ゲート・アストレイ

澄岡京樹

第1話「荒野とノイズ」

 ……曇天と晴天が入り混じる大空の下。荒野をぶった斬るかのような直線を、一本の大きな道が描いている。俺は一人でそこを歩いていた。

 周囲の枯れ草をものともせずに、その混凝土コンクリートで象られた幅広い道はどこまでも続いている。もしかすると果てがないのかもしれない。


 ……いや、そんなばかな。道である以上、どこかで終わりが来る。そういうものだ。その後なんらかの新たな道路が生えてくる場合はあるが、少なくともそれまでの道はそこで一度終わる。考えてもみろ、進路変更なしでどこまでもまっすぐ進める道があるか? 仮にあったとしよう、しかしそれが陸路の場合やはりどこかで海に突き当たる。もちろん逆も同じだ。海路ならいずれ陸地に出会す。果てを求めたところで、このまん丸の星にそのようなものなどないのだ。


 ……などと、やさぐれた物言いで道を歩いたところで、人の身で陸路の果てまで歩くのは時間がかかる。どうも終わりが見えないという事実は、果てしなさを幻視させるに足る要素のようだ。

 幾分かの期待を込めて背後を振り返る。やはり始発点の見えない長道が一直線に伸びていた。この事実に多少の達成感と疲労感を抱くのは不自然ではあるまい。ここまで歩いたぞ、という達成感。そして、どんだけ歩いているんだ……という疲労感。この事実を噛みしめれば噛みしめるほど、ぞくぞくとした感覚が身を包んでいくのを感じる。形容しがたい。具体的な説明もしづらい。ただ、もしやするとこれがランナーズハイとかいうやつなのかもしれない。……まぁ、ほんの少しそう思っただけのことなのだが。俺はそこまで感傷的な人間ではないので、どうでもいいか、と思い前を向き直した。


 ――茫漠たる陽炎が、道の向こう、遥か遠くでぼやけている。思えば気温も暑いのか寒いのか分からない。前も後ろも天気はバラバラで、今は曇天と晴天のマリアージュ。はっきり言ってカオスだ。ただまぁ、空が明るいだけまだマシだ。じきに夕日がさしてくるだろうから時間の問題なのだが。


 などと考えていると、混凝土の湿った匂いが鼻を通り抜けた。この、湿り気とぬるま湯の混ざったかのような香りは嫌いではない。嫌いではないが、これは雨の前兆であった。夕日を拝めるかと思っていたが、どうも雨が降るらしい。俺は今手ぶらで、雨をしのぐ術はない。……あぁ困った。今まではどうしていたのだったか。


「……ん?」


 ここで違和感に気付いた。そもそも俺はいつからこの道を歩いているのだったか。そもそもここはどこだったか。そもそもこの光景は――



「……あー、またこれか」


 まぶたを開くと酢飯の香り。眼前スレスレに色彩豊かなちらし寿司が在った。どうやら席に座って眠っていたらしい。

 顔を上げて両手で顔を触る。ちらし寿司の具が張り付いている事態は避けられたようだ。とりあえず良しとしよう。


「あんた注文するなりすぐ寝ちまってたよ」

 隣の席に座る男に笑われた。……なぜ隣に見知らぬ男が? と思い周囲を素早く見回して理解した。ここは行きつけの料理店、そのカウンター席だ、と。


「風見鶏さんお疲れなのー?」

 カウンターの向かい側、つまりキッチンから料理人の女性、海老名が顔を出した。栗色の長髪を後頭部でまとめており、愉快気に体を揺らすたびに馬の尻尾のような動きを見せる。ポニーテールである。


「関係ない。それよりあんま近づくな。臭いがうつるぞ」

「ツンケンすんなってー。あと、どう考えてもここのニンニク臭さの方が勝ってると思うよ」

「えっ、あんたどっかクッセーとこ行ってきたのか?」

 隣の男が口を挟んできた。


「行ってきた。さっきガソリンスタンドに寄ったんだが、隣のやつが軽油こぼしてやがったんだ」

「あー、そりゃよそ見してたんだなァ」

 男が言った。やたら食いつきがいいな。なんなんだ。


「へー。で、風見鶏さんそいつをどうしたの?」

「海老名、この話そんな面白いか?」

 面倒になってきた。これの一部始終を一々説明するのが心底めんどうくさい。しかも海老名だけではなく隣のよく知らんやつまで興味津々ときた。そんな子供のような輝いた目で見るんじゃないよ。あークソ、寝起きで判断力が鈍っている。


