第3話

「ぶるぶるぶるぶる」


 よく晴れた日の午後、私は赤ちゃん用ベッドの上で唇を震わせていた。


「クララさまご機嫌だにゃー」


 猫耳メイドのミュシャがしっぽをふりながら頬を緩める。

 そうなのだ、ご機嫌なのだ。なぜなら今日は初めてのお外の日なんだから。


 ド○クエ序盤と同じくらいワクワクする。

 だって猫耳とか妖精とか、ガチでファンタジー生物が存在してるっぽい世界だもの。

 早くヒノキの棒でスライムしばいて経験値をゲットするんだ……。



 コンコンコン――

 ノックが三回。

 ……入りたまえ。


「どうぞ」


 私の代わりにミュシャが応える。


 ガチャリ……。

 扉を開けて入ってきたのは――


「まぁ——!」 

「クララちゃん起きていたのね。約束通り今日はお外に行きましょう」


 母だった。

 上品な薄い色のドレスにウェーブのかかったブロンドの長い髪。推定十代後半くらいの愛らしい顔つき。全体的に絵本に出てくるお姫様みたいな人だ。

 だけど子供向け絵本には出てこないだろうなぁ……胸が大きいから。

 男目線になれないのが残念だ。毎日吸っているのに。


 おっと、こうして母を待たせている気を変えられては困る。

 私はミュシャにこいこいして、よいせと抱きかかえられた。


「ミュシャ、わたしが抱っこしますわ」

「ですが……」


 躊躇する猫耳。

 主人に配慮する優れたメイドに見えるだろう? ただ私を抱っこしたいだけなんだよ。

 私は母の腕の中に移された。

 ミュシャの手が名残惜しそうに離れていく。

 

 私を抱いた母が部屋を出る。

 扉を越えると、空気が少しだけ変わった。

 普段から部屋を出入りしている人には分からないだろう感覚。

 落下防止用の檻の間から焦がれていた扉の先。

 なんの変哲もない廊下だが、自分の意思で部屋を出るまでに一年もかかった。


「ふぉ——!」

「いつもと違う景色でびっくりしまちゅねー」


 そうなんだよ! 見飽きた子供部屋から私はついに脱出した!

 後ろをついてくるメイドたちも心なしか嬉しそうだ。

 私の開放を祝っているのだろう。

 だが廊下ここは通過点に過ぎない。

 本当の目的は庭なのだ。


 母はメイドたちを引き連れて廊下から、ダンスホール、玄関を経て庭に到着した。

 道すがら、私は情報を収集しする。

 母の胸が邪魔で天井は見えなかったが、おおよそ屋敷の全容はつかめた。


 屋敷は昔ネットで見たゴシック調のものに近かった。

 私の部屋と同じくファンタジーな家具や調度品が至る所に飾られている。

 その壺や絵画はどれも高そうで目をむいたが、一番驚いたのは使用人の数だ。

 私が普段見ていたメイドたちは氷山の一角に過ぎなかったんだなぁ、と思ったほどでその数、百人は固いだろう。

 これだけの雇用を維持している我が家は、超がつくほどのお金持ちなのかもしれない。


「アンナ様。どちらに向かわれますか」


 ついてきていたメイドのうち、熟練っぽい女の人が母に声をかける。


「せっかくの良い天気です。ベンチでお茶でもしましょうか」

「かしこまりました」


 メイドが礼をすると、示し合わせたみたいに後ろのメイドが三人ほど屋敷に戻っていく。

 なかなかの速度がでているが、ばたばたと見苦しく走っている感じはしない。

 おばけみたいに横滑りに移動する姿は、ちょっとした恐怖を感じる……大丈夫、漏れてない。


 緩やかな坂道を上ること約数分。ちょっとした丘の上に、小さな建造物が見えた。

 ベンチと言っていたから、駅前に置いてあるヤツを想像していた。近年席の間に手すりを付けてホームレスが寝れないよう対策しているあの長イス。

 しかし、母の言うベンチは優雅なアフタヌーンティーをするための芸術的な空間だった。

 

 地上から二メートルほどの位置に、白くて細い金属が円形の屋根を作り、十本余りの支柱がそれを支えている。屋根を組織する鉄筋には、藤とよく似た植物が絡まっており、少人数用の丸いテーブルに柔らかな光が差しこんでいた。

