第25話

 暗い、どこだろう。

 私は一筋の光さえ差し込まぬ暗闇の世界に、気づけばいた。

 体が重い。よっぽど疲れているようだ。重油よりも黒い闇の中にずぶずぶと沈んでいく。

 不思議な諦観とそれに包まれている安心感だけが、この世界を構成するすべてだった。

 このままずっとこうしているのもいいかもしれない……。



『……お前は何のために力を求める』


 暗い世界に唐突に響いたのは、覇気のない男の声だった。一度も聞いたことがないはずなのに、妙に不快に感じる、聞きなれた音。

 どこから聞こえてくるのか、分からない。

 上下も左右もない世界ではもとより指標も何もないのだが、自分の外から聞こえているのか、内側からなのかさえ分からないのだから気味が悪い。


 それが私に問うてくるのだ。

 力を求める理由……。


「……知らないよ。力は力でいいじゃん」


 私は簡潔に答えた。

 体のけだるさのせいで、あまり難しいことを考えていたくない。

 言ってみれば、名も名乗りもしない形なき声に答える義理などなかったのだが、あまりにも何もない世界だ。ほんの暇つぶしに付き合ってやるのもいいかと思ったのかもしれない。

 

『いいかげん無意味だと学習したらどうだ』


 私が返事をしたことで調子づいたのか、言葉を重ねる不定形。しかも、攻撃的だ。せっかくかまってやっているのに、そんな態度でお話してもらえると思うなよ……

 謎の声に応えず黙っていると、しばらく間があってから、また男は口? を開く。



『二十数年生きたんだ、お前も分かっているだろう』

「……っ」


 突然秘密を暴き立てられ、私の呼吸が乱れた。

 コイツは私のことを知っているんだ、私が生まれる前のことすらも。

 だれにも話したことなかったのに、どうしてそのことを……。


「知らない! あっちに行って!」


 男の姿は見えないが、私はそこだろうと当たりをつけた空間に腕を降りまわす。

 しかし私の腕が何かを捉えることはなく、空虚な闇を掻きまわすばかりだ。


『諦めた方が楽だというのに……』


 それを最後に男の声は聞こえなくなった。

 どこかの誰かがよく言っていた、ネガティブな口癖。

 その発言にどこか違和感を覚えた。

 言っていることがおかしいとかじゃない、論理が破綻しているような……


 諦めたらいいと結論が出ているのなら、最初からそれだけ伝えればよかったはず。

 だというのに、男は力を求める理由を聞いてきた。

 

「なんでだろうなぁー」


 私は何気なく呟いてみるが、答えが与えられることはなかった。



 『何のために力を求める』

 代わりに男の発言がフラッシュバックする。

 あのとき適当にあしらったのは、とっさに思いつかなかったからだ。

 永遠にも近いまどろみのなかで思考するも――


 その返答はまだ、できない。





「クララ、クララ――起きなさい」

「う、う~ん」


 耳元で発せられた羽音と金切り声に、私は顔をしかめる。

 うるさいなぁ――あっちいってよ。

 ハエでも追い払うように音の発生源をしっしと手で払う。


「こっ、この――上位種たる私を虫みたいに!」


 もう少し、もう少しだけ――具体的にはあと五分、寝かせて。

 あとちょっと考えたら答えが出そうなの……。


「クララちゃん起きて」


 ゆっさゆっさと私の体が揺さぶられる。

 レイネの声だ。

 おかしいな、どうしてうちにいるんだろう。

 遊びに来てたんだっけ?



「宝玉のところに行くんでしょ」


 真っ暗な世界に響いた少女の声。

 何かを求めてメイドの目を盗んで逃げだして――そうだ、ここは家のベッドではない。

 途端に、これまでの記憶の断片がスクリーンに照射されたかのように浮かび上がる。


 コレットとの出会い。

 家族に見送られ、家を出たこと。

 王城で王子とひと悶着あったこと。

 己の魔力に苦しめられていた少女、レイネ。

 そして試練を達成し、宝物庫に入ったことも。

 どうしてここまで来たんだったか……。

 私の記憶にない虹色の玉。ああこれだ、なんだっけ。

 バラバラになっていた記憶のピースがハマっていく。

 宝玉……そうだ、宝玉。

 私はそれを求めている、ギフトを手に入れるために。


 人間に先天的に備えられた万能に近い力、宝物庫に忍び込んででも手に入れたいと思ったのだ。

 


