事件は、駅前で起きる1
帰りたい。でも、どこへ。
改札口を出る。すかさず、詰襟の学生服のジャケットを脱ぐ。簡単に畳んで、学生鞄と共に持つ。
白シャツのボタンを外した。裾を黒のスラックスの上に出す。白の靴下と黒の革靴は、どうにもならないが。少しは、涼しくなった。
「家に近いから、いいよな」
歩を進めながらの、黒須 透(くろす とおる)の独り言。ありがたいことに、同世代から上は、皆、似たような服装に変わった。
右側。構内にある店の前を通りすぎる。地域の物産の紹介を横目で見ながら。ドアの真横の貼り紙。透は思わず、足を止めた。
「かき氷!」
ひっきりなしに開閉する、ドア。次々に入っていく、客。店に吸い込まれそうになったものの、透は踏み留まる。
寄り道はいけないとの思いが、足早に遠ざけさせた。代わりに、鞄から出した小さな水筒の生温かい水を飲む。
ブワッ。吹き付ける熱気。透は閉口する。人の流れに乗って進んだ、先。視界が広がる。
「暑い!」
駅前広場に出て、口々に、不平をもらす。皆、少しは涼しくなるのを期待して。どうにもならないと判っていても。透も同意する。
上げた視線の先。空を覆う、灰色がかった雲。妙に、明るいが。最近の天気を振り返る。曇り続きだ。簡易的な温室の中にいると思い違いさせる。
ひと雨……。いっそのこと、雲を切り裂けるほどの刀があれば。
本能に働き掛けてきた、警告。透は真顔になる。突然、下腹に生じた感覚。不安の一種。
いや……。全身を包んだ感覚を言葉にすれば。今居る場所に居てはならない。
踏み出そうとした透の足を、見えない針と糸が縫い止める。
ボフッ。曇天を切り裂いて現れる。三日月の形をした、白い物体。
ヒュン、ヒュン、ヒュン……。奇妙な音を拾う。物体が縦回転するたびに立つ。
しいて言えば、長い紐の先に筒をくくり付けて、回しているような。
縫い合わされるように、曇天にできた穴が閉じる。寸前、群青色の光が降りてきた。
「何だ、あれは?」
居合わせた人たち全員が、聞き取った順に足を止める。危険と察知して、逃げ出す人。
半数の人たちが、手にしていた物。半数の人たちが、持っている鞄や服のポケットを探る。目当ての物を取り出す。車や自転車を降りてまで。
空に向けて、撮影を始める。今では、誰もが、にわか記者になれる。
「な、何か。近づいて来てない?」
気づいた、一人の女の子が言う。周りに居る友達に。認めて、散り散りに逃げ出す。
既視感にとらわれた。どこで見たのか。透は思い出そうとする。記憶は、霧の向こう。強い衝動。放っておいてはいけない。
「危ない!」
「キャアー!!」
「逃げて!」
半円形にできた、空間。振り向いた人たちが、口々に叫ぶ。駅を背にして立つ、透に向かって。
自分に目がけて、落ちてくる。三日月形の白い物体。鞄とジャケットを放った。透は両手を伸ばす。刃物の形だ。両手で挟んで止める気でいた。
真剣白刃取りなんて、高度な技。素人にできる訳がない(玄人でもできない)。手を合わせた時には、頭から股まで通り抜けていた。
痛みどころか、感触が無かった。追いかけるように、見おろしたアスファルトの下へ。三日月形の白い物体は沈んだ。
気持ち悪さが残った。
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