chapter.5

19.されど物語は終わらない。

 それからの数日間は実に順調だった。


 紅音くおんの予想通り、月見里やまなしあおいが仲良くなるのにそう時間はかからなかった。三人で昼食を取って以降、葵は積極的に月見里に声をかけていた。


 それは例えば昼食のお誘いだったり、例えば放課後の、寄り道のお誘いだったり、何かにつけて月見里のことを気にかけていたように見える。


 いや。違う。


 葵はきっと、本気で月見里のことを気に入ったのだ。


 彼女は頼まれればNOとは言えない性格で、なんでも「葵ちゃんに任せなさい!」と言いながら、その実に豊満な胸を叩くわけなのだが、流石に普段は、頼まれもしないのにコンタクトを取ったりはしなかったと思う。それは一番間近で見ていた紅音だから分かる。


 そして、そんな紅音だからこそ、彼女がなんとしてでも月見里と紅音を友達同士にしようと企んでいることも分かってしまう。


 そりゃそうだ。昼食のお誘いならばまだしも、放課後、葵の女友達と一緒に帰る時にまで紅音を一緒に連れて行こうとすれば流石に違和感くらいは抱くものだ。しかもその内容が一緒にカラオケと来たもんだ。


 メンバー比率は(葵と月見里を含めて)女子が四人の男子が一人。ハーレムに見えなくもないが、相手はあの葵だ。隙を見て、月見里と紅音を二人きりにする算段をつけていたに違いない。きっと他二人も共犯者だ。


 紅音としても女子とカラオケというシチュエーションに心が躍らないわけではないが、流石にそんな作為が見え隠れしまくっているところに飛び込んでいくほど浅薄ではない。ありもしない理由をつけて、丁重にお断りをさせてもらった。


 そんな流れの中で、紅音が一つ意識をしていたことがある。


 それは、自身のフェードアウトである。


 このちょっとした“騒動”から、ひっそりと身を引こう。そう考えていたのだ。


 なにも関わりたくないわけではない。これからも月見里と会えば話はするし、タイミングが合えば、一緒に(恐らくは葵を介してという形になるだろうが)昼食くらいは取るだろう。ただ、それだけだ。


 つかず、はなれず。


 その関係性が二人にとってはちょうどいい。それが紅音の下した一つの結論だった。


 もし葵や冠木かぶらぎがそれを知ったらヘタレ扱いするかもしれない。それでも、紅音はその結論を変えることはないだろう。


 そんな決意のもと、無事通常営業に戻り、学生相談室で、相も変わらず冠木と二人で、教師と生徒とは思えない遊びを繰り広げていたのだが、


「月見里が見当たらない?」


 そんな一報が、あおいからもたらされた。


 彼女の弁によれば、朝から月見里の姿が見当たらないのだという。


 クラスが違うこともあり、最初は気が付かなかったのだが、「そういえばどうしてるかな」と思い、E組を覗きに行ったところ、その姿が見当たらなかったのだという。


 気になって、たまたま教室に残っていた朝霞あさかに尋ねたところ、今日は見ていないのだそうだ。


 冠木が、


「単純に体調を崩したとかじゃないのか?」


 葵は首を傾げ、


「分からないん……です。一応、担任の先生に聞いてはみたんですけど、連絡もないみたいで。それで、気になって……」


 学生相談室ここに来てみたってわけか。


 紅音はさらりと、


「連絡はしてみたのか?」


 ところが葵は首を横に振り、


「連絡先、聞いてないんだよね」


「え、マジ?」


「マジだよ。私も聞こうかなって思ってたんだけど、なんかそういう雰囲気にならないっていうか、微妙に遠慮?みたいなのを感じたから、あんまり無理やり聞き出すのもよくないかなって思って、聞いてないんだよ」