「風見鶏さんやっぱお疲れじゃん。……ささ、鬼道さんは早くラーメン食べちゃって。伸びちゃうから」

「えー、おれこのニーさんの話聞きてェんだけど」

「うるさい、俺の話よりラーメンを優先してくれ。俺はちらし寿司を優先したいんだよ」

「ちぇー、まあいいや。軽油がクセーことは分かったからよ」

「そしてニンニクはパワー! どう風見鶏さん、代わりにオチ作っといたよ!」

 それのどこがオチなんだ? と思ったが、マジに眠かったのでツッコミを入れる気力なんぞない俺だった。


 ちらし寿司を食い終わる頃には、隣に座っていた鬼道とかいう男は帰っていた。俺ののんびりイート大作戦に軍配が上がったのだ。

「それで風見鶏さーん」

「なんだ海老名。軽油の話とかもうどうでも良くないか?」

 もう放っておいてくれ。そんな気持ちを隠すことなく俺は返答した。すると海老名はイヤイヤと手のひらを振った。


「そうじゃなくてさー、害虫駆除の方はどうなったのさー」

「あーそっちか。昨夜やっといたよ」

 嫌な話を思い出させる飯屋だなとついでにぼやいた。ぼやきたくもなる。何が楽しくて二メートル級の虫なんぞ駆除せにゃならんのだ。あのワキャワキャした六本足、思い出しただけでも血の気が引く。その辺を這っている昆虫ですら見たくもないのに、何故にあんなクソデカいインセクト野郎を始末する羽目になったのやら。


「いやぁごめんね。風見鶏さんが虫嫌いなのは分かってたんだけどさ、あれだけデカいのは流石にキツい」

「お前さん別に虫苦手じゃないだろ」

「デカすぎるからだよー。んもー、風見鶏さんってば分かってて言ってるよねそれー」


 ハエ取りテープを取り替えながら海老名が言った。うんしょうんしょとキッチンの上部にテープを取り付ける海老名。女性の体格についてはよくわからんが、多分だが平均的な身長なのではなかろうか。栗色の頭髪が優しい眩しさを放っており、なんだか眠たくなってくる。あぁそうだった。昨夜は正体不明の虫退治とかいうクソみたいな出来事があってあんまり快眠できていないのだった。なにせ夢に出てきたレベルである。どおりで眠いわけだ。


「風見鶏さん寝ないでよー。ディナータイムの準備するんだからさー」

 カウンター席に突っ伏す俺を、海老名がゆっさゆっさと揺さぶった。

「いいだろ別に。十八時まで『準備中』の看板置いとくんだろ。それまで寝させてくれ」


 おやすみなさい、と俺は手を振ったあと即座に仮眠を取り始めた。あー気持ちがいい。やはり人間というやつは眠い時に寝るべきなのだ。俺は心の底からそう思った。


 ——荒野の夢の続きは見なかった。……俺は実のところ、あの夢が好きである。特に何か大きな出来事が発生する夢でもないのだが、どうしてか安心感がある。定期的に見たくなる。そして俺は、あの夢を見る条件を知っている。その条件とは、なんらかの達成感を抱くことだ。とはいえ何でもかんでも達成したら良いというわけでもない。俺にとって真に幸福だと思えるほどの達成感を抱いた時だけである。それは簡単ではない。だから俺は、出来るだけ色々なことに関わり、色々なことを達成しようと思った。『何でも屋』を生業としているのは、そう言った理由からである。


 ……目を覚ますとキッチンからいい匂いがした。推測するにこれは酢豚。海老名の店は基本的には中華料理店なのだ。ちらし寿司は俺へのサービスだったりする。ちらし寿司をオーダーできるようになるまでには、まあ、色々とあった。北の山にある妙な遺跡の調査とか特にしんどかった。あれは何度もやることではない。発掘調査でもするのだろうと思っていたら刀を使う羽目になったのだから愚痴の一つも言いたくなるものだ。別段俺の文句がおかしいと言うこともあるまい。


