7-89 向けられる銃口

 共に、同時に、敵に銃口を突き付け合った事で、危なげな拮抗状態を作り出してしまい、身動きが完全に封じられてしまった両部隊。


 このまま誰かが銃声を一回でも鳴らせば、たちまち撃ち合いが始まり、現在銃口を向けられている者の大半が死ぬ事になるだろう。


 トゥール達の兵士もおよそ二百。先の戦いで多数の部隊兵を死傷させてしまった結果だったが、これはつまり、銃撃戦が始まれば、ほぼ全員が死ぬという事だった。


 二百の銃口と二百の銃口同士が敵の急所に狙いを定め合いながら、互いに緊張感で冷や汗を流し、引き金に当てた指先が微かに動き出す。


 当然、弾丸が発射される程に引き絞られはしなかったが、緊張の糸がいつ切れてもおかしくはない以上、安心など出来る筈も無い。


 いつ撃たれるか分からないという共通の恐怖心が危うさを更に危うく誘う中、1人の青年の声が静かに場の空気を揺らす。



「まさか……貴官の部隊もこの戦いに参加されているとは思いませんでしたよ、トゥール少佐。連日戦い続きになる訳ですから、大変でしょう」



 平静を保ち、そう告げたエルヴィン。しかし、彼の心中も穏やかではなかった。


 前にも話した通り、彼の銃の腕は周りが呆れる程に悪い。


 指揮官同士が互いに銃口を向け合ってはいるものの、実際に脅威となるのはトゥールの方だけで、銃撃戦を行った場合、死ぬのはエルヴィンだけなのだ。


 トゥールも同じ様な腕なら話は変わってくるが、叩き上げ軍人として一兵卒から戦場を駆け回った彼が下手である筈も無い。


 自分の銃の腕がバレないよう、エルヴィンは、余裕そうな、いつもの笑みを崩さぬまま、表情を凝固させるしかなかったのだ。



「東防衛線が突破されたのは痛いですが……どれぐらいの兵力が基地内に入れたのですか?」


「教える訳無かろう。我々は敵同士なのだぞ?」


「まったく、その通りですね……」



 互いに軽い笑いをこぼすエルヴィンとトゥール。こんな場面でも笑える両者の胆力に、他の兵士達は軽く感嘆するが、平静を装っていたのはトゥールもであった。


 実は、東防衛線を突破したのはこの場の兵士達だけであり、今、敵の援軍が来ればたちまち壊走させられる可能性があるからだ。いち早く、この場を去りたいというのが彼の思いなのである。


 緊張感で心臓が握り潰されそうな感覚を味わいながら、冷ややかな針々が背中に食い込みような感触を味わいながら、互いに揺さぶりを掛けつつ、打開点を探す両者。


 兵士達が、緊張から解放されたいが為に、早く引き金を引いて終わらせたい、という衝動に駆られ始め、壮絶な殺し合い迄のカウントダウンが刻まれる。


 最早、一刻の猶予も無いという状況になって、トゥールが左手を挙げ、味方兵士達を制止し、銃を下ろさせた。



此処ここは我々が一旦退かせて貰う。このまま突破した所で、貴官等の部隊に退路を断たれては堪らん」


「そうですか……」



 エルヴィンも左手を挙げ、味方兵士達を制止し、武器を下ろさせる。


 そうして、少しの睨み合いの後、同時にエルヴィンとトゥールも拳銃を腰へとしまった。



「賢明な判断に感謝します」


「またも貴官に乗せられねばならんのは癪だがな」



 苦笑をこぼし、部下達へ後退命令を出した後、トゥールは再びエルヴィンへと視線を向けた。



「つくづく、ラヴァル中佐が居ないのが悔やまれるな。もし、この戦場に彼が居たのならば、貴官の蠢動しゅんどうを許しはしなかったものを」


「だからこそ、私としては本当に会いたくないんですよ」



 肩をすくめるエルヴィンに、トゥールは当然の意見だと笑みを浮かべた後、基地東で戦う友軍の下へと向かった。


 予期せぬ遭遇戦となりはしたが、無事に此方こちらの優位的な形で終えられた事に、帝国兵達から一様に安堵がこぼされる。



「大隊長、お見事でした!」



 エルヴィンが何か大した事をした訳ではなく、ほとんど運が良かった結果なのだが、ロストック中尉から彼へ賞賛が送られた。



「銃口を向けられながら怯む事なくたたずみ、相手を萎縮させ退かせてしまうとは……流石です」



 褒められながらも微動打にしないエルヴィン。普通なら此処ここで謙遜の一言でも呟く筈なのだが、彼は今それ所では無かった。


 エルヴィンは静かに膝を曲げると、腰を抜かし、地べたに座り込んで顔を俯けさせ、溜まっていた大量の冷や汗をダラダラと流し始める。



「しっ……死ぬかと思った…………」



 声を震わせながら、何とも情け無い感想を吐いたエルヴィンだったが、周りの兵士達が呆れる事は無かった。彼の直属の部下達は、慣れた、というのもあるだろうが、彼等も含め全員、銃口を向けられた瞬間から同じ気持ちを抱いていたのである。


 しかし、この時、まだ命の危機が完全に去った訳ではない事に、彼等は気付いていなかった。


 とある倉庫の屋根の上、そこからエルヴィン達をスコープと双眼鏡越しに眺める2人組が居たのである。共和国軍の軍服を着用しながら。



「大隊長達は無事に離れられた様だな……」



 ジョエルが双眼鏡越しの敵を眺めながら、そう呟く。



「このまま例の大隊長を撃ち殺しても良いんだろうが……」


「ジョエル、私はいつでも撃てる。彼奴あいつ……指揮官らしき男の頭をスコープに入れたから」



 スコープ越しに見えるフライブルク中佐の顔を眺めながら淡々と告げるマリエルに、ジョエルは双眼鏡から目を離し、苦笑し、首を横に振った。



「止めとこう。大隊長も念の為に俺達を此処ここに配置しただけだからな。無事に済んだ以上、余計な事はしないに限る」


「そう……貴方が言うなら従う」



 素直に銃を下ろし肩に掛けるマリエル。それに、ジョエルは奇怪な者を見るように目を丸くした。



「なに……?」


「いや……本当にお前、マリエルか? いつものお前なら渋るよな? 俺に文句言ってくるよな?」


「そんなに物分かりは悪くない。それに、相手は《剣鬼》じゃない。復讐に関係無い相手ならどうでも良い。帝国人に情けをかける意味は分からないけど」


「そっか……こっちとしては素直に聞いてくれる方が楽で良い」



 「変わったな」とマリエルに兄の様な慈愛含みの笑みを向けるジョエル。復讐心が消えるのが最善ではあるが、良い方に進歩しているのは間違いない。切っ掛けは分からないが、それを作り出した奴には感謝を抱きたい所だった。


 自分がその切っ掛けなのだとは微塵も気付かずに。



「さて、そろそろ俺達も部隊に合流しねぇと。逃げ道が無くなっちまう」


「わかった」



 いつもの感情の薄い声色で答えたマリエルだったが、ジョエルの背中を追い掛け、付いていく最中、彼へ向ける彼女の瞳は、何処か鮮やかで明るく、腰から伸びる猫の様な尻尾もクルクルと活発であった。

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