 そういう雰囲気にならない。


 言われてみれば確かに、あれからの月見里はどこか様子をうかがういつづけるような、一枚の壁を隔てたような、そんな状態が続いていたような気がする。


 ただ、葵のことだ。それくらいはガンガン突破して、それでいて遺恨の残らない形で処理しているものだとばかり思っていた。意外だ。


 冠木は不思議そうに、


「少年は、問題は解決したみたいなことを言ってたと思うけど」


 葵は何かを訴えるようなジト目で紅音を見つめながら、


「まあ、問題は無かったと思うんですよ。この男がヘタレだったこと以外は」


 だからヘタレっていうな。


 しかし、冠木はそんな話に食いつき、


「え、なに、ヘタレって?」


「はい、実はですね……」


 そう言って、葵は事の顛末──具体的には、紅音が月見里を葵に任せて退出してしまったことや、その後カラオケに誘ったりしても顔を出そうとしないこと──などを全て冠木に話してしまった。途中、話を中断させるために、それとなしに気をひこうとしてみたのだが、全く意味をなさなかった。結果として、


「少年……」


 なんとも哀れみ深い目線を向けられてしまった。だから、そういう話じゃないっての。


 紅音は強引に、


「とにかく!月見里が見当たらないって話だよな?だったら、俺から連絡してみればいい。簡単だ。ちょっと待ってろ。今やってやるからな、うん」


 そう言って、自らのスマートフォンを使って、月見里への連絡を試みる。その間、冠木と葵の間から漏れ聞こえていた「ミスター・甲斐性無し」とか、「ヘタレの擬人化」とか、「親の顔より見た腰抜け」とか、「一生ネットのさらし者」というフレーズは完全に無視をした。


「最後のは違うだろう、最後のは」


 訂正。一応ツッコミは入れておいた。なお、それに対する葵の、


「じゃあ他のは自覚あるんだー」


 という言葉も完全スルーだ。こういうのは相手にすればするほど増長する。放置しておくのが一番だ。


 さて。


 そんな効果音を背景に、紅音が月見里に送ったメッセージはというと、



「突然連絡してごめん。葵から聞いたんだけど、今日学校来てないんだって?色々事情はあると思うけど、葵が心配してるから、見たら連絡くれると嬉しい」



 送信っと。


 さて、


「取り合えず、連絡しましたよ。すぐ返ってくるかは分からんけど、まあ、返ってきたら葵にも連絡する。これでいいか?」


 やや強引に話をしめようとする紅音に対して葵は唇を尖らせ、


「それよりもさー私は何であの時逃げ帰ったのかを知りたいなぁー」


 冠木も後を追うように、


「なぁー」


 やかましいわ。


 そんなもの、説明出来るのならとっくに、


 ブイーッ


「お」


 スマートフォンのバイブレーション機能が何かを知らせようとしている。もしや、先ほどのメッセージへの返信だろうか。それにしたら大分早い……いや、早すぎると思うが。


 紅音は二人分のノイズを完全無視した上で、スマートフォンを開き、


「早」


 月見里からだった。


 返事はこうだ。



「ご心配をかけて申し訳ありません。家庭の事情でどうしても休まなければならない事情があったので、欠席いたしました」


 

 公式の声明文か何か?


 色々とツッコミは入れたくなったものの、これで問題は解決だ。紅音は短く「了解。忙しい中ありがとな」とだけ返信し、


「喜べ。月見里は体調不良でもなんでもなかったぞ」


「だからそのヘタレな性格を……へ?ほんと?」


 何がヘタレな性格だ、どつくぞ。


 紅音はスマートフォンの画面を見せつけ、


「ほらな。家庭の事情だとさ。多分、冠婚葬祭かなんかが被っちゃったんだろ。んで、学校に連絡を入れるのを忘れてたと。な?なんの問題もないだろ?」


 そんな画面を葵と冠木は食い入るように見つめて、


「このアイコンの子って妹さんなんだっけ?」


「そうですよー。優姫ひめちゃんって言うんです。兄とは違って可愛い子ですよ」


 黙れ。


 そして、関係ないところについて盛り上がるんじゃない。


 紅音はスマートフォンをしまって、


「とにかく!月見里は家庭の事情で休んでるってことがこれではっきりした。はい、解散!」


 ぱんぱんと両手を叩く。しかし葵はいっこうに引かず、


「うーん……家庭の事情かぁ……」


「なんだ、まだ問題があるのか?」


 葵は腕を組んで、首をゆらゆらさせながら、


「んー……問題があるってわけじゃないんだけど、その割には返事が早かったなぁと思って」


「あー……」


 確かに。


 紅音はこの手のアプリでも返事はテキトーな時間にする質だ。


 従って、既読スルーのような状態になってしまうことも多く、最初は葵や優姫に文句をつけられたものだが、最近は慣れたのか諦めたのか、何も言われなくなっているくらいなのだ。