 そもそもの話、海老名のやつは俺のことを便利なマシーンだと思っているのではないだろうか。ほら、例えるならそう、ちらし寿司を原動力に動く驚異のメカ・カザミドリマークツー……みたいなね。


「…………」

 嫌だなそれ。確かにちらし寿司は俺の大好物ではある。あるのだがそのなんだ、さっきの例えだとあたかも俺がちらし寿司一つでホイホイ釣られやっかいごとに巻き込まれるアホみたいではないか。なんか腹立つな。いやちらし寿司は大好きなんだがそれはそれとしてなのだ。ていうか何でマークツーにしたんだ俺は。別に一号機で良くないか? これは一つ苦言でも呈するか……と思い立ち、俺はむくりと起き上がった。するとその直後、背後で扉の開く音がした。カランカランと鈴がなったので、間違いなく店の入り口が開いたことがわかる。


「……いやはやこれは驚いた。本当にいらっしゃるとは」


 ボロボロの帽子とコートを纏った老爺だった。知らない男だ。おぼつかない足取りではあったが、眼光はギラギラと光っていた。油断ならない人物であると直感が囁いた。


「あー、お客さんですか? すいませーん、開店時間まだなんですよー。三十分程お待ちいただけますか?」

 着席を促しつつ海老名が言った。老爺は首を振り提案を断った。


「すまない。私は客ではないのだ。邪魔をしたね」

 それだけ言って立ち去ろうとする老爺。気にかかることがあったので俺は呼び止めることにした。

「あー、ちょっと待ってくれ。あんた一体何に驚いたんだ?」

 なんとなく察しはついていたが聞いてみた。老爺は、

「気づいておるくせに」

 とだけ言って扉を開けた。

「爺さん、俺のこと知ってんのか?」

 直感に従い問いを投げる。老人は微かな笑みを浮かべると、そのまま出ていってしまった。


「知り合い?」

「なわけねーだろ。あのジジイが一方的に知ってるだけさ」

「わかんないじゃん、風見鶏さんが覚えてないだけかもだよ?」


 海老名の指摘はもっともだ。俺が忘れているだけ――例えば幼少期、例えば酔っ払っている時、例えば――心当たりはなくもない。だがそれは俺の中では同じことだった。


「一緒のことだよ。……俺の主観で知らない以上、俺から見れば、今回のケースは爺さんからの一方的な面識に過ぎないのさ」

「ふーん、風見鶏さんって一人称的な生き方してるんだねぇ」

「誰だってそうだろ」


 何言ってんだ? と思いつつ返答した。誰しもがそれぞれの主観を持ち、そこに映るそれぞれの現実を生きている。そういうものだろうし、そんなもんだろうという、認識と諦観を俺は抱いている。


 ……他者と、完全に同一の世界を見ることはできない。俺はそういう風に世界を捉えている。足並みを揃えることはできても、究極的な同一視は叶わない――そういう考えだ。夢がないなと言われたことだってあるが、俺からすれば夢があるからこその考え方だと思えて仕方がない。……ま、そういう感覚を容易にシェアできないからこその人生なのだろう、と今は納得している。


「私は違うかなー」

 妙なことを海老名が言った。違うというのは、この場合は一人称にかかっているのだろう。

「そうなのか。じゃあ海老名は二人称で生きてるのか?」

「そうなのかもね。自分第一というより、他の人を見がちだからね」


 あぁなるほどと、妙な得心があった。世界の見え方以外にも違いはあったのだ。それは他ならぬ自分自身の捉え方だ。誰を思考や生き方の中心に据えるか――俺は常に俺を主軸に置いているが、海老名はどうも違うらしい。これは新鮮な観点だった。一人で思案に耽っていると気づかないこともあるものだ。こういう時にコミュニケーションの重みを感じる。


