きゅうそ、ねこに恋をする
三月みどり/MF文庫J編集部
プロローグ
僕はメイドを尾行している。
……うん。自分でもいきなりおかしいこと言ってるなって思ってる。
だけどね、これにはちゃんとした理由があるんだ。
「きょ、今日こそは……」
視線を向ける先には、可愛らしいエプロンドレスに身を包んだ女の子がいた。
彼女の名前は
品行方正。才色兼備。全てにおいて完璧な存在。
それが
彼女は見ての通りのメイドさん。
けれど、メイド喫茶で働いてるとかそういうことじゃない。
代々名家に仕えている一族の生まれ──正真正銘のメイドさんなんだ。
そして、僕は
彼女とは去年からクラスメイトなんだけど、その……あまり感情を表に出さないというか、ミステリアスな部分があって、いつも何を考えているかよくわからないんだ。
同学年の間では、彼女が笑ったところを誰も見たことがないっていう噂もあるし……。
生まれつきチワワに吠えられたくらいで全力で逃げ出してしまうほどのビビりな僕にとっては、彼女のそんなところが少し不気味で、恐い。
だから、避けてたってほどじゃないけど……今まで彼女とは積極的には関わらなかった。
じゃあどうして僕はいま
それは僕のとても大切な友達の恋を叶えるためだ。
その友達の名前は
彼とも同じクラスなんだけど、いつもカッコよくて、すごく頼りになる人なんだ。
そんな彼には好きな女の子がいる。
お相手は同じくクラスメイト──
小さくてお人形みたいに可愛い、と
そんな
僕が
言ってしまうと、
もちろん僕もいきなりこんなことを考えたわけじゃない。
一年生の時から一年間、僕はずっと一人で
さりげなく
……でも、結果は全然ダメだった。
作戦自体は良かった……と思う。けど、それを実行する僕に問題があったんだ。
勉強も運動もダメ。かといって料理とか裁縫とかも全然できない。
おまけに〝超〟が付くほどのビビり。
そんな僕が
二人にラブレターを送ったつもりが、間違えて全然知らない男女にラブレターを送っちゃったんだ。しかも、その二人は見事にカップルになっちゃった。
他にも一人で色々やってみたけど、
その経験を通して、僕はこう思ったんだ。
だから、まずは
「きょ、今日こそは……!」
本日、二度目の言葉を呟く。
でも一度目の時から足は一歩も進んでおらず、電柱の後ろに隠れてずっと
「それにしても、
住宅街を一人であちこち動いて、まるで何かを探しているような……。
「あっ……」
急に
彼女の視線の先──道路の真ん中ではぽっちゃり系の白猫がごろんと寝転がっていた。
あの猫を探していたみたいだね。飼い猫かな?
そういえば、
「っ!」
その時、ふと視界に映った。
見る限り、全く止まる気配はない。
「危ない!」
気が付いたら僕は走りだしていた。
運動がてんでダメな僕が向かったところで、意味がないかもしれない。
──でも、もしかしたら何か奇跡が起こって助かるかもしれない。
そう思うと、動かずにはいられなかった。
「ぐふっ!」
しかし走っている途中、僕は何かに引っかかって体勢が崩れると、そのまま盛大に転び出した。さらに道が少し下り坂になっているせいで、その勢いは止まらない。
「いてっ! いててっ! いたいっ! いたいっいたいっ!」
童話みたいにころりん、ころりんと転がっていく。
どうしてこうなっちゃうの……。
人生で一番大事な場面かもしれない時でさえ、ダメダメな自分にうんざりする。
十回くらい転がって、ようやく勢いが収まると、僕はすぐにボロボロの体を起こした。
「えっ……」
目の前には、さっきまで
どうやら転がって彼女たちのところまでたどり着いちゃったみたい。
ビーッ!
クラクションが鳴り響く。
でも、後ろには猫を抱きかかえた
せめて彼女と猫だけでも!
咄嗟に車に背を向けて、彼女たちを庇うように両手を広げた。
これが僅かの時間にできた、僕の精一杯の行動だった。
しかし──。
……あれ? 車とぶつからない?
