21時前のいいちこ水割り

「理解に苦しむんですが。6800円ってどんな高級な食材使えばそうなるんですか!?」


 悪霊、トッドクーゲルを祓われ棒立ちとなった店主に、優子は怒りをぶつけた。


「私なんか夕食は148円で6食分入ってるスパゲティですよ!? ガス代入れても40円くらいで切り詰めてるのに」

「おい落ち着け。誰もそんな話を求めてない」

「ビールはぬるいしサバ味噌は缶詰だし……」


 太蔵の注意に耳を貸し少しだけ感情を抑えたようとつとめた優子だが、失敗。


「まずくて高い! 食べ物に失礼!」

「すんませんな」


 口を開いた店主は、煮込みすぎたうどんのように歯ごたえのない返事をした。


「客も来ないんで、単価は少々高くなりますな」

「それはそうでしょう、大変おまずうございますから」


 店主の胸には壱岐いきと書かれた名札が貼られている。確かにスーサイド対策室から指定を受けたのはこの男だ。


「父から受け継いだこの店も私の代で終わりですわ」


 壱岐は聞いてもいないことを語りだした。


「一年前に死んだ親父は、うまいもん出してましたわ。けど私、料理に興味ないんですわ」

「なら継がなければ良かったのでは」

「他にやることもなかったんです」


 はあとため息をつき、優子は「どうでもいいです」と言おうとしたが、その前に確認しなければいけないことがあった。


「本当に6800円払わせるおつもりですか」

「そうですが」

「680円でなく」

「優子落ち着け。仕事だろ」


 やっと正気を取り戻した優子は1万円を出し、福利労務省宛の領収証をお釣りとともに受け取った。



 〜 〜 〜 〜 〜 〜



「非常に不愉快な仕事だった」


 優子は帰宅してもなお愚痴を続けていた。


「まずくて高い、やる気はない。おまけに……」


 パソコンで銀行残高を確認し、画面をにらみつける。


「そろそろ私は死ぬのが確定か」

「……」

「黙ってるのが答えだよね。だから寿命の取り分を減らしてくれたんでしょ」

「待て待て待て、勘違いするなよ、本当に」


 太蔵は苛立ちを露わにしながら言い返す。


「お前を殺したくないとか、そういう勘違いは心底怖気立つ」


 太蔵は心の底からの本音を話しているようだ。


「死にたくない奴を殺すから価値があるんであって、死を悟った奴の魂なんていらねえんだわ」

「そうなんだ」

「だから今まで黙って使われてやってたんだ。勘違いすんな、気色悪い」

「あっそ」

「お前が裸になって股開いて『カカカカカモーン』ってしなだれ媚びても、男は飛びかからんだろ。それと一緒だ」


 飛んできたボールペンを指でつかみながら太蔵はせせら笑った。


「自分の為でなく、わしの楽しみの為にのみ、精一杯生きあがけ」


 先程のものより重たいボールペンを探しながら、優子は歯をカチカチと噛み合わせる。


「うるさい。私はまだ死ねないんだ」


 定期預金の解約をし、妹の口座に振り込む。死ねない理由が数字となって優子の肩を重くしていた。



 〜 〜 〜 〜 〜 〜



 夜の9時、同僚の上島から電話がかかってきた。優子が退院した後、上島も一月以上入院していたのだ。医者が言うには「盲腸です」とのこと。上島は弱々しいながらも不満を込めた声を張り上げた。


「そ、そんな盲腸ある!?」

「ナイデショー」

「なんでも盲腸で片付けられると思ってんのかな?」

「モウチョウベンリー」


 優子はやけ酒の最中である。そこそこ酔ってはいるが、前後不覚に陥っているほどではない。


「タブンダケドー、フフフ」

「なになに」

「ワタシタチけっこうヤバいよね」

「あ、やっぱり?」


 二人とも近距離で死に向かいあってきたせいか、自分たちの病状も他人事のようにとらえている。スマートフォンをハンズフリー通話にし、両手でいいちこの水割りが入ったグラスをカラカラと音を立てて回しながら、優子はささやくように言った。


「私、たぶん大腸ガンだと思う」


 優子の耳に上島のドヒャヒャヒャというけたたましい笑い声が突き刺さる。


「重すぎじゃん!」

「近いうちに室長に聞いてみるよ」

「なんて?」

「なんでって」


 ドヒャヒャヒャ。


「何してくれんのって」


 ドヒャヒャヒャ。

 重篤を自認している割りに緊張感が抜け落ちた二人の会話は、一時間以上続いた。

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