第一章『猫と鼠と協力関係』その1

 高校二年生になって、一カ月が過ぎようとしていた頃。

 朝の教室では、いつものようにが起こっていた。

「だーかーら! 俺たちは『模擬店』がやりたいっつってんだろ!」

 力強い声が室内に響き渡る。

 声がした方を見てみると、そこにはオラオラ系のイケメンの青年が立っていた。

 彼の名は王生いくるみたくくん。

 バスケ部のエースであり、クラスだけじゃなく学年の男子生徒を率いるリーダー的存在。

 イケメンでスポーツ万能。モテる要素が揃っているのに、何故かあまりモテたことがない。

 そんな彼こそが僕のたった一人の親友だ。

「あまり大きな声を出さないでくださいまし。お耳が壊れてしまいますわ」

 対して、ツンツンとした態度で応対するのは綺麗な黒髪の美少女。

 女子高生にしては小さい体に、幼げな顔立ち。

 けれど、纏う雰囲気は気品があり、ドレスを着たらきっとどこかの国のお姫様のような印象を受ける。

 彼女の名はひめあいさん。

 大企業の社長を父親に持つれっきとしたお嬢様だ。

 愛くるしい見た目ながら、意外にもお洒落の流行に詳しくコミュ力も高いので、女子生徒たちからは絶大な人気を得ている。

 そして、もう一つ付け加えると、彼女はたくくんの想い人だ。

 二人の後方には、クラスメイト全員のちょうど半数ずつが控えていた。

 主に男子生徒はたくくんの後ろに、女子生徒はひめさんの後ろに立っている。

 たくくんもひめさんも同性からの信頼がすさまじいため、二人の戦争が起こると基本的に男子VS女子の構図になる。

 あっ、ところで今回の戦争の発端はというと──。

「何度も言っておりますの。文化祭の出し物は『脱出ゲーム』にするべきですわ」

「いいや! 『模擬店』の方が絶対に良い!」

 対峙する二人の間でバチバチと火花が散る。

 文化祭の時期は七月ごろだけど、出し物の申請期限は今日の昼休みまで。

 一週間前から話し合って、多くの案から二つにまで絞れたんだけど、その最後の二択でクラスの意見が大きく割れた。

 たくくん率いる男子生徒たちが文化祭で定番の『模擬店』に、ひめさん率いる女子生徒たちはちょっと趣向を変えた『脱出ゲーム』に賛同している。

「そもそもあなた方が『模擬店』なんてできますの? 料理も接客もとてもできそうに見えませんの」

「どっちもできるわ! 俺たちを舐めるんじゃねぇ!」

 たくくんが言い返すと、それに後ろの男子生徒たちも続いた。

「そうだぞ! 舐めるな!」

「俺たちだって接客と料理くらいできんだよ!」

「今から全裸でフルコースを作ることだってできるぜ!」

 たくくんを援護するように次々と声を上げる。

 ……うん。とりあえず全裸でフルコース作りは止めといた方が良いと思うなぁ……。

「それだったら『脱出ゲーム』だって、ちゃんとした問題を考えられるやついるのかよ」

「当然ですわ。わたくしたちはあなた方のようにおバカではありませんの」

 ひめさんが自信ありげにそう口にすると、

「あたしたちは頭が良いのよ!」

「甘くみないでください!」

「解答が全てBL用語になるように問題を作ることだってできるんだから!」

 王生いくるみ軍に負けじとひめ軍も応戦する。

 解答がBL用語になるのはダメだよぉ……。

「文化祭の出し物は『模擬店』だ!」

「いいえ。『脱出ゲーム』ですわ」

 顔を突き合わせて睨み合う二人。

 ……すると、息が合ったかのようなタイミングでお互いにそっぽを向いた。

「ったく、このぬいぐるみ女は……」

 たくくんがぼそりと呟く。

 その言葉通り、ひめさんの細い腕には可愛いウサギのぬいぐるみが抱かれていた。

「ぬいぐるみの何がいけませんの! とっても可愛いですの!」

 ぷんぷんと怒るひめさんは、見せつけるようにウサギのぬいぐるみを前に出してくる。

