第4話
「あー、あーち」
「お花畑に興味があるなんてクララちゃんも女の子ね~」
私は指をさす。
おしゃれなベンチから緩やかな勾配を下ったところに、小さな花畑があった。
「誰かこの子を連れて行って、思うようにさせてあげて」
「どのメイドをご所望でしょうか」
「そうね――」
この世界に転生してから多分一年くらい。私はタバコを吸っていない。
この屋敷でタバコを吸っている人を見かけていないのは、赤子に対する配慮だろうと最初は考えていた。
始めの頃はタバコを持っているやつからくすねてやろうと、庭で訓練する兵士たちの姿を窓越しに見ていたが、誰も喫煙しない。
「クララちゃんに選ばせましょう」
もしかしたら、この世界にはタバコが発明されていないのでは……?
だとしたら私が発明者として巨額の富を得られるのでは?
生まれ変わったのだから、搾取される側からする側に回る。
これが私の大いなる野望だ。
「「「さあクララ様、お選びください」」」
気づけば私は囲まれていた。
見渡す限りメイド、メイド、メイド。
この中から誰が私をだっこするのか選べというのだ。
誰にするか……迷惑には思われたくない。
ぴこん。
見慣れた猫耳発見。
ポジション争いに負けた若手アイドルみたいに端っこからこちらを見ているが、その表情にはどこか自信がにじみ出ていた。
『どうせクララさまはミュシャのことを選ぶに決まっているにゃ』
とでも考えていそうな顔。
調子づかせるのも腹立たしいな……ミュシャはちょっと困っているくらいがいいんだよ。
となると――
近衛ちゃんがいい。
あの子なら私が頼んでも迷惑だと思わなそうだ。
こいこい。
爽やかな青髪に手招きすると、ドッキーンと大きく飛び跳ねた手前のメイドを『おまえじゃねえ座ってろ』といった感じでかきわけて私の前にやってきた。
「それではよろしくね……ええと」
「ソフィアと申します。この命に代えましても、クララさまをお守りしてみせます」
勘違いした子、アイドルの入手困難なチケットが当たったときみたいなリアクションしてたな。
私のお世話をすると、特別手当とか出るのかな……だとしたらミュシャが羨ましすぎる、私も欲しい。
ミュシャは選ばれなかったショックで魂が抜けていた。
かわいそうだから今度甘えてあげよう。
母から近衛ちゃん、もといソフィアへと手渡される私。
「……あたたかい」
「そうなのよ子どもってみんな暖かいの。クララちゃんはおとなしいからあまり気を張らないで――なんでも口に入れようとするから絶対に目を離しちゃだめよ」
ソフィアの腕を甘噛みしているのを見て、母が意見を翻した。
何でもは噛まないわよ、噛みたいものだけ。
よだれを吸って色が変わった制服の二の腕部分。
母は「ごめんなさいね」と申し訳なさそうに謝った。
「むしろ光栄で――! 承知しました。片時たりともクララ様から目を離しません」
二の腕も筋肉があるのに柔らかかったし、だっこの安定感も抜群。
これは
「はいあ――!」
「あちらですね。お任せください」
私が方角を示すと、ソフィアは全速力で駆けだした――わけではなく、徒歩で移動だ。
万一落っことしたら危ないからね。
「おぉ――!」
丘のふもとには色とりどりの花が咲いており、私の乙女的な部分が喝采をあげた。
「触れてみますか?」
近衛ちゃんが姿勢を低くして、花に手が届く位置まで私を移動させる。
近づいて見てみると、きれいな花と雑草が入り混じっていた。
かつて誰かが植えたのだろうが、人の手を離れて野生化したのだろう。
花屋の店先に並んでいる
これだよ私が求めていたものは……雑草のなかにタバコの葉っぱが混じっているかもしれない。
どれどれ~。
縦横無尽に生える草花を一つ一つ観察する。
「この赤い花なんてきれいではありませんか?」
ソフィアが声をかけてくる。
くだらんな、一銭にもならん花など捨て置け――でもちょっときれいかも。
ぶちっ。
気が付けば、本能のままに根から引っこ抜いた。
そして鼻にくっつくくらいに近づけて観察する。
特段変わったところはないただの花。
花弁が合成着色料で染めたみたいに真っ赤なだけ。
それがどうして心をつかむのか。
最終奥義を持って確かめるほかあるまい。
ソフィア。先に謝っておこう。
大きく口を開けて――
ぱっくんちょ!
私は花にかぶりついた。
その間わずか0.001秒(体感)。ソフィアには何が起こったのかさえ分からないだろう。
気になったものは口に入れたくなっちゃうんだよね、赤子の本能というか。
私は余韻に浸りながら、手元で茎だけになっているであろう花を見て――
「なっ……」
手元に花はなかった。勢いあまって茎まで食べてしまったのだろうか。
否、私の手に握られていたはずの花は、ソフィアの手に収まっていた。
いつのまに回収していたのだ……。
私を支える近衛ちゃんの手を彩る赤い花弁。
無傷だと!? どうりで食感がなかったはずだ。
「ぶうー」
私は不満を訴える。今すぐそれを食べさせろ!
