第参章 大僧正の懺悔
「ほっほっほっほ、では、お嬢ちゃんがあの二人を遣わしたのか」
私は先日の神像強奪事件での不手際を懺悔さながらに告白したのだけど、大僧正様はお怒りになるどころか、あのクーアに叱られては怖かったであろう、と慰めて下さった。
「して、ギルド長? その二人はどうした?」
「流石のクーア君も愛想を尽かしたそうだが、聖帝サマにゃあ逆らえめぇってな、DランクのままでいるのとEランクに降格はするものの純潔の証を再生して貰うのとどちらが良いか選ばせたらしい」
愚かにもあの二人は聖帝陛下のお手がついた事で後宮に入れるものと思い込み、ギルド長と副ギルド長、事務長の三人がかりによる事情聴取にも横柄な態度で臨んでいたらしい。
しかし、それは妄想でしかないと聖后陛下御自らに諭されて二人は泡を食った。
聖帝陛下は二人の事を遊びであると後宮に住まう方々に明言されていたのだ。
否、それ以前に、そんな二人は知らぬ、と云われればお仕舞いである。
結局二人は、嫁入り前だから後生です、と副ギルド長に泣きついたそうだ。
全くあの双子は……
いやいや、決して悪い子達じゃない。図に乗りやすいのが玉に瑕というだけなのである。
そのお陰で割りを食ったのは一度や二度ではないけど、一緒に遊べば楽しいのもまた事実だし、むしろ良いところの方が多いはずなので、私はあの二人を見捨てられないのだ。
「けど、クーア君も結構、残酷なところがあるぜ」
ギルド長が人の悪い笑みを浮かべたので私は首を傾げた。
「体は清められたかも知らン。けどな? 聖帝サマにされた事、させられた事はずっと記憶に残ってンだ。そンな状態で未来の旦那に、私は貴方の為にずっと純潔を守り抜いてきましたって胸を張って云えるのかねぇ?」
「それを含めての罰だったのであろうよ。自ら降格を選択させ、心の傷はそのままぢゃ。愚僧もクーアもパテールの性癖は十分承知しておる。あの三人が閨でどうしたのか想像できるが口にする気にはならん。これは恐ろしくもおぞましい悪意に満ちた罰よ。余程、腹に据えかねておったのぢゃな」
鼻を鳴らしてお茶を啜る大僧正様の眼差しには、あの二人への憐憫が欠片も見出す事が出来なかった。
しかし、二人を見捨てたという訳ではないらしい。
只、あの二人が今回の罰を受けた事は自業自得であり、むしろその程度で済んで良かったな、と思っているのだそうだ。
「あのぅ……もしDランクのままでいると云っていたらどうなっていたのですか?」
「どうもしないさ。少なくともクーア君はあの二人の選択を尊重しただろうがな。けど、あいつらの中じゃ、たかがDランクにしがみつきたいが為に、パンもろくに噛み千切れねぇジジイに肌身を許したってぇ事実が残る。どっちにしろ惨めな思いをする事にゃあ変わりがないンだ。だから残酷だってのさ」
私の謹慎と比べて、やはり二人に与えられた罰が重すぎる。
そう訴えたけど、大僧正様もギルド長も、まだまだ軽い、とおっしゃる。
「あの事件はのう、もっと大きな悪意が隠されておったのぢゃ。あの二人は全容を知らずとも自ら進んでその片棒を担いだのぢゃよ。お嬢ちゃん、あの双子が申請に来た際、こんなものを差し出さなかったかの?」
大僧正様が示された羊皮紙を見て、私の顔からサーッと血の気が引いた。
それは国から発行された、とあの二人が云っていた冒険者ランクBの暫定免許証だった。
しかも獅子の顔を象った紋章の焼き印が捺されていたので私は信用していたのだ。
この紋章は帝室の者であるという証明であり、これを用いた帝室の詐称は問答無用で手足の指を全て截断された上で火炙りの刑に処すると法で定められている。
だから疑う余地が無かったのも事実であった。
「云っとくが、仮にこれを発行したのが聖帝だろうと大僧正だろうとその冒険者がBランクになる事ァないからな? そうやって国家権力に悪用されるのを防ぐ為に冒険者ギルドはどこの国からもどんな宗教からも独立する権利を持つ事を許されているンだからよ」