 だから、一般的な高校生女子が、こういったものをどれくらいの速さで返信するのかは一切知らないわけなのだが、どうやら葵から見ても今の返信速度は大分早かったらしい。


 冠木が横から、


「たまたま時間が空いてたんじゃないのか?ほら、葬式とかって、間に時間が空くことあるだろ?」


 なるほど。言われてみればそうだ。


 あの手の式は、会場の移動なども含めてまあまあ空き時間が存在する。その間にちょっとしたメッセージを返すくらいは訳ないのではないか。


 しかし葵が首をさらに傾け、


「でも、それだったら学校に連絡してくると思いませんか?」


「あー……」


 そう。


 そこは紅音も少し引っ掛かっていた。


 こと相手が朝霞あさかあたりなら話は別である。


 彼には悪いが、正直、ふらっと「思いついたから」という理由で一日どこかに出かけて、しかも学校に連絡一つ入れないといううことがあってもおかしくはない……と、いうか、実際に過去にそういうケースがあったくらいだから、今更無断欠席しても「まあ、朝霞だから」で済んでしまう部分はある。


 が、今回の当事者は月見里である。


 あの性格だ。学校の先生が心配をしたらどうしようくらいのことは考えつくはずである。


 そうなれば、例え家庭の事情で登校は出来なかったとしても、その連絡くらいは入れようと考えるのではないか。


 もちろん、その余裕もないという可能性はある。


 今紅音たちは「家庭の事情」というフレーズを勝手に「冠婚葬祭」というワードに変換して考えている節があるが、必ずしもそうと決まったわけではない。


 例えば……そう、身内が危篤で、今日明日には他界してしまうかもしれないというのも立派な“家庭の事情”だ。


 その相手と月見里自身が親しければ親しいほど、他のことを考えている余裕はなくなるだろう。


 だとすれば、たかだか学校への連絡くらいの細事は、きれいさっぱり頭から抜け落ちてしまっているという可能性も否定は出来ない。


 が、もしそうならば、紅音にはすぐに返事をよこしたのは明らかに変だ。


 それだけの余裕があるのならば、月見里のことだ、学校への連絡を怠るはずはない。

そこだけがどうしても引っ掛かるのだ。


 ただ、そうだとしても、


「まあ、たまたま忘れてるんじゃないか?そういうこともあるだろ」


 そう処理するより他はない。


 だって、実際に月見里は学校に休みの連絡を入れずに、紅音からの連絡にはすぐに答えて見せたのだ。


 もしかしたら彼女の言う「家庭の事情」も嘘かもしれない。


 紅音にも覚えがある。新しいゲームの発売日に、どうしてもプレイがしたくて、学校を休み、後で適当な理由をでっち上げたことが。


 そういう「本当の理由」を告げづらい時に、「家庭の事情」というフレーズは実に便利なのだ。


 幸いにして西園寺さいおんじ家は放任主義で、学校からの連絡も基本的には紅音か優姫の、片方が、もう片方への連絡を受けるというのが常態化していたので、優姫さえ丸め込んでしまえば、何の問題もなかったというのもある。


 ちなみにその時優姫には、レアアイテムを先に複数入手して、通信で譲るということで手を打ってもらったのだが、今はいいだろう。


 当然ながら、月見里が家でゲームにいそしんでいるとは思わない。


 思わないが、人には誰にも言えない事情というものもある。紅音はそれを尊重したい。


 葵はそれでも疑問の色を残したまま、


「まあ、そうかなぁ……」


 と言いつつ、


「ところで、疑問なんですけど」


「なんだ?」


「その机の上に並んでいる、大量のうまいん棒はなに?」


「ああ、これか?これはな」


 紅音と冠木は視線を合わせて「ニッ」と不敵な笑みを浮かべて、


「うまいん棒ドラフト企画!どっちが美味そうな打線を組めるでしょうか選手権!さ!」


 二人でテーブルの上をこれでもかと誇示するように、両手を広げた。


 それを見た葵の感想は、


「ここ、なんの部屋だっけ?」


 学生相談室。


 少なくとも名目上はそのはずである。

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