 ひめさんのお父さんが経営している企業はぬいぐるみを製造しているから、彼女はぬいぐるみが大好きなんだ。

 その中でも特にウサギのぬいぐるみがお気に入りで、学校にいる時でもいつも腕に抱いている。

「子供っぽいって言ってんだよ」

「だからなんですの! 可愛いから良いのですわ! ……そ、そもそも、子供っぽいのはあなただってそうですの!」

 ビシッと指をさした先には、たくくんの席。

 彼の机の上には、萌えキャラの食玩フィギュアやキャラカード、萌えキャラが描かれた筆箱など。萌えキャラグッズがてんこ盛りに置かれていた。

 その萌えキャラの正体は『ラブニャンニャン』

 毎週、日曜日の朝に放送中の女児向けアニメ『ラブキュア』のメインキャラクターだ。

「あんなものに興味がある、あなたの方こそ子供ですの!」

「『ラブニャンニャン』をあんなもの呼ばわりするな! 俺の命よりも大切な女の子なんだぞ!」

 本気の口調に、ひめさんは「えっ……」とちょっと引き気味の反応を見せる。

 たくくんは『ラブキュア』が大好きすぎて、第一シリーズから全て見ているんだ。

 この前、たくくんの部屋に遊びに行った時はフィギュアの数が百個は超えていたなぁ。

 ……もしかしたら彼がモテないのは、これが原因かもしれない。

「つーか、お前のせいで話がずれちまったじゃねぇか!」

「それはこちらのセリフですの! とにかく文化祭の出し物は『脱出ゲーム』にさせていただきますわ!」

「だから『模擬店』だって言ってんだろ!」

 お互いに一歩も譲らないたくくんとひめさん。

 それと同じように後方の王生いくるみ軍とひめ軍も言い合いを続けていた。

 二人の戦争は勢いが増していくばかりで、一向に収まる気配がない。

 基本、こうなったらもう誰にも止められない。

 ある人を除いては──。


 ガラリと教室の戸が開く。


 その瞬間、あれだけ騒がしかった教室が一気に静まり返った。

 音が消えた中、そんな状況を気にも留めず教室に入ってきたのは、さくらみやしずくさんだった。

 ひめ家に代々仕える一族の生まれであり、ひめさんの専属メイド。

 といっても、さすがに学校だとメイド服じゃなくて制服だけど。

 闇夜に輝く月のような金色の髪。宝石のように透明感のある瞳。

 モデル並みの高身長に、スレンダーな体形。けれど、出るべき箇所にはきちんと大きな膨らみが二つ存在している。

 容貌はまるで高校生とは思えないほど美しく、一目見ただけで誰もが息を呑み見惚れてしまうほど。

 そして、彼女こそが二人の争いを止められる唯一の存在だ。

「みゃーちゃんですの!」

 さくらみやさんを見て、ひめさんは頼れる助っ人が来たかのように瞳をキラキラさせている。

 ちなみに『みゃーちゃん』というニックネームを付けたのは、ひめさんだ。

 小さい頃からずっとそう呼んでいるみたい。

「みゃーちゃんが来たなら、もう安心よ」

「私たちの勝ちも同然だわ!」

「みゃーちゃん、今日も美しいですぅ」

 女子生徒たちは勝利を確信したかのように士気が上がり、

「げっ、みゃーちゃんが来たぞ」

「うっ、急にお腹が痛くなってきた……」

「こりゃ今日も負け確だなぁ……」

 反対に、男子生徒たちは一気に敗色濃厚ムードになる。

「みゃーちゃん、遅いですわよ」

「申し訳ありません、あいさま。あいさまが忘れた宿題を取りに戻っていましたので、遅れてしまいました」

「っ! そ、そんなことはいちいち言わなくても良いんですの!」

 さくらみやさんがさらりと暴露すると、ひめさんは恥ずかしそうに頬を染める。

「そ、それよりもみゃーちゃん、お願いですの。あの男を懲らしめてくださいですわ」

「わかりました。あいさまのご命令ならば」

 ひめさんのお願いに、さくらみやさんは当然のように対応する。

 それは、普段から二人が主人と従者という関係であることを明白に表していた。