「貴重な意見をありがとう。人生の深みが増したよ」

「はぁ。よく分かんないけど、力になれたのなら嬉しいよ」


 海老名はあまり分かってなさそうだが、とりあえず俺としてはいい話を聞けた。だから何か礼をしたいと思った。


「礼と言っちゃなんだが、今度また害虫駆除を引き受けよう。できればもっとちっこいヤツだと助かるがな」

「ぃやったー! なんか分かんないけど気前いいねー、助かるよー!」


 あの虫退治は俺にとって多分悪くない。……と言いつつ今月だけでもう八件目なのだがな。いつも心地よい達成感を得ることができているのかどうかは微妙なところだ。それでも、まぁいいかと思えたのは、さっき荒野の夢を見たからなのかもしれない。


 流れでそのまま晩ご飯を注文して、たらふく食うと俺は店を出た。ちなみに食べたメニューはラーメンにチャーハン、あと市場で手に入ったという『海賊からの土産物』とやら。謎の食べ物である。……というかそもそも、今時海賊稼業なんぞ流行るのか? と思わなくもないが、まぁ土産をよこす程度には潤っているのかもしれない。塩水まみれで喉の渇きに苦しんでいるんじゃないかと思っていたので一安心?だ。


「つーかあれか。最近は公営の海賊がいるんだったか」


 公営の賊って何? と思わなくもないが、要は海賊だった奴らの手腕を見込んで公共事業を外注している……と言ったことのようだ。名前だけはそのまんま海賊としているとかなんとか。一応は社会復帰のための政策らしいのだが、まぁ実際のところは利害一致の共同戦線といったところなのだろう。……そういえば西の方で腕のいい船長の話を聞いたことがあった。確かその船長も元海賊だったか。


 ……海賊の話なんぞどうでもいい。ありがたいことに明日から依頼が立て続けに三件入っている。俺のようなフリーランスは稼げる時に稼いでおかないと大変なのだ。何がどう大変なのかは直面しない限り考えないようにしている。その前にどうにか対処するのだ。というかするしかない。そうです、不器用な生き方なんですよ僕ぁ。


 ◇


「つーわけでまずは一件目」

 翌日。俺は広大な庭園にやって来ていた。

 依頼内容としては、私有地の森に魔獣が出たとかなんとか。大方その辺の小動物が〈不明物質〉を食べてしまったとかそんなやつだろう。発砲許可は得たので早速森に入り索敵する。


「あー予想通りっすなこれは」

 周囲を見回すとところどころ森の空間が捩れている。これがゲームだとするとテクスチャがグチャグチャになりかかっていると言った感じだ。間違いなく不明物質の摂取が原因だ。


「ヘッヘッヘ、稼ぎ時でヤンスね」

 臨時で雇った元山賊の男が舌舐めずりしながら言った。頼んでいるのは斥候と残留物回収。元山賊――仮称ヤンスくんの回収してきたものから察するに、テクスチャ崩れの原因は魔獣の排泄物だろう。


〝存在自体があやふや――それが不明物質の定義なわけだが、それに類するものを摂取すると食べたそいつが不明物質の定義に喰われてしまう。

 結果として『こんなバケモンいるわけねーだろ! でも目の前にいるだろーが!』なクリーチャー……要は魔獣になってしまうんだなこれが〟


 かつて師匠から受けた説明を思い出す。魔獣退治なんぞもうとっくに慣れたものだが、それでもあいつらの意味不明ぶりには未だに慣れない。意味が分からん存在ほど対応に困るものはないわけで、そういう意味では昨夜の謎爺さんも負けていなかった。

 まぁあれは単純に知らない人だったというだけだろうが。ただそれでも、自分にとって未知な存在である事には違いなどない。そういう意味では魔獣も謎の人物も俺の中では大差なかった。


