はたらきビーバーの家

王子

ChristusKind(執筆:王子)

 森に朝が来ました。

 昨日の大雨とは打って変わって、気持ちの良い秋晴れでした。紅葉した木々の葉には雨粒が乗り、朝日をまばゆく反射しています。

 クマは水飲み場である川へ向かっていました。坂道はぬかるんでいました。足を滑らせないようゆっくりのっそり下っていきます。

 川に近付くと他の動物の匂いがしました。水面に顔が映るところまで寄ってみると、下流から泳いでくる小さな生き物が見えました。クマの近くにやって来て水面から顔を出しました。

「おはようございます、今日は良いお天気ですね」

 穏やかに挨拶をした小動物は、ビーバーでした。

「この森に、まだビーバーがいたのか」

「私の知る限りこの森のビーバーは私だけです。以前は妻と子供達、ご近所さんもいましたが」

 クマは「そうか」と、水面に口をつけました。

 人間が、ビーバーの毛皮を帽子やコートに変えていることを知っていましたが、口にはしませんでした。

「新しい家のために、防波堤を作っています」

 ビーバーのずっと後ろには、木の枝や泥や石が積み重ねられた小さな山がありました。

「昨日の大雨で、家が流されてしまったのです。よくあることです。大きな川で家族と共に作った大きな家でした。このくらいの川なら一人で住む家を作るにはちょうどいいですね」

 ビーバーがにっこりと笑って、クマは「そうか」と言って腰を下ろしました。

「家の土台は川底と繋がっているのです。よほど大きな洪水がこない限り流されません」

 クマは相槌も打たず黙っていました。

 ビーバーは振り返って枝の山を指しました。

「あの防波堤で川をせき止めます。水が溜まると大きな池になります。その池の真ん中に家を作るのです」

 クマは、ふむ、と鼻を鳴らしました。

「そうか」

「ご傾聴けいちょういただき、ありがとうございます。作業に戻ります」

 ビーバーはぺこりとお辞儀をして泳ぎだすと、クマはもっそり立ち上がりました。

「いつ頃できるんだ」

「小さな川です、二週間ほどで完成するでしょう。では、ごきげんよう」

 もう一度お辞儀をして船のオールみたいな尻尾で、すいすいと泳いでいきました。


 森にはたくさんの動物が暮らしていて、それぞれの役割を果たして生きていました。クマには、これといって仕事はありませんでした。森で最も強い動物なので当然でした。

 ビーバーの家はすぐに完成しました。防波堤で川はしっかりせき止められて、広い池の真ん中に家が浮かんでいます。ビーバーは満足げでした。

「お前の仕事は、家を作ることなのか」

「家作りは誰でもやっていることですが、仕事と言ってもいいのでしょうか。ですが、ビーバーの家は森を豊かにするそうなのです。川だった場所が池になると渡り鳥がやって来て羽を休めます。池に水草が育てば魚達も棲めます。池がれてしまっても底に溜まった土砂には豊富な栄養があるので草が育ちます。やがて草原に生まれ変わり、草食動物達に恵みをもたらします」

 興味があるのか無いのか分からない顔でクマは「そうか」と言いました。

「もし誰かの役に立っているなら嬉しいですね」

 二人が話していると、がやがやと動物達が池の周りに集まってきました。

「お集まりの皆さん! ウタツグミのコンサートに、ようこそいらっしゃいました」

 木の枝に止まって背筋をピンとしているのは、ウタツグミです。聴衆達が周りを囲んでいます。息を呑むほど美しい歌声で、皆一様にうっとりと聴き入りました。コンサートが終わりウタツグミは言いました。

「お帰りの際は木の実を置いていってください」

 ウタツグミの足元にはつたで編んだカゴがあり、聴衆達は持参していた木の実を言われたとおりに入れて帰って行きました。

 人間の世界でいうところの、おひねりでした。

 遠巻きに眺めていたビーバーとクマに、ウタツグミが声を掛けました。

「おやおや、お二人ともこんにちは。クマさんはいつも強くたくましくいらっしゃる。それに引き替えビーバーときたら、今日もぼんやりした顔をしているね」

 ビーバーは首をすくめました。

 ウタツグミは高らかに歌い始めました。


 だらしのないずんぐり胴

 ぽっかり穴の小さな耳

 黒くて平たいぺたんこ鼻

 森じゅうみんな言っている

 生まれ変わっても

 ビーバーだけにはなりたくない!


