第14話 雷鳴に惑い

 放課後。オレは古い校舎のがらんとした教室で、机をはさんで座っていた。

 前に座っている彼は、提出期限を過ぎたプリントの記入欄を埋めていた。


 彼とは、長い付き合いだ。

 かれこれ何年だろう?

 三歳からだから、もう、十四年の付き合いだ。

 家が近いのもあって、よく行き来していた。

 けれど、九歳のとき、一度転校している。

 そして、十五歳で再会した。


 転校してからは、夏休みや冬休み中しか会っていない。

 ときどき会う日下は日下でなくなり、長谷部に変っていた。

 知っている日下と、少しずつ変わっていった。

 一緒にはしゃいでいたのに、どこかよそよそしくて、気恥ずかしかったのを覚えている。


 今現在、高校二年生になり、同じクラス。女子の間では、長谷部沼という言葉がある。イケメンには違いないが、男のオレには関係ない。

 それに、毎日顔を突き合わしていても、長谷部はどこかよそよそしかった。


 こうして机を挟んでいても、昔のような近しい距離間ではない。一枚の壁がある気がしていた。

 下を向いて書いている長谷部のつむじが見える。

 短髪の黒髪。さわったら痛そうだ。


 稲光が教室を照らした。

「おっ」

「光った」

 顔を上げた長谷部と目が合うとすぐに、ゴロゴロと雷が鳴った。

「一雨来るか」

「だな」

 長谷部は、もう、目線をプリントに落としていた。

 稲光がする。

 彼はもう、顔を上げなかった。

 稲光と雷鳴の間隔がどんどん狭まっていく。

 最初は、ぽつぽつと降っていた雨が今では山の端が白くなるほどどしゃぶりになっている。


 稲光が彼を照らし、空気を引き裂くような雷鳴が轟く。

「うわ、これ、落ちたな」

「付き合わせて悪かった。帰るの遅くなるな」

 なに言ってんだ。

「オレは嬉しいけど」

 と言うと、

「そっか」

 と、うすく笑った。


 オレは、長谷部を観察した。

 こんなに近くにいることはほとんどないから。


 まつ毛ながっ。

 眉毛整えてるのかってぐらいきれいだ。

 鼻梁は高く、くちびるは……

 と、もう一度、大きな雷鳴が轟き、心臓が跳ねる。

 

「キス、したい……」


 うわっと言う所だったのに、『ような』と形容詞も続くはずだったのに、心の中の呟きが思わず口からもれた狼狽から、言葉に詰まってしまった。



「えっ……」

 顔を上げた長谷部がこちらを凝視している。


 もう一度、雷鳴がした。


 言い訳したいのに、立て続けに鳴る雷鳴にかき消されると困る。鳴り終わってから言おう。

 うん。

 オレは、無意識に頷いていた。


 その途端、目の前に長谷部の顔が近づく。

 チュっと軽いキスの音。

 唇に柔らかな感触。

 これは、キスか――。


「……」

 言葉にならない。開けたままの口をようやく閉じると、どしゃぶりの窓の外を眺めた。

 ビックリした。

 オレが、キスしたいと言ったからしてくれたわけで、深い意味があるわけじゃない、はずだ。


 チラッと長谷部を見ると、下を向いている。

 でも、耳が若干、赤い。

 赤さが伝染して、今頃になって顔を火照る。


「長谷部、こ、これにはわ、訳があって」

「訳なんていらない。俺は、ずっと好きだったから」


 射るようにオレを見た。


 睨むでもなし、悲しみでもなく、笑むでもなく、ただ、真っすぐにオレを見ていた。

 机の上に置いていた手に彼の手が重なる。

 ドクっと心臓が跳ねる。

 鼓動がどんどんと早くなる。

 手から、心拍音が相手に伝わるんじゃないかと思うぐらい大きく脈打っていた。


「もう、遠慮しないよ」


 そう言うと、オレの手を握り、口元まで引き寄せ軽くキスをする。

 うすく見開いた目は妖艶で、とっさに目を伏せた。

 

 これでは、女子がキャーキャー言うわけだ。

 負けた。

 なんだか負けた。


 言い訳できなかったことに対してか、それとも、女子の言う長谷部沼にハマることになりそうな自分に対してか。


 雷は止み、雨も小雨になっていた。

 雲間がやんわりと明るい。

「帰るか」とオレ。

「ああ」

 と言う隣を歩く彼との間の壁が、少し薄くなった気がした。

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