「おーいヤンスくん。あんたはこれぐらいで切り上げたほうがいいよ」

「なーに言ってんでスか風見鶏の旦那ァ。魔獣はどこもかしこも高く売れる部位ばっかでヤンスよ? それをみすみす見逃すことなんておれにゃできやせんぜ」

「じゃあ魔獣のウンコあげるから帰っていいよ。マジでアブねーから」


 袋に入れたウンコをヤンスくんに見せながら言ったのだが、ヤンス野郎は一向に帰るそぶりを見せなかった。


「こちらにも山賊の矜恃ってもんがあるんでヤンスよ。戦闘中の罠張りぐらいは任せておくんなせェ」

「あっテメー今山賊っつったな! 元じゃねーのかよ!」


 俺はヤンスくんを非難した。現役の山賊を雇ったとなれば、俺の信用に関わりかねないからだ。


「元でヤンスよ。元でも矜恃だけは大事に抱えてるんでヤンス」

 そう言ってヤンスくんは何やら調合らしきことを始めた。複数の粉といくつかの鉱物らしき小さな塊を、液体で浸した布で包んでいるが……


 ――ヤンスくん、爆弾作れんのか。


「これで中レンジから投げて攻撃できるでヤンス。あとは落とし穴に設置とかもアリでヤンスね」

 ニシシと笑いながら爆弾を量産するヤンスくん。頼もしいけど危なくない? 資格のところに爆弾作成スキル有りなんて記述なかったよね?


 ……まあ実際のところ、こういうやつは多い。資格なしであろうとも、独学または継承によってスキルを身につけねばやっていけない業界もあるということだ。……だがそういうのを黙認してしまうとやはり俺の仕事に支障が出るやもしれない。ゆえに――


「早く俺から逃げろ。でなきゃ誤射しちまうぞ」

「――ヒッ、旦那アンタ本気ですかい?」


 尻餅をつき、怯えた目でヤンスが言う。……まぁそらそうだ、拳銃を突きつけられてんだもの。


「ああ本気だよ。……つっても今すぐ撃つわけじゃねェさ。俺だってそこまで非情じゃねェ。けどな、ここはもう魔獣のテリトリーなわけよ。今襲ってくるかもしれん。そうなったら俺だって必死さ、所構わず乱射するかもだ」


 後はわかるな――と俺はヤンスくんに視線を合わせる。さすがのヤンスくんも諦めたようだ。大きく頷いた。


「……わかりやした、おれはここで離脱するでヤンス。……しかしですね、」

「分かってるよ。魔獣のウンコは持ってっていい。あと報酬の金は明日にでも振り込まれてるはずだ」


 斥候は任せたわけだから、その分の分け前は渡すのが道理だ。俺は魔獣の糞が入った袋をヤンスくんへ投げた。


「へへへ、ではありがたくいただくでヤンス……」

「資格記入欄には全部書いてくれよな。じゃないと困るんだわこっちが」

 銃を向けながら俺は言った。


「……書き忘れていたでヤンス。次会う時はちゃんと書いておきやすね」

 それだけ言って、ヤンスくんはそそくさと走り去っていった。


「余計な手間かけさせやがって……」

 マイナスの感情を吐き出すために声を出す。これで気分転換は完了だ。

 そして俺は、肩を回しながらノイズの森を進んで行った。


 ◇


 しばらく歩くと、ノイズの範囲は視界一帯ほぼ全てとなっていた。当然だが、俺も長居は出来ないだろう。ノイズを撒き散らした元凶と出会ったら即座に決着をつけねばならないということだ。それが出来なければ俺もまたノイズの仲間入りとなってしまうので、それだけは避けたいところだ。


 周囲を警戒しながら森の奥へとさらに進む。ノイズ浸食率から察するに、魔獣はこの辺りを寝床にしているのだろうが――


「〈        〉」


 周囲を警戒しながら森の奥へとさらに進む。ノイズ浸食率から察するに、魔獣はこの辺りを寝床にしているのだろうが――


「……チッ、先に気づいたのはあっちか!」

 思考がループしかけたことを経験から察知し、俺は銃口を下に向けながら索敵行動を強める。……今の現象は『時空歪曲』。一定の間隔で数分前に時間を戻される、要はループ空間だ。ノイズに満ちた空間では、その様な異常バグった現象など必然レベルで発生する。ゆえに俺たちのような猟犬ハンター


「〈〉」


 蠢く影の接近を感じる。位置は不明。だが音は明確に近づいてきている。


「数秒飛んだな」


 時空歪曲はこのように攻撃にも用いられる。魔獣の攻撃意思の発露により時空歪曲は発生するのだが、今のような数秒時間を圧縮する現象は、捕食対象に思考の余地を与えないようにするために行なわれている。