 ビーバーはぎゅうっと体を縮めて、痛みに耐えるように固く目を閉じました。

「ろくすっぽ仕事もせず池の真ん中に引きこもり。私のように少しは森の役に立ってくれたまえよ。コノハズク様はどうしてこんな役立たずを生かしておいでなのやら」

 ウタツグミは木の実がたんまり入ったカゴをくわえて、馬鹿にするようにぴぃぴぃと声を上げながら飛び立って行きました。

「よくあることです」

 ビーバーは困ったように笑いました。

「お前は役に立っていないのか」

「こういうとき、よく分からなくなります」

「ビーバーの家は、棲家すみかや食べ物を生むのだろう。歌で腹が膨れるのは、あいつだけだ」

「やめましょう、クマさん。私は見返りを求めて家を作っているわけではありません。ウタツグミさんは木の実をもらえるだけの仕事をしたのです」

 でもお気遣いありがとうございます、と小さく呟いてビーバーは家に引っ込みました。


 森の動物達が一堂に会する日がありました。満月の夜、コノハズク様のお言葉を頂戴するのです。未来を予見し、深遠なる叡智えいちで道を示し、災いから救ってくださる偉大な方だと言われていました。動物達を守り導く母たる存在で、森の創造主に遣わされた天使様だという者もいました。

 ビーバーとクマもコノハズク様の住まう森の奥へと一緒にやって来ました。

 動物達はビーバーを見かけると、のろま、ぶさいく、ドブ臭い、臆病者、森の面汚し、役立たず、毛皮にされてしまえなどなど悪口をぶつけていきます。クマは、日頃からひどい扱いを受けているのだろうと察しましたが、ビーバーがかたくなに何も言い返さないので黙っていることにしました。

 コノハズク様が皆の前に姿を現しました。大木の太い枝に鋭い鉤爪を立てて、満月を背にして、ぎらりと光る大きな瞳を森の動物達に向けました。

「愛しき私の子供達よ。冷たい冬がやって来ます。春まで眠りにつく者もいるでしょう。日頃から、皆が森を守り、森の役に立ち、森に尽くしてきたことを私は知っています。次の満月の晩までに、最も善行を働いた者に褒美を与えます。私の目は森の隅々まで行き渡っています。引き続き、良き森の民であらんことを」

 コノハズク様は、年に一度、褒美として願い事を一つ叶えてくれます。森の動物達はこのために一生懸命に働き、善き行いに努めるのでした。

 喜びにわく動物達をぐるりと見回し、慈愛に満ちた笑みを浮かべたコノハズク様は、「それから、」と続けます。

「大切なことを教えます。未来を見ました。厚い雲が空を覆っていました。近いうちに、この森に大雨がやって来るでしょう。しかし案ずることはありません。私が災いを退け、子供達の棲家を、命を、必ずや守ります」


 コノハズク様の予言はそのとおりになりました。満月の日の前日、深夜からの雨は朝になっても降り続いていて、しばらく止みそうもありませんでした。

 ほとんどの動物達は家に引っ込んでいましたが、クマはビーバーが気掛かりで池にやって来ました。

 水面を打つ雨音は、異常事態を知らせるように激しく鳴り続けています。

 もちろんビーバーも家の中だろうと思っていたクマは、池の中を忙しなく泳いでいるビーバーを見つけて驚きました。

「何をしているんだ」

 クマは雨音に負けないように大声を上げました。声に気付いたビーバーは、一度振り返って、くわえていた枝を防波堤に積み上げました。

「ここには大量の水がせき止められています。防波堤が決壊すれば洪水になります。下流の棲家を奪ってしまうかもしれません。この池の周りにも新たな棲家を得た動物達がいるはずです。なんとしても止めなければならないのです」

「助けを呼んだ方がいいんじゃないか」

「私には水を弾く毛皮がありますが、他の動物は冷たい水の中を長くは泳げないでしょう」

 クマは「そうか」としか言えませんでした。

 陸に上がって木を切り倒し、凍えそうな水に飛び込み運んでいくビーバーを、クマは黙って見ていました。やがて日が暮れて、夜になりました。明日は満月ですが、厚い雲が垂れ込めていて光は見えません。矢のように降り続ける雨。真っ暗な池を泳ぐビーバーを、それを見守るクマを、容赦なく襲います。

