数字イメージ変換表

 夏が近付き、段々と太陽が空に居続ける時間が長くなり始めていた頃。

 有紗は約束した月曜日の放課後に、空き教室を訪れた。


「ごめんね、大林君。いつも待たせちゃって」


 向き合わせた机の片方の席で大学ノートのページに表らしきものを書いている大林に、有紗は来るなり詫びた。

 大林は手を止め、有紗へ顔を上げる。


「ああ、先生。俺の事が気にしないでください、どうせ準備があるので」

「今は何を準備してたの?」


 有紗は大学ノートを指さす。


「これはトランプの時と同じです。変換表を作ってました」

「でも、私もうトランプの変換は覚えたよ?」

「いえ、これはトランプの変換表じゃありません」


 大林は否定して、ノートのページを有紗に掲げて有紗に見せる。

 格子状に縦横の線が引かれ、線で囲われた枠が100個ある。


「その表は?」

「これは数字記憶用の変換表です」

「枠が一杯あるね」


 有紗はげんなりする。


「先生にはこれから枠を埋めてもらいます」

「やっぱり。埋めなきゃいけないんだね」

「時間がないですか?」

「ううん、時間は問題ないの。けど大変そうだなって思って」

「大変ですよ。でも一度変換を決めてしまえば、後は変換が身に付くように練習するだけですから」

「そうだね。頑張る」


 意気込むように言い、有紗は大林の向かいの席に腰かけた。

 大林はノートを有紗側の机に向きを正して置く。


「どうします。どの列から埋めます?」


 縦列は下へ進むと一桁目が上がり、横列は右に進むと二桁目が上がる、という構造で表は書かれてある。


「00から」

「そうですか。では00から埋めましょう」


 大林は00の枠に指を当てる。


「0はオに変換するので、この場合はオオ、もしくはオーになりますね」

「オークションとか?」

「それだとイメージがぼんやりするので、モノやヒトがいいですね」

「そっか。じゃあ、オーブンとか」

「いいですね。それでいきましょう」


 枠にオーブンと書き込んだ。

 01の枠に移る。


「01はオイですね」

「うーんとね、オイル」

「ペール缶のイメージいいですか。それとも他の物イメージしてましたか?」

「ペール缶って円柱の形をした大きいやつだよね。私は調味料のプラスチックボトルをイメージしてたんだけど」

「あ、そうですか。ならそれでいいですよ」


 枠にオイルと書き込んだ。

 有紗がふと興味を持った顔になる。


「ねえ、大林君って自炊することあるの?」

「唐突ですね先生。俺は自炊しませんよ。親と住んでるとどうしても任せっきりですから。出来るようになった方がいいのはわかってるんですけど」


 お恥ずかしながら、という台詞が似合う表情で後ろ頭を掻く。


「だからペール缶をイメージしたんだね。先生はこう見えても自炊するから、オイルと聞けば調味料のオイルが頭に浮かぶんだよ」

「先生って自炊するんですね」


 大林は意外そうに有紗を見る。


「あっ、ひどい。大林君、私が自炊できないと思ってたでしょ!」

「ええ、失礼ながら」

「これでも大学背の頃から独り暮らししてるから、自炊くらいできます」

「物覚えが悪いって言ってたから、てっきり自炊も出来ない物かと。ほら、料理をするにも手順とか具材とか覚えること多いじゃないですか」

「う、確かに新しいメニュー作る時はすっごい苦労したけど、慣れれば私だって作れるからね」


 むっとした口調で言い張った。

 大林は苦笑を返して、02の枠に指を滑らせる。


「さ、次の枠埋めましょう」

「話を逸らそうとしてるでしょ?」

「02はオとニだから鬼ですかね」

「もう。仕方ないなぁ」


 無理矢理に話を修正され、有紗は難詰するのを諦めて変換表に視線を移した。

 その後、二人は意見をすり合わせながら順調に変換表の枠を埋めていった。



「とりあえず、49まで埋まりましたね。先生、時間の方は大丈夫ですか」


 大林に訊かれて、有紗は腕時計を見る。


「うん、まだ十分が大丈夫」

「なら、99まで今日の内に埋めますか」

「そうだね」


 互いの意志を確かめるように微笑し合い、二人は変換表を埋める作業に戻った。


「50はゴとオ、だからゴーストなんてどうですか?」

「丸くて白くてぷわぷわ浮かんでるお化けのイメージでいいかな」

「はい。ご自由に」


 苦笑いしたい思いでそう返した。

 大林の頭の中ではゲームに登場したリアルなゴーストだったが、有紗のイメージを聞いて、可愛いくて怖くないゴーストだな、と胸の内でこっそり突っ込んだ。


「次に51は何にします?」

「鯉」

「52は?」

「ごつ、ごに、うーん、ごっつんこ?」

「なんですか、ごっこんこって?」

「頭をぶつける擬音だよ。だから二人の人間が頭をぶつけあうイメージ」

「やめときましょう。場所に置きづらいですから」

「ええ、じゃあ52は何にすればいいの。他に思いつかないよ」

「2ってジと変換することは出来ませんか。ほら、名前の二郎とか」

「ああ、言われてみればそうだね」

「ゴとジで、ゴジラ。これなら黒っぽい怪獣でイメージ化できますからね」