「どうしよう、クララちゃん起きないよ……」

「――こうなったらあれをお見舞いするほかないかしら」


 暗闇の外側で誰かが会話している。

 困っている様子だが、できればあっちでやってくれないかな。

 ……って、話の雲行きが怪しくないか⁉


 びゅん――。

 私の顔に風が吹きつける。どこかの妖精が宙がえりをした際に発生したものだと、目をつぶっているのになぜか確信できた。


「クララ――起きなさい!」

「ちょあ――!!」


 私は横になったまま、手のひらの指をピンと伸ばして固定する。

 そしてバネ仕掛けのように上半身を瞬時に起こし、適当に当たりをつけて手刀を振りかざした。


「バカな――!!」


 私に飛び蹴りを食らわせようとしていたコレットの顔が、驚愕に染まる。


 ――確かな手ごたえ。

 手刀をもろに食らったコレットは、そのまま吹っ飛んでいく。

 おそらく希少であろう布類の山にめり込むと、そのまま出てこなくなった。

 スケスケのネグリジェがパサリと落ちた。



「お、おはよう……」

「おはようレイネ」


 引き気味のレイネに私はいつも通りの挨拶をする。ソファに座っているのでレイネより視界が高くつむじが見える。

 癖なのか両手を胸の前に置いた少女は委縮していることもあって、一層庇護欲をそそる見た目になっていた。

 衣類に埋まったコレットの方を心配そうに見ているが、あの妖精は妙に頑丈なのですぐに出てくるだろう。

 それより気になったのが、日焼けのない両腕に抱かれている長方形の板だ。クリアファイルほどのサイズ。


「その板ってもしかして……」

「あっそうだよ、螺旋の宝玉! コレットと二人で見つけたんだ」


 その表面がこちらに向けられる。

 例にもよって扉みたいな額縁のなかに収まるのは、一枚の絵画だった。

 神々しい礼拝堂を描いた油絵。体育館みたいに大きな広間にびっしりと敷き詰められた長机。信徒が礼拝に参加するためのものらしく、机に対応した木製の椅子は列ごとにつながり、絵画の下半分には横線が走っている。

 その手前から礼拝堂の奥に向かって真っすぐとカーペットが伸びていた。机の群れがそれを避けて並ぶ様は、聖書でモーセが海を割ったシーンを想起させた。その礼拝堂の持つ神聖さゆえかもしれない。


 深紅のカーペットを辿っていくと、絵画の中心に目が誘導される。作者はこれを一番書き表したかったのかもしれない。

 レトロな講壇こうだんの上に、黒い球が乗っていた。台の大きさからして相当大きいことが窺える。ずっしりとした黒色の巨体を支える台座は上品な銀色で描かれていた。

 鉛でメタリックになるまで塗りつぶしたような球のなかに、極彩色のチリチリが無数に浮かんでいる。



「これが……宝玉」

「ええ、この試練を越えれば最後よ」


 私の頭の上から聞きなれた声。

 気絶していたんじゃなかったのか……。


「コレット! おきたんだね!」

「もちろん、すぐに目を覚まして――ってそれはこちらのセリフかしら!」


 べしべしと頭を叩かれたが、さっきの仕返しだろうと私はその刺激を甘んじて受け入れる。


「まったく……うなされていたから起こしてあげようと思ったのに」

「蹴ろうとしてた。過激すぎ」

「だっていくら呼んでも起きないから……」


 よっぽど深く眠っていたらしい。あのまま暗い世界に閉じこもったままでいたら、どうなっていたのだろう。ひょっとしたら一生目覚めることがなかったり……考えてぞっとする。


「ふたりともありがとね、わたしのこと呼んでくれて」

「えへへ、いつでも頼ってくれていいんだよ!」

「ク、クララの能天気な顔が気に食わなかっただけだわ~」


 素直にはにかむレイネに、そっぽを向くコレット。

 うなされてたって言ってたくせに、しょうもない嘘ついちゃって。



「そんなことより今からのことを話すわ!」


 いたたまれなくなったのか空気をぶった切る。


「絵画の中にあるのは人の求めてやまぬ螺旋の宝玉。それを守護するガーディアンを突破することこそ、最後の試練にして資格の証明! クララ・ベル・ナイト・フォース、あなたにその覚悟はあるかしら?」


 覚悟……か。そんなものもちろん――


「あるにきまってる!」


 私がソファから飛び降りると、レイネが絵画を私に向けてくれた。

 随分と小さいけど、あのときと同じように触れればいいのかな。


 ゆっくりと手を伸ばすと、塗り重ねられた油絵は触れたところから波打ち、私の指はかりそめの世界に沈んでいく。


「……さきにいくね」


 やがて生じた波は視界すらも巻き込み、世界のすべてがあいまいな線だけで構成さていく。


『何のために力を求める』

 夢の中で考えていた問いかけが脳裏をよぎる。

 私は目を閉じて息をはいた。

 無理して考える必要ないな。ガーディアンとやらを潜り抜けて、宝玉に触れてしまえばこっちのものだ。

 ――空気が変わった。

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