 机には純白のテーブルクロスが敷かれており、用意されたティーポットからは湯気が昇る。

 二段に重ねられたスタンドには柔らかそうなパンが小綺麗に並べられていた。


 円状にタイルが敷き詰められた空間に母が踏み入ると、あらかじめ待機していたメイドが座りやすいように椅子を引く。

 母が腰かけると、側付きのメイドがティーポットを傾ける。淹れる銘柄を聞かないところが、母の好みを熟知している証左だと思う。

 カップに注がれていく深紅の液体。

 紅茶だろうか。とても良い香りだ。

 私がティーカップの中を穴が開くほど見つめていると、


「クララちゃんの分も用意してもらえるかしら。紅茶ならもう飲めるでしょう」

「かしこまりました」


 なんと私の分もいただけることになった。うれションしそう。


 真っ白なカップにバラ色のお茶がちょびっとだけ注がれた。

 それをメイドがコップを揺らして液体を冷ます。

 膝をついてカップの中が見えるようにしてくれたので、溶かしたルビーみたいな紅茶が回転する綺麗な様子を堪能できた。

 

 十分に熱が冷めたあたりで、メイドは母に視線でうかがった。


「あなたがクララちゃんに飲ませてちょうだい」

「よろしいのでしょうか……そ、それでは失礼いたします」


 母以外から飲食物をもらったのは初めてだな。

 そういや生まれてこのかた母乳しか飲んだことないや。

 メイドは緊張した面持ちで、私の口にカップを近づける。

 カップの縁の冷たい感触が唇に伝わった。

 

 くぴり。

 ぬるい紅茶が口に流れ込む。

 水とも母乳とも似て非なる不思議な液体が、舌をなでる。芳醇な香りが鼻を突き抜け、微かな甘みが葉の渋みを相殺している複雑な情報が味覚を通じて理解できる。


 ていすてぃー。

 これが大人の味、レディの世界。

 私はまた一歩完璧な美少女に近づいてしまった。


 にたー。

 ニヤけた私の口から紅茶がこぼれだす。

 あごをつたって服に落ちる前に、駆け寄ってきたメイドが布巾で紅茶を受け止めた。


「お召し物にはこぼれておりません」

「ありがとう、クララはカップで飲むのが初めてだから失敗しちゃったみたい」


 このまま流れたら、抱っこしていた母の服まで汚してしまうところだった。グッジョブメイドさん。

 おや、このメイドさっき紅茶を飲ませてくれた人だ。

 

 標準的なメイド服に身を包んでいるものの、きりっとした目つきで背も高いその姿は、高貴な人に使える近衛を思わせた。もしくは女子高で王子とか呼ばれてそう。

 青い髪が創作上のキャラめいているけど、この世界の人たちは生まれつき髪がカラフルなのだ。

 私は鏡を見たことがないからわからないけど、きっと母と同じきれいな金色だろう。


 ともかく、大儀であった。褒めて遣わす。

 私は近衛ちゃん(暫定)に手を向けて、こいこい・・・・する。

 しかし意図が伝わらず、近衛ちゃんは困惑した表情になる。


(クララさまはお呼びになっているのです! そのまま近づきなさい!)


 メイド集団のどこかから、ひそひそ声が聞こえてくる。

 私まで聞こえるんじゃ母にも聞こえてるだろうし、ひそひそ声の意味なくね?

 疑問に思ったが、ひそひそ声の発生源にいたのは見覚えのある猫耳。

 どうりで。ずさんっぷりに納得がいきました。


 私の前にやってきた近衛ちゃん。気を付けをして直立不動なのはいいけど、頭が高くないな。

 これでは撫でられないじゃないか。

 下がれー、下がれー。

 顔に伸ばした手を何度も下げてみせると、理解したようで忠誠を誓う騎士のごとく正方形のタイルに膝をつき、頭を垂れた。

 ベストポジション。


「よおーたた」

 

 近衛ちゃんの手柄を褒めると、頭を撫でる。

 指と指の間からとび出る青い髪が本当にきれいだ。


 わしゃわしゃーわしゃわしゃー。

 はっ! つい手触りを楽しんでしまった。

 これだから赤子ボディーはいけない。つい本能で行動しちゃう。


 ぼさぼさ頭になってしまった近衛ちゃん。

 私の位置からその顔は見えない。

 怒らせてしまっただろうか。こんな赤子に好きにされて内心はらわたが煮えくり返っているかもしれない。


「フフッ。もう二度と頭洗わない……」

 

 近衛ちゃんは顔をあげないまま小声でつぶやいた。

 ほっ、怒ってないみたいだ。

 メイドの群れの中に帰っていく近衛ちゃん。他のメイドたちの視線が集まっている。

 というか、メンチ切られてない? 気のせい?



 そんなわけで、今回はメイドの知られざる生態が少しだけ明らかになりましたね。

 みんなも身の回りにいるメイドさんを観察してみてね! 


 それじゃあまた明日――って忘れる所だった。赤子ボディーは本当に感情に流されやくて困る。


 本日、念願かなって庭にでられた。

 ここで例のブツ・・を見つけられたら私の野望にまた一歩近づく――!



 待ってろよ! タバコの葉っぱ!

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