私は利用されていたのか……そう思うと私の心は暗然とした。
「あの二人が冒険者ギルドに加入した時に教えられたマニュアルを覚えていればこんな事態にはならなかったろうよ。聖帝から呼び出しを受けたとしてもギルドに逃げ込ンじまえばどうにでもなったンだ。だから俺も爺さんも因果応報だと吐き捨てたンだよ」
結局、己の浅慮で自分の首を絞めただけの話だったのか。
いや、違う。そもそも受付である私がニセの免許証を鵜呑みにしなければ双子の冒険者は道を踏み外すことなんてなかったのだ。
そんな物など何の効力も発揮しないと知らなかった私自身の怠慢こそが罰せられるべきなのではないのかと、自分を責めずにはおれなかった。
「ならば、その罪を向後の戒めとするが良かろう」
頭の上に乗せられた大きくて温かい手に、私は知らずに俯いていた顔を上げた。
なんと大僧正様が私の頭を優しく撫でて下されていたのだ。
その横ではギルド長も私を力付けるように笑っている。
「この世に罪を犯さぬ者などおらぬ。かつて、罪深き者の中にこそ聖人が生まれると宣った御方がおったが、その意味は、"自らが犯した罪を畏れる者こそ悔い改め、慈悲を持って世の為、人の為に尽くす”という事ぢゃ」
ギルド長が意地悪そうな顔で大僧正様を親指で示した。
「何とも有り難いお言葉だが、この爺さんこそがその実践者なンだぜ?」
大僧正様はギルド長を横目で睨みつつ咳払いをして、改めて私と向き合われた。
「ギルド長の申す通りぢゃ。かつての愚僧はスラム街を牛耳る無頼でな。それこそ無法の限りを尽くしたものぢゃよ」
いきなり信じられない事を聞かされて狼狽しかけたけど、確かに大僧正様はあの男にスラム街でぶいぶい云わせていた、とおっしゃっていた記憶がある。
「スラムのボスに収まって満足していれば良かったものを、図に乗っていた愚僧は、日頃からスラムの住民を"ゴミ”だの"汚物”だのと馬鹿にしていた貴族の屋敷に討ち入ってな、金目の物や貴族の娘、若い女中など奪えるだけ奪って屋敷に火を放って逃げたのぢゃ」
屋敷の主である貴族は襲撃の際に護衛の騎士共々、大僧正様の槍によって田楽刺しにされたそうだ。
当時を振り返る大僧正様のお顔には深い悔恨が刻まれていた。
「さっさと国を売れば良かったものを、愚僧らはのこのことアジトに戻り、さて宝石や娘達をどうやって売り飛ばそうかと相談しているところを踏み込まれた」
「ぐ、軍にですか?」
「いや、当時は魔族騒動のせいで軍はスラムに人員を割く余裕など無かった。しかしの、ある意味、軍隊より恐ろしい御方がアジトへ乗り込んできたのぢゃよ」
「当時、魔王、勇者と並ンで世界最強クラスの一人として名を馳せていた大将軍サマがたった一人で乗り込ンで来たってよ」
大将軍閣下。
聖都スチューデリアに過ぎたる宝二つありき。清浄なる大神殿と『無刀将軍』、と戯れ歌にされるほどの軍人であり、優れた政治官僚でもある。
聖都六華仙の一人、『闇華仙』の称号を与えられた最強の武人とも謳われている。
その『無刀将軍』という二つ名にもあるように、宮廷内は勿論の事、戦場でさえも剣を携えることがないのだとか。
曰く、剣術より格闘術が得意なので武器が要らないのだ。
曰く、本人は武人と云うより軍師であり、戦闘が不得手である。
曰く、殺気を放つだけで相手は降参する為、戦いにまで事態が発展しないのだ。
などと、まことしやかに囁かれているが真偽は定かではない。
「あの戦いは今でも忘れられぬわい。スラム中の荒くれ共がたった一人に斃されていく光景は思い出すたびに肌が粟立つ思いぢゃ」
最後は大将軍閣下とスラムのボスだった大僧正様との一騎討ちとなったそうだけど、まるで歯が立たなかったそうだ。
