猫のハナコ

爪先

第1話 猫をお風呂に入れる

 スコティッシュフォールドのハナコは、夫がペットショップで買った。

 三毛猫の女の子。

 初めに写真を見たとき、ぬいぐるみかと思った。

「この子にしよう。」

 そう言われて店にメールを送る。折り返し電話が来てすぐに決まった。とはいうものの他県からの移動に1か月ほどかかる。それまでの間、猫について二人で勉強した。


 はなこを見つける前に、保護猫の施設や譲渡会にも行ってみた。

 譲渡会で白猫とグレーの姉妹猫に会ったときはかなり心が揺らいだ。

 飼う予定は一頭。一つのケージに入った姉妹は一頭を抱くともう一頭がそれを目で追う。その様子に一頭だけ連れて帰ることはできなかった。

 3ヶ月ほど探し回り、目にとまったのがはなこだった。


 どうして猫だったのか分からない。多分夫は私に仕事をくれたのだと思う。

 子育てが終わり何もなくなった。無くなったという言い方は正しくないけれども、私が育てることに執着していたことを知っていたからだと思う。


 柔らかい茶色の毛の中に、硬めの黒い毛とこげ茶の毛が混ざっている。ブラシを入れるのに、左右、手でかき分けると、色々な毛が混ざっていることがわかる。薄茶の毛も一本を観察すると根本が白い。ふわふわとした手触りの中に、たまに突き刺さるような剛毛が混ざっている。買った時に、スターターセットという便利なセットの中に、ブラシが入っていた。長方形に銀のピンがいくつも刺さっているので、毛をすかれるときに、痛くないのかといつも思っていた。

 今日のブラシは、買い物を頼んだ時に、夫が選んできたシリコンのブラシだ。つついただけでふにふにと曲がる。手のひらに突き刺しても痛くなく、これなら自分でも扱えそうだと安心して、はなこの背中をすいた。

「すごく使いやすいでしょ。」

 自画自賛を欠かさない夫に、少し呆れながらそうねと頷く。

 ブラッシング途中のはなこは、お尻をあげて、もっともっとと訴えている。甘える仕草に、きっと自分のことを人間だと思っているんだろうなと、見上げてくる目をみておもう。もし、片手間にブラシをあつかうなら、すぐにそれを見抜き、ゆらゆらとその場を去っていく。だから、上がった尻を、気がついてるよと大袈裟に手のひらで撫でる。すぐに体が沈み、手を投げ出すと面白いくらい体全体のちからをぬいて伸びる。ああ猫だなぁと笑ってしまう。

「風呂は?」

「ブラッシングが終わってから。」


 動物を家の中で飼うことが嫌な理由は、排泄の場所に問題があるからだ。人間は排泄を部屋とは違う場所でする。ところが動物は、食べたり飲んだり眠ったりする居住スペースでするのだから、気持ちとしては抵抗がある。猫の場合、トイレに行った足で、部屋中を動き回るわけだから、できればケージで飼いたいと初めは思っていた。

「暖房入れてきて。」

 夫に言うと、すぐに立ち上がって風呂場に向かった。元々、まめな人で、長男が生まれた時も甲斐甲斐しく動いていた。自分の方が雑に育児をしていたと思い出す。猫を飼い始めてから、昔の記憶がどんどん鮮明になる。

 こんな日々を遠い昔過ごしていたのかと不思議に思う。

 もっと大変で必死だったのではないかと。

 猫を風呂に入れながら、子育ての復習をしている気分になる。とても穏やかな時間に遠い日々を思う。

 ぴぴぴぴ

 風呂が溜まった音楽がなり、夫が先に入る。

 部屋の暖房も付けて、タオルとドライヤーを用意して、風呂上がりの猫をむかえるべく準備をする。まるで乳児の沐浴だ。風呂に入れる前に爪を立てていた猫は、小さくなって尻尾や体にびっしょり水気をまとわせている。手や足の毛、尻尾の毛を絞り、バスタオルで猫をくるんだ。風呂が怖かったのか、すっかりおとなしくなってだかれている。部屋に運んで、ファンヒーターで乾かしながらタオルで拭く。みっしりとはえた毛が濡れているので、なかなか乾かない。根気よく乾かしていくと、ふわふわと重みを感じない手触りの毛に戻ってくる。

「いいこ。」

 我が子にしたように声をかけ、抱きしめるが相手は猫の子どもだ。小さい爪を立て、腕から逃れようとする。

「大丈夫?」

 風呂から出てきた夫は、逃げようとするハナコを受け取り、ひょいと片手でつかまえると乾かし始めた。しかし、その手をすり抜けて、肩によじ登りとうとう背中に移動してしまった。

「いてててて」

 夫の背に爪を立て、ハナコは肩から飛び降りた。ちょうど隠れ家になっていた段ボールの中に入ってしまい、そこから出すのは一苦労しそうだった。

「おいで。」

 人間でもないし、犬でもない。嫌なものは嫌なんだと、濡れた尻尾を体にくるりと巻きつけて小さくなって隠れているのを見ると、無理やり出すのが可哀想にも思う。

 濡れた体をタオルで拭きながら、伝わらない言葉を猫にかける自分がおかしくなって笑う。

「何笑ってるの?」

「可愛いなと思って。」

 ただそこにいるだけで、笑うなんて久しぶりだった。











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