 だが奴らとて狙って異常現象を引き起こせるわけではない。魔獣のほとんどは偶発的に不明物質を食べてしまったものたちだからだ。突如得た力を即座に使いこなすことなどできない。まぁそもそも


「」


 推定爪による一撃が迫り来る、その寸前。俺の撃ち出した弾丸が地面に炸裂した。閃光、そして衝撃。それらは俺に向かうことなく全て魔獣へと殺到した。――対魔獣成分〈アンノウン・マグネット〉を混ぜ込んだ弾丸を発射したのだ。


〝アンノウン・マグネットは、不明物質に引き寄せられる特殊な磁石だ。……あ? うーん、なんで引き寄せられるのかは知らねえなァ。そういうのは作ってるとこで聞いてくれや〟


 師匠の言葉が脳裏を過った。過ぎ去りし、懐かしい思い出だ。


「【:::::::。。。/////(……ッ!!?」


 ――そして、得体のしれない叫び声を上げながら魔獣が倒れ落ちた。時空歪曲の影響で、魔獣がどのように攻撃してきたのか判断しきれなかったが、今の状況を鑑みるに飛びかかってきたのだろう。そういうところは動物じみていると常々感じる。


「ま、とりあえずこれでオーケーだな」

 周囲のノイズが霧散していくのを確認したのでそう呟いた。あくまでも変貌しきったのは魔獣だけ。周囲の環境は重力めいた影響を受けていただけに過ぎない。


「あとはこのグロテスクなクリーチャーを届けるだけなんだが……」


 何度見ても訳が分からない。前脚部分からはそれぞれツタとナイフが生え、後脚部分からはタイヤと積み木が生えている。キメラにしても奇妙なもんだ。森にそんなもん落ちていたのか? 毎度頭をかしげざるを得ない。体は体で見たこともない金属と鱗とが絡み合った、言うなればメカの魚的な形状で、顔は……顔はなんだこれ、渦? とにかく渦巻きの様な空間があった。毎回こんな感じなので、あまり魔獣の見た目については考えたくないのである。もうウンザリというわけだ。


「まぁいいや。さっさとクライアントに持ってこう」

 魔獣の討伐とノイズの消滅を伝えにいかねばならない。俺は魔獣だったモノを袋に入れて森を後にした。


 ◇


「いやぁ助かったよ。腕のいいハンターで良かった」

 依頼者の男、森久保から報酬金を受け取り、俺は一礼してそそくさと帰ろうとした……のだが。


「ところでその魔獣、私が買い取っても良いかね」

 意外な提案を持ち出された。魔獣なんて得体の知れないものを欲しがる奴なんぞ、わざわざ魔獣肉専門の市場に足を運ぶ物好きぐらいのものだ。それをこの男は欲しがるという。金持ちの道楽か何かなのだろうか、コレクション的な。


「はあ。いいですけど、収集でもされてるんですか」

 俺の問いに森久保は笑顔でうなずいた。ふくよかな体格を弾ませながらのうなずきは、どこか愛嬌がある。


「もちろんだよ君! この部屋の装飾品も世界中から取り寄せた貴重な品々なのだが、魔獣はそのどれにも該当しない新たな概念なのだよ!」


 そうなのだろうか。変貌前はそこらへんにいくらでもいる小動物だったと思うのだが。……とまぁ俺はそのように考えているが、森久保氏は違うのだろう。この応接間に飾られた高そうなオブジェやら貴重本らしき書籍やら以上の価値を魔獣に見出している。否定はしない、これもまた主観の違いというものなのだろう。俺と森久保氏とでは、やはり世界の見え方が違うのだ。美しいもの、価値あるものの基準がまるで違う。それでいいと思うし、それでいいよとも思う。俺の中で、理解と放棄は両立し得るのだ。投げやりだなと言われたこともあったが、別に「それは違う」と訂正を願い出るほどのことでもなかった。


「そういうことでしたら構いませんよ。ただ、市場での販売価格とまでは言いませんが、」

「別にいくらでも構わないよ。好きな額を言いなさい」


 森久保は本棚から一冊の本を取り出した。その本を開けると中には金塊がぴったりと収まっていた。いやそれ容器だったの?


