第2話




 脳のデータ化、及びダウンロードが可能になった人間は、器を乗り換えて、長く生きられるようになった。

 器はクローン化した己の身体だったり、動物だったり、植物だったり、鉱物であったり、機械であったりする。


 生まれた時の身体のままに死を望むもの。

 生まれた時の身体を捨てて生を望むもの。


 後者は人間ではないとの非難はあったが、時を経れば、以下の考えが芽吹き始めた。

 そして、その思考が世界に浸透した時、争いはなくなったという。 


 人間である事。

 己さえ意識していれば、器がどうであれ、人間は人間だそうだ。






 ばっちゃんは機械の身体を受け入れた。

 不治の病に罹ってしまった結果だと教えてもらった。

 ただ、この機械の身体に寿命が来れば、死を受け入れるとも。

 

 じっちゃんと離婚してから十年後の事だった。






 離婚の原因は何だったのか。

 あの人に言われた事にすごくいきり立って、その勢いのままに離婚を切り出した事くらいしか覚えていない。

 あの人に何を言われたのか、全く覚えてないのに。

 あの人が着ていたシャツが薄い桃色で焦げ茶のパンツだったとか、夕飯は娘の好きなハンバーグだとか、どうでもいい事は覚えている。

 私自身を莫迦にされたと、それだけは確かで。

 すごく赦せなかったのに、顔を見たくないと思ったのに、同時に会えなくなる事がすごく寂しく思った事も。


 莫迦にされたままで堪るか。

 見返してやる。

 

 仕事も育児も頑張った結果、待っていたのは、不治の病。

 生の可能性を提示されているのに、どうして、拒む事ができようか。


 まだまだ、

 まだまだまだまだ。

 あの人を見返すには、実績が足りない。能力が足りない。時間が足りない。

 

 多分、あの人もあの日言った言葉を覚えてはいないのだろう。


 多分、常日頃思っていた事ではなく、酔っぱらって、いい調子だったのに、水を差すような事を言ったから、出てしまった言葉なのだろう。


 多分、離婚を切り出すような言葉ではなかった。


 次の日に、私がいなくちゃ生活していけないくせにと、軽い調子で言い返せばよかったのだ。

 それで、気が済む程度の事。

 その程度の事。


 それなのに、どうしても。

 どうしても、その時の自分は赦せなくて。

 赦せない自分を捨てる事もできずに、今を生きている。






「ばっちゃん。じっちゃんに会わない?」

「会わない」


 あの人から恋文が届いている事を伝えられるようになったのが、娘から孫に代わっても、まだ会う気になれなかった。

 今手掛けている事業が終わるまでは会う気などなかった。


 恋文が届けられていようがいまいが、関係ない。

 あの人の気持ちが残っていなくても、無関心でも関係なかった。

 ただ、自信を持って、私を見せて、言ってやりたかっただけ。


 まさか、これだけの年月が過ぎても、私が好きだとは思いもしなかったので、正直、会った時の返事はどうしようか迷っている。

 赦せない気持ちはあっても、あの人に恋する心もまだ確かに持っているのだ。

 

「ばっちゃん。じっちゃんの事、好き?」


 孫に訊かれて、私は内緒と答える。

 返事を迷っているのもあるけど、あの人への想いはあの人自身に伝えたいからだ。


 あと、十五年。

 あの人がどうなっていても、会うつもりはないけれど。


 それまでは生きていてほしいくらいは願っても、ばちは当たらないだろう。







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