恐る恐る振り返ると、僕と接触する寸前で車が止まっていた。
「よ、良かったぁ……」
助かったことに気付くと、体の力が一気に抜けてその場に倒れ込む。
その後、かんかんになっていた運転手の人にひどく怒鳴られて、僕は全力で謝った。
で、でも、こんな住宅街でものすごいスピードを出していた運転手の人も悪いような……なんてことは恐くて言わなかったけど。
「あなたは……」
透き通った声が聞こえて振り向くと、
ま、まだ心の準備ができてないのに。ど、どうしよう……。
「ひ、ひひ、久しぶりだね……」
「つい先ほどまで教室で一緒にいましたよ」
「そ、そそ、そうだよね。ご、ごめんなさい……」
テンパって噛みまくりながら謝ったあと、沈黙が流れる。
き、気まずい……。
こんな空気で協力の話なんて絶対に頼めないよぉ……。
「そ、そうだ! ぼ、僕、用事を思い出したから、か、かか、帰らないと!」
そう決めた僕は適当に理由をつけて、この場から離脱しようとする。
「待ってください」
「ひぃぃっ!?」
急に触れられたから、僕はびっくりして反射的に逃げ出そうとする。
すると、またもや僕は何かに引っかかってずでん! と転んでしまった。
その拍子に
視界には、
「っ!!」
全身が一気に熱くなる。
か、かか、顔が近すぎるよぉ……!!
「ご、ごご、ごめんなさい!! す、すぐに離れ──」
「逃げないでください」
言葉の途中、
そのまま彼女はじーっとこちらを見つめて、その視線は僕から一向に外れない。
まるで獲物としてロックオンされたかのような、そんな感覚。
背筋がぞくりとした。
「あなた、怪我をしています」
「……え?」
言われて、少し冷静になる。
た、たしかに体の所々が痛いような……。
「起きてもらえますか?」
「う、うん……」
自分の体を確認すると、制服が至るところで破けていてそこからは血が流れていた。
転んだ時に擦り切れちゃったんだ。
「私とこの子を助けようとした時ですか?」
「た、たぶん、そうだと思う」
「……そうですか」
ぽつりとこぼすと、
「……な、何するの?」
「動かないでください」
「っ! は、はいっ!」
食い気味に言われて、僕はビビりまくりながら返事をした。
「いたっ」
不意に、患部に痛みが走る。
見てみると、
もしかして治療してくれてる……?
「これでもう大丈夫ですね」
消毒して、絆創膏を貼ってくれた。
しかも、その作業を怪我した全ての箇所にしてくれた。
「そ、その……あ、ありがとう……」
「いえ、それよりどの傷も浅くて良かったです」
単調な声。だけど、僕の心配までしてくれる。
……ひょっとして、
「では、私はこれで」
──と、ここでふと思った。
たったいま僕は間違いなく高校生活史上で一番、
この機会を逃したら、ビビりな僕はもう彼女と喋ることすらできないんじゃないか。
そんな考えが頭をよぎった僕は──。
「ま、待って!」
めいっぱい声を出すと、
その振る舞いはとても美しく可憐だった。さすがメイドさんだ。
「なんでしょうか?」
「え、えっと……そ、その……」
協力をお願いしようと引き止めたまでは良かったけど、
少し話が逸れてしまうけど、彼女は学校では『みゃーちゃん』という愛称で呼ばれている。
一方、僕にも『チューくん』という愛称がある。なんでそう呼ばれているかというと、いつでもビビりまくる僕が天敵から逃げ出す鼠にそっくりだから。
この愛称自体は愛着があって特に嫌じゃないけど、いまの僕はまさに猫と対峙してビクつく鼠、そのものだ。
「? 何もないのでしたら帰ってもよろしいですか?」
「っ! ご、ごめん……ちょ、ちょっと待って……」
と言ったものの、次の言葉が出てこない。
彼女のこういうところは、猫そっくりだと思う。
協力をお願いしたら、急に怒り出すかもしれない。
なんてことを想像したら、やっぱりお願いするのは明日にしようかな、とか思ったり思わなかったり……。
普段の僕だったら、結局この場から逃げ出していたと思う。
──けれど、今だけは絶対にそんなことしない。
だって、僕はもう決めたんだから。
そう自分に言い聞かせて、僕──
「ぼ、僕と協力関係になってくれませんか!」
この言葉がきっかけで始まったことがある。
それは二つの恋物語だ。
一つは
そして、もう一つは──猫と鼠の恋物語。
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