逆さ神社

@PP2x

 こんな話がありますが、これは私が体験したのかは定かではないものの話です。伝聞と捉えるも良し、創作と捉えるも良し、実体験と捉えるのもまた構いません。


 以下の文面は単なる言葉の羅列であり、以下を閲覧した人物に対して、チェーンメールよろしく極めて害悪な影響を及ぼしたり、深刻な恐怖に陥れたりすることを目的としたものではありません。


 然して昨今のオカルトのような「自己責任」というほど大仰なものではありませんが、以下を読んでいる最中に心身の不快感や不調に襲われた場合、直ちに閲読を中断して下さい。

 このようなネットワークの大海に、さながら劇物のようなものを垂れ流すということは憚られますので、極めて慎重に文章を確認し、要所には必ず暈しや虚偽を交えることによって大幅に客観的事実を希釈致します。


 しつこく言わせて頂きますが、これはフェイクによって極力希釈された話です。また恐ろしい怪物は出て来ません。「私」がホラー映画のように逃げ惑うこともありません。更に言えばとても地味で、全てが勘違いなのかもしれません。

 ですがもしも。仮にもしも何かを感じてしまった方は、この話の内容には余り深く触れないことを強く進言します。




 ところで皆様は「鏡」を知っているでしょうか。

 当然、その半生で数え切れないほど目に入れているに違いありません。光の反射によって物を映す道具…と今更説明されるにしては、もはやこの道具は私たちの日常の中にひっそりと溶け込み過ぎています。皆様は鏡をのです。


 しかしそんな腑に落ちた、ありふれた道具に対して、どういう訳か尋常ではない恐怖を感じてしまう経験をしたことがありますでしょうか。

 これが「鉛筆」であれば、そのように恐怖を感じることはほぼないでしょう。「包丁」や「鋏」などは怖いのかもしれませんが、そこで感じる恐怖というのは殆どが道具の持つ攻撃性に起因するものです。

 鏡に攻撃性は微塵もありません。しかし実際には「鏡恐怖症」なるものが実在するほどに、鏡には何か怖さを感じる事があります。怪談話を聞いた後、なぜか無性に鏡が怖くなる方も少なくないでしょう。

 原因は一概には言えませんが、例えば醜形恐怖に沿ったような形で鏡に映る自分の姿を恐れている場合もあるでしょうし、鏡をテーマにしたホラー作品も多いですから、それが無意識下でトラウマに残っている可能性なども考えられます。


 ――私が思うに、恐怖とは格式ばった感情ではないのです。逆に喜怒哀楽には、時代は変われど共通項があります。欲しい物を手に入れた時。不快感を第三者の手で感じさせられた時。好きな時間が終わる時。気の合う友人と話す時。

 幾千、幾万の歳月を超えて人々の根底にある共通性は、後付けのようにして喜怒哀楽と名付けられました。

 しかし恐怖はどうでしょう。名前が付けられてはいますが、これは根源的というよりは直感的です。かなり端的に言えば、恐怖とは「何となく」という心模様の上に成立しています。

 喜症、怒症、哀症、楽症は病としては存在しません。それは性格です。しかし性格とは関係なしに恐怖症は疾患として存在します。

 人が文明を持つ過程で、恐怖とは個人によって姿形を変えているのです。

 畢竟、私は、恐怖とは格式的な感情ではなく、人ごとに形が違う歪な感情だと思う次第なのです。


 さて、脱線してしまいましたが、鏡の話に戻りましょう。


 7年前の某日のことであります。久方ぶりに帰郷したところ、すぐにとある方の神葬祭(葬式)に参列し、喪に服するという機会がありました。私の地元は山梨県某所の片田舎も片田舎と呼ばれる地域に位置しております。未だに神道に通ずる儀式ばった慣習が絶えない地域と言えば、その辺鄙さ加減が伝わるでしょうか。

