本心を曝け出せる様になった。特に中島海の母親と大変親しくなった。彼女の誕生日に二人で協力しケーキを病院に持ち込み二人で食べることもあった。

「お互いやれる事はやっていた」と考え支え合っていた。いつ中島海が目覚めても大丈夫な様に準備を万全にした。独りで抱え込まず沢山の人と過ごす中で松尾優希の中の絶望感は、暗闇は薄れていった。

 そして、その人を惹きつける明るさは、優しさは、かつての月明かりに、似ていた。そして、その行動は陰徳を意図せず体現していた。それほど彼女の生き様に重なりつつあった。

 松尾優希は彼女が居なくとも、眠ってしまっていてもいつ起きても心から誇れる様に人生を全うしていた。

引きずるのではなく、悔やむでもなく、心の一部にして前に進んでいた。

 「あの時は言えなかった事なんだけど」

 「空っぽなのはつまらないと思うんだ」

 「そもそも!!海が空っぽなんて思わないし真っ先に伝えたいけどね!!!」

今日も彼は彼女と向き合う。

昼間にも白く光る満月の様に、寄り添い続ける。

「俺は、抱き締める事しか出来なかったけど。海に反論出来なかったけど」

「海の分、俺は自分自身と、過去と、未来と、全てを考え心に刻んで生きていくよ」

 

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