「怖かったのぅ。当時の愚僧は十文字槍をもって無敵と持て囃されておったからな。神速と謳われた突きも鎌刃による薙ぎ払いも大将軍には一切通用せず、悔しさを覚える前に恐怖でどうにかなりそうぢゃったわい」
大僧正様の槍は正確無比にして、岩を砕き、甲冑をも貫くと云われ、かろうじて一突きを躱しても鎌刃によって首を持って行かれると畏れられていたそうだ。
しかし、大将軍閣下はなんと手に光の粒子と形容するしかないものを集めて大刀と小剣を創り出し、大僧正様の攻撃を悉く捌いてしまったと云う。
「大刀『巨蟹』と小刀『玉兎』を創造する大将軍の能力があるからこそ腰の大小を必要としない。それが『無刀将軍』と呼ばれる所以だったのぢゃなぁ。況してや愚僧の槍が我流だったのに対して、大将軍は古流の実戦剣法、牙狼月光剣を正式に学んだ達人、否、名人であったからな。ハナから勝負にならんかったわ」
牙狼月光剣とは右手に大刀を持ち、左手に小刀を逆手に持つ独特の剣法で、小刀で防御、牽制を行い、大刀で攻撃するスタイルを基本とする。
その名の通り、獲物を狩る狼のような早い寄り身と夜毎に姿を変える月の如く変幻自在な動きに極意があり、非常に強力ではあるが並大抵の努力では会得できない難度の高い兵法としても知られている。
余談だけど、この牙狼月光剣には遣い手達を纏める連盟があり、大将軍閣下がその理事長を務めていたりするのだそうな。
さて、ついにスラム街を牛耳るボスご自慢の十文字槍の穂先が千段巻きごと断ち斬られて勝敗は決した。
最早、これまでと絶望したものの、槍一本でスラム街を纏め上げた者としての矜持か、大僧正様は大将軍閣下に向けて、さあ殺せ、と嘯いたそうだ。
しかし、大将軍閣下は斬ろうとする素振りを見せずに鼻を抓んだという。
「臭い……これでは"汚物”と云われても文句は云えない」
敗れたスラムの無頼達は大将軍閣下の号令の元、スラム街の清掃に駆り出された。
「街中の落書きを初め、打ち捨てられたゴミ、排泄物、病人、死人を全て取り除くのに三月はかかったかのぅ。当時、逃げれば軍に殺されると思い込んでいた愚僧らは必死こいて掃除をしてな。気が付けば街中に溢れていた悪臭は消え失せ、陰気だった街の衆の顔には笑顔があったわ」
その後、助かる見込みのある病人は治療を受け、死体は無縁仏扱いではあるものの手篤い葬儀によって怨念を浄化された。
「愚僧らは減刑の条件として大将軍の部隊に編入させられる事で他人様の物を奪わずに暮らせるだけの収入を得られるようになった。当然、給金の殆どを今まで愚僧らに略奪された者達への補償に宛がわれたが、それでも以前の暮らしとは雲泥の差であったわ」
それを聞いて、私は心の内で若き日の大僧正様に同情を申し上げた。
大将軍閣下直属の部隊は俸禄が高い事で有名だけれど、反面、規律や訓練の厳しさも特に有名であり、千人の新入りが配属されれば三日で半数が逃げ出すと云われている。
一週間で更に半数が減り、半月で百人を割り、一ヶ月で一人前の騎士が五十人誕生し、三ヶ月後には将と呼んでもおかしくない超一流の騎士が十人生まれると、嘘か本当か分からない噂があるのだ。
こんな話がある。
とある事情で大将軍閣下直属の騎士が牢人した際に、他国のスパイ達が競い合うように彼を勧誘しに現われたという伝説があるくらいだ。
それ程までに大将軍閣下が育て上げた精鋭が強く、頭脳明晰で人格も素晴らしいという比喩だとは思うけどね。
「大将軍麾下の騎士として魔王軍討伐作戦に参加し、戦後、僧籍に身を置いて恥多き過去を償っておる内に、いつの間にやら気が付けば大僧正マトゥーザが出来上がっておったというわけぢゃ」
話し終えた大僧正様は真っ直ぐ私を見据えてそう締めくくった。
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