「もうやめたらどうだ」

 クマが叫びます。

「これは、私の仕事です。やめるわけには、いきません」

 疲労困憊ひろうこんぱいなのは弱々しい声から明らかでした。ビーバーは一日中休まず働いていたのです。

「何か手伝えることはないのか」

「体を壊しますから、家に帰ってください」

 それからもしばらくビーバーは枝を運び続け、クマはずっとそばにいました。雨足は衰えません。

 ふらつく足取りで枝を引きずって池に入るビーバー。体がいうことをきかずに、ついに動けなくなってしまいました。クマは駆け寄って池に入り、水面に浮かんだビーバーを抱き抱えて陸に上がりました。ビーバーの冷えきった体は小刻みに震えていました。息も絶え絶えでした。

「ああ……あとは祈るしかありません。コノハズク様、災いを退けてください。動物達の棲家を、命を、どうかお守りください」

 クマはビーバーを家に連れて帰り、体を丸めて温めてやりました。小さな鼓動を優しく抱き締めました。

 朝日が昇る頃、クマは目覚めました。

 ビーバーは冷たいままでした。胸に伝わっていたはずの鼓動も消えていました。凍えるほど冷たい朝でした。

 クマは巣穴の近くに穴を掘ってビーバーの体を横たえました。黙祷もくとうを捧げてから土で覆いました。小さな小さなお墓でした。


 満月の夜が来ました。

 コノハズク様の集会への参加は絶対だったので、クマは重い心と体をどうにかこうにか動かして、森の奥へやって来ました。

「愛しき私の子供達よ。今宵こよいもよく集まってくれました。昨日の大雨は私が去らせました。洪水も起こらず、誰一人欠けることはありませんでした」

 クマは黙ってお言葉を聞いていました。防波堤はどうなったのだろうと考えていました。

「さて、約束どおり最も善行を働いた者に褒美を与えましょう」

 そこの子よ、とコノハズク様が目を向けた先にいたのは、クマでした。困惑しました。思い当たる節が無かったのです。

「善行なんて何もしていません」

「あなたは、失われようとしていた命を、冷たい池に飛び込み身をていして救いました。それだけではありません。夜通し付き添い体温を分け合ってやりました。素晴らしい善行です」

「でも、助けられませんでした」

「それは残念でしたが、結果だけに目を留めてはいけません。あなたのしたことは、まがうことなき善行です。他の子らもそうは思いませんか」

 クマの周りから、賛同の拍手やら鳴き声やらが上がりました。

「あなたの願いを一つ叶え、贈り物としましょう」

「では、友人を生き返らせてください」

「それはできません。失われた命をよみがえらせるのは神の御業みわざです」

「ならば願いなどありません」

 コノハズク様に背を向けて歩きだしました。

「私は待っています。願いが思いついたら、私のもとへ来なさい」

 ふとクマの頭に疑問が浮かびました。

「コノハズク様は森の全てをご存知なのですよね。ビーバーが大雨の中で何をしていたか、知っていますか」

「ビーバーがどうかしましたか」

 誰に言うでもなく「そうか、そうか」とこぼしてクマは立ち去りました。


 帰り道、クマはビーバーと出会った場所に立ち寄りました。

 ビーバーの家も、防波堤も、そこにありました。池は穏やかに水をたたえ、鏡となって満月を映していました。あまりにも静かな夜でした。

 巣穴に戻ったクマは、ビーバーの小さなお墓にどんぐりを供えました。春になっても、毎日そうしようと思いました。

 墓守はかもりはクマの仕事になりました。


 いつまでも寝付けませんでした。巣穴を出ると、まあるい月があたりを白く照らしています。

 ビーバーのお墓をしばらく見つめてから、夜の森の中を歩き始めました。たどり着いたのはコノハズク様がいる森の奥でした。

「どうしましたか。願いが思い付きましたか」

「冬眠に入るのです。毎日、夢の中でビーバーと会わせてください」

「それならば叶えてあげられます。家に帰って、心穏やかに眠りなさい」

 言われたとおりクマは巣穴に戻って、目を閉じました。眠りはすぐに訪れました。

 クマは夢を見ました。

 池のほとりに座っていて、かたわらにはビーバーがいて、家ができあがったときの晴れやかな笑顔がありました。

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