13.事務連絡よりも無味乾燥。
「え?そんな顔してた?俺」
「はい。眉間にしわがよっていました」
まじか。
そんなつもりはなかったのだが。どうやら大分考え込んでしまっていたらしい。紅音はわざと笑って、
「すまんすまん。別に大したことじゃないんだ。凄いなんて言われること、あんまりなかったからな」
「無かったんですか?」
「ああ。
「
「ん、ああ、そうか。
「妹さん……」
月見里は少し伏し目がちに、
「でも、反応を貰えてるじゃないですか。見てなかったとしても、凄いって言ってくれたなら」
「いやぁ~……あれは反応を貰えたって言っていいのか分からんぞ?」
「でも、話す相手がいるじゃないですか。私には、いないんです。一人なんですよ。テストが返ってきても、返ってこなくても、話す相手がいないんです」
再びの沈黙。
さて、どうしたものか。
適当に慰めることは出来なくもない。
ただ、この手の人間は、一人でもいいじゃないとか、誰建て一人の時はあるよ、といったどこにでも転がっている、手垢まみれの言葉では全く意味がない。
だって本人は「一人でいることがいいことだとは思っていない」し、「他の人は誰かといつも一緒にいて、さみしくない」と思っているからだ。その価値観を否定しても何の意味もない。
北風と太陽で言えば、北風のようなものだ。吹けば吹くほど、ガードは硬くなっていく。
では、どうすればいいのか。
答えは簡単だ。
「屋上」
「……屋上?」
「そ、屋上。あそこってちょっとした休憩スペースみたいになってるだろ?だけど、まあ、最低限のベンチしかないし、風は吹きっさらしだし、何よりもまず「屋上が開放されてる」って知らないやつも結構多いから、穴場なんだよ。俺も一人で飯食う時とか、結構使うんだわ」
「そ、そうなんですか」
「そ。だから、使うといい。暇だったら、俺も覗いてみるからさ。まあ、暑くなってきたら学生相談室の方が快適だけどな」
これでいい。
月見里にとっての最終目標は友達を作ること。
それは間違いない。
ただ、それ以前の話として、彼女にはまず、話し相手がいないのだ。
そこが紅音とは大きく違うところだ。
そして、それこそが彼女の気にしているところと言っていい。
要は、学校内で「ひとりぼっちだなあと感じる瞬間」が少なくなればなんでもいいのだ。
極端な話、弁当を食べている隣で、紅音が爆睡を決めているだけでもいいし、なんなら、その可能性が提示されるだけでも問題はないはずなのだ。
まあ、事実として屋上は紅音にとっての居場所の一つだから問題はない。ただ、
「まあ、俺もいつどこにいるかは分からないけどな」
とだけ補足をする。
実際に紅音は気まぐれで、午前中から授業をサボっては学校外にいたりすることも少なくはないし、屋上と、学生相談室だけを往復する生活をしているわけではない。
そんな言葉に月見里は、
「あのっ!」
「な、なんだ?」
びっくりした。
びっくりしすぎて、こっちも大きな声を出しそうになった。普段は声を張らない人間の大声というのはこんなに意表を突かれるものなのか。
月見里は、やや声のトーンを落として続ける。
「もし、よかったら、なんですけど、わ、私と……」
言葉に詰まり、
「と……連絡先を交換していただけませんか?」
友達になってくれませんか?
恐らく彼女はそう言いたかったのだろう。
ただ、流石にそれはハードルが高いと思ったらしい。途中で軌道修正し、「連絡先の交換」という、実に無難なところに行きついていた。
そして、
「それくらいならいいよ。どうせ俺に連絡してくるやつなんて葵か朝霞か
それは紅音からしてもまた、都合のいい着地点だった。
友達になる。
そのハードル自体は特に高いものでも何でもない。月見里が紅音でいいというのであれば、成立“は”するはずである。
では、問題はどこにあるのか。
それは、友達となった“後”である。
友達になる。それはいい。
ただ、そうなったとして、それを維持することは出来ないはずである。
紅音には見える。
友達となった先にある、
「
月見里がしれっと追加した。
言われてみればそうだ。紅音は今日、冠木の連絡先も手に入れたのだ。
正直なところ、今の今まで連絡先の一つも知らず、学生相談室にいって、なんとなく遭遇していたのがむしろ不思議なくらいの付き合いの長さなのだが。
そんな紅音を月見里が一言で、
「西園寺さ……くんは、冠木先生のことが好きなんですか?」
「…………はい?」
とんでもないところから、とんでもない言葉が飛んできた。
紅音が?冠木を?好き?なんで?
