第26話

 目の前に広がる聖堂の大広間。無事に絵の中に入れたようだ。

 人の熱気が一切感じられないためか、その建物が持つ神聖さゆえか、冷えた空気が体の表面を撫でる。

 気づけば手のひらは冷や汗に濡れていた。

 ここは、人間が踏み入っていい領域ではないのかもしれない……

 私は思わず引け腰になる。



「わぷっ」

「着地かしら」


 後ろからどさりと鈍い音。

 ふり返ってみれば、着地に失敗して倒れたレイネとその上に降り立つコレットの姿。

 こんなときぐらいキリッと決められないものか……。

 どこまでいっても愉快な仲間たちな二人に、私の口元は思わず緩む。


「よ~し、私がんばるぞ!」

「うん、いっしょにがんばろ」


 レイネは膝をパンパンと払ってから、やる気を表明する。

 羽を広げたコレットも、淡い緑光を纏って全力モード。天井のスタンドガラスから注がれる光を受けて、この場にふさわしい幻想的な姿になっている。


「あれを見なさい」


 コレットが杖で指した先には、螺旋の宝玉があった。絵で見た通りの宇宙を内包したかのような巨大な球だ。

 だがそれを守るかのように、見慣れぬ大きな物体が立ちふさがっていた。

 ――灰色の石人形。

 そう形容すればいいのだろうか。

 宝物庫の扉と同じ石材でできている、高さ三メートル以上ある兵士の像。

 それが講堂の中心に敷かれたカーペットの上に道を塞ぐように鎮座していた。

 自動販売機かと言いたくなるほどに大きな剣を地面に突き刺し、正面を見据えている。

 ……動き出す様子はない。


「螺旋の宝玉を守るガーディアンよ。上級魔法でも使わなければ傷もつけられないほどに固いけど、私たちの目的はあれを倒すことではないわ」

「宝玉にタッチしたらいいんだよね」


 手のひらを向けて期待した視線を飛ばすので、私も同じようにしてやると、ぺたんと合わせて笑みを浮かべた。


「もうっ、いまはあそばないの」

「は~い」


 私が注意するとレイネはすなおに返事した。

 話が逸れてしまった。コレットに目で続けるように促す。


「――大体はわかっているようね。つまり、どちらかが宝玉に触れれば目的は半分成功よ。あなたたちは二人、対してガーディアンは一体。同時に狙えばどちらかは確実に触れられる」


 確かに勝算はありそうだ。

 でも、標的になった方は……


「大丈夫、そちらには私が防御魔法をかけるから。魔力さえ戻っていれば両方にかけたのだけど……」


 自らの不甲斐なさを恥じるように唇を噛むコレット。

 そんな顔しないでほしい。レイネの封印に全魔力を使った後にまた魔法を行使するなんて、きっと無理をしているんだろう。

 これ以上の負担を、誰が強いられようか。


「わたしたちは端っこから同時にすすめばいいんだね」


 私は聖堂の両端をジェスチャーで示す。

 講壇へ続く道は、真ん中だけでなく側端にもわずかながら存在していた。

 コレットは頷いた。杖を構えて真剣な顔をしているのは、誰よりもその危険を熟知しているためだろうか。


「あぶなかったらにげてね」

「クララちゃんもだよ」


 言葉を交わし合うと、私たちは所定の場についた。

 私が右で、レイネは左端だ。

 そのまま足並みをそろえて、じわじわと宝玉に近づく。

 ……石像はまだ動かない。


「ガーディアンは宝玉から一定の範囲までしか追ってこないから、危なくなったら後退しなさい」


 私たちの後方から、コレットの声。

 上空で俯瞰しながら指示を出すようだ。


「そろそろ範囲に――」


 刹那、ガーディアンに命が宿り、剣を引き抜く。大理石の床が砕けて破片が飛び散る。

 それを合図に私たちは走り出した。

 ――目指すは螺旋の宝玉。

 大地を振るわせる足音が響いたかと思うと、木製の家具をプレス機にかけたような破壊音に変化する。長机を粉砕しながら、侵入者を捕えんと距離を詰めているようだ。

 私は走る速度を落とさないようにしながら、横目で奴の進行方向を確認する。一体どちらに向かっているのか……

 備品を壊し、木の海を泳ぐように突き進むガーディアン。その兜の奥にはめ込まれた、赤い宝石と目が合った・・・・・


 ――こっちに来た。

 

 私は思わずほくそ笑む。

 巨大な石像の威圧感は想像以上で、今にも恐怖でちびってしまいそうだが、頭がおかしくなったわけじゃない。

 レイネに突撃されるよりかは、気が楽だったから。


「鬼ごっこだ……でくのぼう」


 私に取れる行動は三つ。

 一つは前進すること。

 二つ目は左――すなわち横移動。

 三つめは後退、退いて領域の外まで逃げおおせること。ターゲットがレイネに移りそうなので、極力使いたくはないが……。

 とにかく、これらを用いてレイネが宝玉にたどり着くまでガーディアンを翻弄し続ける。


「クララ! 魔法の加護を――」

「いらない!」


 コレットの提案をはねのける。

 魔法はいざというときまで残しておきたい。レイネの身に危険が迫ったときに残機ゼロは勘弁だ。


 ずっと前に走り続けているというのに、ガーディアンと私の距離が縮まっていく。

 砕かれた木片がここまで飛んでくるほどに接近されている。

 くそっ、歩幅が違いすぎる。

 

