第弍章 タヌキ顔のパスタ屋
「おや? ギルド長、随分とお見限りで」
「開口一番、皮肉かよ」
ギルド長に連れられて入ったのは街でも五本の指に入ると評判のパスタ屋だった。
食事時となると何十分も並ばなければならないが、微妙にずれた時間帯の御陰であまり待たされることなくテーブルへと案内された。
「ようこそ、アルデンテへ。ご注文が決まり次第お呼びください」
随分とベタな店名だけど、それだけにパスタの茹で加減が絶妙で美味しいんだそうだ。
ギルド長がカルボナーラ、僕がミートソースを注文して待つことしばし、先程の男が満面の笑みを浮かべてパスタと頼んでもいないグラスワインを持ってきた。
しかし、本人は営業スマイルの積もりなんだろうけど、ずんぐりとした矮躯に金壷眼の悪相と異様に太い首、繋がった太い一本眉のせいでどうにも悪巧みをしている小悪党に見えて仕方がない。
「それで今日はどのようなご要件で?」
ん? 要件も何もお昼ご飯を食べに来ただけだよ?
「繁盛しているようで何よりじゃねぇか。ランチ時は過ぎても忙しそうだしまたにするわ」
ギルド長が追い払うように手を振ると男は情けなく眉尻を下げてその手を掴んだ。
「そりゃねぇでしょうや。あっしはギルド長のためなら何でもしやすぜ?」
「そうか。ではボースハフト侯爵の噂の出処を探ってくれ。できれば噂を広めた間者の素性も洗ってくれると助かるぜ」
ちょっと! それってさっきの話にあったサディストの事じゃ?
「ああ、若い娘を攫っては鞭打って犯すってぇ変態侯爵のことですかい? 調べろって事ァやっぱり根も葉もない事で?」
「それを探ンのもお前ェの仕事だよ」
男はコック帽を取ると愛想笑いを引っ込める。
こうして見ると歴戦の戦士のような凄みが出てきたので驚かされた。
「噂の出処を探るとなるとちと骨だ。こりゃしばらく店を女房に任せっきりになるし、当分は客足も遠のくだろうねぇ」
探るような男の眼光にギルド長は苦笑しながら財布を取り出した。
「分かってるよ。いくらだ?」
「へへ、催促したようですいやせんねぇ。じゃ、遠慮なくこんなところで」
男はまた愛想笑いに戻ると右手を開いて見せた。
「銀貨五枚か。欲の無ェ野郎だな」
ギルド長の言葉に男は渋面を作って広げた右手を振ってみせた。
「ギルド長……あまり吝いと嫌われやすぜ。誰が銀貨五枚ぽっちで命かけやすかい」
「分かった、分かった。ほれ」
ギルド長は意地悪げに笑いながら男に金貨五枚を手渡した。
すると男は途端に相好を崩して厨房に向かって声を張り上げたものだ。
「アヴァール! ギルド長にシーザーサラダを作ってやんねぇ! パスタだけじゃ栄養が偏っちまう!」
「ンじゃ、頼ンだぜ」
ギルド長は苦笑しながらグラスを傾けたのだった。
冒険者ギルドへ帰る道すがら僕はギルド長に先程の遣り取りを訊ねた。
「ギルド長、さっきの男は何者なんですか? それにサディストの侯爵について調べろってどういう意味です?」
すると石で殴られた方がまだマシってくらいの拳骨が僕の頭を襲った。
「失礼な事を云うモンじゃねぇ。ボースハフト侯爵は清廉潔白の人だ。善政を敷くのにいちいちストレスを貯めるような方じゃない。無論、若い娘に鞭を打つなンてぇするかよ。あの方は自分より他人が傷つくのを何より恐れる。それ以前にまだ下の毛も生えてねぇ十一歳の餓鬼だぜ? 変な性癖がつくどころか自慰すらもした事ァねぇだろうさ」
「はい?」
僕は拳骨のせいで意識が朦朧として聞き間違えたのかと思った。
「二月ばかし前、先代が病死して代替わりしたばかりなンだよ、ボースハフト家はな。勿論、先代の侯爵も実直を絵に描いたような堅物だ。あの小娘の云い分は全部嘘なンだよ」
と云うことは、あの時のギルド長はクアルソ嬢にあえて話を合わせていたのか。
「それに俺の記憶が正しけりゃ侯爵が変態ってぇ噂が流れ始めたのも代替わりをした頃と一致する。先代が立派でもその次がボンクラなンてぇ話はよくあるからな。今の侯爵を直接知らねぇ民衆が面白そうな噂にただ飛びついたってだけだろうよ」
僕は唖然としてギルド長の話を聞いていた。
でも考えてみればギルド長は貴族から嫌われはしても別に貴族が嫌いって訳じゃない。
善政をもって民衆を幸福へと導く指導者には惜しみない賛辞を贈っている。
「では、誰が侯爵を貶めるような噂を流しているって云うんですか?」
「それをシヤンに探って貰うンじゃねぇか」
ギルド長は悪戯を仕掛けた子供のように笑って答えた。