「ゴジラって黒っぽいの?」

「え?」


 アドバイスのために動いていた大林の口が動きを止めた。

 悪意のない疑問を浮かべる有紗の表情を困惑の目で見返す。


「せ、先生。ゴジラ知らないんですか?」

「うん。ゴジラってどういう生き物なの?」

「い、生き物……」


 生物には違いないが、犬や猫と同じ分類に入れるにはおどろおどろしい気がする。

 大林はどう伝えようかと思案する。


「ええとですね。ゴジラっていうのは約60年ほど前に公開された……」

「調べれば出てくるよね?」

「え、あっ、はい」

「じゃあ調べてみる」


 時系列を遡るように説明しようとした大林を遮り、有紗はバッグからスマホを取り出し検索をかけた。

 すると、幾つかの画像が画面に現れる。


「これだよね、大林君」


 有紗が大林にゴジラの画像を見せる。

 厳めしい面立巨大な黒い怪獣がビル群の中に屹立している。

 初代の表情が丸っこいゴジラの方が可愛いのに。

 大林はオタクっぽい拘りを感じつつ落胆した。


「あれ、これじゃないの?」


 大林の芳しくない反応に、有紗はスマホに出た画像を見直す。


「いや、それで合ってますよ。はい」

「ならいいんだけど」


 安心した笑みでバッグにスマホを戻す。


「52はこのゴジラ。大林君のおかげで埋まったよ。次は53だね」

「ゴミ袋」


 大林は有紗がアイデアを捻りだす前に答えた。


「ゴミ袋、でいいのかな?」

「俺はゴミ袋にしてますよ。イメージしやすいし、置きやすいですよ。俺が言うんだから間違いない」

「そうなんだ。じゃあ私もゴミ袋にしようかな」


 有無を言わさぬような大林の物言いに、有紗は戸惑いつつも53の枠を埋めた。

 大林の助言を取り入れながら、54、55、56――と順調にイメージを決めていき、ついに99の枠まで到達した。


「これで最後だね。99どうしよう?」

「難しいですよね。俺は辞書で調べて傀儡にしましたけど。馴染みがないから、定着させるのに時間かかったんですよね」

「傀儡ってなに?」

「操り人形のことみたいですよ。糸で操られる人形をイメージしましたよ」

「操り人形か。私も同じのにしようかな。思いつかないもん」

「まあ、より適したイメージが見つかれば更新すればいいですから。とりあえず今日は傀儡で埋めておきましょうか」

「そうだね」


 満足のいく語呂合わせが思いつかず、大林と有紗は仕方なしに99の枠にひらがなで『くぐつ』と書き込んだ。


「これで埋まりましたね。時間の方は大丈夫ですか?」

「あっ、そうだった」


 有紗は腕時計に目を落とす。するとその目が大きく見開かれた。


「大変。もう五時五五分だ」

「え、もうそんな時間ですか」


 大林も慌ててズボンのポケットからスマホを取り出し、時間を見る。

 確かにスマホの時間表示も五時五五分を示しており、たった今五六分に進んだ。


「先生、まだ仕事残ってるんですか」

「そうだよ。早くても三〇分は掛かるから、いつもの電車に乗れなくなっちゃうよ」

「それってマズいんですか?」

「少しだけマズいかな。その時間のを逃したら次のはもっと人が混むから。ギュウギュウで潰れそうなぐらい」


 大林は有紗が小太り中年男性に挟まれている様子を想像した。

 気の毒に思えてきて、思わず口をついて言葉が出る。


「俺に出来ることありますか?」

「え?」

「手伝います。何か指示してください」

「え、でも、先生の仕事だから」

「俺が記憶術のことを教えていなければ時間に余裕があったはずですから、電車に乗り遅れるのは俺の責任です。だから、何か手伝わせてください」


 不器用ながらも仕事はきっちりやる勤勉な有紗は、大林の助力を嬉しいながらも遠慮するつもりだった。

 しかし、彼の意志の固い瞳を見て、遠慮の気持ちが蒸発したように薄くなった。

 断ると大林君が落ち込むんじゃないか、ついにはそんな予想も頭に過ぎる。


「わかった。大林君に手伝ってもらう」

「俺は何をすれば?」

「大林君はコピー用紙を職員室まで運んできてもらってきて。場所は知ってる」

「職員室近くにありますよね」

「じゃあ、頼んだよ。私は先に職員室に行ってるから」

「はい」


 有紗は大林が頷くのを見てからバッグを提げ直し、早足に教室を出ていった。


「俺も急ぐか」


 大林はノートをバッグに詰めて机の元の位置に戻すと、教室の戸締りを手早く済ませて職員室のある方に向かった。



 この日大林が手を貸したおかげか、有紗は発車一分前にいつものダイヤルに乗車できた。

しかし、大林君にまた借りを作っちゃったなと自分の不甲斐なさも痛感した。



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ここまで読んでいただいて、誠にありがとうございます。

記憶術やメモリスポーツに関することでご質問があれば、どうぞ気兼ねなくコメント欄にお送りください。作者がわかる範囲でお答えします。



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