第18話.『想い』のぶつかり合い

 


 ミラ先生からヘスティアの家の場所を聞き出し、学院を抜け出したコウは街中を走っていた。ここは王都だから街並みは整っていて、レンガで作られた道が綺麗に整備されている。


 人や竜車が通るこの通りは、歩行者用と竜車用の道に分かれていて、コウは歩行者用の道を全速力で走っていた。

 コウは、学院を抜け出す際にアルから掛けられた言葉を思い出す。


『コウ!ヘスティアを絶対に連れ戻してきてくれ‼︎』


 この言葉に、どれだけの意味や想いが込められてるのかは計り知れない。しかし、コウはそのアルの発言を汲み取り、より一層ヘスティアを連れ戻すことへの決意を固める。


 ……ヘスティアは、俺が必ず――。


 ヘスティアが有名な貴族であることはさっき知った。学院では、貴族か平民での差別は無いに等しく、この王国全体でも、そういう風習は既に終わっているのもあり、無知なコウは気付くことが出来なかったのだ。


 ……正直、貴族であることの辛さや厳しさとか、俺には分からない。

 ……それでも、この俺に、少しでも出来ることがあるのなら、


「――それを実行するまでだ」


 こは足を止め、正面に見える建物を見つめる。

 赤を基調としたその屋敷――ヘスティアの実家は、とても大きくて豪華で、有名な貴族家であることにも納得がいった。

 屋敷の中庭らしき所には、剣を胸の前で握り締めて、剣先を太陽に向けて掲げている女性の剣士の像がある。


 ここが、ヘスティアの実家である、アンタレス家。

 正面の門には2人の屈強な警備員がいて、腰に剣を掛けていた。コウは息を潜め、足音を立てないように忍び足で近寄る。

 警備員の死角まで歩いたコウは、緊張を解くかのように息を吐き、これからの行動の算段を立てた。


 警備員に、入れさせて下さいと言っても成功する確率は低い。どんな主張も戯言だと思われ、引き返させられるだろう。

 今のところ、警備員が動く様子は無い。一見、退屈な仕事であるようにも見えるが、責務を全うしている。依然として隙が無い。


 ならば、邪道とも言える手段かもしれないが、この手段を取るしか無いのだろう。スパイでも何でもないコウには、一つの手段しか浮かび上がらなかった。



 コウは深く目を瞑り、深く息を吸い込む。

 そして、周りの空気や風景と同化する様子を頭で思い浮かべながら、剣気を纏う。


「〝潜伏せんぷく〟」


 ――剣を使わずに、剣気だけを纏う技術。

 《時の狭間》でコウが覚えた技術だが、学院でも習った技術だ。それによって生み出す効果もまた千差万別。

 剣気により、人体の屈折率を空気の屈折率に近づけ、実際に身体を透明な物質にするというよりは、『見えなくなる』という状況を作り出す。


 そしてコウは――、


「――ッ!!」


 ――家の塀を飛び越え、庭へと侵入する。

 高く跳躍したコウは、地面に着く際に空中で一回転をして、まるでアスリートかのように着地した。

 門の方を一瞥して、警備員の様子を確かめる。今のところ、警備員がコウの侵入に気付いている様子は見られなかった。


 ……ヘスティアはどこだ?


 コウは纏っていた剣気を霧散させ、身体を見えるようにする。流石にさっきの状態をキープすると、精神的にもかなり疲れるのだ。

 コウは屋敷を見渡し、ヘスティアがどこにいるのかを必死になって探す。


 ……そういえば、そろそろお腹も空いてきた。もう昼食の時間か。


 おそらく、ヘスティアは昼食を食べているのだろう。これは勝手な想像だが、一つの大きい部屋に集まり、家族で揃って食べているような気がする。近くには使用人が立っているのだろう。


 ……となると、ヘスティアは自分の部屋にいない、という説が有力だ。

 ……だけど、


 ――あれは何だ?

 明かりが付いている部屋が、一つ見つかった。部屋にある窓から中が少し見えるが、生活感のある様子が見て取れる。――ならばあれは、


「……ヘスティアの部屋である可能性が高い!」


 言葉にすると同時に、コウは全速力で走り出した。

 腰に掛けてある剣の柄に左手を添えて、ヘスティアの部屋だと思われる部屋を見据えながら走る。

 そして、


 ……いつか絶対、弁償するので許して下さぁぁぃ!!