「シヤンってさっきのパスタ屋の亭主ですか?」
「おう、シヤン=ヴィヴラン、冒険者ギルドが抱える凄腕の密偵達の中でも上から数えた方が早いってぇ実力者よ。ぱっと見、草臥れたタヌキ親父にしか見えねぇところがシヤンのおっかねぇところさね」
ちと金にきたねぇのが欠点だけどな、とギルド長は苦笑した。
それにしても驚いた。只者ではないだろうとは思っていたけど、まさかそんな凄腕の隠密だったなんて。
「最近な、若い女房を貰ったばかりでよ。それが宝石やらブランド物やら湯水の如く金を使うンだと。で、その若い女房を繋ぎ止めておくには金がいるって訳さ」
アヴァールさんだったか。確かにパスタ屋の女房にしてはすこぶる美人だったし物凄い艶を持っていて、そりゃ誰だって手に入れたいし手放したくないだろうなって思わせる女性だった。
「見たところシヤンの野郎、手放したくない一心であンま女房殿を抱いてないだろうな。カミさんを失いたくなけりゃさっさと餓鬼拵えちまえば良いのに」
子は鎹と云うじゃねぇか、と笑うギルド長は何故だかどこか寂しげに見えた。
「ま、しばらくはシヤンの調査の結果待ちだぁな」
「あーッ! ギルド長いたぁ! 副ギルド長も一緒に何処行ってたんですかぁ!」
ギルド長の言葉に頷こうとした瞬間、大声で呼ばれてつんのめってしまった。
見れば小柄で特徴的な薄紫色の髪をボブカットにした女の子が腰に手を当てて、頬を膨らませている。冒険者ギルドの受付嬢をしているサラ=エモツィオンだ。
「僕らは遅めのお昼を食べてきたんだよ。それよりサラちゃんこそどうしたのさ?」
一瞬、何が起こったのか分からなかった。
気づいた時には、僕はサラちゃんに襟首を掴まれて引き摺られていた。
「どうしたじゃありませんよ! 新しい冒険者さんが登録に見えてますよ。新規の登録にはお二人のどちらかの承認が要るって事忘れた訳じゃないですよね?」
「ちょっと待って! 二人で留守にしたのは悪かったけど、何で僕だけが引き摺られてるのさ? ギルド長! ギルド長もそこにいるよ?」
「ギルド長を引っ張るなんて怖い事できるわけないじゃないですか!」
「すごく納得できる理由だけど納得しない! 仮にも僕、組織のナンバー2だからね?」
物凄い勢いで遠ざかっていきながら、頑張れよと手を振るギルド長が恨めしい。
「副ギルド長が悪いんですよ! 気弱で童顔で私より背が低くて迫力というものに全く縁がない副ギルド長が!」
「やっぱり納得がいかないよ! コンチクショウ!」
砂塵を巻き上げ疾走するサラちゃんと迸る涙が止まらない僕は商店街中の視線を独占するのだった。
「それから事務課の人達、書類が片付かないって嘆いてましたよ! 登録が済んだらちゃんと皆さんに謝って書類仕事を終わらせて下さいね!」
「だから何で僕だけ?」
「ギルド長はもう今日の分の書類を終わらせているからです」
ギルド長って事務処理能力も化け物じみてるんだよなぁ。
僕はこれから待ち受ける試練を思うと、またも涙が止まらなくなるのだった。
数日後。
その日の午後、僕は午前いっぱいを使って治療魔法の講義をしていた遅れを取り戻すべく副ギルド長室で一人黙々と書類と格闘していた。
副ギルド長となれば専用の部屋を持っていなければ格好がつかないのは分かる。
しかしだよ。いくら日当たりが良い部屋を与えられているとはいっても一人で仕事をするのは寂しいし、どうにも集中力が続かない。
僕は目の前にあるティーカップを手に取る。
淹れて随分と時間が経っている上に、初夏の西日に当たっていたせいか半端に温くてあまり美味しくない。でも、それなりに気持ちを切り替えるには役に立ってくれた。
サラちゃんはギルド長や他の事務員にはこまめにお茶を淹れているらしいけど、僕の分のお茶だけは自分で淹れている。
「だって副ギルド長って私より美味しくお茶を淹れるじゃないですか」
とはサラちゃんの言。
しばらく前にギルドのみんなでお茶会を楽しんでいた時、僕のお茶が美味しいと褒められたことがあった。
あの時、調子に乗って紅茶の淹れ方について偉そうに講釈を垂れてサラちゃんの面目を潰したのがマズかったんだよね。
あれ以来、サラちゃんが僕にお茶を淹れてくれる事はなくなったんだ。
「ま、確かに、君のやり方じゃ茶葉がかわいそうだよ、は云い過ぎだったな」
「そうなんですよね。サラちゃん、すっかり臍を曲げちゃって……」
「お互い大人なンだからよ。さっさと仲直りしちまえ。ギルド職員同士がいつまでもギスギスしてンのは冒険者達にも示しがつくめぇさ」
