5th gsdhiaofjisabcvlkghjhb

頭に浮かんだのは、とりとめのない描写の数々だった。

絵とも記号ともつかないような、なにか。

アルファベットの羅列のようななにか。


語彙をなくすとはこういうことなのかもしれない。


その向こう側へゆくと、いつしかそれが言葉となった。

言葉はやがて記憶の束となった。

やせ細った大地に新鮮な河の冷たい水が逆流して押し寄せる。

そんな強い感情に変質した。


不意に、強い雨が降った。


暗い太陽のかがやく夜だった。


空の色は紺と白とが、まだら模様のようにまじっている。

常に風がそれをかき混ぜているようだ。

月やオリオンは見えない。

寂寥が支配する夜。

ふと目線を下げると、足元はコンクリートで舗装されている。


そして気づく。そこは駅舎だ。


ざわめき、風の音、衣擦れ、改札のベルが鳴っている。

似たような顔の市民たちが、毛皮の外套や頒布の上着を着こんで、めいめい、北へ向かう急行の発車を待っている。


話したり、歩いたり、立ち止まったり、時計を見たりしている。

駅夫はガサガサした声で乗降客に何事かを注意している。


どこかのまちの駅舎のホームだ。


ぼくは待合室にはいっていった。

するとそこは待合室ではなく、不思議な洋館の一室だった。


古いテレビとジュークボックス、背もたれの高い椅子にテーブル。額縁にかけられた絵画やシャンデリア。品のいい家具や調度品が置かれている。


電燈は赤あかとひかり、部屋の中を照らしている。

そこに、彼女はいた。


彼女は、「音楽が好きですか」とぼくに尋ねた。


視線を合わせたり外したりを繰り返しながら、ぼくは彼女の質問に答えた。


音楽は好きですか、

人は好きですか、

表現は好きですか、

生きることは好きですか、

悲しいことは好きですか、

寂しいことは好きですか、

夜をひとりで過ごすことは好きですか、

自分のことは好きですか、

私のことは好きですか、

あなたのことは好きですか。

好きですか。


大嫌いです。



……………gsdhiaofjisabcvlkghjhb。



「……大丈夫ですか?」


望月落葉の声で目が覚めた。


僕はまだ自宅アパートにいたのだ。いまの時間はなんだったのだろう。

そうだ。ぼくはタブレットで真駒輪廻の音楽を聴いていたんだ。


何故だろう。あたりはもう暗くなり始めている。


「6時間66分」と彼女は言った。


「?」

「あなたが真駒輪廻の音楽に囚われ、気絶していた時間です」


そんな。まさか。

とはいえすでに音楽は、停止した。

スピーカーは沈黙していた。


音楽を聴いて、本当にぼくは意識を失っていたらしい。


「……怖かったです。恐ろしい音楽だと感じました」


それが率直な本音だった。

彼女はそんなぼくの感想を意にも介さない様子で、軽く微笑みを返した。


「そうです、輪廻の音楽は恐ろしい音楽なんです」


彼女はまっすぐぼくの方を見ていた。

丸い瞳で、こちらを見ている。

それで……、それで?


「何か訊きたいことがあるんじゃないですか?」彼女はぼくに聞いた。


そう、訊きたいこと。


「ええと……」

「ゆっくりでいいですよ、水を飲みますか? 水を飲むのは大事なことです」


「いえ、水はいいです」

「では質問を拝聴します」


ぼくは無意識に髪型をくずすように頭をがしがしと掻いた。


自分の心がひどくダメージを受けていることに気づく。

衝動。

何かに衝き動かされるように、自分の中にモンスターのような不安が宿っている。


「……真駒輪廻は死に向かってこの曲を書いていますね」


真駒輪廻が命を削り、死に向かっているのではないかという想像がぼくの中に膨らんでいる。

でもぼくはうまく言語で説明できない。語彙は死んでいる。

曲中でそんなことを明示する歌詞が歌われているわけではない。


だが、いや、だからこそ、どうして?


そこでぼくは思い至る。いや、いま思い至ろうとしている。

じわじわと心のなかで疑問符が溶ける。


望月さんが口を開いた。


「真駒輪廻の魂がどこに向かったのか、確かめなくてはいけません」


彼女の言葉に、ぼくは大きく頷いてしまう。


なぜ、曲を聞いただけでこんなにも真駒輪廻のことを想ってしまうんだろう。


畳み掛けるように、彼女、望月落葉は続ける。


「あなたは輪廻の歌に共鳴する人だと思っていました」


どうして、望月さんにはそれが分かったのだろう。

その疑問が固形化する前に、望月さんはぼくに尋ねる。


「人は、どんなときに死んでしまうのだと思いますか?」

「……どんなときに」

「絶望したときに? 渇望したときに? 恋したときに? 愛したときに?」

「……わからないです」


額に大粒の汗がふつふつと浮かび上がってくる。

ぜえぜえと呼吸をしている自分をようやく自覚する。

ダメージは、相当でかいらしい。


「さて」


望月落葉は笑顔で言い放った。


「女子大生を自宅に連れ込んで乱暴したと言いふらされたくなかったら、私と一緒に真駒輪廻を探すお手伝いをしてくださいませんか」


そうして最後はただの恐喝に押し切られ、ぼくの大切な休日は、真駒輪廻を探す旅に費やされることが決定したのだった。

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