 そんな地元を持つ人間柄、私にとって誰かの冠婚葬祭に関わることなど日常茶飯事で、この日もその例からは漏れておりません。

 私はまだ若く、浅学ゆえに民俗学に通ずるとまでは決して言えませんが、俗的な慣習への知識はおそらく一般的な方と比較しても多い方だという自覚があります。そんな私の目についたのは、とある妊婦…中割なかわりさまの奥様でした。赤茶けた髪はつむじのあたりに白く色落ちした部分があり、妊婦の割には少し高齢であったことをよく覚えています。

 彼女は神葬祭が始まる前、手鏡のような小さい鏡を服の下から腹へと入れ込んだのです。私はそれが逆さ鏡という胎児への魔除けの儀式であることを理解していました。

 しかしどういうわけか、不意にその行為が猛烈に恐ろしいことに感じてしまったのです。私が鏡を嫌いだったせいなのかもしれません。背筋が凍るのを止められませんでした。


 中割さまは俗に言う神社の家系です。神社には「官社」と「民社」の2種類がありますが、彼女の旦那様は民社という形態で神社経営を行っていました。

 官社とは、言うなれば国営の神社のことです。こちらで宮司を勤めるのであれば特別な段位を取得するために猛勉強しなければならないのですが、民社とは簡単に言うと「個人営業の神社」のことです。そういった形態では後継ぎ関連の事柄あたりが少しばかりユルくなり、家柄のみで次の神主が決められたりすることも多いのですが、彼はそういったしがらみから神主になった人物でした。


 私は中割さまの娘がこの場に居ないことを不自然に感じました。長女で、私とは同窓生です。名前はナカさんといいまして、少し古風です。「ナカワリナカ」というフルネームの響きや左利きという所も珍しく、ちょっぴりですが揶揄われていました。面識があるだけでなく、とても仲良くさせて貰っておりました。中割さまが現在孕っているのは、おそらく2人目の子供でしょう。


 思えば妻ならまだしも、子供が居たのは少し不自然ですが、そういった神社としての規律の弱さも民社特有の性質なのかもしれません。が、少なからず中割さまの旦那様が持つ宗教観の軽さというものを感じて頂けたでしょうか。

 実際、彼は1人目の子供(ナカさん)ができた時は周辺住民に強く非難され、受け継いできた神社を廃業させてしまったのです。


 私とナカさんが少し成長すると、ほとんど空き地のようになってしまった中割家の持つ元神社の境内で、跳び回って遊んだりしていました。建物は廃業後もしばらく残っていました。

 片田舎ではありましたが、周辺住民との禍根は思いの外早いうちに収まったようです。しかしその辺りの諸事情を理解するには、私たちは余りにも幼かった故、よく覚えていないと述べておくのが正しいでしょう。


 葬儀と言いましたが、実は葬送される方は中割さまの旦那様でした。若くして妊婦を残して病死という非業を悼みつつも、ここで彼女が居ないことによりいっそうの不自然さを覚えます。

「ナカさんはどうしたんですか?」

 私は神葬祭後、中割さまと2人きりのタイミングを見計らってそう尋ねてみました。当時の私は高校生。辺境の地を出て数年間、少し都会の方で寮暮らしをしていたため、未だ状況を飲み込みきれていなかったのです。

 結果として私は後悔と同時に、2人きりの時を選んだ私自身の判断力に安堵を覚えました。

「なーちゃんはね、去年に…死んでしまったのよ」

 衝撃でした。

 私が地元を離れている間で、ナカさんは既に亡くなられていたのです。不躾ながら私は、かつての友人の死が信じられないこともあってか、その訳を尋ねてしまいました。どうして私に連絡が来なかったのかも、同時に何となく知ることになりました。


 私が深く詮索する立場に居ないことは明らかでしたので、内容の委細は省きます。しかし言葉の端々に感じられる「雰囲気」とでも呼ぶべきものを紡ぎ合わせていくと、どうやら精神に関係するものであったのではないかと、私は推測しました。この結論に至った経緯も省略します。