「かわいくしてもだめです」
キリッとした表情でソフィアは拒む。
かわいくてもだめなら私になにができるというのか。
できません。しょせん私は二足歩行もできぬ類人猿……。
「あー! クララがお外にいるなんて!」
私がちょっとしょんぼりしていると後ろから大きな声が聞こえた。
「これは――キャロライン様」
我が姉キャロラインである。
母譲りのブロンドの髪に着る者を選ぶピンクのドレス。四才なのに顔のパーツがはっきりとしていて美人さんだと一目でわかる。意思の強そうなツリ目が特に素晴らしい。
数名のメイドを引き連れたキャロラインは、日傘から抜け出すとまっすぐこちらに向かってくる。
「あなたどうして外にいるのよ!」
「ぺぺぺ」
私に聞かれても説明できるほどおしゃべりが上手ではない。
かといってなにも返さないと無視したみたいになるので、適当に発声する。
「クララ様も大きくなられましたので、庭に出る許可が与えられたのです――ところで、キャロライン様はどういったご用件で?」
「お母さまが庭にいらっしゃると聞いたから来たのよ。でもいいわ、お姉さんであるわたしがクララと遊んであげる!」
忙しいので結構です。そんな思いを込めて私は姉に視線を送る。
「遠慮することないわ、わたしのことをもっと見なさい。そして立派なレディのたたずまいを身につけなさい。だってあなたはわたしの妹なんですから!」
思い伝わらず。
「立派なレディの遊び――遊び……」
勝手に遊んでくれることになったが、肝心の遊びの内容が思いつかないキャロライン。
だんだんとうつむき、その目に涙がたまる。
グスッ……。
瞬く間に駆け寄ったメイドがなにか耳打ちすると、キャロラインの表情は明るいものに変わり——
「決めたわ! 立派なレディの遊び——花飾りを作ってクララにプレゼントしてあげる!」
顔をあげて高らかに宣言した。
その頬を伝う涙は見ないふりをしてあげよう。
かくして始まった花飾りづくり。
キャロラインが作ろうとしているのは花かんむり。
メイドたちからもっと簡単なほうが良いと勧められるも、「難しいことに挑戦するのが真のレディよ!」とはねのける。
天然の花畑からせっせと花をむしり取る姉。
別に管理されているわけではないが、きれいな花畑を荒らす小さな背中は、人里に下りて悪さをするサルのようだった。
「このくらいあれば足りるかしら」
引き抜かれた植物が積みあがったころ、姉は言った。
十分すぎるだろ……巨人の花かんむりでもつくるおつもりで?
それでは私も仕事を始めようか。
草花の山から、タバコの葉を探す。
たしかシソみたいな形をしてた気がするんだよなー。
ソフィアに抱えられたままグルグル移動してタバコを探すが、一向に見つかる気配がない。
というのも、知識不足が原因だ。
ファンタジーにありがちな素っとん狂な植物ばかりで地球の知識が役に立たない――というわけではなく。
純粋な知識不足だ。
いくら見つめても「草」それ以上の情報が入ってこない。
そもそもタバコの葉ってシソみたいな形だったっけ?
分からなければ聞くまでよ。
私は植物の山に手を突っ込むと、無造作につかんでソフィアに見せる。
握られていたのは黄色い花。
「いただけるの……ですか?」
ちがう。なんて名前?
「これはナタネというのですよークララさま」
隣から声がしたので首だけ向けると、おでこがぶつかりそうな近距離にメイドがいた。
しゃがんで私に目線をあわせたままニコニコしている。
この人どこかで――ゆるふわちゃんじゃないか!