かけるべき言葉はいくらでもある。
否定しようと思えば出来る。相手は月見里だ。もし、指摘されたことが事実であったのだとしてもうやむやにすることは決して難しくはないはずなのだ。
それでも、紅音は“それ”をしなかった。
もしかしたら、出来なかったのかもしれない。
ただ一言だけ、
「……先生には、感謝してるんだよ、これでも」
「感謝、ですか?」
「ああ。なんだかんだ言いながら、俺の相手をしてくれるし、もっと同級生と遊べとも言わない。学生相談室を追い出したりもしないし、カップ麺だってくれる。感謝してるんだ、これでもな」
そこまで言って苦笑いして、口に人差し指を当て、
「内緒な?こんなこと言ったらあの人、すっげー調子乗るし」
「わ、分かりました」
月見里は何度も頷く。こんなことが本人の耳に入ったら何を言われるか分かったものではない。散々いじり倒されるのが関の山だ。
月見里はこれ以上掘り下げるわけにはいかないと思ったのか、
「あとは……そうだご両親とも連絡するじゃないですか!だから、それは、」
「しないよ」
「え、でも」
「しない。それは
紅音は強引に会話を打ち切って、
「連絡先だよな。○INEやってる?」
「え、あ、はい。やってます、けど」
けど、なんだろう。
その先にはいったいどんな言葉がつながっているんだろう。
けど、ご両親と連絡しないなんてことは無いんじゃないですか?
けど、妹さんだけが連絡してるってどういうことですか?
けど、
「ほい、これ」
そう言って紅音はスマートフォンの画面を月見里に向ける。
「あ、あ、ちょっと待っててくださいね」
月見里は慌てて、自らのスマートフォンを取り出し、情報を読み取らせ、
「あ、これ……ですか?」
紅音に画面を見せてくる。そこにはメッセージアプリの、紅音のプロフィールが映し出されていた。紅音と優姫のツーショット写真。優姫がどうしても撮りたいといったプリ○ラの写真のデータをそのまま使ったものであり、優姫が、
「こんな可愛い妹とのツーショット写真なんだから、当然プロフィールに使ってくれるよね?」
という言葉とともに勝手に設定したものだ。
その時は一週間したら変えてもいいよと言われていたし、紅音もまた。そのつもりだったのだが、なんとなく面倒で、そのままになっている。
紅音は軽く頷いて、
「そ。それそれ」
スマートフォンをしまう。後は月見里の側から友達申請なりなんなりすれば大丈夫だ。
と、そんなことをしていると、
「さて、着いたな」
駅前だった。
聞きたいことは大体聞けた。今日はこれでお開きでいいはずだ。
「んじゃ、また明日な。葵には、俺から話しておくわ」
「あ……はい」
「電車、だよな?」
「そう、です」
肯定。ただ、その顔には迷いの色が含まれていた。
理由なんて明白だ。
彼女は未だに紅音と両親の関係性が気になっているのだ。
そんなこと、放っておけばいいのに。
とはいえ、このままだとずっとここで立ちぼうけだ。
だから、
「一緒に住んでないんだよ」
「はい……はい?」
「親。だからそもそもそんなに高頻度で連絡しないんだ。こまかなやり取りとか、そういうことは全部妹がやってくれちゃうからな。俺は正月とか、そういう時に顔を出すくらいで十分なんだよ」
それを聞いた月見里の表情がやや柔らかくなり、
「あ、そうだったんですね……」
なぜ、そんな表情をするのか。
所詮は他人の家庭事情じゃないか。
そんなに誰もが家族団欒なかよしこよしじゃないといけないのか。
そんなものは幻想でしかないのに。
言葉はいくらでも浮かぶ。
ただ、それらはいずれも、月見里にかけるべきものじゃない。
沈黙。
やがて、これ以上ここにいても迷惑になると思ったのか、月見里から、
「あ、それじゃ、帰ります。あの、今日はありがとうございました」
会釈。
「不束者ですが、明日からもよろしくお願いします」
再び会釈。
だから、お見合いかって。
紅音は、
「ああ、よろしくな。ほら、あんまりここでだらだらしてると、帰りが遅くなっちゃうぞ。田舎じゃないから一本逃したら次が三十分後ってことは無いと思うけどさ」
そうやって、駅へ向かうように仕向ける。
笑顔は、作れたと思う。
月見里は三度会釈をして、
「それでは、また明日」
とととっという音が聞こえそうな小走りで、駅へとかけていく。
時折止まっては、こちらを振り向いて会釈をし、やがて、駅へと向かうエスカレーターへと消えていった。紅音からはもう、月見里の姿は見えない。
それでも、紅音は一人立ち止まっていた。
理由は色々ある。
月見里がまだ帰らないうちに、駅から学校の方へと自転車を走らせるのはどうかと思ったというのもあるし、せっかくここまで来たのだから、どこかに寄って行こうかと考えていたというのもある。
ただ、それ以上に紅音が引っ掛かっていたのは、他でもない月見里の反応だ。
そんなに、紅音の両親のことが大事なのか。
月見里にとっては赤の他人じゃないか。
なんでそんなに気にするんだ。
いくつもの言葉が、錨となって紅音を駅前に停泊させつづける。思考は既に大海原に出ていったきり戻ってこない。それでも、
(帰るか……)
錨を上げ、無理やり発進する。自転車にまたがり、地面を蹴って、力強く漕ぎ出す。そうでもしなければ、この場所に延々ととどまり続けてしまいそうだ。そんな気がしたのだ。
考える。
紅音の思考は未だにどこかをさまよい続けている。
だから、知らなかった。
いや、そんなことを考えつく頭は紅音にはなかったはずである。
彼の背中を遠くから見つめる、一つの視線があったことに、紅音は最後まで気が付かなかった。
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