 ここで唐突に、私の脳裏に浮かんだのはあの「逆さ鏡」です。

 何故そのように思ったのかというと、いつだったかナカさんは、鏡に関するある症状を…否、症状というか微細な違和感を、私に語ってくれていたからです。




 あれはナカさんや私が10歳の頃。

 唐突に彼女が私の家に訪ねてきたことがありました。

「鏡を見せて」

 遊ぶ約束はしていなかったのですが、私は脈絡の無いことを言う彼女の真剣な相貌から、決して悪意を持って訪ねてきた訳ではないことを何となく感じ取り、家へ招き入れ、すぐに和室で姿見を用意しました。

 すると彼女は向き合うようにその正面に立ち、顔を近づけたり、鏡に映る自分の胴体を触ろうとしてみたりしたのです。

 私はそれが意味不明でしょうがなかったのですが、最初のうちはおおかた神社の裏手にでもポイ捨てされた何かのファッション雑誌でも呼んだのかもしれないなどと思っていました。彼女の容姿は淡麗というわけでも端正というわけでもなく、素朴です。ですので私は、その時少し呆れてもいました。


 しかし彼女は、まるで怪物でも見るかのような形相で鏡の中の自分をひとしきり確認すると、私に、早急に姿見を片付けるよう求めました。あれほどベタベタと触っていたのに、突然鏡が不気味なものであるかのように遠ざけようとしたのです。

 言われた通りにシーツを被せ、姿見を部屋の隅へ撤収させると、彼女は少し震えたような声で私にこう言いました。

「私、おかしくないよね?」

 戸惑いました。急に雰囲気の変わった和室で、私は一言答えます。

「別に、何も変わらないんじゃない。どうしたの?」

 彼女は私からの質問にはすぐに答えませんでした。しかし、意を決したように歯の隙間からゆっくり小さく「シー」と息を吐き出したかと思えば、自分の抱えていたことを話し始めます。

「あのね…鏡の中に、私が何人もいるみたいなの」

 私にとってその応答は、やはり意味不明なものでした。だいたい私が見た限り、鏡は普通にナカさんを一人映しているようにしか見えなかったのです。私が首を傾げると、彼女は先の言葉に付け加えるようにして自分が感じる違和感を子供ながらに言葉にしようとしました。

「違うの。こう…分身みたいにじゃなくて、前と後ろの方。何人も同じ私が、整列のときみたく並んでるみたいな感じで…しっかり見ないと分からないんだけど…」

 私は相も変わらず眉をひそめたのですが、彼女自身はただならぬ恐怖を孕んだ顔つきで、どもりながら伝えようとしてきます。私は好奇心に駆られ、再度注視してみたいと考えました。

「もう一回見せてよ」

「や、やだ」

「ナカちゃんは目ぇ瞑ってていいから、僕が確認したい」

「…じゃあちょっとだけ。もう一回、ちょっとだけね」

 彼女はその場から動かず、先程と同じように直立不動して見せました。目をきゅっと瞑り、私が確認し終える合図をひたすらに待ちます。

 私は手間ではありましたが、もう一度姿見を彼女の前まで運び出し、彼女が恐ろしく感じているものの正体を掴むために、じっと鏡との睨めっこを始めました。

 微妙な位置調整をしつつ、彼女に鏡を極力近づけるようにして、映る彼女の姿を観察してみます。自分の顔が映り込み邪魔くさく思っていた時、私は思わず体を硬直させてしまいました。


 言葉にするのは難しいですが、私の記憶と現在の語彙を総動員するならば…鏡は絵画のように、人物の表面を平面状に映し取るでしょう。しかしどういう訳か、鏡に映る彼女にはあるはずのない「奥行き」のようなものを感じたのです。鏡は、まるで同じ背丈、同じ容姿、同じ体表面が幾重にも連なっているかのように、気持ちの悪い立体感と輪郭のぼやけを持った彼女を映し続けていました。

