混沌パウダールーム

 ズンガズンガと形容したくなるような歩き方で室長室を退出し、優子は自分の机に戻る。そして周囲に聞こえるか聞こえないか微妙なボリュームの独り言を漏らしたのだった。


「死にたくないなあ……」


 内勤の者たちが遠巻きに眺める。寿命と引き換えに高待遇を選んだ優子たち外勤務の者は、少なからず変人扱いされているのだ。価値観の違いから恐れられているといっても良い。

 ただし当の本人はその扱いに気づいていない。その為、今の独り言を聞きつけた誰かがやって来て同情してくれるまでを頭の中で描いていたが、周囲には誰も来なかった。代わりに足元に大きめのホコリが転がってきている。

 声が小さかったかと思い、先ほどよりも少しだけ大きな声を出した。


「死にたくないなあ……」

「うるさい、早く死ね」


 雑にも程がある返答をした太蔵は、いつものように泰然と控えている。あまりに雑な言われ様にさすがに言葉を失い、思わず背後を仰いだ優子へ更なる追い討ちがかけられた。


「お前、生まれた時は泣いてただろ、オギャーオギャー、バブーバブー、でちゅでちゅ」

「た、たぶん」

「で、生きている時は死にたくないって泣き喚いて」

「それはそうでしょ」

「だったら死ぬ時くらい静かに死ねんのか」

「私、そんなに自分勝手なこと言ってるかな!?」


 同じ言語を使用しているはずなのに、内容が全く噛み合わない。


「とりあえず死ね。速やかに」

「とりあえず、じゃない!」

「死んでから考えろ」

「いーやーだー!」


 机をバン!と叩いて勢いよく立ち上がった。周囲の内勤組がビクッと震えるのを気にも留めず、優子は立ったままおいおいと泣き始める。もはや恥も外聞もない。

 ちょうど外回りから戻ってきた上島が慌ただしく駆け寄り、肩を抱き寄せて化粧室へと連行した。



 〜 〜 〜 〜 〜 〜



 ジャバジャバと顔を洗う優子に、上島は優しく語りかける。


「まあその、分かるよ。うん。おかしいのは自分の方かって」

「余命3ヶ月の私からしてみると、ごく自然な暖かさに裏がある気がするんだけど……」

「被害妄想慣れだね」


 そんな慣れがあるのか、と優子はほてった頭で考えた。タオルで顔を拭き、鏡の中の顔を見つめる。やはり顔色が良くない。粗神の見立てでは、長くてもあと3ヶ月ほどだという。再び叫びたい衝動に駆られた時、背後で心配そうに見つめていた上島と鏡の中で目が合った。


「上島さんさあ」

「うん?」

「死ぬの怖くないの?」

「怖いよ?」


 上島はそっと目を逸らした。


「それは怖いよ。けどあがいてもどうにもならないからさ……」

「信用ならねえな」


 いきなり太蔵が言葉を挟んだ。


「歌謡曲でよく出てくる『振り向かない』ってフレーズ並みに信用できねえ」

「あ、バレた?」

「バレるも何も。おい優子、こいつは病気じゃねえ」


 感情が焼け切れている最中の優子は、話に着いて行けずおうむ返しで返す。


「病気? じゃない?」

「そうだ」

「あれ? 上島さん?」


 上島はもじもじしながら慎重に話し出した。


「えっと、どうも妊娠してたみたいなの。全然覚えてないんだけど。吐き気も続いたから」

「にん、しん……?」

「この仕事してると悪い方ばかりに考えちゃうじゃない? だからそろそろ私も死ぬのかなって。デスモンドはやっぱり何も教えてくれないし」

「そそ、そんな話、初耳なんだけど」

「したことなかったから。なんかその、悪いかなって思って……」


 恋とか愛といったものに無縁そうだという判断をされ、会話の内容にも気を遣われていたことをやっと優子は認識した。


「そうそそ、そうなんだ。お、おお、おめおめで」

「やっぱり生きた証を残したいじゃない」

「おでだはあ」


 優子、最後まで言い切れず号泣。その隣では太蔵が肩を震わせていた。笑いを堪えているのだ。おそらく祝福してくれているのだろうと察した上島は、優子の肩を優しくそっと遠慮がちに、ものすごく心配している風の絶妙な力加減で叩いた。


「ありがとう。優子の分まで幸せになるよ」

「だはあ」


 上島はそそくさと去っていった。ひとしきり泣きじゃくった優子は顔を上げ低い声で呪詛をもらした。


「何が『あがいてもどうにもならないからさ……」だ。やることやって勘違いしてるだけだろ」

「それがお前の年頃の普通ってやつなんじゃないのか」

「それは人によって、その、価値観の違いとか人生設計の根本的な相違とか、その、いっぱいあるから」

「じゃあお前はそのままでいいんだろ」

「だはあ」


 泣きじゃくっても涙は枯れない。半ば自暴自棄となった優子は鏡に向かって白目を剥き、口を開かずに一人で喋り出した。


「こっちはそろそろ死にそうだっていうのに、同期はこっそり子作りに励んでおられた。この差は一体どこから来たのか」

「おっ、いいぞ。恨み嫉みは死神にとって重要な要素だ」

「思うに取り憑いている死神の差もあるのではないか。ならば私が死神となって誰かに取り憑けば、その誰かの人生をめちゃく、いや、正しい方に導くこともできるのだろう」

「あっそーれ」

「だがこのままでは終わらない。私は損をすることを許さない女だ。その私が素直に死に屈することなどあり得ようか。いや、無い」

「あ、よいしょ」

「だはあ。すみれえ、ごめんねえ。お姉ちゃんそろそろ仕送りできなくなっちゃうよお!」


 優子は泣きながら妹に謝り、太蔵は優子の慟哭に合いの手を入れる。生と死が織りなす混沌そのものが狭い化粧室の中で繰り広げられた。

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