彼女は私のお世話をしているメイドの一人だ。
若草色の長い髪にのんびりしてそうな表情。いつも花かなにかのいい匂いがするから思い出した。
母とお外に出る時についてきてたのか。
私が覚えていないだけで、お世話係のメイドさんも同行していたのだろう。
母の付き人にしては人数が多いと思ったんだ。
次々に草の名前をゆるふわちゃん(本名不明)に尋ねるも、『タ・バ・コ』の三文字はついぞ聞けなかった。
「なんでできないのよっ! うわ――――ん‼」
キャロラインが途中までできた花かんむりを地面にたたきつける。
葉っぱを食べようとしてソフィアに止められていた私はびっくりして葉っぱを取り落とす。
花かんむりのつくり方は単純だ。
クルってやってキュッてする。これの繰り返し。
ただ子供がそれをやると、精神力が持たないかもしれない。
途中で手順を間違えて別の所に花を編み込むと、変な向きから花が顔を出してしまう。
それを戻すのもまた一苦労だ。
代り映えしない動作の繰り返しに、まだ幼い姉の精神は参ってしまった。
言ってしまえば、キャロラインには細かい作業が向いていない。もっと直観的で派手な作業に適性がある。
ここらで諦めたほうがいいだろう。
そっちの方がずっと楽だ。
「キャロラインさま。私が代わりに――」
「ダメ!」
花かんむりを拾い上げようとしたメイドを、キャロラインが制止した。
「わたしが、つくるの。だから手伝っちゃダメ。これは――わたしがクララに初めてあげるプレゼントなんだから!」
目をこすりながらぼてぼて歩くと、姉は花かんむりをつかみ上げた。
ドレスが汚れるのも構わずに地べたに座り込むと、また地道な作業に向き合った。
しかし時間が経つとともにミスが増え、うつむいたまま動かなくなるキャロライン。
何度も握り締めて色が変わりしなびた茎に、大粒の涙が落ちる。
「――クララ様をお願いします」
ソフィアはゆるふわちゃんに私を預けると、キャロラインのすぐそばに座った。
「キャロライン様。一度だけ、もう一度だけかんむりを編むことができますか」
キャロラインは鼻をすすりながら、一度だけ草を編んだ。
ソフィアは姉を見守るだけで、涙で顔に張り付いた髪を整えようともしなかった。
十分に時間が経ってから、
「もう一度、編むことができますか」
キャロラインの意思を確かめるように言う。
「……編めるわ」
また一回。まっすぐだった花が、かんむりの一部になった。
それからというもの休憩しては一回編んで、また休憩。
ペースは遅いが、確実に花かんむりは出来上がっていく。
その場にいる誰もがキャロラインの手元に注目していた。
そして――
「できたわ! ほら! わたしがつくったわ!」
すっかり日が傾いたころ、キャロラインが完成した花かんむりを赤く染まった空に掲げた。
「ずっと見ていましたよ、キャロちゃん」
「――お母さま!」
いつの間にかキャロラインの様子を見に来ていた母。
そのおなかに抱き着く。
「よしよし、頑張りましたね」
母は優しく受け止めると、頭を撫でた。
「わたしね、これつくったの! とっても頑張ってひとりで、ひとりで……」
キャロラインの声が、段々と小さくなる。
「ううん、違うわ。あのお姉さんが手伝ってくれたの。わたしひとりではつくれなかったわ」
視線の先にはソフィア。キャロラインといっしょに座っていたので、白い前掛けが茶色く土で汚れている。
「あなたが……」
「いえ、私は何もしておりません。キャロライン様がご自分で成し遂げられたことです」
声をかけるだけで、ソフィアは一度も姉に触れることはなかった。
それは、自分で完成させたいという意思を尊重してのことだろう。
母の元を離れると、キャロラインはソフィアの前に立った。
「ありがとう。あなたが励ましてくれたおかげで、こんなにきれいな花飾りができたわ」
「私はなにも——そうですね、ゆっくりでもいいんです。諦めなければいつか必ずできあがります。キャロライン様の隣で私はそれを見ることができて、とても嬉しく思います」
始めは固辞したソフィアだったが、やがて頷いてから破顔した。
「これ、クララにあげるわ」
姉はなんでもないように言った。
ゆるふわちゃんがしゃがみ込み、頭の上に微かな感触。
みんなの視線が私の頭の上に集中する。
吹けば飛ぶ程度の重量。これを私に贈るために、姉は必死になったのだ。
崩れないよう両手でそっと持つと、顔の前に移動させる。
赤、黄色、白と色とりどりの花弁がひしめく、カラフルな花かんむり。
その内側の茎は、何度も折り曲げたであろう後や、握り締めてシワシワになった部分が見受けられる。
姉が私のために頑張ったんだ、大事にしよう。
私はそう思った。
だがこの痛み様では、残念なことに三日も持たないだろう……。
大人であればいざ知らず、今の私にできることはとても少ない。
ん? この赤い花――。
私が食べようとしてソフィアに止められたやつだ。
「きれいな花かんむりもらえてよかったわね」
「あぃ——!」
母の言葉に私は満面の笑みで答え――
ぱっくんちょ!
「「ああっ⁉」」
私は花かんむりにかぶりついた。
「クララちゃんペッしなさいペッ!」
慌てて母が口を開けさせたが――
「食べちゃったの……?」
食べちゃったよ、感情のままに。
「ごめんねキャロちゃん、クララちゃんはわからなくて……」
キャロラインを慰める母。
立ち尽くした、小さな体をそっと抱きしめる。
「クララが食べたかったのならいいですわ!」
姉の返答はあっさりしたものだった。
キャロラインは花かんむりを食べさせるためにつくったのではない。
だというのに、贈られた相手が満足するのなら良いと、そう言い切ったのだ。
この上ない正論だが、心からそう思える人なんてめったにいないだろう。
近寄ってきた姉が私の顔を覗き込む。
赤ちゃん用ベッドを覗きにくる、いつもの顔。自信にあふれた明るい表情。
「お花おいしかった?」
汗と涙のしょっぱい味がしました。
こんなに長い語句、もちろん発音できない。
だから私はいつもと同じように「ぺぺぺ」と答えた。
茎を痛めた花はすぐに枯れてしまう。私はドライフラワーの技術を持っていなければ、上手におしゃべりすることもできない。
そんな私でも食べることぐらいはできる。
食べることで体の一部になればこの日の思い出が永遠に残るんじゃないか――なんて、こんなに長い語句は口が裂けても言えないな。
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