 路傍の片隅の、意識外に転がっていたはずのナニカに意識が向いてしまったかのような感覚と、不快さ。それが私を支配しました。


 気が付いたら私は、姿見に再度シーツを被せ、正体不明の焦燥感と共にそれを部屋の奥へと放り飛ばしていました。

「も、もういい?」

「…うん。もういいよ」

「どう…だった?」

 そう言わざるを得ないです。私は彼女の恐怖に拍車をかけ、肯定してしまうのが恐ろしかった。何よりアレを真実だと認めたくない自分が居たのですから。

 それでも結局、彼女の表情は晴れることが無いまま、彼女は自宅へと帰ってしまいました。




 しばらく静かな日々が続きました。あの日から、彼女は決して鏡を見なくなったのです。学校のトイレ。自宅の洗面所。果ては市営バスの窓に至るまで、何かの表面に映る自分の姿を病的なほど確認しないようになってしまいました。

 ある日、彼女は学校で「神社の子って、なんか怖くない?」と女友達に言われました。自分にはそんな感覚がまるで無かったようで、彼女は他の人たちに「神社の子」ということについて印象を尋ねて回りました。

 そして皆から一様にして「お化けとかが見えそう」などと答えられたことを受けた彼女は、その日から自分の神社と鏡の姿の関連性について深く調べるようになりました。


 それから何度目かの黄昏時のこと。奇しくも秘密を共有する立場となった私は、彼女に神社の蔵へと呼び出されました。薄暗くかび臭い蔵の中で私を待っていた彼女の手には古い書物が抱えられていました。

 表紙に記されている文字は漢字のみが使われており、当時は正確に読めませんでしたが、どういった漢字の羅列なのかということは把握できています。


 甲斐国史要書…おそらくは「かいのくにしようしょ」と読むであろうその重厚な冊子は、私よりも古書の扱いに秀でた当時の彼女が見つけ、鏡の件については内密にしつつ、父に語句の意味を問いながら紐解いたものであります。

 内容としては民族雑誌らしく、市史に高いものといったところでしょうか。しかしそれにしては珍しく、震災などの災害情報の論考について纏めるために割いている頁が異常に多かったように思います。他国(他県)のどこどこを震源とした地震の発生時間だったり、果ては人的被害ゼロの小噴火観測記録に至るまで、多岐に渡る天災の詳細を記している書物でした。

 当然ながら私たちがそのような書物を読み慣れている訳がなく、どうやら頁をめくる方向を間違えていたようで、時系列としては最新の時期の災害情報から読み進めていたらしいのですが、当時は全く気付かず、私は彼女が読み方を理解した箇所についての解説を耳に入れることに注力していました。

 彼女の指が後半に差し掛かったところで、災害情報の記載もいよいよ最後の頁に達したようでした。そして私たちは、ある不可思議な事実に気が付いてしまいます。


 災害情報の欄に、何故かこの神社の建立についての情報が書き記されていたのです。そして神社建立直前…1790年頃の記載を最後に、災害情報の頁は終わりを迎えます。

「この神社、200年以上も昔に建ってたんだね」

 彼女がそう呟きます。ついぞ自分の異常性のルーツが掴めなかったためか、少し落ち込んでいる様子でした。

「……えっと、これは何て読むんだろう」

 私はふと、そこに神社建立情報以外の災害情報らしからぬ特殊な文体があることに気が付き、指をさしました。辺りを包む夕陽の光も次第に寒細りとなっていき、蔵の中に差し込む日光も書物を読むには適さない頃合いです。しかし彼女は目を細め、自分の知識を見せびらかすかのように私の読めない文字を解読していきます。

「『たがあやしげなるさまなきとよもう かかるはなしがありますが ぞうふみずばりただならず えなまとふたみかれくさもほんびたくす』」

 見事に読み切りましたが、イントネーションや語句の区切りなどは不明で、意味までは判別できませんでした。

 こうして彼女の、鏡の謎を解く調査は、私たちの圧倒的な知識量の少なさによって断念せざるを得なくなったのです。




「あの蔵は健在ですか」

 私は思わず、中割の奥様にそう尋ねていました。どうしても、鏡の事件と彼女の死が無関係に思えなくなってしまったようでした。

「…ええ。あの場所は何も変わらず」

 彼女は怪訝そうに答えます。私はそれが、妊婦にとって極めて害悪なストレスになってしまうことは理解していました。しかしもう一度、あの頃に足りなかったものを培ったであろう私は、彼女の鏡の謎に挑んでみることにしたのです。