 ――不意に辺りの光が遮られた。

 バリバリという音が隣で聞こえたかと思うと、視界の端にガーディアンが映りこんだ。

 両手で振り上げられた石製の大剣――

 何も考えずに前に飛び込んだ。

 一瞬遅れて後ろで轟音――


「きゃあ――」


 私の体がゴムボールのように吹き飛ばされる。

 めちゃくちゃだ……。当たっていないのに、風圧だけで壁に叩きつけられた。

 運よく骨は折れていないようだが、打ち身した全身が痛い。

 横たわったまま呼吸を整えようとする。


「ごほっ」


 呼気と一緒に血が唇からこぼれ出る。


「クララ!」


 コレットの悲痛な叫び声に意識を呼び戻される。

 首を動かして石像を確認すると、奴は壁に埋まった大剣を引き抜こうとしていた。

 天高くそびえる高耐久の壁に走る、大きな亀裂。

 大丈夫だ……体は動く、ビビるな私。

 きしむ体に喝を入れて立ち上がると、ガーディアンも剣を引き抜き構えたところだった。

 どうするか……とにかく、距離を取らなければ……



 私は即座に身を反転させ、聖堂の奥に逃れようとして――悪寒が走る。


 ガーディアンが視界から外れるその瞬間、かすかに見えた。半身といってもいいほどに体をひねったその姿が。

 あの石像がとろうとしていた構えは、記憶のどこかに染み付いたものだった。いつだったか――思い出せ!

 

 あれは……夏、人死にが出そうなほど暑いグラウンドだった。

 汗ばんだ手でボールを握り締めた俺が睨む視線の先――バットを構えたユニフォーム姿の高校生。

 グローブの内で球種を絞り、弓を引き絞るように腕を引いて――これだ、この体を開いた格好が奴と同じだ……

 

 奴は剣を投げるつもりなんだ・・・・・・・・・・・・・



 無理やり頭にねじ込まれたような不可解な走馬灯。それを信じていいのかなんて分からない。

 だけど――私はその警告に従って、全力でしゃがんだ。

 直後、


 ――ビュオン


 風を切る音と共に、私の頭上を何かが通過した。

 最後までその空間に残っていた私の長髪。

 その毛先が切り落とされた。

 はらり……と私の眼前で散るのと同時に、凄まじい衝撃と轟音を鳴り響かせて大剣が地面に突き刺さる。

 刀身の真ん中あたりまで埋まったそれは、私から宝玉までの道を完全に塞いでしまった。


 後退しようにも、そこにはガーディアンがいるので逃げられない。

 前後を挟まれてしまった。

 逃げこもうと机の並んだ横軸を一瞥いちべつするも、長机の間に砕けた残骸が壁をつくって唯一の道さえも封じていた。

 袋小路というやつか……どうやっても逃げられそうにない。

 

 ズシン、ズシンとガーディアンが一歩ずつ歩を進める。


 私はそれでもへたり込まなかった。

 足は恐怖に痙攣し、呼吸も荒い。瞳孔が開いた目で、近づいてくる無機質な石像を認識するだけで精一杯だったが、情けなく屈してやるかと歯を食いしばって立ち続けた。

 

 諦めてやるものか!


 触れられそうなほどに近づいた石の巨人が、私に向かって手を伸ばす。子供くらい丸ごと握りつぶせそうなほどに大きな手だ……

 コレットが必死の形相で呪文を唱えているが、間に合いそうもない。

 それに、一撃耐えたところで変わらないだろう。


 鼓動の感じられない五本の指が、私を取り囲む。

 私はその手を蹴りつけた――もちろんびくともしない。

 あと数秒の命、現状は正しく把握できているつもりだ。

 今ので一瞬稼げたかもしれないが、運命を変えるほどの力はない。


 今のはただの意思表示だ。

 世界に向けた、自分に向けた、ただちっぽけな意思表示だ。

 運命よ刮目かつもくしろ――



 私は決して諦めなかった!!



 血も涙もないガーディアンの指先が、中心に向け収束した。







「クララちゃんに触るな!!」




 私、潰れてない……?