そうなんだよね。冒険者にとってパーティ内の絆の深さは生存率にも直結する。
信頼で結びついたパーティなんて言葉を交わさずにアイコンタクトや何気ない仕草で意志の疎通ができるというしね。そんなパーティといつも仲違いしているようなパーティとでは明らかに効率が違うし冒険の危険度も雲泥の差だろう。
うん、確かに仲間内での信頼の大切さを謳っているギルドの人間が仲違いしているなんてみっともいい話ではない。
けどなぁ、今回の話が無くてもサラちゃんは何故か僕の事を目の敵にしているように思えてならない。
僕がギルド長の肝煎で副ギルド長に就任した日も、一度たりとも冒険をした事がない上に、宮仕えしていた過去から、ギルド長の嫌いな天下りじゃないのか、と大反対してきたくらいだからね。
だから僕も、初めは雑用から、と云ったんだけど、
「クーア君は聖都スチューデリア、いや、世界でも指折りの治療魔法と防御魔法の遣い手だ。頭も切れるし、魑魅魍魎が跋扈する宮廷で生き抜いてきた事から見た目に反して胆も据わっているだろう。ま、理由は他にもあるが俺はクーア君以外の奴を副ギルド長に据えるつもりは無ェからそう思え」
と、有無を云わせぬ気迫でサラちゃんも含めたギルド員達の首を縦に振らせたのだった。
初めこそはギルド員達から村八分にされてきたけど、我武者羅に与えられた仕事を求められる水準以上に仕上げながら辛抱強くみんなと接してきた事とギルド長が敢えて僕に助け舟を出さなかった事もあって徐々にだけど周囲の信頼を得られるようになってきた。
そして今もギルド員の信頼を得ようと頑張っているし彼らも心を開きつつあるんだけど、ただサラちゃんだけが頑なに僕の事を拒んでいるように感じる。
違うな。一応、サラちゃんも僕の仕事は評価してくれているし、初めから副ギルド長と呼んではくれているんだよね。
「ま、そこは当事者で話し合えば良いンだ。兎に角、今度の喧嘩はクーア君に非があると思うぜ。サラも本来根に持つような娘じゃねぇ。案外、一緒に茶ァしばいて頭の一つでも下げりゃすんなりと許してくれるだろうよ」
「そうだと良いんですけどね……って、ギルド長?」
いつの間にかギルド長がテーブルに腰掛けて仕上がっている書類のチェックをしていたので驚いた。
「相変わらず丁寧な仕事だな。文章は簡潔にして要点はきっちり押さえてあるし、字が綺麗で読みやすいのが良いぜ。他の奴らなンざ重要書類でもお構いなしに雑に崩した文字でササッと書きゃあがるからなぁ」
金釘流(かなくぎりゅう:字が下手な者を指す)の俺が云えた義理じゃねぇか、と笑うギルド長に僕はおずおずと新しいお茶を差し出す。
「おお、悪いな。うーん、同じ茶葉でも全くエグ味が無く香りも良いってンだから、そりゃ自慢もしたくはなるわな」
「その話はもう勘弁して下さい。それより何かあったんですか? ギルド長がこの部屋に来るなんて珍しいですね」
するとギルド長は口元を引き締め、居住いを正してから答えた。
「シヤンの野郎が面白ェ話を仕入れたって繋ぎを入れてきたぜ。今夜、晩飯がてら詳細を聞きに行くンだが、クーア君はどうする?」
ああ、義理堅いギルド長らしいなぁ。
僕もボースハフト侯爵とクアルソ嬢の一件に多少は噛んでいたから顛末を聞く権利を態々持ってきてくれたのだろう。
「それもあるけどよ。クーア君もぼちぼちギルド員どもから信用を得てきたみてぇだからな。ギルドの幹部として密偵の使い方を知っとくべきだと判断したンだよ」
これは素直に嬉しい。
副ギルド長に就任して早五年。漸く冒険者ギルドの暗部を見せて貰えるまでの信用を得られたのだという証と思っても自惚れには当たらないだろう。
「是非、話を聞かせて下さい」
「よし、今日の仕事が捌けたら、こないだ行ったアルデンテに直接来てくれ」
「了解です」
僕は定時に上がれるよういつも以上に気合を入れて書類の山に立ち向かうのだった。
その後、僕は今回のお見合い騒動の裏にとんでもない陰謀が隠されている事を知らされる事になる。
もう冒険者ギルドの出る幕ではない事態ではあったのだけれど、それでも僕らは介入するしかなかった。
その結果、僕らにとっての厄災が起こると予想されたが、放置する訳にはいかなかったのだ。
その陰謀が如何なるものなのか、それは次回の講釈にて。
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