 命令を遂行するため、さくらみやさんはたくくんに近づく。

「な、なんだよ……」

 目の前で表情一つ変えないさくらみやさんに、たくくんは一歩後ずさる。

 すると、彼女は一つ質問をした。

「あなたたちは文化祭でどのような『模擬店』をやりたいのでしょうか?」

「は? そ、そりゃあ、焼き鳥屋とかカキ氷の店とか、色々あるけど……」

「違います」

 たくくんの言葉を、さくらみやさんはきっぱりと否定した。

「あなたたちは文化祭で『水着喫茶』をやるつもりなのでしょう?」

「っ!? い、いきなり何言い出すんだよ。そ、そんなわけないだろ」

 たくくんはやれやれ、みたいな感じで肩をすくめるけど、声が震えていて目は泳ぎっぱなしで、明らかに挙動不審だ。

「嘘をつかなくても大丈夫ですよ。そこにいる田中くんから聞きましたので。食券一カ月分と引き換えに」

「なんだと……!?」

 たくくんが振り返ると、横綱級の体形の田中くんが泣きながら「食べ物に勝てなくてごめん……」と謝罪した。

 周囲の男子生徒たちは田中くんに裏切り者!と鋭い視線を投げつける。

 しかし、たくくんは彼を責めることはせず、

「食券一カ月分ならしゃーねーな」

 そう言って笑った。そんなリーダーの姿に感動する男子一同。

 おかげで、王生いくるみ軍に流れ出したヒリついた空気が一瞬にして収まった。

 これは昔から思っていることだけど、たくくんはオオカミのような存在なんだ。

 小学生の頃にオオカミ少年の話を聞かされて、実際はどうなんだろう? と動物図鑑でオオカミについて調べたことがあった。

 そしたら本当のオオカミは見た目が少し恐いけど、とても仲間想いだってことがわかったんだ。どんなことがあっても仲間のことを絶対に傷つけたりしないみたい。

 そのことを知ったとき、オオカミってたくくんとそっくりだなって思った。

「おおかた、私たちに水着を着させるつもりなのでしょう?」

「あぁそうだよ」

 さくらみやさんが淡々とした口調で訊ねると、たくくんは開き直ったかのように肯定した。

 それと同時に、女子生徒たちから「うわぁ……」とドン引きされる。

「別にいいじゃねぇか! 俺たちだって女の子の水着が見てぇんだよ!」

「最低ですね」

 たくくんの魂の叫びに、さくらみやさんは冷静にさげすみ非難を浴びせる。

 いつもなら追撃してくる女子生徒たちも、もはや呆れた表情を浮かべていた。

「そんな卑猥な動機の案を通させるわけにはいきません。文化祭の出し物は『脱出ゲーム』にします」

「おいおい、勝手に決めんなよ。まだ話は終わってな──」

「言っておきますが『水着喫茶』なんて生徒会に申請した時点で却下されますよ」

 刹那、男子生徒たちに衝撃が走る。

 文化祭の開催はまだ先なのに、出し物の申請期限がこんなにも早いのには理由がある。

 それは出し物の一つ一つに生徒会の審査が入るからだ。

 そこで予算的に厳しいもの、校風にふさわしくないものは全て戻される。

「正直な話『水着喫茶』の実現は不可能だと思いますが」

「ま、まじかよ……」

 ガタッと膝をつくたくくん。

 後ろの男子生徒たちも戦意喪失していた。

「では改めて、文化祭の出し物は『脱出ゲーム』でよろしいですね?」

「……いいや、まだだ」

 しかし、たくくんは再び立ち上がった。

「往生際が悪いですね」

「俺たちにはどうしても『水着喫茶』をやらなくちゃいけない理由があるからな」

 チラリと後ろを見ながら、たくくんはそう言った。

『水着喫茶』は彼女のいない仲間のために、クラスの男子全員で考えた案なんだ。

 ゆえに彼らを率いる者が、そう易々と諦めるわけにはいかない。

 でも、戦況は圧倒的に劣勢だ。

 そんな中、彼が下した決断は──。

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