 蔵を探ることの許可を得た私は、子供の頃によく遊んでいた件の元神社へと辿り着きました。周囲を見渡してみると柊が境内を囲むようにして茂っており、そういえばいつの頃だか、ナカさんと共々この葉で怪我をしたことがあったなあ、とついつい感情的になってしまいます。


 しかし何なのでしょう。思い出だらけのはずのこの神社に、妙な不安感を感じます。此処は、他の神社と比較すると、何かが少しずつ違うのです。

 まずこの神社の出入り口となる神明鳥居が1つあるのですが、それが空間的に仕切られた狭義で言うところの「敷地内・境内」と繋がっているのです。つまり鳥居を一歩潜れば、直接的に本殿のある空間へと出てしまうことになります。


 


 参道とは、本来ならば鳥居をひとつ潜った先にある、簡単に言うと神様も人間も通る道です。道が無いということは、この場所には何の神様も来ることが出来ない、というようになります。


 そして次の違和感は鳥居です。神明鳥居というのは天照大神系統の神様が鎮まる神社に建てられます。

 片田舎に似合わない、立派な注連縄まで巻いてありました。注連縄の起源は、岩戸隠と言われております。これは神域とそれ以外を区別する、結界のような役割を果たすのですが…この注連縄こそ違和感の正体でした。

 いえ、もちろん辺鄙な場所には似合わないという理由だけではありません。注連縄には通常、紙垂しでと呼ばれる、「糸」という漢字を象形的に表した特徴的な形の魔除けの紙を取り付けて垂らします。

 この注連縄にも例外なく紙垂が取り付けられていました。しかし、問題なのはその向きです。紙垂を取り付ける方向には前後ろがあります。通常、表側を神社の外側に向けているのですが、この神社は紙垂が前後反対に向けられていました。つまり、境内に紙垂が向いているという状態になります。これが第二の違和感です。


 さて、ここまでは神社の外観に対する謎を紐解いていきましたが、ここからは本題に深く関わるであろう例の「史要」の中身について読み解いていきましょう。

 あの蔵で当時の私には読むことが叶わなかった民俗雑誌を、とうとう開きました。そして、かつて彼女が読んだうたのような言葉の羅列を探します。


 そこには私の記憶と一言一句変わらない、他の文面とは違った字体で書かれた一説がありましたので、これからその文面を写し取ります。

 おそらく読み上げたり書き上げたりする程度では何の害も及ぼさないでしょう。しかし直感的に嫌悪してしまうような言葉が幾らか含まれますのでご注意ください。


が例ならざる様泣きとよもう かかる話が在りますが 臓腑水腫りただならず 胞衣えな纏ふ民枯草もほんびたくす


 …何というか、子供ながらに何の憂いも焦りもなくこれを読み上げた私たちの無知蒙昧さには呆れました。恥ずかしながら、正直に言いますと、執筆している今も少し怖いです。


 解釈はさまざまあるでしょうが、私の見解はこうです。

 「例ならず」とは普段とは違った様子を表しますが、これが「誰が」という言葉に繋がっているため、おそらく人に対しての「例ならず」なのでしょう。この場合、想起させられるのが「病気」か「妊娠」です。

 そして最も問題なのが「臓腑水腫り」という表現でした。

 皆様は地方病と呼ばれる病気をご存知でしょうか。これはかつて甲府盆地で猛威を振るった風土病でありまして、肝臓などの臓器に寄生虫の卵が産み付けられ、最期は腹水が溜まって死に至るという病であります。

 明治時代におけるこの病の致死率は、四捨五入をせずとも100%でした。最初のうちは感染症だと考えられていたのですが、寄生虫学が発展してからそれが「日本住血吸虫」という寄生虫によって引き起こされるということが判明しました。

 この病の記述は甲斐国において実に400年以上も昔から存在しており、寄生虫学が日本で発展したのが明治時代中期から大正にかけてですので、逆に言えばその時まで原因がまるで分からない奇病として甲府盆地を中心に人々を苦しめていました。