 凍っていた頭が数瞬遅れで状況を認識する。

 私をつぶれたザクロにするはずだった五本の石柱は、突然重力に抗えなくなったかのように地面に転がっていた。

 それだけではない、ガーディアン自体が動力を失ったかのようにその場に崩れ落ちている。瞳の宝石もくすんだワインレッドになり、以前までの光を失っている。


「クララちゃん! 私ギフトを手に入れたよ!」


 中央のカーペットには、手を振る白い少女の姿。

 レイネ……無事力を手に入れられたんだね。

 ガーディアンが超常の力を失って、ただの石人形に戻ったのはレイネのギフトなのだろう。

 今度は私が助けられちゃったな……



「ありがとう! すぐにわたしも――」


 言いかけて、体が固まる。

 ガーディアンの瞳に再び光が宿り、きしんだ音を立てながら立ち上がろうとし始めたのだ。


 縦も横も逃げ道はない。

 だけど諦めない、これはレイネがつないでくれた命なんだ。


 考えろ、考えろ私……。

 必死で目玉を動かして、脳内に周囲の情報を取り入れる。

 螺旋の宝玉へ届きうる経路――平らな道でなくたっていい。どうにか辿りつけさえすれば……

 




 あった。





 私はありったけの声で天井に吠える。


「コレット! ――風の加護を!!」

「……っ! 了解よ!」


 即座にコレットの魔法が私を包み込む。

 ……体が軽い。これならギリギリ行けるはずだ。


 私は長机の上によじ登る。

 目線と同じ高さの机に登るのは、魔法の補助なしでは不可能だった。

 腕の力で体を持ちあげ上体を乗せるようにして、うつぶせながらも机の上に乗り上げた。


「――逃げなさい!」


 コレットの声で、振り向くまでもなく後ろの状況が把握できた。

 ガーディアンが力を取り戻したのだと。

 石同士が擦れる、カエルの鳴き声にも似た音。

 それが上へ昇っていく。

 奴が両手を振り上げている姿が、ありありと浮かんだ。


 もう少し、もう少しなのに……


 ――コツン

 固いなにかが石の体に当たる音。


「私が相手だよ!」


 レイネが床の破片を投げたんだ。

 軽い刺激を受けて、ガーディアンの照準から一瞬外れる。


 ――今だ!


 私は素早く体を起こすと、前方へ跳躍した。


 ――タンッ


 一つ前方の机の上に着地。そのまま勢いを殺さず――


 ――タンッ、タンッ、タンッ


 次々に机を蹴って聖堂の奥へ進む。

 目指す先は、もちろん講壇の上で存在感を放つ螺旋の宝玉だ。


 ズガガガガガ――――――――――!!


 私の目的に気づいたガーディアンが、もはやなりふり構わず追いかけてくる。

 力づくで私を追いかけてくる巨体に、船から船へと飛び移るように進む私は源義経の八艘飛びを再現している気分だ。


 タンッ、タンッタンッ――


 このまま進んでも、捕まる不安はない。

 机から机へ飛び移る分には余裕があった。むしろ距離を稼げているほど。


 私の懸念は一番最後、宝玉の鎮座する講壇まで届くかどうか。

 そこだけ距離があるのだ。魔法でブーストされた今の体でも、届くかどうかギリギリのところ。一度机から落ちたら立て直す時間はない、今度こそ確実な死が与えられるだろう。



 机の横線が流れていく――

 残りのつくえは数えられるほど。

 ああもう、悪い未来は考えるな。

 あとは跳ぶだけ、覚悟はとうに決めたんだ!


 三、二、一個――――跳べ!!


 タンッ――


 私は全身全霊で足場を蹴った。

 走り幅跳びのように前へ跳ぶ。

 宙に投げ出された体は、腰にジェットエンジンでもつけているのかというほどに上昇した、勢いは衰えない。

 ゆっくりな世界でじわじわと、重油の風船みたいな黒い宝玉が近づいてくる。

 

 ここまで間近で見て、螺旋・・の宝玉と呼ばれている理由がようやく分かった。

 黒い球体のなかに浮かぶ色とりどりの粒、その一つ一つがDNAを想起させる二重らせん構造をかたどっていたのだ。

 その美しい球体が、だんだん視界の上にずれていく。


 ――違う、私が落ちているんだ。

 ここまできて、あとほんの少しなのに……!


 私は手を伸ばした。体の伸ばせるところをすべて伸ばして、一ミリでも前へ指先を届ける。

 あばらの皮膚がちぎれてもいい、だから――




「とどけ――――――!!」




 すべてを出し切った私の指先が黒の球体をかすめることは、なかった。

 


 翼を失った体は重力に引かれるまま、取り繕いようもなく落下する。

 全力を出した……それでもダメだった。


 後方から聞こえる破壊の轟音が明瞭めいりょうに聞こえる。

 この場で潰されて死ぬことよりも、期待していた二人と喜びを分かち合えないことが悲しいと思った。


 床が近づいてくる。

 私の影ができている部分だけ妙に暗くなっていて、数秒後にはそこに叩きつけられるんだなあ、とぼんやり考えていると――

 ――ぼこり

 私の影の一部が盛り上がった。

 みるみるうちに至る所が隆起し――


「あし、ば……」


 足場、私が跳ぶためにしつらえられた踏み台としか言えない平坦な床を空中に作りだした。

 なにが起こったのかは分からない。

 どうして私の影がぼこぼこなるのか、それがなぜ協力してくれるのかも。

 それでも私がすることは決まっている。


 黒い台の上に、足をそろえて一瞬だけ着地。

 ぐぐぐっと全身の力をため込んで――




「いっけ――――――――――――――!!」




 今度こそ、私の指が球体に沈む。

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