8-22 赤髪の戦乙女

 世暦せいれき1915年1月20日


 市街地を出発し、二日の行程を経て、エルヴィン達は、目的地の、深い木々に覆わた山を目前に捉える事が出来た。


 ウルスマ山、標高五五〇メートルを有し、山頂付近には小さな集落が存在する。この集落に現在、二個大隊程の帝国兵が潜んでいるとの事であった。



「アンナ、状況はどうだい?」


「今の所は静かで人の気配は薄いです」



 双眼鏡越しに山の様子をアンナに確認させた後、エルヴィンは、偵察兵数名に山の内情確認を命じ、先行させた。



「まだ敵は到着していないか……それとも、気付かずに通り過ぎたか……。ガンリュウ中佐はどう思う?」


「前者だろうな。後者ならフュルト大尉等が既に接敵し、連絡が来ている筈だ。敵が市街地という重要な地点を見逃す筈はないからな」


「妥当だろうね。けど、考えられる可能性はもう一つある」


「王国第二軍によって既に全滅させられている可能性、ではないかね?」



 二人の背後から話に割って入ったアベリーン大尉に、エルヴィンは苦笑し、ガンリュウ中佐は警戒心で目を細めながらも、味方としての対応を心掛けた。



「まず、無線通信は敵に傍受される危険があるから使えないにしても、人影が感じられないのが不気味だ。ボルケン少佐の情報が古くないという根拠も無いしね」


「確かに、静か過ぎるな。グーラス市街地以上に人影が感じられん。だが……あの時より張り詰めている空気感はある」


「《剣鬼》がそう言うのであれば無視出来ぬ意見だ。もしかすれば、嵐の前の静けさ、という奴で、既に接敵はしており、睨み合いをしているとも考えられはしないだろうか?」


「大尉の指摘にも一理ある。取り敢えずは偵察兵からの報告を……」



 言葉を不自然に区切ったエルヴィン。彼の視界の先にて、アンナが気分悪そうに胸をさする姿が見えたのだ。



「アンナ、大丈夫かい……?」


「ええ、大丈夫です。体調が悪いとかそういうものではないので。何と言いますか……なんか、胸がザワザワするんです」



 この彼女の言葉に、エルヴィンとガンリュウ中佐の脳裏にある名詞が浮かんだ。


 ⦅精霊魔法⦆、森人に極稀に使い手が現れる高位魔法であり、アンナは極稀に属する存在であった。


 "精霊"という高位存在が何か彼女に作用しているのではないか? そう、二人が結論付けた時、推測を肯定するかの様に、山の反対側から砲声と銃声の不協和音が奏でられ始めた。



「ガンリュウ中佐!」


「わかっている! 総員、臨戦態勢っ‼︎」



 ガンリュウ中佐の指示と共に、兵士達には緊張が走り、時を同じくして偵察兵の一部が帰還した。



「報告します! 西の山麓にて味方と敵が交戦を開始! 詳しい情報はわかりませんが、残りの偵察兵が山頂の司令部と合流し次第、正確な情報が送られてくる手筈となっております!」


わかった。なら、先ずは山麓にて交戦する味方の援護! おそらく別働隊が背後を取ろうと動いている筈だからそれを叩く!」



 エルヴィンの指示により、周辺警戒を厳にしつつ山を迂回し、敵、味方の交戦地点へ近付きずつある途中、敵の別働隊との交戦が開始された。



「何故、こんな所に帝国軍が! 本隊の方へ兵力が全て割かれている筈ではなかったのかっ⁈」



 これが、敵指揮官の遺言となった。次の瞬間、彼の身体は、鉛玉によって無残な屍へと豹変したのだから。


 エルヴィン達が交戦した別働隊の数はおよそ一個大隊程だったのだが、敵は攻撃が上手くいっていると高を括っていたのか油断し、此方こちらの奇襲によって一挙に瓦解。ガンリュウ中佐の猛撃の犠牲も加え、呆気なく全滅の道を辿った。