「そう驚かなくていい。本の中に混ぜてあるだけだよ。こういう時にスッと出せるだろう?」

 いや出せるけどもね。出せるけれどもスッとじゃないよこれ。切手とかそういうやつかなと思ったら金塊がドスッと出てきたよこれ。流石にびっくりしたよ、魔獣の出現より驚いたかも知れないよマジで。


「……お気持ちは嬉しいのですが、本当にこれほどの額をいただけるのですか?」

 流石に金塊は高すぎるのでは? と思ったので素直に訊ねることにした。


「君ね、もう少し自分のことを顧みたらどうだね」

「顧みる、ですか」

「そうだ。君が倒したその魔獣というやつは、限定的にとはいえ時空すら操るそうじゃないか。そんな危険極まりない存在を相手している君たちハンターをだね、二束三文で送り出すことなど私にはできんよ」


 ふむ、純粋な善意によるものらしい。そういうことであるならもらっておこうか。


「そう言っていただけると、こちらとしても励みになります」

「だからその金塊はもらってくれたまえ。それぐらいの働きを君たちはしているのだよ」

「では、ありがたく頂戴いたします」

 恭しく礼をして、俺は金塊の収まった本型ケースを荷物入れのバックパックに入れた。

「ああ。それで楽しく暮らすといい」

 森久保氏のその言葉は、妙にうわずった声色で染まっていた。


 ◇


 森久保邸を後にした俺は、二件目の仕事に取り掛かることにした。内容としては一件目ほどハードなものではない。本当に簡単な仕事だ。港で荷物の運搬を行うとかで、それの手伝いをする。魔獣退治の直後なこともあり若干体力的な不安はあるものの、一定の動作を繰り返すだけなのでそれほど慎重に判断することではない。


「まあ今日やれるかは怪しいがな」

 依頼者によると別に今日でなくともいいらしい。だから先に魔獣を狩りに行ったのだが、思いの外早く済んだので連続で行うことにしたのだ。


 依頼者からは時間ができたら連絡を入れてほしいと言われていたので、今日行えるかどうかの確認も踏まえて、俺は懐から掌大の縦長通信機器を取り出し画面を指で操作して通話を試みた。数秒の後、相手方とつながった。


「あ、毎度お世話になっております、風見鶏です」

 普段通りの決まり文句で通話を始め、作業開始時間の確認を行う。……すると、妙な流れになった。


「え、そちらに紅蓮さんもいらっしゃるんですか。あー、なるほど、藍染さんとお知り合いだったんですね」


 三件目の依頼者である紅蓮氏も港にいるらしい。二件目の依頼者である藍染氏とは旧知の仲とのことで、それでよく互いの仕事場に顔を出すようだ。

 ……紅蓮氏からの依頼は夜にしか行えない内容だったので、すぐさま影響が出るとかでもなければ同時に取り掛かれるものでもなかった。そのため、二件目がすぐに済んでも作業内容の確認ぐらいしか先行して行えることはなかった。


「ま、多少の時間短縮にはなんだろ。それより昼メシどうすっかなんだよな」

 通話を終えて空を眺めると、太陽が少しずつ正午の到来を知らせつつあるのが分かった。ひび割れだらけの空だが、太陽の輝きはちゃんと俺を照らしてくれている。それだけでも多少は元気が出てくるのだった。


「ま、作業の合間に新鮮な魚介類でもいただくとするかね」

 すぐに昼メシのプランが立ったので、俺はバイクにまたがり港へと向かった。


 十五分後。なんというか昼メシどころではなくなっていた。


「紅蓮……クッ」


 藍染氏のやりきれない声が港のコンテナ倉庫内に響く。なんということか。紅蓮氏は死んでいたのである。体中にノイズを撒き散らせながら。……気合を入れ直す。今日の魔獣討伐は、一件だけで終わりなどではなかった。ならばハンターとして仕事をこなすのみ――それが、俺という人間の在り方なのだ。

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