 この病気に名前が付けられるまで、その症状を「水腫脹満すいしゅちょうまん」と呼んでおり、罹患者は異常に腹が膨れるという特徴はこの記述に関係するのでしょう。

 後半の「胞衣纏ふ民枯草もほんびたくす」は後ほど説明します。


 考えてみればこの神社の歴史は妙です。200年ほど前に建立されたと聞き及んだ時、子供の頃の私は非常に長い歳月を想像したのですが、実は歴史的に見れば、この神社はいわゆる新興の神社に当たります。

 ましてや当時は地方病が蔓延っていた時期。御霊移しや遷宮ならば、理解には苦しみますが無理矢理に納得はできます。しかし書の前半を読み直してみても、此処はある時期、唐突にポンと建てられているのです。何らかの薄ら暗い意図を感じざるを得ません。


 そもそも宗教的な建築物というのは、緻密で繊細な「意図」が要所要所に存在します。注連縄に関しましても右綯なら祀られている神様は女神、左綯なら男神を表すなど、縄一つでここまで気を遣うものなのです。

 この神社は、あろうことか住民が地方病で全滅寸前まで追い詰められた時代に、御霊移しでも遷宮でもなく唐突にこの地へ建立された、恐ろしく曰く付きの神社だったのです。


 私は息を荒くしながらも、ゆっくりと頁をめくっていきました。まだ手掛かりは不十分です。更なる情報を求めつつ、これ以上何かが飛び出さないでくれという微かな期待を胸に仕舞います。

 いよいよ何の成果も得られず最後の章へと辿り着いた私は、章の題名を確認しました。


「逆サ神社創建提要」


 逆さ神社。この神社の正式名称はおそらくこれなのでしょう。創建提要ということは建立に至るまでの理由や過程が記されているに違いありません。恐る恐る、その中身を確認しました。

 序文には、またしても詞のようなものが挿入されていました。題名は「孕リ水子縁切リ咒」……「みごもりみずこえんぎりまじない」と読むのでしょう。以下がその詞の要所です。


疫癘胎中えきれいたいちゅうイジヤシボコニ、寄セヤあつメヤ、逆サ鏡ノ逆サ事」

「四方堅牢ニシテ此レ極メテ穢多えた。左ギツチヨノオンナシヲ慈シミ育テヨ。六ツカラ鏡見セル事勿なかレ」

「腹削ゲヤ、腹削ゲ。山中他界往クコトあたワズ、魂呼ビ要ラズ、縁切リ縁断チ」


 …私はこんな風に書かれた僅かな文を見た瞬間、戦慄し、書物を思い切り閉じました。極めて直感的に「これはダメだ」と感じたのです。何というか、禁忌的というか、そんな心持ちでしょうか。

 蔵から逃げるように飛び出して、神社の構造を改めて見渡します。前後逆向きの紙垂と、辺りをびっしりと覆う柊が、とても怖く感じました。

「あら、もういいの」

 ちょうど様子を見に来ようとしていた中割の奥様が、まるで赤子でも抱くかのように、その手に小さな地蔵を抱えながら、私にそう尋ねました。

 地蔵には見覚えがあります。私とナカさんが本殿へこっそり侵入した時に見かけた事があるものです。

 …そうでした。あの本殿の中には、夥しい数の地蔵が居るのでした。当時はちょっと不気味程度に思うに留まっていましたが…しかし今なら分かります。あのように、地蔵の本体に「誰か他人の名前を彫り付ける」ことなど、普通の信仰では考えられないのですから。

 私は極力冷静に努め、中割の奥様にこう伝えました。

 と。

「僕の勘違いで不快な思いをさせてしまったようで…すみません」

「いいのよ。誰にだって勘違いはあるのだから」

 私はおそらく、一生忘れられないでしょう。

 帰り際、彼女が言った言葉を。

「また帰ってきたら、遊びに来なさいな」

「…はい」

 あれから私は、帰郷することはあれど、あの神社の近くには寄り付いておりません。

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