 この勢いに乗って、エルヴィン達は、味方と交戦を続ける敵王国軍の右側面(王国軍から見た左側面)から強襲を掛け、敵司令部に少なからざる困難を生ませる事に成功する。


 当然、これに敵は驚かされる事となった訳だが、何もその反応が敵だけであるとは限らなかった。



「中尉、味方の援軍です!」



 敵中に孤立し、全滅を待つだけだった暗闇に差し込んだ光。これに帝国兵達は目を輝かせて歓喜し、"彼女"も安堵に口元を綻ばせる事が出来た。



何処どこの部隊かは知らないが、有り難い。これで活路がひらけそうだ」



 "彼女"は、腰の鞘からレイピアを抜くと、部隊の一部を率い、予期せぬ敵強襲に混乱する王国軍右翼へと攻撃を開始した。


 この味方の行動に、敵中を鮮血と共に突き進むガンリュウ中佐からは感嘆がこぼされる。



「気骨のある指揮官が山の味方には居るようだ。せっかくだ、綺麗な挟撃といこう。砲台をいくつか潰せれば重畳だ」



 ガンリュウ中佐を先陣に、魔術兵部隊が凸形陣で敵を食い破っていき、それを後続部隊が傷を広げつつ先頭部隊の退路を確保する。


 王国軍右翼は完全なる混乱状態、二面からの挟撃にジワジワと圧迫され、陣形も崩壊しつつあった。一部では大砲を放棄して、後退せざるを得なくなった部隊もある程である。


 こうして王国軍右翼を押し退けていく内に、ガンリュウ中佐は"彼女"率いる帝国部隊と合流し、一人の女性の姿を見る事となった。


 肩まで伸びた赤い髪、されども《武神》の燃える様な赤とは違い、ルビーを繊維状にした様な華やかさがあった。瞳は凹凸一つ無く研磨された琥珀に等しく、何より、それ等を引き立てる格式ある佇まいと整った顔立ち。只の美人と呼ぶには余りに凛々しく、表現するなら令嬢などより女性騎士という言葉が相応しいだろう。


(なるほど、アレが彼方あちらの部隊の指揮官だな)


 一目で"彼女"の素性を見破ったガンリュウ中佐だったが、その部隊が包囲されそうだと気付き、先頭部隊をマイン曹長に任せ、一部部隊を率い援軍へと向かう。


 こうして到着した先で、"彼女"の背後を取ろうとしていた敵魔術兵を袈裟斬りにすると、近くにいた敵を軒並み血祭りに上げ、包囲を崩れさせた。



「凄い……」



 《鬼人の剣士》の活躍に感嘆をこぼした"彼女"に対し、ガンリュウ中佐は背中を預ける。



「この部隊の指揮官とお見受けするが……違いないか?」


「その通りです。そういう貴官は、彼方あちらの部隊の指揮官で間違いないですか?」


「隊長ではなく副隊長をやっている。名乗りは、今ははぶかせて貰うが、構わんだろう」


「構いません。今は戦い中ですので……なら、指揮権を移譲しましょうか? 其方そちらの方が階級が上、中佐の様ですから」


「いや、このままの指揮系統で構わん。差し詰め、今は勢いに乗じ、一挙にこの敵部隊を殲滅する」


「了解」



 此処ここで二人の会話が途切れると、大した打ち合わせも無く息の合った部隊運用と連携を開始する。


 こうして王国軍右翼を見事に壊滅させた両部隊は、ウルスマ山中へと撤退し、王国軍も被害の深刻さから部隊を後退させ、初戦に幕を引かせた。



ようやく、ひと段落出来そうですね」


「同感だ」



 そのまま、共に山へと入った"彼女"とガンリュウ中佐は、此方こちらから離れていった敵部隊を見下すと、安堵と共に剣を腰の鞘へと仕舞った。



「中佐殿、援軍感謝します」


「いや、其方そちらも助かった。お陰で綺麗な挟撃態勢を取れた。見事な手腕だ」


「お褒め頂き光栄です。して……そろそろ所属と名前をお教え頂いても宜しいですか?」


「すまん、失念していたな」



 ガンリュウ中佐は"彼女"の方へと向き直る。



「第十一独立遊撃大隊副隊長ヒトシ・ガンリュウ中佐だ」



 その部隊名を聞いた瞬間、"彼女"の目が驚愕に見開かれる。



「第十一独立遊撃大隊……もしかして、其方そちらの隊長は……」



 "彼女"が顔見知りの名を出そうとした時、兵士達の奥から、予想通りの人物が現れる。



「お久しぶりですね……」



 横から聞こてきた声に、"彼女"が振り向いた時、そこには少し頼りない姿が特徴的の、大隊長エルヴィンが佇んでいた。



「エルヴィン……やっぱり、これは君の部隊か。何故此処ここに……」


「ボルケン少佐から、取り残されていると聞きたので、助けに来たんですよ」


「そうか……しかし、助かった」



 二人での会話を始めてしまった"彼女"とエルヴィンに、ガンリュウ中佐は怪訝に眉をひそめる。



「中尉、貴官についてまだ聞いていないのだが?」


「ガンリュウ中佐、これは失礼した。では、改めて……」



 "彼女"は姿勢を正し、赤い髪を風になびかせると、凛々しさを保った笑みをガンリュウ中佐達へと向ける。



「第二〇一大隊大隊長代理エリーゼ・フォン・シュトラスブルク中尉だ。其方そちらのフライブルク隊長とは先輩後輩の関係に当たる。どうか、宜しく頼む」

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