 助走をたっぷり付けたコウは、大きく跳躍し、部屋の窓をぶち破りながら強引に入った。


 パリ――ン、という音と共にガラスは割れていく。

 何とか部屋に着地したコウは、一拍を置いてからヘスティアを見つめ、笑顔を作りながら語りかける。ヘスティアはとても困惑しているようだった。


「よぉ、久しぶり!……ってわけでもないか。――迎えに来たぜ」


 ヘスティアはより困惑し、数回瞬きをした後、血相を変えて叫ぶ。


「何で、あんたがいるのよ……っ‼︎」


 ヘスティアの咆哮が、ただただ痛い。多少なりとも傷ついているヘスティアにとって、コウの存在は害悪でしかないのだ。

 分かっていた話だが、やはりヘスティアは、コウとの再会をよく思ってなんかいなかった。


 ――だからこそ、コウは微笑む。



 * * *



「ヘスティアを、助ける為だ」


 決して怖気付くことなく、コウはヘスティアの『問い』に答えた。

 しかしどうやら、この答えではお気に召さなかったらしい。


「はぁ!? ふざけるのも大概にして!どうやってここまで来たの⁉︎ 学院はどうしたのよ‼︎」


「…………」


 叫ぶヘスティアと、押し黙るコウ。無言で視線を交わすが、以心伝心出来る筈はなく――。


「はぁぁ……。まぁいいわ。こんな馬鹿なことしてないで、早く学院に戻りなさい。 ……私のことはもう、どうでもいいから……」


 最後の部分だけ、ヘスティアは目を伏せて話す。

 コウはその何気ない行動に、ヘスティアの心理を察する。そして、その上でヘスティアに言葉を掛けた。紛れもない、コウの本音を。


「俺は、ヘスティアを救う為に来た!これに嘘偽りは無い。 ヘスティアが今、どんなことに苦しみ、どんな思いでいるかは正確には分からない。だけど、俺は君を救いたい!君に、笑顔で剣を握って欲しい……‼︎ だから! ――自分のことをどうでもいいなんて言うのは、めてくれ」


 …… そうだ。俺がここに来たのは、ヘスティアを『』から救う為。今更、後戻りはしない。


 コウは真剣な眼差しでヘスティアを見つめる。

 しかし、ヘスティアからの返事はなく、静寂だけがこの場を包んだ。決して和むことはなく、冷たくなる一方の空気を感じながらも、コウはヘスティアの言葉を待ち続ける。

 ――ヘスティアの応えを聞きたい。

 ヘスティアを見つめるその瞳に、俺はそんな想いを込めた。


 三十秒だっただろうか、それよりも長いかもしれない。それだけの時間を掛けて、やがてヘスティアは沈黙をぶち破り、言葉を発する。

 コウの本音――想いへの応えだ。


「私は……」


 俯きかけていたヘスティアの顔が上がり、力強くコウを見つめ返した。


「私は、あんたのっ、あんたのそういうところが嫌いなのよ‼︎ 私を助けに来た⁉︎そんなの誰も求めてないわよ!! もし人助けをしたいって言うなら、別を当たりなさいよ!そこら中に困っている人なんているでしょう!? 私のことはもう……どうでもいいから。……もう帰って! 帰りなさいよ!!」


 ヘスティアは、泣きそうな、悲しそうな、そんな声音でコウに言う――否、叫ぶ。

 彼女は主張した、願った――『帰れ』と、そうコウに願ったのだ。

 だが、


 ……本当に、本当にそれがヘスティアの願いなのかよ――っ!

 ……たとえそれが、今のヘスティアの本音だったとしても、そんなものは


 奥歯を噛み締め、拳を強く握りしめる。胸の奥から湧き上がる熱情を、コウは必死に堪えた。

 今ここで、口論をしてる場合ではない。コウはあくまで侵入者。もたもたしている時間は無いのだ。コウの冷静な部分がそう結論づける。


 しかし、それでも何をすれば良いか分からないコウは立ち尽くす。

 そんなコウを見て何を思ったのか、ヘスティアは枕をコウに投げ飛ばし、毛布を抱えながら呟く。枕を受け止めたコウは、そんなヘスティアの呟きに耳を向けた。


「首席じゃない私――ヘスティア・アンタレスに、価値なんてないのよ。 強くない私が、この家に存在する理由なんて無い……っ! ……紛れもない事実なの」


「そんな、ことは……っ‼︎」


「――あんたに、私の気持ちなんて分からないわよ!分かろうとしてきたって無駄。寧ろ気持ち悪いわ!虫唾が走る‼︎ そんなの、どうせ分かりもしないのにいつも私に優しくしてくる奴等と同じよ!逆に私を苦しめてるってことが、どうして分からないの――!?」


 ヘスティアの叫ぶ言葉の一つ一つが、とても痛々しい。言い返し難いその言葉に、またしてもコウは押し黙る。


 だが、ふと、コウは昔のことを思い出した。脳裏に浮かび上がる光景は、コウのとるべき行動を教えてくれそうな気がする。そんな気がした。



 * *



 あれは確か、どんなに練習しても強くなれず、泣きじゃくった満月の夜。


 ベットの毛布で顔を覆い、泣き声を抑えながら泣いていた。止まることなく溢れてくる涙の所為で、毛布は湿っている。

 しかし、コウに救いの手を差し伸べてくれる人などいなかった。きっと誰もが、心の奥底で諦めていたのだ。


 木でできた床に蹲り、硬く握りしめた右手をベットに叩きつける。頬を伝う涙の雫が、月光を跳ね返していた。


 …… でも、もし、一人でも俺に手を差し伸ばしてくれる人がいたら――『諦めるな』と叱りつけてくれる人がいたら……俺は変われただろか?


 ――答えは分からない。そうすることで何か変わったかもしれないし、何も変わらなかったかもしれない。


 ……だけど、ここで今、俺がヘスティアの為に動くことで、ヘスティアを変えることが出来るのかもしれないなら――俺は、ヘスティアの為に手を差し伸べたい!



 * *



「なあ、ヘスティア。首席じゃなかったら……いつも誰かより強くなかったら、自分に価値は無い――本当にそう思っているのか?」


 ヘスティアの息を飲む声が聞こえる。しかし、返事は返ってこない。コウは言葉を続けた。


「確かに、俺にはヘスティアの悩みを完全に理解することは出来ない。だけど、俺はヘスティアを救いたい!君をここで終わらせたくない!首席でないとダメなんていう、家族からかけられた呪いは、――俺が断ち切る‼︎」


 コウの言葉を聞いたヘスティアの目尻が熱くなる。それはきっと、無意識に起きた行動なのだろう。

 コウはそんなヘスティアを見て、答えを導き出せた――そんな気がした。

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