終幕

ある冬の良く晴れた日だった。

 オンテマ小国の、そろそろ関所が見える頃だろうか。

今はもう国境を抜けカリナーン王国の外の筈だ。ここ数日挑み続けたエシュトル山脈を今は背中にして歩いている。

「少し駆けるかな……関所の先の街まではまだあるし」

ついさっき通り過ぎた里程標を思い出し、軍馬の手綱引く旅人は、山吹色の癖毛をかき上げながら呟いた。

雪原の中をはしる山道はようやく緩やかな下りの勾配になってきて、寝起きの蛇のようなうねりを見せながら、やがて見えるだろう街の姿を連想させる。

「それがいい。山越え後の最初の息抜きだ、高山の雪解け水から造る酒の旨さは遠く数多の土地に知れておるからな」

応えるのは馬上の女。

魔性の美貌を頭巾に隠す無剣騎士の自称忠実なる従士は、新調したばかりの手斧をのんびり磨きながら舌舐めずりをして見せる。

「おい、もう路銀は殆ど無いんだからな。ラティオで稼いだ金は結局殆ど登山の準備と武具の新調で消えたんだ」

 若騎士が幼さを残しすぎて、従士との釣り合いが悪いのではと少し……いや、結構気にしているらしい顔立ちに眉根を寄せながら愚痴をこぼしてやる。

 すると従士はくつくつと頭巾の下で笑って見せ、そして……

「嗚呼、情けなや、我が身委ねしは騎士道の誉れも高き懇到なる君であろう筈なのに、我が身の酒恋しさ一つ救おうとはせなんだか、嗚呼、情けない、嗚呼、世知辛い」

 等と、いつか聞いたような戯曲を歌いだす。

 だから、こっちも調子を合わせてやる。

「何と言おうと財布の紐は緩まないぞ。っていうか、緩んだところで何も入ってやしないんだ。そんなに呑みたきゃ自分で稼げ。この、うわばみ」

言い返された女。

今度は黙り込みつつ……じいっと馬上から此方を見下ろし笑みを作る。

「今の話の流れでは、それは、身体を売って稼げと言う事かな、主様」

「……そうだと言ったらどうするんだ? 従士よ」

 馬上の従士と歩きの騎士は、互いに不敵な笑みを作り睨み合う。

「やれやれ、吹雪の中、あの夜、あの優しさが嘘のような気振りだな」

 突如ぼそりと呟く。

「お、お前、あれは凍え死なぬようにってそっちから言い出したんだろう!」

 騎士は呆気なく狼狽。

たちまち顔中、耳まで真っ赤になって従士の言葉を止める。

「そうだったかしら? あの時の事を想うと恥ずかしさが先に立って良く思い出せませぬ」

 しおらしく呟くこの従士に、そんな手弱女な処などまるで感じられない。

「耳元で囁きかけたあの言葉を思い出すと……」

「おーい!」

 叫んで止めると舌を出す。

「ほんとに、あまり無茶には呑んでくれるなよ」

と、白旗代わりに呟く若騎士。

その言葉に、剣の姫は、無剣の騎士を捉え蕩かす甘い微笑を浮かべ……「解っておるとも、ルース」と言うのだった。


その、真紅の瞳の作り笑みを見てふと思い出す。

「そう言えば、侯爵の協力を取り付けるクラメリアンの切札ってなんだったんだろう」

 そう聞くと、なんだかアリクは興味なさげに答えを返す。

「水の精霊使い、偉大なる聖人エシュトル・クランツ・メルギルは、やがてエシュトル領地興りの礎になった。その血筋に脈々と魔は受け継がれた訳だろう」

「え? それは侯爵の血統でローザとは……あれ?」

 悩むルースを見下ろして「やれやれ、今更気付いたのか」と従士は笑う。

「いや……良く解らん。もっと詳しく教えてくれ」

 降参の仕草を見せる。

「なんとまあ、どこまで鈍いのか……種明かしのほうびも追加で貰う事としよう」

ルースは誤魔化し笑いをしながら、女の手にそっと自分の手を重ねてみた。

 しなやかな指が騎士の指に絡まってくる。

 その柔らかさは、何よりの安心だった。

「なに、路銀の稼ぎ方なぞいくらでもあるさ」

 珍しく、アリクがこっちの心の内とは見当違いの事を言ってきた。

だから、こう言ってみてやったのだ。

「お前、今照れてるだろう?」


 旅は続く。

 頬を赤らめ怒りだす剣の姫と無剣騎士は、確かな歩みで北を目指していくのであった。


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